この「海行かば」(元歌「海ゆかば」)は、信時潔(のぶとききよし:明治20年(1887年)〜昭和40年(1965年))が、昭和12年国民精神強調週間のテーマ曲として作ったものですが、歌詞の出典は、大伴家持「賀陸奥国出金詔書歌」の一部分【・・・大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を・・・】でした。信時としては得意の賛美歌レクイエム調の荘厳な歌曲としたものでしたが、太平洋戦争末期に大本営が<玉砕>を報じる時にそのテーマ曲に使われたことから、<準国歌>とされ、それが為、戦後はGHQや一般からも軍歌中の軍歌として排斥され、山田耕筰と双璧とも言われた大作曲家信時潔の歌曲集からも消えました。そのためかあらぬか、この「海行かば」はもちろん畢生の歌曲「海道東征」すらもJASRACに著作権信託されておりません。しかし信時も戦後全く逼塞していたわけではなく、多くの校歌・社歌などを作曲していますので、自分の母校の校歌が信時潔の作曲という人も多いでしょう。 **1「海行かば」の歌詞には<かへり見はせじ>と<長閑には死なじ>の二つがあり、大伴家持が改変したとも言われています。 |