Clover
- - - 第2章 遅れてきた使者4
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ノイディエンスタークの白亜の王宮に入った時一番驚いたことは、王宮が一般国民にある程度まで開放されていることだった。城門から実際に政務が行われている区域までの全ての場所は国民にも入る権利があるのだと聞いて、レインは心底この国を治める目の前の神官長を尊敬した。

ノイディエンスタークの国民は誰もがみなとても幸せそうな笑顔を浮かべていて、レイン達にも気軽に話しかけてきた。ラドリアでは考えられないことだが、この国ではこれが普通なのだと言う。

(「ノイディエンスタークは、変わったのです。それはとてもいい方向に」)

アゼルの言葉は真実なのだろう。長い内乱を乗り越えた人々の目には希望が溢れていた。

王宮の客間に通されてしばらく待つように言われたレインは窓から城下を見つめた。城下町にも市が立ち、国全体に活気が満ちているように見える。長い戦争に疲れ切ったラドリアの国民とは明らかに違う生気に満ちているのだ、国全体が。

「驚きましたね」
「……この国が豊かになるわけがわかる。民がこんなに幸せそうな国は初めて見た」

イオの感嘆したような言葉にレインは素直に答えた。もし今ラドリアが戦いを止めたとしても、国民はここまで明るい顔をするだろうか?そうは思えない。ラドリア王宮にある、独特の暗い雰囲気を思い出してレインは静かに首を振った。比べても仕方のないことだ。ノイディエンスタークは、決してラドリアではありえないのだから。
内乱で諸侯のほとんどを亡くしたノイディエンスタークは、今アゼルを中心に若い諸侯達で治められていると聞いていた。それも活気があることの一因であるのだろう。

「死神にまで気軽に話しかけてくるとはな、かなりおめでたい国民性だ」
「レイン様は死神などではありません」
「……そうでもない、オレは人を殺すことにそんなに戸惑いを感じない」
「……」
「必要だから殺した、それ以外に理由はない。だから罪悪感もない。戦場で殺す、殺されたは当たり前のことだ。それが嫌なら戦場に出てくるべきではない」

性なのだろうか、昔から感情の起伏には乏しかった。顔に出すことも、言葉にすることも苦手だった。無表情で剣を振るい、何も感じていないように去っていく。そのうちに死神という名で呼ばれるようになっていた。黒い服を好んで着ていたこともその理由ではあっただろう。

「人は、自分と違うものを恐れるか、蔑むものだ」

諦めきったようなレインの言葉に、イオが顔を歪めた。昔からレインの従者として仕えてくれている実直なこの青年をレインは気に入っている。時に口うるさいこともあるが、自分を特別扱いしない唯一の人物と言っても過言ではない。

ふと窓辺から離れようとした時、カシャン、と腰の剣が音を立てた。神官長はノイディエンスタークに入国する際、帯剣については何も言わなかったことをふと思い出す。危険だと思わなかったのだろうか?これから巫女姫に逢おうという相手に帯剣を許すとは。

(それも、当然か)

巫女姫に危害を加えようとしたその時点で、結界の外に放り出されるのがオチだ。実際に剣を振るう前に事は終わるということだ。そう気付いて、レインは自嘲的で皮肉気な笑いをこぼした。そこまで全ての物に愛されている巫女姫とは一体どんな人物なのか。神官長は言葉を濁していたが、伝え聞く限りでは清廉な絶世の美少女だという話だ。大地の祝福を一身に受けた聖なる姫だと。

考えを巡らせていたその時、控えめなノックの音がしてレインは扉の方へ視線を走らせた。イオが少し警戒したように近づき、ゆっくりと扉を開けると、黒髪の少女が立っていた。手には湯気を立てるお茶をのせたトレイがある。

「よろしいでしょうか?お茶をお持ちしたのですが」
「ああ、かまわない」
「失礼します」

少女は一礼して中に入り、テーブルの上にお茶と素朴な焼き菓子をてきぱきと用意した。イオもレインもその様子を黙って見つめる。全ての用意が終わった後、少女はレインにもう一度頭を下げた。

「レイルアース王子様ですね?わたしはシェイルナーラ侯爵家のメナスと申します。お目にかかれて光栄です」

女官か何かだと思っていた少女に名乗られて、レインは呆然とした。侯爵家の娘が何故わざわざお茶の用意などをするのか?疑問符が頭に浮かぶがとりあえずそのままには出来ず、形式的な挨拶を返した。

「これは失礼をした、メナス嬢」
「女官だと思われたのでしょう?よく言われます」
「侯爵令嬢が何故このようなことをなさるのですか?」

イオの疑問にメナスはにっこりと笑って答えた。

「好きなんです、お茶を入れるのが」
「……好き?」
「諸侯のみなさんも、わたしのお茶はおいしいと褒めてくださいます。それでアゼル様が、レイルアース王子達にもお茶を差し上げて来いとおっしゃられたので参上いたしました。焼き菓子もわたしが焼いたので召し上がってくださいね?お口に合うかどうかはわかりませんけれど」

