キーストン物語                 


 **キーストンのデータ**
誕生日:昭和37年3月15日 産地:北海道・浦河
体重:430kg 毛色:栗毛
両親:父ソロナウェー、 母リットルミッジ
戦績:25戦18勝、2着3回
主勝鞍:東京優駿(ダービー)、弥生賞 京都3歳s、
     菊花賞2着、金杯、京都杯
致命傷:阪神大賞典で左前足完全脱臼予後不良
主戦:山本正司(現調教師)
調教師:松田由太郎 馬主:伊藤由五郎

[快速キーストン 栄光と挫折]

 昭和42年暮れ、12月17日の阪神大賞典。キーストンはダービー制覇以来の盟友山本正司騎手を背に、気持ち良さそうにターフを疾駆していた。5頭立てということもあって、誰もが快速キーストンの勝利を疑わなかった。それまでの戦績は24戦18勝、2着3回という驚異的なものだったから。
 四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転・・・。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
 キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。激痛もものかは・・・(注1)
 馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となってキーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!
 キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
 山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
 暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?別れを告げに来たのだろうか?テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。

 快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。

 キーストンは父ソロナウェー、母リットルミッジの仔として、昭和37年3月15日北海道浦河で快速馬の血を受けて生まれた。子馬の頃は小柄であまり目立たず、歩様はごつごつとしていて、競馬馬として一回でも出走出来れば上出来、とおもわれた。取り柄は、とにかく真面目に一生懸命に走ることだった。しかし、トロットからキャンターに移ると突然流れるような足色となり、ひょっとして、と思わせるものが出て来たので、デヴュー時にはペンシルヴェニア鉄道の超特急”キーストン号”の名前を与えられた。ターフに登場するやその名に恥じず、3歳時にはブッチギリの5戦全勝。4歳になっても弥生賞圧勝と、デヴュー以来破竹の6連勝を遂げ、皐月賞の前哨戦スプリングSに臨んだ。この時の対抗馬は、これも順調に成長してきたダイコーターであった。結果はダイコーターにゴール前でかわされ、キーストン1馬身半差の完敗。快速逃げ馬の宿命かとも思われた・・・・・
 巻き返しを期して臨んだ皐月賞。一番人気ダイコーター、2番人気キーストンと人気は屈辱の逆転。結果も、勝ったのは伏兵チトセオー、ダイコーターはそれでも2着でキーストンは生涯最悪の14着と敗れ去った。「キーストンはもうダメではないか」、「距離の長いダービーはもっとダメじゃないかな」と囁かれた。しかし、その後、ダイコーターはNHK杯を圧勝、キーストンもオープン戦を制して復活の兆しを見せた。
 昭和40年5月30日。第32回東京優駿(日本ダービー)当日の空は最悪の状態で、馬場はドロドロの不良状態だった。この中で、ダイコーターは1.2倍の段トツ人気。キーストンは遥か離れた2番人気だった。この不良馬場は距離利以上に快速馬には不利であろうと思われたから、2番人気でありながらかなりの高配当であった。
 ゲートが開く。キーストンは果敢に逃げた。逃げた。逃げた。山本騎手の手綱に応えて大逃げを打ったのだ。差はグングン開いていく。「飛ばし過ぎ!」 ゴール前でバテバテとなり、ダイコーターにかわされるスプリングSの再現を想像して、観客はどよめいた。しかしキーストンは泥を跳ね上げて持ちこたえた。そのままドドッとゴールになだれ込んだのである。一馬身3/4。かくして、第32回ダービー馬となって栄光に包まれたキーストンに、後の悲劇を予感させるものは何も無かった。
 しかし、菊花賞をスプリングS同様な負け方をして以来、キーストンの足は快速馬にありがちの脚部不安に悩まされるようになった。暫く休んではレースに復帰し、そして勝った。鞍上には何時もキーストンを気遣う山本騎手の姿があった。勝ちつつもキーストンの脚部不安も増していった。そしてこのレースで引退という運命の阪神競馬場・・・・・
 トキノミノル、テンポイント、シャダイソフィア、マティリアル、ホクトベガ、ライスシャワー、サイレンススズカ。幾多の名馬がターフに散った。中でもキーストンの物語は競馬ファンの感涙を誘い、二度と競馬など見たくないと思わせ、にもかかわらず、競馬から離れられなくしたのである。
 馬の生涯は長くても三十歳。それにしても、あまりにも美しくはかない、束の間の輝きであった。

