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- - - 第1章 至上最強の姫君5
[ 第1章 至上最強の姫君4 | CloverTop | 第2章 遅れてきた使者1 ]

シルヴィラが戻ったのはフィアルの命令通り、ちょうど一ヵ月後のことだった。

フィアルはシルヴィラをはじめとする風隊の労を労い、その日は全員を自宅に帰らせて休ませた。同時に、アゼルに翌日の昼までに13諸侯全員を集めるように指示した。
ノイディエンスタークの国政を動かす全員にその旨を通知した後、アゼルは奇妙な不安めいたものを感じずにはいられなかった。
普段の政務はほとんどをフィアル自らが執り行っている。基本的に13諸侯を集めるようなことはなく、個々に時々報告や意見を求める程度だ。それを全員集めるのは、内乱が終わってこの2年、ほとんどなかったことだった。
知らせを受けた全員が、自分と同じような不安に襲われるであろうことは、容易に想像がつく。

「何が始まるんでしょうね?楽しみかも」
「……イシュタル、お前な……」
「フィール、いえ、姫様のことだからきっと何か面白いことですよ?」
「……お前の頭の中は、面白いことにしか興味がないのか!?」
「ええ。知らなかったんですか?」
「……」

これが、仮にもエセルノイツの一隊長を務めるものの発言だろうかと、苦労人の神官長は肩を落とした。
否―――――わかっていたことだ。
イシュタルは昔からこういう人間だ。何も考えていなさそうな顔の下は、かなりの激情家で気まぐれであり、興味のあること以外のためには、めったに自主的に動くことはない。

「アゼル様、心配しすぎですよ」
「……せずにはいられないだろう」
「姫様はきっと全部考えた上でシルヴィラを行かせたはずですよ?あの子の頭の中には、もう全部のシナリオは出来上がっているでしょうし」
「……確かにな」
「信じてみましょう?何と言っても姫様は、自称『史上最強』だそうですから」
「……それが単なる軽口ならよかったが、事実だけに反論の余地もないがな」

アゼルにしてみれば、苦笑するしかない。
『史上最強』というのはフィアルの常套句で、事実それに異論を唱えられる者は、少なくともこのノイディエンスタークにはいない。アゼルの胃を痛めることに関して、フィアルが『史上最強』であることも確かな話なのだが。

「全ては明日、か……」
「待ちきれませんねぇ……あたし、これからシルヴィラに直接聞きに行こうかな」
「……寝かせてやれ」

帰ってきた時のシルヴィラ達の様子を見たアゼルは、それをやんわりと制した。
事実、気丈にふるまってはいたものの、その瞳には疲労の色が濃かった。それを見逃すフィアルではなく、報告をしようとするシルヴィラを強引に帰らせた。今頃は自邸のベットで深い眠りについているだろう。それを邪魔するつもりはアゼルにもない。
アゼルの言葉に、イシュタルも冗談ですよ、と返して肩を竦ませた。そしてふと、その瞳に真剣な光が走る。

「……時々……息がつまりそうです」
「イシュタル?」
「……自分でもよく、わかりません」
「……お前……」
「フィールには、話しました。それからそんな物思いに捉われた時は、あの子の傍にいることにしています」

イシュタルは内乱が始まったその時から、騎士としての生き方を選んだ。貴族の令嬢が気丈にもその道を選んだのだ。本人の意思とはいえ、心を殺すことも多かっただろう。 時々見え隠れするその影の部分を、フィアルはわかっている。

「……明日だ」
「……明日ですね」

王宮の回廊から城下町を見下ろして、二人はそれ以上言葉を交わすことはなかった。


* * * * *


「オベリスクです」

席についていた10数名は、全員言葉を失くした。
王宮の会議の広間に集められた、まだ年若い諸侯達を黙らせるほどの力が、シルヴィラが口にした言葉にはあった。

「ルシリア王国のイサの森に現れたのは、間違いなくオベリスク。我が国固有の力である、魔導で作り出された魔導生物です。イサの森に一番近いティト村の住民10人以上が、もうその被害にあっています」
「間違いないのか、シルヴィラ?……ただの魔物ではないのか?」
「残念ながら……間違いありません」

