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- - - 第2章 遅れてきた使者2
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夜の神殿にラドリアから使者が着いたと報告が来たのは、各国の使者が到着してから2ヶ月後のことだった。
フィアルの指示通り、ラドリア以外の国はオベリスクの巣になっている場所に近づかず、またフィアルによって作られたラギと呼ばれる聖印符を渡されたこともあり、今のところ被害は出ていない。ノイディエンスターク側の準備が整い次第、討伐に入る予定ではあるものの、被害がでていないことだけで各国はそれなりに安心しているように見えた。

「来たみたいね……どうするの?フィール」
「さあ、どうしようかな」

イシュタルと二人、王宮の近くにある竜瞳湖の湖畔に腰掛けながらフィアルは答えを曖昧に濁した。
二人だけの時に敬語や敬称で呼び合うのをやめることは、暗黙の了解事項でもある。

「今まで通りアゼル様に任せるの?」
「そうも行かないみたいねえ」
「なんで?」
「使者として王子を寄越してきたのよ、あの狸ジジイの考えそうなことね」

王族が使者に立つと言うことは、こちらも王族であるフィアルが対応をしなくてはいけないと言うことだ。
そういうことを全て見越した上で自分の子を寄越したのだ、あの狡猾な王は。好色でも知られる王には多くの側室がいることもあり、子供は山のようにいるが、今回使者としてやって来たのは正室腹の第五王子だと言う。王位継承権は第三位である。

「正直、もっと馬鹿そうな王子を寄越すかと思ってたんだけどなー、やっぱり一筋縄じゃいかないってことか」
「……ラドリアの第五王子ってあれよね、死神」
「そ、死神」

イシュタルの言葉をあっさりとフィアルは肯定した。

ラドリアの第五王子は死神、と呼ばれている。
ラドリア国内では右に出るものはいないと言われる剣の使い手で、お飾りの将軍の代わりに実質的に本軍を統率している人物だ。無口で無愛想、人を切る際にも決してその表情は崩れないと言うことからその呼称が付いたらしい。

「恐れられながらも尊敬されている、そういうタイプってこう、説得するのも騙すのもやっかいなのよ」
「説得って……書状受けとって終わりじゃないの?その時だけおとなしい姫君を演じたらいいじゃない?」
「いや、ラドリアが馬鹿そうな王子を使者に立ててきたならそうしようと思ってたんだけどね……」
「けど?」
「……もったいなくない?」

フィアルの言葉にイシュタルは怪訝な顔をした。

「もったいないって……フィール、あんた何するつもり?」
「まぁいろいろと……考えてはいるんだけど」
「相手はラドリアの王子よ?」
「だから、もったいないんじゃないの」
「……よくわかんないわよ?」
「まぁとりあえずは騙すかなー……その先はまた考えるわ」
「……この悪巧み大王」
「イシュー、せめて賢明だって言ってよね」

心外だ、と言わんばかりにふくれっ面をするフィアルに、イシュタルは「だってほんとのことじゃない」と言って取り合わない。それを不満に思いながら、フィアルはそのまま背中から芝生へと倒れこんだ。
息を付いて見上げた空はどこまでも抜けるような蒼。
けれど、フィアルは目を閉じてそれを見るのをやめた。

―――――この空は、綺麗過ぎる。

何故だか、そう思った。


* * * * *


「夜の神殿……か」
「森が生い茂っていて、日の光がめったに見えないのでそう呼ばれているそうです」

神殿の主であるユーセフに案内された部屋から見える外の風景は、一面の暗い緑に覆われていた。それを無表情に見やる長身の青年の瞳にも、何も映ってはいない。

「巫女姫は、俺に逢うだろうか……」
「逢うでしょう、逢ってもらわねば困ります。それが陛下の狙いでもあります」
「他の諸国の使者は、神官長に会って終わったと聞いている」
「神官長は、ノイディエンスタークの実質的な政務を全て取りしきっているとは聞いていますが、王族が尋ねて来たとなれば話は別です。巫女姫への目通りが適わないならば、我が国に喧嘩を売っているのと同じことですから」

忠実な従者の青年の言葉にも王子は表情を変えなかった。幼い頃からずっと側にいるイオだからこそ、彼が内心では苦笑いしていることを感じ取れるが、他の者には、彼が何も感じていないように見えるだろう。実際彼がこんなに話をするのは、イオに対してだけだった。他の人間には、最低限のことしか話さないことで有名な位なのだ。

