Clover
- - - 第1章 至上最強の姫君1
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どこまでも蒼い空と柔らかに続く緑の大地、そして豊かな水に恵まれた平和な楽園。

枕詞を並べるならば幾つでも連なりそうな、ノイディエンスターク神聖王国の白亜の王宮に、それは似つかわしくない大きな爆発音が響き渡ったのは、穏やかな午後のことだった。
―――――爆弾を使ったような音ではない。
しいて言うならば、空気がめいっぱい収縮して破裂したという形容詞がふさわしい音であった。
王宮に設えられた国王の執務室で、書類を眺めていた神官長アゼルの耳にも、もちろんそれは聞こえていた。
聞きたくなくても聞こえてしまったのだ。彼は眉根を寄せて、思わず持っていた辺境の村からの、灌漑施設の充実を求める嘆願書を握りつぶしそうになり、慌ててそれを未処理の書類の山に戻した。
しばらくして、バタバタと廊下を走る音が聞こえ、執務室の扉が遠慮がちにノックされるのを聞くと、アゼルは努めて怒りを表に出さないように心がけながら、入室の許可を与えた。

「神官長様、あの……」
「どこだ?」

誰が何をやったとは敢えて聞かない。否、聞かずともそんなことはわかっている。
報告に来た若い騎士の腕に、きっちりとはめられた青碧の腕輪を見て、アゼルはふっとため息をついた。

「風隊の新米か?」
「は、はい!1ヶ月前に入隊しました!」
「なら覚えておけ、こんなことはこの王宮では日常茶飯事だ。報告は場所だけでいい」

執務机から立ちあがると、近くの椅子にかけてあった真紅のマントを羽織り、アゼルは扉へ近づいた。この後始末は彼自らがつけなければならない。彼自身の心身の健康の為にも。

「それで、場所は?」

隣に立つアゼルの威圧感に圧倒されて、棒立ちになっていた騎士は、急に思い出したかのように慌てて姿勢を正した。騎士よりアゼルの方が頭ひとつ大きい分、自然に見上げるような形になる。

「賢者の……賢者の塔です」
「……やっぱりあそこか」
「あ、でも今は危険です!いつ崩れるか……!」
「かまわん、ご苦労だった」

騎士が戸惑いながら止めるのを無視して、そのまま入れ替わるようにアゼルは執務室を後にした。心なしか扉を閉める手に力が入ってしまった自分を、つくづく正直者だと思う。
そのまま早足で、王宮の隣にある修学院の横手に立っている賢者の塔に向かいながら、沸々と沸きあがってくる怒りを、アゼルは押さえることができなかった。

(何回目だ!?これで)
(塔の修復代も国庫から出ていることの自覚がないのか?)
(この間あれほどわけのわからない魔導に手を出すのはやめろと釘を刺したのに!)

真紅の容貌を持つ彼が、怒りのせいでますます恐ろしく見えたのか、誰もが一瞬怯えたように道を開ける。そんなことにも気付けないほど、怒りのボルテージが上がっていたアゼルは、修学院のドアを力任せに蹴り破った。
驚く学者達を無視してそのままホールを抜け裏手にある中庭に出る。その場所からは無残にも半分近くが崩れ落ちた賢者の塔がはっきりと視界に入った。

「見事に壊してくれたな……」

炎が上がっていないのは幸いだった。おそらく試していたのは炎属性の魔導ではなかったのだろう。そのくらいの分別はさすがにつくらしい。炎系の魔導で爆発など起こそうものなら、塔のみならず修学院そのものも燃え落ちてもおかしくない。

「修学院から苦情が来るのは決定的か・・・」

数ヵ月前にも、塔の三分の一を吹き飛ばしたばかりなのだ。もともと賢者の塔は、修学院ではなく王宮の付属施設であるから、文句を言われる筋合いもないのだが、その被害が修学院にも及ぶ危険があるとなると、黙ってはいないだろう。

(……頭痛がする)

結局その後始末をつけるのも自分なのだと思うと、怒りを通り越して諦めの境地に達しそうになる。軽く頭を振ってその気持ちを排除してから、アゼルは歩調を速めて賢者の塔に向かった。


* * * * *


「見事に吹き飛んだものねー」
「そんな普通の顔で言わないでください、イシュタル様」

面白そうに塔を見上げているイシュタルに、メナスは困ったような顔をした。一応近くにいた学者達は避難させたものの、それ以外のことを、この女性が全くしようとしないことに、彼女は戸惑いを隠せないでいた。