最年長である地のフレジリーア侯ヴォルクの言葉に、シルヴィラは確信を持って答えた。
それに―――――反論を唱えられるものは誰もいない。
しかし、それがにわかには信じがたいことであることも、また事実だった。
魔導生物は、文字通り魔導の力でなければ作り出せない。つまりノイディエンスタークの何者かが、他国であるルシリアで、それを作ったということになる。

「イサの森のオベリスクの巣を、取り囲むように建てられた5星の塚も確認しました。かなり手の込んだモノでした。それと……イサ、いいえルシリアだけではなく、他の諸国にも、似たような魔導生物がここ最近出没し始めたそうです。伝え聞いた話では、全てオベリスクと考えても間違いはないようです」

諸侯の間に動揺が走る。
一体だけならともかく、そんなに沢山のオベリスクを作り出すことができるというのは、相当の魔導の使い手だ。しかも、ノイディエンスタークではなく、他国にオベリスクを作り出す意図が読めない。

「―――――オベリスクは」

ずっと黙ってシルヴィラの報告を聞いていたフィアルが、おもむろに口を開く。
その途端に、広間は静寂に包まれた。
ここにいる誰もが、彼女の言葉を信頼に値するものとして待っている。

「オベリスクを作り出すのに、主に必要な力は魔の魔導の力。ノイディエンスタークに縁のあるもので、今それだけの魔の魔導を扱える者を私は一人しか知らない。誰だかわかる?」
「……ファティリーズ侯爵家の、シオンですか」
「その通りよ、神官長」

フィアルは少し微笑んで言葉を続けた。

「みんな知っての通り、今ファティリーズはキールが継いでいる。それは、前ファティリーズ侯が先の内乱の際に我が同胞によって死んでいるから。そして、ファティリーズを継ぐべきだった嫡男のシオンは、大地の力で国外追放になって久しいわ。でも今回のことが、シオン個人で起こしたとは考えにくい。この意味……わかる?」

彼女は淡々と語ると、ぐるりと諸侯達を見回した。笑顔のままなのが、奇妙に不安感を煽る。

「内乱の残党が動き出しているのよ、だから今日集まってもらったの」

―――――内乱の残党。
一番考えたくなかった事態が、目の前に突きつけられる。
大地によって強制的に国外追放になった者達が、再び暗躍し始めたというのか、このノイディエンスタークを狙って。
諸侯達の胸に怒りがこみ上げた。

この場にいる誰もが、あの内乱で大切な人間を亡くしている。そんな中、ようやく手に入れた平和を、奴等がまた脅かそうというのなら容赦はしない。
誰もがそんな思いを胸に抱く中、フィアルはまた静かに言葉を続けた。

「落ち着いて話を聞いてね?ノイディエンスタークに今、大地の結界がある限り、彼等はどうあがいてもこの国に入国はできない。入国するためには結界を破る、もしくは緩ませる必要がある。このオベリスク達は、そのための手段だと考えるのが正しいと思うのよ」
「手段……ですか?」

シルヴィラが眉間に皺を寄せる。その言葉にフィアルは大きく頷いた。

「内乱の時、神官達がその象徴として崇めていたのは、何?」
「……魔竜?」
「そう、魔竜。神竜の対極にあるもの」
「魔竜は内乱の時に、消滅したはずでは?」
「そうとは限らないわ。誰もその最期を見たわけじゃないんだから」
「では……奴等は……」
「もしも魔竜をもう一度召喚できるとするなら、何の力が大量に必要かなんて、子供でもわかるわよね」

そこまでして―――――自分達の保身を図るのか。
そこまで、狂ってしまったのか。自らの欲に。
内乱が起こる前までは同胞であった者達に、哀れみと恐怖の念がつのって誰もが表情を失った。

「魔竜はともかくとしても、オベリスクを退治しなくてはいけないのは仕方ないでしょうね。もともと魔導生物には魔導しか通じない。近隣諸国の軍の力や魔法では倒すことはできない」
「確かに、オベリスクは物理的な攻撃では倒せませんね」
「……でね、それを利用しようと思っているの」