メナスがあまりにも邪気がなく微笑むので、二人の大柄な青年はすっかり毒気を抜かれてしまう。促されるままテーブルにつき、手渡されたお茶を口に運んだ。

「……旨い」
「お口にあいましたか?」
「ああ、かたじけない」
「よかったです」

ニコニコとメナスは微笑む。同じ黒髪なのにこうまで印象が違うものなのだろうか?メナスの柔らかな光をたたえた紫の瞳は、レインにはまるで自分とは違うもののように思えた。

「失礼かもしれませんが、わたしはラドリアの方はもっと怖い方かと思っていました」
「……我々は怖くはないと?」
「ええ、お二人に今、邪な殺気を感じはしませんから」
「邪な殺気……と申されますと?」
「……わたしは浄の魔導を受け継ぐシェイルナーラ侯爵家の人間ですから、そのくらいはわかります」

ノイディエンスタークの13諸侯は、それぞれ属性の魔導を引き継ぐ血筋だと伝え聞いていたが、それは真実であるらしい。目の前の少女も何の力もなさそうに見えるが、本当はどうなのかわからない。自分の問いに素直に答えていた少女に、イオの体が緊張がするのをレインは感じていたが、それよりも好奇心が勝った。

「メナス嬢」
「……はい?なんでしょう?」
「巫女姫様は……どういう方です?」

レインの真剣な視線に、メナスは一瞬目を見開いて固まった。黒衣に黒髪、黒い瞳の青年を臆することもなく不躾に見やる。レインの言葉に姫君の外見の特徴を求めているのではないと悟って、メナスは口を開いた。

「―――――わたしは、大好きです」

メナスの輝くような笑顔が、レインの目に眩しかった。
この少女は、嘘を言っていない。それが彼女の本心なのだろう。

「大好きです」

繰り返されるその言葉に、レインの肩から力が抜けた。


* * * * *


ノイディエンスターク王宮の玉座の間には、13人の諸侯が勢揃いしていた。
その中にメナスの顔を見つけて、レインは少しだけ眉を潜めたがそれ以上の反応をしなかった。彼女は侯爵令嬢どころか、侯爵そのものだった、それだけのことだ。
勢揃いしている諸侯達は、ほとんどレインやイオと歳の変わらない若者ばかりだった。内乱で死に絶えた諸侯の後を継いだ若者達は、誰もが勇敢な騎士であろうことは容易に想像がつく。だからこそ巫女姫への忠誠心も深いだろう。
玉座の隣にはアゼルが立っており、その傍らにはシルヴィラが控えている。

「お待たせして申し訳ありません、レイルアース王子」

神官長の言葉が部屋中に響いた。その言葉には何故か威厳があり、諸侯の中でもアゼルは別格なのだということを感じ取るには充分だった。

「いえ、かまいません」
「女性の仕度は時間がかかるようで、本当に申し訳ありません」
「お気になさらずともよい。苦ではありません」

形式ばった会話だと双方思っているのだろうが、重い雰囲気の流れる室内には必要不可欠のものだとわかっている。ノイディエンスタークの諸侯がラドリアをよく思っているわけはない、そんなことは最初からわかっていたことだ、覚悟の上のことだ。

「……参られましたね」

シルヴィラの声に諸侯が全員居住まいを正した。いい意味の緊張が走る。レインはすっと背筋を伸ばした。

柔らかに玉座の後ろのベールが開き、衣擦れの音がかすかに響く。
その場にいた全員が頭を下げ、玉座の前に立った彼女の言葉を待った。

「……お待たせしました、お顔をお上げください」

柔らかな、甘く高いまだ少女の声が玉座の間に静かに響いた。13諸侯、そしてレインがゆっくりと顔を上げる。その視線の先に見えるものに、レインは言葉を失った。

――――― その場所には、天使がいた。


* * * * *


純白のベールに純白の衣装を纏い、緩く結い上げた髪は淡い淡い白金、淡い蒼の瞳の少女は、レインを見てふわりと微笑んだ。額に光る銀色の四葉の印が彼女が何者であるかを現している。

(巫女姫……この少女が……)

天使というものがこの世に存在するのなら、こういうものなのだろうと思わせる容貌も、まだどこか幼さを残した眼差しも、声も。彼女を形作る全てのものが神に祝福されたものだと思わせた。

「お待たせして申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます」
「……いえ、お気になさらずともよろしいのです、姫君」

深く頭を下げる少女にこちらの方が恐縮してしまう。そんなレインの様子を見て、巫女姫は柔らかく微笑んだ。それだけで普通の者なら腰砕けになってしまうような、そんな微笑み方だ。

「みなも、楽にしてください」

レインやイオだけではなく、その場で一瞬呆けていた13諸侯達がはっとしたように我に返った。ふとメナスに目を向けると、何故かその瞳が潤んでいる。初対面の自分達はともかく何故諸侯までがこんな反応をするのか不思議だったが、そのおかげで少し冷静な思考が戻ってきた気がして、レインはほっと息を付いた。

