Clover
- - - 第1章 至上最強の姫君4
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(「それで?シルヴィラを向かわせたのか?」)
「そう。想像はついてるけど用心にこしたこと、ないでしょう?」

奥神殿にある私室で、空中に浮かぶ水晶から響いた低い男の声にフィアルは答えた。
いつもは結い上げてある髪が解かれ、彼女の背中から腰、足をゆるやかに覆っている。銀色に近い淡い白金の髪は月の光に映えて美しかったが、それを見ることのできるものは奥神殿には誰一人存在しなかった。
奥神殿は大神官個人の住居であり、彼女は他人が勝手にこの場所に立ち入ることをひどく嫌っていた。

(「事はルシリアだけではすまないだろうな、しばらくすれば同じような魔物が大量に発生するだろう」)
「目的は何だと思う、ロイ?」
(「意地が悪いな、フィール。お前がわからないはずはないだろう?」)

窓辺に置いてある椅子に座って、彼女は一瞬夜空を見上げた。
月はもうすぐ満ちるだろう形状で明るく世界を照らしている。
しばらくして、青く発光する水晶を何の感情も浮かばない瞳で彼女は見つめた。

「馬鹿な奴等……そこまでして何が欲しいの?」
(「奴等が望むのは自分の権力だけだ、そのためには利用できるものはなんでも利用する。それがどんなに禁忌とされているものでも、奴等には関係がないんだ」)
「利用される方はたまったものじゃないわ」
(「これは光の巫女姫の台詞とは思えないな」)
「やめて。その呼ばれ方、嫌いなの」

ロジャーのからかうような呼び方に、フィアルは顔をしかめた。まるでそれが見えたかのように、彼は小さく笑い声を立てる。
アゼルを始め、みな年若い者ばかりのノイディエンスタークの諸侯の中で、彼だけが違っていた。彼こそが本来はフィアルの副官になるべき人物であり、アゼルはロジャーのとばっちりを食ったに過ぎない。アゼルがフィアルに次ぐ神官長であることは確かだが、知識と経験という点でロジャーにかなうところはなかった。

(「相変わらず聡明で結構なことだな、姫君」)
「そっちも相変わらず性格悪い。アゼルみたいに扱いやすいのが副官で助かってるわ、ほんとに」
(「ひどいな、アゼルも報われないぞ、それでは」)
「報われないのはヴィーでしょう?」
(「シルヴィラには嫌われてるんだ、私は」)

その言葉にフィアルは笑いを隠せない。
言葉遊びのような本心の探り合いも、彼女の知略欲を満たすもので、ロジャーと話すことが彼女は好きだった。諸国を回り情報を集める役目を進んでしている彼は、時々こうしてフィアルにだけその情報を送ってくれる。

「何にせよ、もうすぐ動きがあるってこと。この2年ノイディエンスタークは復興に精一杯で他に目を向ける余裕はなかったもの。今回のことは外交的にはいいきっかけになったかもしれないわ」
(「諸国との関係か……ラドリアがどう出るかが問題だな」)
「それも予測済み」
(「……結構なことで」)
「ロイはもう少し探ってみてくれる?特に……」
(「シオンか?キールはそのことを知っているのか?」)
「……何も言わないけど、気付いてるはずだわ」
(「そうか……わかった。フィール、お前も気を付けろよ?」)
「ありがとう」

ふっと水晶が光を失って床に落ちる。
フィアルは椅子から立ち上がると、それを拾って棚の上に戻した。
ふと部屋に差し込んでいた光が途切れる。雲に隠れた月をそのまま見上げて、フィアルは目を伏せた。明るい夜が好きになれないのは昔からの習慣のようなものだ。

そのまま寝台に向かい体を横たえて、フィアルは瞳を閉じる。
浅い眠りが、彼女を包みこむのに時間はかからなかった。


* * * * *


「姫様ッ!」
「……おわっ!」

珍しく普通に執務をこなし、王宮の中庭の樫の木の下でうとうととしていたフィアルは、その体に急に人間の生暖かい重みが加わったことで、思わず情けない声を出して呻いた。
もともとそんなに本気で眠っていたわけでもないし、誰かが近づいていることは気付いていたのだが、まさかのしかかられるとは思っていなかったので、咄嗟に声が出てしまったのだ。

「メナス〜ッッッ」
「お目覚めですか?」
「起きるに決まってる!」

それでも自分の体の上からどかないメナスに、フィアルは怒鳴る。
それを気にするでもなくメナスは、ニコニコと至近距離でフィアルの顔を覗き込んだ。一歩間違えば危ない光景だ。

