Clover
- - - 第1章 至上最強の姫君2
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王宮の裏手にある神殿へ向かう途中、中庭に見知った姿を見つけてアゼルは足を止めた。
視線の先にいるのはアゼルより歳若い青年で、明るい茶色の髪と穏やかな青碧の瞳をしていた。今まで乗ってきたらしい天馬の頬をねぎらうようにポンポンと叩いている。

「シルヴィラ」

声をかけられて振り向いた彼は、アゼルの姿を視界に収めると、手をかざし自分の精獣である天馬を一瞬で消した。そのままアゼルのいる回廊まで笑いながらゆっくりと歩いてくる。

「ただいま戻りました」
「ああ、どうだった?」
「ファーレイ村の川の氾濫はどうやらいい方に向いたようです。上流の肥沃な土が畑いっぱいに堆積していました。今年はきっと豊作になるでしょう」
「怪我人は?」
「家が流された者が一人いましたが、それは村で手助けするようですよ。心配には及ばないと言われてしまいました」

俺の出番はありませんでしたよ、と肩を竦めるシルヴィラにアゼルは微笑んだ。シルヴィラの持つ柔らかな雰囲気は、最近殺伐とすることの多いアゼルの心を和ませる。曲者揃いのこの国の諸侯達の中で、その癒し効果は3本の指に入るだろう。

「……ところで、なんだかまたお疲れのようですね」

アゼルの疲れたような表情を見て、シルヴィラが小さく笑いを漏らした。柔和な雰囲気を持つものの、その有能さでも知られる彼のことだ。何があったかの見当はおおよそついているのだろう。

「……さっきまで説教をしてたからな」
「―――――また塔でも吹き飛ばしましたか?」
「……その通りだ。しかも……」
「しかも?」
「よりにもよって、時空のルーンを使ってな」

その言葉にシルヴィラは大きく目を見開き、直後表情を固くした。
魔導に携わる者で、時空魔導を使うことの危険性を知らない者はいない。元々発動させること自体が難しいものを、制御できる人間は皆無だ。だからこそ時空魔導はノイディエンスタークでは闇魔導と並ぶ禁忌とされてきた。

「時空魔導ですか……さすがと言うか何と言うか……」
「何がさすがだ。制御に失敗したから塔が吹き飛んだんだぞ?危険この上ない。たっぷり説教をして、山のように執務を押しつけてきたからな。今はおとなしく机に向かっているだろう」

最初は、単なる空間移動かと思った。それならまだ許せる、空間に関する魔導なら時空魔導の中でも、比較的制御が利くと聞いたことがあったからだ。しかし姫君が賢者の塔で試したのは、時のルーンだった。爆発音を聞いてかけつけたイシュタル達が、彼女を見つけられなかったのは、フィアルがその時の魔導で数十分後の空間へ自身を移動させたからに他ならない。
一つ間違えば永遠に現在の時間には戻って来れないというのに、平然とした顔でそれを試すとは、無鉄砲にも程がある。
けれどそんなアゼルの怒りが、姫君に対する心配から来るものだとわかっているシルヴィラは、気付かれないようにそっと口元を緩めた。
この神官長は、本人に自覚はないが、とても分かりやすい人なのだ。

「とりあえず俺はファーレイのことを報告してきます。アゼル様は少し休まれたらいかがですか?」
「ああ……そうさせてもらう。だかシルヴィラ、くれぐれも執務を手伝ったりするなよ?」
「……肝に命じます」

苦笑いを残してシルヴィラは王宮へと身を翻す。
その後姿を見送りながら、アゼルはシルヴィラが、自分の言葉を守るわけがないことを知っていた。基本的にこの国の諸侯達はみな彼女に甘いのだ。
そしてその中には……決して認めたくはないが、自分も含まれている。

「―――――向こうは、どう思っているかわかったものではないけどな」

単純明快のようで掴めない少女の顔を思い浮かべて、アゼルはいろいろな思いの入り混じった深いため息をつき、そっと目を伏せた。
柔らかな風が、彼の真紅の燃えるような髪をそっと揺らしていた。


* * * * *


「ヴィー?」
「お疲れさまです、姫様」

青碧のマントを揺らしながら近づく青年にフィアルは破顔した。
シルヴィラは、机の上に積まれた書類が、圧倒的に処理済になっていることに多少驚いたが、彼女なら本気を出せば、こんなことは簡単なのだろうと、自分を納得させる。

「いつ帰って来たの?」
「今さっきです。ああ、中庭でアゼル様に会いましたよ?」
「……アゼルのやつ、私にこんなに仕事押し付けて自分はとっととご帰宅よ、腹立つったら」

苦虫を潰したような顔を本人はしているつもりだろうが、それは可愛らしいとしかシルヴィラの瞳には映らなかった。白金の髪と淡い蒼の瞳を持つフィアルは、口を開かずおとなしくしていれば、光の巫女姫というその呼び名の通りの、誰もが認める天使のような容貌の持ち主である。 けれども少しでも彼女を知る者であれば、フィアルに天使を求めたりはしない―――――否、できるはずもない。

「聞きましたよ?時空魔導を試して、また賢者の塔を吹き飛ばしたそうですね?」
「ちょっとした手違いだってば。別に修繕費は国庫から出さなくてもいいって言ってるのに、あの怒りっぷり、すごかったんだから!?」
「心配なさったんですよ、ああ見えて姫様に関することでは、極度の心配性ですからね、神官長様は」

