昭和8年にリリースされたこの文部省唱歌「我は海の子」は、童謡が殆ど姿を消し戦雲急を告げる中で作られた、正に<小国民>に向けての軍歌でした。1番〜3番は過去の幼少の経験を述べているだけなのでさしたることはありませんが、4番〜6番はすべて7番の♪いで軍艦に乗り組みて我は護らん海の富國♪に繋がるものですから、戦後直ぐに発売しようとしたらGHQから即座に発禁されるか、全面改作を迫られそうな内容であったため、始めから申請する気もなかったのでしょう。「船頭さん」、「めんこい子馬」、「汽車ポッポ」、「お山の杉の子」、「森の小人」など多くの童謡が改作され、新しい内容、新しい曲名などで再出発しましたが、この「我は海の子」は最初からのあきらめが幸いしたのでしょう。昭和23年ごろ1番〜3番のみを<われは海の子>として教科書に載せるのが許可され、全体を改作することなく、占領時代をうまく乗り越え、昔のままのものが<我は海の子>として残ったものと推察されます
          昭和8年(1933年)
.         JASRAC.No.012-5571-1
  
   我は海の子
          作詞作曲:文部省唱歌

        (
)
        我は海の子 白波の
        騒ぐ磯辺の 松原に
        煙たなびく 苫屋こそ
        我が懐かしき 住家なれ
 

  (
)

  幾年ここに 鍛へたる
  鐵より堅き かひなあり
  吹く潮風に Kみたる
  肌は赤銅 さながらに

        (二)
        生まれて潮に 湯浴みして
        波を子守の 歌と聞き
        千里寄せ来る 海の氣を
        吸ひて童と なりにけり
  (六)
  波に漂う 氷山も
  來たらば來たれ 恐れんや
  海巻きあぐる 龍巻も
  起らば起れ 驚かじ

        (三)
        高く鼻つく 磯の香に
        不断の花の 香りあり
        渚の松に 吹く風を
        いみじき樂と 我は聞く

  (七)
  いで大船を 乗り出して
  我は拾わん 海の富
  いで 軍艦に 乗り組みて
  我は護らん 海の富國

        (
)
        丈餘の櫓櫂 操りて
        行く手定めぬ 波枕
        百尋千尋 海の底
        遊びなれたる 庭
廣し


  童謡・唱歌・懐メロ 八洲秀章&抒情歌 昭和戦後の歌謡曲・演歌
   *08/JUN/14
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