「だって最近姫様は、アゼル様に独占されていてお話もできませんでしたし」
「独占って……ただ単に執務がたまっててアゼルに拉致られてただけ……」
「だってわたし、姫様が大好きなんですよ?」
「……メナス……悪いけど何度も言うように、私そっちの趣味はなくて……」
「違います!姫様はわたしの憧れなんです、だから大好きなんです!」

他の人間の前ではおとなしく優しげなメナスが、フィアルの前でだけ態度が変わるのは、ノイディエンスタークの諸侯達の中では暗黙の了解事項だった。
少女のファン心理とでも言うのか、とにかく好意が丸出しなのである。
フィアルも実はこれには手を焼いていて、二人きりにならないように逃げ回っている始末だった。

(「あら、一回くらい答えてあげればいいんじゃない?」)

とは悪友でもあるイシュタルの言葉だ。
イシュタルは、メナスから逃げるフィアルをかくまうふりをして、いつも売り渡す悪魔のような所業を、普通の顔でしてくれるので性質が悪い。

「わたし、とてもアゼル様のこと尊敬してますけど、姫様を独占しているのは少し妬ましいです」
「あのねえ……」
「だっていっつもいっつもいっつも一緒なんですよ!?」
「アゼルは私の副官兼神官長だから仕方ないでしょう」
「執務室まで一緒だし!」
「その方が都合がいいから」
「だって!」
「……メナス、どうでもいいけどお願いだからどいて……重い……」

ずっとのしかかられると、さすがのフィアルも苦しい。
年齢はフィアルの方がひとつ上だが、背丈はほとんど変わらない上にメナスよりフィアルは細身だった。
そのことに今気づいたかのように、メナスはしぶしぶフィアルの上から体を起こす。

「メナスは私と話してて楽しいの?」
「はい!とっても!」
「でも私、普通の貴族の令嬢が話すような話、何一つできないのに?どっちかっていうと……超庶民派だし」
「それがいいんです……いいえ、それでいいんです」

メナスはふわりと微笑んでフィアルを見た。
アゼルと違って内乱の前に彼女はフィアルに会ったことはない。
けれど大好きだった父侯爵は、何度も小さなメナスの頭を撫でながら、寝物語のように話してくれたのだ。光の巫女姫と呼ばれる彼女のことを。神殿の奥深く誰よりも大事に守られ、いつかこのノイディエンスタークをその光で満たすであろう姫君の話を。メナスは幼心にその話を信じ、憧れていた。
数年前に初めて会った時、彼女はその想像とはだいぶ違った、たくましく強い姫君だったけれども、その憧れだけは今も変わらずにメナスの胸に残っている。

「―――――姫様、大好きです」
「……ハイハイ」
「本当ですよ?」
「わかってる」

フィアルはもう苦笑いするしかない。
他の人間の前では優しいけれど芯の強い彼女が、ここまで無防備に甘えるのは、自分の前だけだとわかっているだけに無下にもできない。時々その暴走に困ることはあるが、基本的には微笑ましいとフィアル自身も思っているのだ。

「メナス、そのとろけそうな顔、人前ではしないでね」
「わかってます。これでもわたし、エセルノイツの浄隊隊長ですよ?」
「ほんとにね……最初はアゼルの人選は間違ってるとか思ってたもんだけど」
「姫様、わたしが隊長をやるのはおかしいと思ってらっしゃるんですか!?」

そうではないのだ、と笑うフィアルにメナスは安堵の表情を見せた。
確かにメナスはその血筋もあるが、癒しや補助系のルーンの才は他の人間よりずば抜けている。力を第一に優先する少数精鋭のエセルノイツにおいて、彼女が隊長になるのは自然なことだ。
ただ、メナスが戦いを好まないことをフィアルはよく知っていた。内乱の最中もいつも泣いているのを見かけた。そういう人間に隊長をやらせるのもどうかと思ったのだが、アゼルはそんな彼女に、笑ってこう言ったのだ。

(「人間にはその場所にいる理由が必要なものです。それをメナスから奪うのは感心しません」)

フィアルにとっては、アゼルもとてもわかりやすい人間だったが、その時ばかりは違うと思った。

「姫様?」
「そろそろ戻らなくちゃ、祈りの時間だわ」
「……そうですね……」

祈りは大神官であるフィアルの最大の務めの一つだ。誰であろうと邪魔することは許されない。そのことをわかっているメナスは、これ以上我侭を言えなかった。
残念そうな顔を隠そうともしないメナスを見て、フィアルは苦笑する。ここまで自分の感情に素直になれることを、どこかうらやましいような気持ちで見つめながら。

「また、今度ね」
「……はい」

フィアルの差し出す手につかまり、メナスは立ち上がった。
この手がある限り、きっとこの国は平和だと―――――無邪気にもそう思いながら。