テーブルの上に置いてある冷えた竜凛茶をグラスに注ぎながら、シルヴィラはアゼルをやんわりと擁護した。その間もフィアルが、手を休めることなく仕事をしているのを、視界の端に捕らえて思わず笑いが漏れそうになる。文句を言いつつも結局のところフィアルもアゼルには甘いのだ。
シルヴィラはフィアルが最後の書類に署名をするのを見届けると、小さく手招きをしてテーブルに彼女を誘った。フィアルは伸びをして執務机から立ち上がり、彼からよく冷えたそのお茶を受け取ると、口をつける。

「それで?ファーレイの方は無事に終わったの?」
「あの村は元々自立心の旺盛な村ですからね。我々エセルノイツが出張ることもないでしょう?」
「そうね」

わかりきったことのように答えるところをみると、予測はついていたらしい。ノイディエンスタークは国家としての軍隊を持たない代わりに、少数精鋭の騎士団を保有する。表向きはフィアルを警護するための近衛騎士団なのだが、その団長は紛れもないフィアル本人であるのだから、近衛も何もあったものではなかった。
本人の希望もあり、今のところ王としての即位はせず王女という立場を崩してはいなかったが、彼女が決して象徴としての存在ではなく実際にこの国を治める女王であることは疑う余地もない。

「―――――ねえ、ヴィー?エセルノイツの風隊で、精鋭って呼べるのは何人くらいいる?」
「……精鋭、ですか?」
「もちろんヴィーのことも含めての頭数だけど?」
「秘密を守れて正確な仕事をする、力量的にも問題ない者という意味でしたら10人いませんね」
「話が早くて助かるなぁ」

フィアルはニッコリ、と効果音が付きそうな程の満面の笑顔をシルヴィラに向ける。
思わず後ずさりたくなるほどの、含みのあるその笑顔が自分に向けられる時は、秘密裏に処理したい何かがある時に他ならないことを、シルヴィラは熟知していた。
そう、少なからず危険を伴う仕事であり、シルヴィラの率いる風隊は、エセルノイツの中でも実戦の他に情報収集や諜報活動を行う部隊でもあった。
「アゼルには先に言うつもりだったんだけど、お説教終わった途端に帰っちゃったから、まぁ仕方ないか」
「……何か不吉な予兆でも見えましたか?」

それには答えず手に持っていたグラスを置いて、フィアルはシルヴィラの顔を覗き込んだ。

「アイザネーゼ首長国の東、ライグ山脈を越えた所にある国を知ってる?」
「ルシリア王国ですか」
「そう、ルシリアの北にあるオプト湖の湖畔にはイサの森がある。そこに行って欲しいの」
「イサの森……」
「調査内容は、そこに現れるという魔物の特徴を聞き出すこと。その魔物が大きな獣の姿で、赤い瞳を持っていたなら、その魔物が現れるという場所を、半径5km以内で取り囲むように星型に設置されているであろう、小さな塚の存在を確認してくること。あくまで確認で、触れたり壊したりしてはダメ。それにその魔物と直接対峙するのも禁止」

具体的な調査内容をシルヴィラはその脳裏に焼き付けた。
ノイディエンスタークは2年前から隣国との接触を全て断っているため、全ては秘密裏に行われねばならない。それを踏まえた上で任務を遂行できる者の人選を、シルヴィラは頭の中で瞬時に巡らせた。

「わかりました、いつ発ちます?」
「全員の準備が出来次第、すぐに発って。調査期間は長くても1ヶ月でルシリアまでは精獣を使ってもかまわないから」

そう言うとフィアルは執務机に戻り、引出から小さな皮袋を取り出した。そのままそれをシルヴィラに渡すと彼は何も言わずにそれを懐にしまった。調査費用の受渡はいつもの暗黙の了解事項だ。

「―――――帰ってきたばかりなのに悪いとは思ってるんだけど」
「でも、急を要するのでしょう?」
「そうね、被害は最小限で食い止めたいの」
「……何故かと聞いてもいいですか?ノイディエンスタークは現在どの国とも国交を持っていないのに、わざわざ他国に現れた魔物を気にするその理由は?」
「直球ね」

フィアルは有能すぎる風の騎士に苦笑した。本当の臣下であるならば主君の命令に意味など求めないものなのだろうが、そういう主従の関係をフィアルもシルヴィラも好まなかった。だからこそアゼルとフィアルの関係が成り立つとも言える。

「理由はあるけど……でもそれは調査から帰ってきてからみんなと一緒に話すことにする。でもこれだけは覚えておいてね、ヴィー。私はあの時ノイディエンスタークを見放した隣国なんかのために、大事な友人の命を捧げたりはしない。今回のことも結局はノイディエンスタークに端を発していると考えてほしいの」
「……わかりました」

重みのある言葉だと思う。フィアルが自分達を呼ぶ時にいつも友もしくは仲間という言葉を使うことは、この国に住まうにとって何よりの幸せだと彼は確信していた。

―――――この国は変わるのだ、昔の過ちを二度と繰り返さぬように。

「では、行きます。……姫様、あんまりアゼル様を怒らせないようにしてくださいね」
「あれは勝手に怒ってるの!」
「俺が見る限り、あのままではアゼル様は絶対いつかストレスで倒れますよ?手加減してあげてください」
「……ヴィーまでそんなこと言うし」

ふてくされたようにそっぽを向いたフィアルに笑顔を誘われながら、シルヴィラはそっと彼女の肩に手を置いて待った。
やがて顔を上げたその額に自分のそれを合わせるとそっと目を閉じる。

「俺のいない間も、貴女の上に祝福がありますように」
「ヴィーの上にも祝福がありますように」

誰かが危険な場所に赴く時に必ず交わされるそれは儀式。勇気を与え、守るための。
そして風の騎士は、大切な姫君のその淡い蒼の宝石を胸に焼き付けた。