[ひとつの異論]

 馬は馬の本能で、乗り手の庇護を求めに行っただけである、という論があります。そうかもしれない。物言わぬ動物のこととて、その心の奥までは計り知れない。しかし、山本騎手は一瞬ではあるが、愛馬の心を感じたと思った。だからこそ、騎乗できなくなりスランプに陥ったし、今でも愛馬の話が出ると涙を禁じ得ないのでしょう。人と馬の心の交流の証でもあります。それに、本能であったら、ターフで故障した馬の多くが同じような行動を取っても良いはずですが、そういった例はあまりありません。
 また、「馬が合う」という言葉があります。これは一見「馬が(乗り手にとって)合う」と考えがちですが、そうではなく、馬は背中を通して乗り手の力量、人格を見抜くといわれています。誰でも、という本能ではなく、山本騎手だったから、ということは十分考えられます。山本騎手は、実は皐月賞14着という惨敗を喫してダービーを降ろされそうになったのです。皐月賞ではアクセルとブレーキを一緒にかけて馬の気持ちに逆らったことを深く反省し、ダービーでは「もうそろそろ行くか?」と聞いたら、キーストンが「まだです。まだです」と答えたと、勝利ジョッキーインタヴューで答えています。
 当時は「そんな馬鹿な」と皆笑いましたが、後に武豊騎乗のサイレンススズカで同じようなことが起こったのです。サイレンススズカも前足粉砕骨折で無念の最期を遂げましたが、その時鞍上の武豊騎手はサイレンススズカが自分を振り落とさないために、痛みを押して転倒しないように踏みとどまった気配をはっきり感じたとのことです。馬と話しが出来るという武豊ならではのエピソードです。
 馬と人との信頼関係を見る時、キーストンが最期に採った行動は十分に頷けるものと言えましょう。
 馬の人懐こさについては軍馬哀歌(BGM付)をどうぞ。


                        [キーストンの全成績]

年月日 場名 レース 距離 状態 頭数 着順 騎手 1着又は2着馬
39. 7.12 函館 オープン 1000芝 不良   4   1 山本正 ラッキーダブル
39. 7.25 函館 3歳特 1000芝   3   1 山本正 シルバーヘア
39. 8.15 札幌 3歳特 1200ダ 不良   6   1 山本正 ヤマヒサクイン
     休 養 3 ケ 月
39.11.15 京都 オープン 1200芝 稍重   6   1 山本正 ベロナ
39.11.29 京都 京都3歳S 1500芝  12   1 山本正 キョウエイホマレ
     休 養 3 ケ 月
40. 2.28 東京 弥生賞 1600芝  16   1 山本正 ヒガシソネラオー
40. 3.28 中山 スプリングS 1800芝  11   2 山本正 ダイコーター
40. 4.18 中山 皐月賞 2000芝  20  14 山本正 チトセオー
40. 5.16 東京 オープン 1800芝 稍重   6   1 山本正 マサユキ
40. 5.30 東京 東京優駿(ダービー) 2400芝 不良  22   1 山本正 ダイコーター
     休 養 3 ケ 月
40. 9. 4 函館 オープン 1800芝 不良   5   1 山本正 ワイエムトルコ
40.10.16 阪神 オープン 1600芝   7   1 山本正 シルバーヤング
40.10.31 京都 京都杯 1800芝 稍重   7   1 山本正 カワサキオー
40.11.14 京都 菊花賞 3000芝  18   2 山本正 ダイコーター
40.12.12 阪神 オープン 1850芝 稍重   8   1 武田博 タイクーン
41. 1. 3 京都 金杯 2000芝   6   1 山本正 リュウドルガ
     休 養 2 ケ 月 半
41. 3.20 阪神 大阪杯 1900芝  15   7 山本正 バリモスニセイ
41. 4.16 京都 オープン 1600芝   8   1 武田博 ブルタカチホ
41. 4.29 京都 天皇賞 3200芝  16   5 山本正 ハクズイコウ
     休 養 1 年 5 ケ 月 半
42. 7.29 函館 オープン 1700芝   5   2 増田久 ニットエイト
42. 8.18 札幌 オープン 1700芝   5   1 井高淳 キャットエイト
42.10.22 京都 オープン 1600芝   8   1 武田博 ムネヒサ
42.11.11 京都 オープン 1700芝   5   1 武田博 ニホンピローホ
42.12. 3 阪神 競馬60周年記念 1900芝   7   1 山本正 シバフジ
42.12.17 阪神 阪神大賞典 3100芝   5 中止 山本正 フイニイ

