Clover
- - - 第2章 遅れてきた使者1
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(「―――――この世に信じられるものなんて、何一つないのよ」)

その言葉が口癖だった数年前を、最近思い出すことが多くなったと思う。
そう言う度に、彼はその大きな手で自分の頭をくしゃくしゃっと撫でながら言ったものだ。

(「……笑わなくて、いいんだ」)
(「……無理に……笑わなくていいんだ」)

大きな体に似合わない、優しい言葉を覚えている。
事実その通り、数年前まで自分は笑うということそのものを忘れたようだった。
それなのに今は、いつでも笑っている。笑うということを処世術として覚えてしまっている。

「作り笑いが、身についちゃったってわけね」

そしてまたフィアルは自嘲的な笑みを零した。
……今の自分を見たら、彼は一体、どう思うのだろう。


* * * * *


「予想通りですよ」
「朝っぱらから、何よアゼル」

執務室に入って最初の言葉がこれだっただけに、思わずフィアルは顔をしかめた。

「何って予想通りだったんですよ」

そう言って、フィアルに付き従っていた神殿の巫女を、目線でアゼルは下がらせた。人に聞かれたくない内容であることを理解して、一つため息をつくと、フィアルは自分の執務机におとなしく座った。

「予想通りってどういう意味?」
「夜の神殿から知らせが来ました。諸国の使者が来たそうです」

読みがあたりましたね、とアゼルは苦笑した。フィアルはそれを聞き、考え込むように顎に指をあてる。

「諸国……ね。アイザネーゼ、ルシリア、フューゲル、リトワルトってところかな」
「その東方4王国の他、南東のオデッサ、スクライツ、北方のシュバルツからも使者が来ているそうですが」
「ほんと、予想通り。この大陸の中で使者をよこしてこないのはラドリアだけってわけ?」
「……の、ようですね。シルヴィラから報告があって一ヶ月、各地で被害は相当増大しているでしょうから、いつまでも何も言ってこないとは思えません。いろいろと策を巡らせているのではありませんか?」

あの狸ジジイ……と小声でフィアルが呟くのを、アゼルは聞かなかったことにした。
ここで小言を言い始めるとその先の話題に進めない。だからと言って何もかもを聞き流すわけにもいかないのだが、今はそれより重大な話がある。

「使者の対応はどうします?今のところ夜の神殿のユーセフに対応してもらってはいますし、炎隊の者を監視も兼ねて配置はしてありますが?」

夜の神殿の神官の長であるユーセフは、若いながら芯の通った人物で信頼できる。夜の神殿という場所柄もあり各国の人間への対応もしばらくは心配することもない。
ただ各国の代表として来ている人物を、いつまでも夜の神殿で足止めするわけにもいかないだろう。

「使者への対応は夜の神殿でしましょ」
「王宮に招かないのですか?」
「招いてもかまわないけど、使者の内半分くらいは大地の結界を越えられないわ、きっと。不平等になるのは避けたいし、気まずいでしょ?だって、ノイディエンスタークに対して野心がありますってのを、自分で暴露してるのと同じなのよ?私だったら顔から火が出て、その場所にはとてもじゃないけどいられないわね」
「……なるほど、真理ですね」

フィアルの言うことにも一理ある。
確かにそんな滑稽な真似は避けたい。
見ているこちらは面白いが、当の本人にしてみればこれ以上に気まずいこともあるまい。これから国交を結ぼうとしている人間が、その裏の感情まで暴露されては話にもならない。

「では姫が足を運ばれるのですか?」
「……私?私は行かない」
「……は?」
「今回の交渉はアゼルにやってもらうから。ああ、フォロー役にヴィーを連れて行って」

「いってらっしゃ〜い」と満面の笑顔で手を振るフィアルに、アゼルは呆然とした。

行かない?
この策の立案者でもある当の本人が行かない?