「喧嘩を売ったのはラドリアだというのは、俺の記憶違いか……?」
「……それは」
「ノイディエンスタークがラドリアにいい感情を持っているはずがない。内戦の折にノイディエンスタークへ侵攻し、虐殺・略奪の限りを尽くした国の言葉を誰が信用する?普通の神経でそんなことができようはずもない。それをわかっていて父王は、今だノイディエンスタークを求める、愚かなことだ」
「レイン様!」

ノイディエンスタークは内戦終結後、完全な鎖国状態になった。しかし伝え聞くところでは、大地に生命力が戻り壊滅的打撃を受けた街や村も順調に復興し、今はとても豊かで平和な状態だという。
ラドリアでは前年、気候に恵まれず、また他国への侵略を続けていた結果、深刻な食糧不足が起こっている。父王がノイディエンスタークの豊かな食料に目をつけるのも当然のこととも言えた。

レインは王子ではあるが軍人で、政治家ではない。それでも今の父王のやり方が正しいとは思えなかった。ノイディエンスターク侵攻には関わっていなかったが、それを担当していたのが仲の悪い側室腹の二番目の兄だと聞いただけで、何をしたのかは予想がついた。あの兄は、父以上に好色で残忍な性質の持ち主だ。

「あの化物を討伐し、食料を寄越せと迫るのか」
「そうでなければラドリアの民は飢え死にです」
「自国を復興させる努力もしないで、と切り返されたらどうする?実際ノイディエンスタークは、その状態からはい上がってきた国だ」
「……レイン様、そう思うのなら貴方が王になってください」
「……バカを言うな。正室腹だけでも兄は2人いる」

世継の兄王子は賢明な人間だ。軍を率いるような武芸に優れているわけではないが、その気質は穏やかで理知的でもある。父王が退けばおそらくラドリアは戦乱から解き放たれることになるだろう。

いろいろな思惑を秘めながら、沈黙と共に睨み合っていた二人を動かしたのは、控えめなノックの音だった。

「失礼します。神官長様が参られました」
「……すぐ、参るとお伝えしていただきたい」
「はい。では大広間でお待ち致します」

イオの返答に満足したのか、室内に入ることなく遠ざかっていく神殿に使える巫女の足音を、レインとイオは声を殺して聞いた。

「神官長と言ったな……巫女姫は俺に逢う気はないらしい」
「神官長はかなりの切れ者と聞いています。くれぐれも油断なさいませんように」

イオの言葉にレインは無言で頷いた。
不本意ではあるが、使者としてこの場所にいる以上、役目は果たさなければならない。そのくらいのことは彼にも自覚があった。それがどんなに自分の意思と遠いところにある役目であったとしても。

「行くぞ」

レインは置いてあった闇色のマントを羽織ってドアへ向かった。
その拍子に、マントと同じ闇色の髪がさらりと揺れる。
その色は―――――ラドリアには決してありえない色だった。


* * * * *


「ノイディエンスタークの神官長を務めております、アゼル・フォン・メテオヴィースと申します」
「レイルアース・ラヴィルフェルドです」
「こちらはレグレース侯爵家のシルヴィラ・フォン・レグレース。私の補佐的役割をしてもらっております」

夜の神殿の大広間には沢山の灯火が灯され、柔らかな光が4人の若者を照らしていた。年齢もほとんど変わらないであろう青年達は、一通りの挨拶が済むと小さなテーブルを囲むように着席する。

「王子である方が自ら使者に立たれるとは思いませんで、失礼を致しました」

茶色の髪に茶色の瞳の者が大多数を占めるラドリアにおいて、レインのように黒髪に黒い瞳の人間は存在しないが、目の前に座る神官長はそのレインを上回る外見の持ち主だった。
燃えるような真紅の髪に真紅の瞳。
メテオヴィース侯爵家は炎の最強魔導を受け継ぐ血筋だと聞くが、外見だけでもそれを窺い知ることは容易だった。
だからだろうか。実質このノイディエンスタークを治めているという歳の変わらない神官長に、レインは侮りがたい何かを感じずにはいられなかった。