2001年記(注2)

2013年新聞掲載(注3)


【第76回東京優駿(2009年)に起ったこと】(注4)

第76回東京優駿(日本ダービー)は、昭和45年以来40年振りの雨降り不良馬場と言われましたが、実は上記のように、その5年前の昭和40年5月30日開催の第32回東京優駿において、全く同じような不良馬場で全く同じような出来事が起っていたのは、お読み頂いたとおりです。上記の筆者として、私は開催前からキーストンとロジユニバースの生い立ちからダービ−までの戦績の酷似に気付いており、結果も望外のものでした。

キーストンとロジユニバースとレースの共通点
幼馬の頃:キーストンはゴツゴツした歩様、ロジユニバースは前馬蹄が反り気味で良血でありながら共に期待されていなかった。
新馬の頃:キーストンは弥生賞まで6連勝。ロジユニバースも弥生賞まで4連勝
対抗馬:キーストン vs ダイコーター。 ロジユニバース vs アンライバルド。 対抗馬もそれぞれ好成績。
皐月賞の結果:キーストン、ロジユニバースともまさかの14着。 一方ダイコーター2着、アンライバルド1着
ダービー前の評判:キーストンは、評論家・専門家は限界説で有力馬としなかったが、ファンは2番人気に支持した。ロジユニバースも評論家の評判は全く良くなか ったが、ファンは2番人気に支持した。
ダービーのオッズ:第32回 ダイコーター1.2倍(1番人気)、キーストン7.2倍(2番人気)、 第76回アンライバルド2.1倍(1番人気)、ロジユニバース7.7倍(2番人気)
馬場状態:第32回泥田のような不良(雨)、 第76回泥田のような不良(雨)
レース展開:キーストン→先行逃げ切り、ロジユニバース→先行押し切り
レース結果:第32回 1着キーストン 2着ダイコーター(1-1/4;馬身)  第76回 1着ロジユニバース 2着リーチザクラウン(4馬身) 12着アンライバルド
騎手の述懐:キーストン 山本正司 馬成り「ラストスパートするか?」と聞いたら馬が「まだです」と言ったとか。 ロジユニバース 横山典弘 馬成り「馬が信じられな かったので埒内最短コースを心掛けた」
騎手のダービー勝利:山本正司;初勝利 横山典弘;初勝利

弥生賞まで破竹の勝ち放し、皐月賞でなんと同じ14着の敗北、それでもダービー・オッズ2番人気、天気予報は雨という共通点が第32回と第76回の間にあることが分ってしまえば、後は結果の因縁も信じるしかあるまい、ということでロジユニバース大本命としましたが、唯一の失敗は1番人気のアンライバルドが2着でなくて、12着と敗れ去ってしまったことでした。

キーストンはその後悲劇の名馬となってしまいましたが、ロジユニバースがそうはならないように祈るばかりです。今年(2009年)は西暦末尾が”7”でないので大丈夫でしょう。


(注1)
キーストン骨折の阪神大賞典の写真。(Photo by YouTube)

   
キーストン骨折、山本騎手落馬   キーストン立ち上がる、後方に騎手昏倒  キーストン、騎手を一旦起こし騎手一旦覚醒

(注2)
最近 Wikipedia にキーストンの項目ができて、私の記述と同じようなものが見られるようですが、私の掲載は2001年ですので同項目を参考にはしておりません。(2009/8)
(注3)
2013年10月1日より、もう少し詳細のものを、筆者のコラム「春介閑話:キーストン物語1〜3」の3回連載で掲載しました。
(注4)
この逸話の詳細は、2014年7月30、31日の新聞のコラム「春介閑話:日本ダービー驚きの暗合1〜2」の2回連載で掲載しましたがこれには、三重の暗合が掛かっています。