それを理解した時、聞き流すと決めたはずのアゼルの顔に青筋が立った。

「何を言ってるんです!貴女が行かなくて誰が行くんです!」
「私が行っちゃ意味がないでしょ?」
「何の意味がないんですか!?」

思わず声を荒げたアゼルに、フィアルはチッチッチッと指を振って見せた。
いちいち効果音を口で言うあたりが、アゼルの怒りを助長することを、承知の上でやっているのだから性質が悪い。

「私はね、近隣諸国にはしばらく噂通りでいた方がいいってこと」
「噂通り?」
「ノイディエンスタークの大神官の光の巫女姫は、その祈りの力で国を支える象徴で、誰より尊い存在。だが実際の政務は、副官である神官長のアゼルが全部執り行っているって風にしておくの」
「……半分は事実ですが、半分はまるっきりのホラですね」
「ホラって言うな!」

普通の姫君はそんなツッコミはしないものです、と言われ、今度はフィアルが顔を歪める番だった。
しかしアゼルも理由を聞いて納得する。つまり近隣諸国がノイディエンスタークにおいて裏で接触してくるとするなら、象徴とされているフィアルではなく実際の権力者である、アゼルということになる。近隣諸国の腹の内を探るには確かにその方が得策だろう。

「頼むわね?ヴィーにも事情は説明しておいて」
「実際どうなさるのです?国交を結ぶのですか?」
「結ぶわ。でもこの結界は大地の意思でどうにもできないことは説明して。後、ノイディエンスタークの商人達の自由な権利も認めさせてね?一応文面は用意しておいたから、これ」

フィアルは自分の執務机の引き出しから、一枚の紙をアゼルに差し出した。それを受け取りさっと目を通す。理不尽な要求は何一つ書かれていない、これなら近隣諸国も納得せざるを得ないだろう。オベリスクを退治する順番も自分達が決めるのではなく、彼等に決めさせるように記してある辺りも抜け目はない。

「……最初からこのつもりだったように、書類まで用意してあるんですね」
「やーね、当然でしょ、当然」
「……なんだか釈然としないものを感じるんですが……仕方ありません。午後一番にシルヴィラと一緒に夜の神殿へ向かいます」
「頼むわ」

フィアルは微笑んでアゼルの肩をポン、と叩いた。この信頼に答えるのが自分の役目だ、と真紅の青年はふと思う。

(―――――ま、やってやろうじゃないか)

そう不敵な笑みを漏らしたアゼルに、フィアルはむむっと嫌そうに眉を寄せた。

「だからって気合入れて、うまくやってやろうとか思わないでよね」
「……何でです?」
「ヴィーならともかくアゼルに、器用な演技なんてできるわけないじゃない。ものすごーく分かりやすい人間なんだって自覚、ないでしょ?」
「分かりやすい!?俺がですか?」
「そう」
「どこが!?」
「そこが」
「そこってどこです!」
「だから、そこが」

のらりくらりと笑いながら返答してくるフィアルに、思わずアゼルの頭にカッと血が上った。

「だから!どこがです!!」
「……顔に出すぎ、態度に出すぎ、言葉にも出すぎ」

諜報活動にはほんとに向かないタイプよねー、とフィアルはカラカラと笑った。その高笑いが、どうにも悔しいのだが、反論するとそれを肯定するようで、アゼルはギリリと口唇を噛んで耐える。

「やっぱりああいう隠密な役は、ヴィーの方が適任よ」
「シルヴィラだってそんなに……」
「ヴィーはにっこり笑ってスパイ活動できる人だから。ある意味嫌なタイプよね」

人間としてはアゼルみたいなタイプの方がいいと思うけど、とフィアルはフォローなのかそうでないのかわからないことを、さらっと言ってのけた。
そしてニッと笑うと、トドメとばかりにアゼルに突き刺さる一言を放つ。

「ま、せいぜい頑張って」

それは―――――アゼルの決して低くはないプライドを、著しく刺激する言葉だった。


* * * * *


―――――その日の夜になって戻ってきたシルヴィラによれば。
各国の使者を相手に、アゼルは完璧に冷徹で実直な神官長を演じきった、らしい。

「狙ったんですか?」

笑いを堪えたようなシルヴィラの問いに、フィアルはただ、「さあね」と答えただけだった。