「いや、わざわざお運びいただき、痛み入ります」
「それは当然です、仮にも王族の方をお待たせした我々の方こそ責められて当然なのですから」

挨拶めいたやり取りが続いたが、形式ばった挨拶ではお互いの考えが見えないのは当然のことで、ふと会話は途切れた。

「……レイルアース王子、用向きをお伺い致します」

真っ直ぐにレインを見つめて、アゼルが本題を切り出した。
その視線をそらすことなく受けとめ、レインは言葉を返す。

「……巫女姫殿にはお目通りは適わぬと?」
「申し訳ありませんが、貴方が大地に受け入れられるとは思えません」
「ならば巫女姫殿がここへ来られたらよろしいだろう」

イオが憮然とした表情でアゼルの言葉に反論すると、アゼルの後ろに控えていたシルヴィラが苦笑を交えて答えた。

「巫女姫様をここへお連れすることはできませんよ、イオ殿」
「何故です?仮にもレイルアース様は一国の王子であらせられる。自ら出向くのが道理と言うものだ」
「道理を語られるのか?一度侵攻してきて非道の限りを尽くした貴方達が?あれがラドリアの道理だと?」
「シルヴィラ、やめろ」

アゼルの言葉にシルヴィラはそれ以上の反論を止めた。イオもレインに言われて口を噤む。

「この神殿に、巫女姫殿をお連れすることはできない、そうですね?アゼル殿」
「……はい、できません」
「ならば、私がノイディエンスターク王宮に参りましょう」

レインはアゼルから目をそらさないで答えた。アゼルは驚いた様子もなくただ静かに彼の瞳を見返した。
レイルアース王子、彼の評判は風隊の調査でも伝え聞いている。武勇に優れ、無愛想だが人の道に外れるような人間ではないことも知っている。
しかしだからこそ油断は出来ない。彼が優秀であるが故に、ますます危険を感じるのは当然だ。彼は、敵国の武将なのだから。

(「レイルアース王子はきっと王宮に来ると言うわね」)
(「大地の審査を受けると、そう言うはずよ」)
(「連れてきて、彼を」)

予想通り、何もかもその通りに全てが動く。自分の主ながらアゼルはこんな時、フィアルが恐ろしくさえ感じることがあるのだ。

「大地の審査を受ける覚悟があるのですか?」
「ええ」
「大地はノイディエンスタークに危害を与えると思う者を決して受け入れません。それでも?」
「受けます」
「……受け入れられなかったら?」

アゼルの視線は真実を見極めようとしている。レインにはそのことがよくわかっていた。
この神官長は有能な人物だ、自分と同じようにおそらく武芸にも秀でているのだろう。でもだからこそ、逃げてはいけない。ラドリアの要求を通すため、そんなことよりも一人の人間としての誇りの問題だ。

「受け入れられない時は、ラドリアの言葉を貴方にお伝えして私は帰ります。それでよろしいか?」
「……わかりました」

アゼルはふっと表情を和らげる。それと同時にレインも緊張から解き放たれた。

「それではレイルアース王子……こちらへ」

アゼルは立ちあがりレインを扉へ誘った。大広間から繋がるその小さな水晶造りの扉が結界の間へ繋がっているのだという。レインは迷うことなくアゼルの後に続いた。

シルヴィラも立ちあがってレインの後に続こうとする。そんな彼を後ろからイオが呼び止めた。

「―――――覚えておかれよ」
「……」
「レイルアース様に何か危害を加えられたら、私は貴公らを許しはしない」

短い茶色の髪は左右に跳ねていて柔らかな印象に見えるのに、忠実を絵に書いた性格のようだなとシルヴィラは思った。大きな体から立ち上る殺気も、全ては主のためなのだろうと思うと何故か微笑ましく思える。
しかしだからといって、シルヴィラにも譲れない守るべきものがあった。

「我々にとって、巫女姫様は大切な方だ」
「……」
「貴公の言葉、そっくり返そう。そして忘れないでいただきたいものだ、我々がラドリアを助ける義理など本当は在りはしないのだということを。願い、乞うのはラドリアだというその厳然たる事実を」
「……ッ!」

イオの殺気が高まるのを背後で感じたが、シルヴィラはかまわず扉をくぐった。
イオ―――――風の精霊を現す名だ。
いつか彼と剣を交えることがあるとするなら、それは間違いなく自分であるのだろうとシルヴィラは感じた。

(風の最高魔導を預かる俺が、風の名を持つ騎士と戦うのか……皮肉なものだな)

ふと浮かんだ苦笑めいたそのシルヴィラの顔を、イオが見ることはなかった。