フィアルは居並ぶ若き諸侯達を見回して、ニッと笑った。
アゼルは、その笑顔を間近で見てしまい、思わず背筋に寒気を覚えて身震いをしてしまった。彼女がこの笑い方をする時は……必ず何か悪巧みがある時だ、と彼にはイヤと言うほどわかっているのだ。
そんなアゼルの様子に、同じく姫君の意図を読み取ったシルヴィラは、気付かれない様に小さく笑いを漏らした。

「知っての通り、ノイディエンスタークは大地の結界によって完全な鎖国状態。このままではよくないということは、常々神官長とも話し合っていたの。だから今回は、近隣諸国との交渉の道具にオベリスクを使おうと思ってるってわけ」
「使うとはどういうことです?姫」
「待つのよ。近隣諸国がオベリスクを退治してください、とお願いに来るのをね。向こうに頭を下げさせるには、一番効果的な方法でしょ?」

―――――聡い、と言うべきか、ずる賢いと言うべきか。
誰もが一瞬その考えを頭に巡らせたが、それ以上に効果的な方法は、確かに存在しないように思えた。
アゼルはそんなフィアルの顔を見ながら、「待て」というのはそういう意味だったのかとようやく理解する。
内乱の再来という危機的状況を、外交政策にすりかえようとするあたり、すごいとしか言いようがない。彼女はまさしく『史上最強』だ。絶対に敵に回してはいけない。

「異議は?」

にっこり笑った少女に諸侯の誰もが横に首を振って答えた。
この国の重鎮である彼等は、みな内乱の折に功績のあった猛者ばかりだ。内乱の再来など決して許せるものではない。

「奴等の動きに関しては、風隊にももう少し動いてもらって、調べを進めましょう?必要なら皆をまた呼ぶわ。いつでも対応できるように、自分の隊の準備はしておいてね?ここにいる全員が、エセルノイツの隊長だってことを忘れないで」

最後にフィアルはそう言うと会合を解散した。


* * * * *


その場には、アゼルとシルヴィラ、イシュタルだけが残っていた。静寂が部屋を包む。

「姫様……」
「何?」
「他の近隣諸国はともかく、ラドリアはどうでしょう。使者をよこすと思いますか?」

シルヴィラが考え込むように口にしたその国名に、フィアルの顔が歪んだ。
ラドリアは、唯一結界の緩む夜の神殿を挟んでいる南の大国だ。軍事国家として知られ、近隣に攻め込んでは領土を増やしている。現在の国王ラドリス13世は血気盛んな野心的王であり、内乱の折にはノイディエンスタークにも攻め込み略奪と虐殺の限りを尽くした。フィアルが最も軽蔑する国王と言っても過言ではない。

「……来るわよ」
「その根拠はどこにあります?姫」
「そうね、あの国がノイディエンスタークを今も欲しがっているから……じゃ答えにならない?」
「それが根拠ですか!?」
「そうよ、必ず来るわ」

奇妙な根拠のない確信だが、こういう彼女の勘がはずれたことは今まで一度もなかった。三人は顔を見合わせた後、思わず苦笑する。

フィアルは会議卓から離れて、薄いレースのカーテンをシャッと引いた。まぶしい太陽の光が部屋全体に差し込む。
その逆光に照らされたフィアルの体の輪郭が光の輪のように輝いて見えたのは、何故だろう。

「ぼんやりしてる暇なんて、これからはなくなるわね」
「退屈してたのよ、ちょうどいいわ」

イシュタルは肩を竦めて、フィアルの横に立った。
好戦的な視線を交し合う彼女達に、アゼルは渋い顔をして見せたが、心が少し踊っているのは彼も同じだった。

「きっと、終わる」
「……フィール?」

イシュタルが、明るい光の中で首を傾げる。
いつもの彼女らしからぬ子供っぽいその仕草に、フィアルは知らず柔らかな笑顔を浮かべた。

「―――――やっと、全部、終わるわ」


* * * * *


その言葉に込められた意味を。
誰も―――――その時は知ることができなかった。