この作詞の江口夜詩【えぐち・よし、1903年(明治33年)〜1978年(昭和53年)】は音楽好きの若者で最初は海軍軍楽隊に入隊し、才能を認められ、海軍在籍で東京音楽学校(現:芸大)に委託生として六年間通学し、軍楽隊のための曲を作曲しました。1931年(昭和6年)28歳で海軍を退役し、翌年、何と言うこともなく作曲したこの「忘られぬ花」が大ヒット。流行歌の作曲家として歩みを始めました。当倶楽部にも「十九の春」「急げ幌馬車」「夕日は落ちて」「長崎のザボン売り」「赤いランプの終列車」がアップしてあります。終生、古賀政男とはライバル関係にありました。作詞の西岡水朗【にしおか・すいろう、1909年(明治42年)〜1955年(昭和30年)】は長崎県出身の詩人で、既に1930年(昭和5年)までに<雲仙音頭><長崎小唄>などを作詞していましたが、上京して翌年、気鋭の江口夜詩と、この「忘られぬ花」を作り、流行歌もものしましたが、新民謡主体の作詞活動だったようです。
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