「わざわざ王宮までお出向きいただき、恐縮です」
「いえ、我が父王の意思を伝えるのが私の役目ゆえ、本当にお気になさらずに」
「……はい」
「本題ですが、これが我が父、ラドリス13世からの書状です。ご確認を」
「……わかりました」

レインの前にシルヴィラが進み出て、その書簡の入った筒を受け取り、そのまま恭しく巫女姫に手渡すのを、レインはぼんやりと見つめていた。小さな白い手がその書簡を広げ、静かに視線を走らせるのが、遠い世界で起こっている出来事のように感じられる。
やがて書簡を読み終えた巫女姫が、口を開いた。

「……レイルアース王子はこの内容をご存知なのですか?」
「大体のところは父王から聞いております」
「ラドリアに現れたオベリスク討伐のための力添えについては?」
「ラドリアには今1体の化物が現れ、民を苦しめております。お力添えをいただければ幸いです」

近隣諸国の話では、あれは魔導でなければ倒せないのだという。それならばどうしようもない。他の諸国に助けを出しておいて、ラドリアだけを排除するとは思えない。

「食糧援助については?」
「前年は気候に恵まれず、収穫量が前年の半分にまで落ちこんでいます。民を飢え死にさせることはできません。本当にムシのいい話だということは承知の上で、恥を忍んで援助をお願いに参りました」
「……わかりました。ノイディエンスタークからラドリアに求めるのは国交です。対等な国交を結びたいのです。それをご理解いただけますでしょうか?」
「……充分承知しているつもりです。ラドリアの侵した過去の罪を許していただけるのなら、これほど幸せなことはございません」
「そうですね……詳しい内容については、ここにいる神官長のアゼルと協議をしてください。侯等も協力してさしあげるようにお願いしますね」

実際の政務は神官長に一任することを、諸侯も躊躇いなく受け入れている。彼女はやはり精神的な支柱で、実権は神官長にあるのだと露呈したのも同じことだ。

「それと、もう一つ」
「……?」
「もう一つ、この書簡には記してあります。それをご存知でいらっしゃいますか?」

巫女姫はどこか困惑したような、戸惑ったような表情でじっとレインを見つめた。年下の、メナスと同じかそれ以下にも見える巫女姫の顔に、何故か嫌な予感を覚える。自分の父親のことは、自分が一番よくわかっている。あの男は、抜け目のない男だ。

「父王は、なんと……?」
「……お父上様は貴方と、私の婚姻を求めておられます」
「……!?」
「正式な婚姻の申し込みが、書かれています」

―――――青天の霹靂。
巫女姫の言葉はレインにとってはまさに寝耳に水のことで、思考回路がうまく動かない。婚姻?誰と、誰が婚姻を結ぶと言った?自分と……この目の前にいる天使が、婚姻を結ぶというのか?

「姫……っ!」

神官長が声をあげたが、彼女を一瞬見て言葉を噤んだ。レインは表情には出さなかったが、意思を込めて、傍らの従者を見やる。イオも全く知らされていなかったのだろう、困惑したように首を左右に振った。

「何も知らされていなかったようですね」
「知っていたら、のこのこと、こうして姫君の前にはおりません」

苦笑いめいた巫女姫の言葉に、憮然として答える。巫女姫に対してではなく、父王に対しての怒りがこみ上げていた。鉄面皮と言われた顔に珍しく皺が刻まれ、不機嫌さをあらわにした様は、死神の名にふさわしく恐ろしい形相になっている。

「……私も、突然のことですので、軽々しくお返事はできかねます」
「当たり前です。我が父の戯言と聞き流してくださって結構です」

そう言い切ったレインに真紅の容貌の神官長は無表情で口を挟んだ。

「そう言うわけにはいきません、レイルアース王子。貴方の預かり知らぬところだったとはいえ、この書簡は略式ではなく公式のものです。ラドリアはノイディエンスタークに対し、公式に巫女姫と貴方の婚姻の申し込みをしたことに他なりません」
「しかし……」
「アゼル、そう言っては王子が困惑なさいます。返事はもうしばらく待ってもらうことにして、王子には少しの間ノイディエンスタークに留まっていただきましょう?食料やオベリスクに関することも、諸侯等と話し合わなければならないのですから」

巫女姫の柔らかな妥協案を、神官長は躊躇することなく受けとめたようにレインには思えた。オベリスクの件はともかく食料援助に関しては、少し時間がかかるのは仕方のないことだ。

「レイルアース王子、しばらくこの城にお留まりいただけますか?」
「依存はありませんが……よろしいのですか?」
「ええ、私も貴方ともう少しお話をしてみたいのです。そうでなければ返事はできませんでしょう?」
「……」
「私のことは、フィアルとお呼びください」

そう言った目の前の天使は、逆らうことのできない純真な笑顔を見せる。自分の中の毒気が完全に抜かれていくのをレインは確信を持って感じていた。