「そんなことを言ってもメナス、この後始末をするのはあたしじゃないわよ」
「それは……そうですけど」
「最低限のことだけはやったわ。後の面倒は有能な神官長に任せましょ」
「……わたし、なんだかアゼル様が可哀想に思えてしまいます」

苦労人の神官長を思ってメナスはため息をついた。アゼルの行きつく先は、おそらく胃潰瘍かストレス性の病気だろうと予測してしまう。ああ、もしかして過労死かもしれない。何気にひどいことを考えつつ、メナスは隣のイシュタルに問いかけた。

「それで、当の本人はどちらにいらっしゃるのです?」
「……いないの」
「へ?」
「いないのよ、どこにも。逃げたのかとも思ったけど、性格上逃げたりするタイプじゃないから、おかしいとは思っているんだけど……でも、いないの」

肩を竦めるイシュタルをメナスは蒼白な顔で見やった。それでは、まもなくこの場所にやってくるであろう、あの神官長になんと言えばいいのか。冷静なように見えて実は短気な彼に、適当な言い訳は通用しない。

「ど、どうするんですか?」
「アゼル様を心配してるの?メナス」
「当たり前ですよ!きっと鬼のような形相で現れるに決まってます!そしてどうしてここに当人がいないかを、厳しく詰問するに決まってるじゃありませんか!」

それもそうかしら、とイシュタルは首を傾げた。飄々としているこの女騎士は、自分に興味のあること以外には、全くと言っていいほど行動を起こさないことで、有名でもある。全く頼りにならなさそうなその様子に、メナスは大きくため息をついた。

「―――――どこだ?」
「ひゃっ!」

いきなり後ろからかけられた声に振りかえると、そこには怒りのオーラを纏ったアゼルが仁王立ちしていた。その様子はあまりにもメナスの予想通りで、恐ろしいことこの上ない。急いできたのであろうにも関わらず、息のひとつも乱していないあたりが、尚更それを助長させた。

「イシュタル、隠すとお前の為にならないぞ」
「隠してません、本当にいないんですよ」
「逃がしたのか?メナス?」
「にっ!逃がしてません!!」

さながら罪人の取り調べのように、アゼルの眼光は強くて鋭い。すっかり震え上がっているメナスと違い、イシュタルは慣れているのか、怯えた様子も見せなかった。それどころか息をついて、白い目でアゼルを見返す。

「そんなに毎回毎回全力で怒っても、仕方ないじゃないですか。いい加減あたしのように諦めの境地に入ったらいかがです?一気に楽になるのに」
「俺がお前のように諦めたら、あっという間に国庫が、あの方の破壊行為の補填で空になってしまうだろう!」

責任感の固まりのような彼には、天地がひっくり返ってもできない芸当を要求するイシュタルに、アゼルは憮然とした。この際本人がいないのだからと、イシュタルに説教のひとつもくれてやろうと思った瞬間、アゼルの頭上で強烈な光が放たれ、いきなりズシッと肩に重みがかかった。

「―――――……ぐっ!」

いきなりの衝撃に何とかバランスを保つが、肩と背中の重みは一向に消える気配がない。どうなっているのかと、視線を肩口に向けた時、おおよそこの場の雰囲気にそぐわない声が耳に入った。

「―――――あ、ちゃんと出られた?」
「!?」
「ああ、ごめんね。アゼルのところに出ちゃうとは思ってなかったわ」

視界に入る白く細い指と、光に透ける白金の髪は、紛れも無く賢者の塔を破壊した本人のものであった。そしてその声音から考えるに、今の自分の置かれている状況を、全く把握していないであろうことは想像に固くない。

「―――――……姫」
「何?」
「……この始末、どうつけるつもりですか・・・」
「始末……?」

未だにアゼルにおんぶ状態のままで彼女は視線を巡らせ、半分が吹き飛んだその塔を視界に収めると、やっと事情がわかったかのようにぽん、と手を叩いた。

「ああ、吹き飛んだ」
「……」
「ま、仕方ないわ、技術の進歩に破壊は不可欠だから」
「……」
「国庫から出さなくていいわよ、私のへそくりで直しといて」

あくまでも罪悪感を感じていなさそうなその声音に、アゼルの体が小刻みに震え始めたのを見て、メナスは少しずつ後ずさった。イシュタルは面白そうに成り行きを見つめている。

「そういう問題ではないでしょう!!」

神官長の超特大の雷と共に背中から落とされ、うぎゃっとその容姿にそぐわない声をあげたのは、紛れもなくこの国のたった一人にして、史上最強の姫君であった。