Clover
- - - 第2章 遅れてきた使者5
[ 第2章 遅れてきた使者4 | CloverTop | 第3章 血色のピアス1 ]

「……何の冗談ですか、あれは」

アゼルの言葉に、鬱陶しそうに髪の飾りを外していたフィアルは、きょとんとした顔で振り返った。気がつくと、その場にいる13諸侯が全員答えを求めて鎮座したままだった。

「イヤね、みんな怖いわよ?大体あんた達、最初は私のお姫様仮面に驚いてたくせに」
「それはそれ、これはこれです!婚姻ってなんですか!?我々はそんな話は聞いていません!」

アゼルの言葉は、その場にいる他の12人の共通の意思でもあった。よりにもよって、ラドリアと婚姻など言語道断だと誰もが思っているのは明白だ。
それを感じとってやれやれ、とフィアルは肩を竦めて見せる。

「予想通り」
「は?」
「これも、ぜーんぶ予想通りだって言ったの!みんなラドリアの狸ジジイが、まさかオベリスク退治だけを求めてくるとか甘い考えだったんじゃないでしょうね?あの国が、今深刻な食糧難に直面してるのはわかりきってたことだし、結界を抜けられそうな年齢のつりあう王子を寄越したって時点で、その位の予想はつくでしょ?頭を使いなさい、頭を。武勇だけで国は動かないわよ?」

フィアルの言葉に13人は返す言葉もない。しかしそこまで予想ができるというのも、ある意味聡すぎるような気がするのは気のせいではないだろう、とアゼルは思った。

「どうするのです?まさか、本当にあの王子と結婚を……」
「するわきゃないでしょ」

きっぱり言い切ったフィアルに、安堵の表情を浮かべて諸侯は顔を見合わせた。メナスなどはこらえることが出来ずに、ボロボロと大粒の涙を零している。

「あの王子は、何にも知らなかったみたいね?狸を親父に持つと、まともな子供は苦労するわ」
「レイルアース王子は、そんなに悪い人間ではないと思いますが」
「そんなのわかってる。あの王子は背負うものが重そうだもの。彼は賢いわ……多分。だからこそみんな油断はしないで。アレは根っからの一匹狼な武将タイプよ、騙すのは難しそう」

なんだか同じニオイがするの、というフィアルの言葉に13諸侯も考えこむような顔をした。

「ラドリアの狙いは、姫と息子を結婚させて、裏からノイディエンスタークを操作することでしょうか?」
「違うわね、結婚させてからじわじわと、自分の息のかかった人間をノイディエンスタークに送りこむつもりなんでしょ。あの狸ならそのくらいのことは考えるでしょうよ。私は、表向きは政務には関わりがないことになっているし、息子を使えば牛耳るのは簡単だと、そう思っているのね。結婚した後、まず一番最初に命を狙われるのはアゼルよ。私が息子と結婚している限り、ノイディエンスタークの国民が逆らうことはないんだもの。邪魔者をそうやって次々に消していくつもりでしょうね。しまいには、ここにいる13人全員が消されると思うわ。もっとも、結界の力を甘く見てるって感は拭えないけどね」

怖いことをさらっと言ってのけるフィアルに、諸侯達は言葉を失った。しかしそれは現実に起こりうることでもある。以前の神官勢力が、自分達の政敵を次々と消していったのは事実だ。最後には、神官長と大神官までもその手にかけたのだ。

「……ラドリアの狸の誤算はね」
「……誤算は?」
「自分の息子が、賢いと知らないことよ」

白いベールをバサッと脱ぎ捨てて、フィアルは不敵に笑った。自信に裏付けられたこの笑顔は、その場にいる13諸侯を安心させる。彼女がこの顔をしている時は、勝利を確信している時だと、嫌というほど知っている。

「あの王子をノイディエンスタークにもらうわ」
「……もらう!?」
「だから、しばらくは騙されてもらいましょ?」

お姫様ぶりっ子は疲れるけどね、と笑う姫君を見て、その場にいた全員が、あの鉄面皮の王子に同情に近い気持ちを抱いたのを、当の王子自身は決して知ることはなかった。


* * * * *


「聞いていない」
「私に怒ったって仕方ないでしょう」

主である王子の、行場のない怒りの矛先を向けられて、イオは思わず後ずさった。
もともと顔の造りが整っているだけに、怒るとその迫力は人一倍だ。こんな時は下手に何かを言って刺激したくはない。

ノイディエンスターク側が、レインとイオのために用意した部屋は3間続きで、一つはレインの寝室に、一つは応接に、もう一つは従者であるイオが使えるようにと配慮がしてあった。かつて、攻め込んだことのある国の王子に対する待遇にしては、怖いくらいに最高のものだ。

「何も知らずに、巫女姫にあの書簡を渡した俺の気まずさがわかるか?」
「王は……本当にノイディエンスタークを手に入れるおつもりなのですね」
「……馬鹿馬鹿しい」

戦うことは嫌いではなかった。むしろ戦っている時の方が、自分が自分でいられる気がしていたのも事実だ。
それを否定する気はない。しかし無意味に侵略し民から搾取し虐殺等を繰り返すのは、レインの意思とは別のところにある。

レインはテーブルに置いてあった酒をクッと飲み干した。やりきれない想いが胸を疼かせる。王族として生まれた自分の身が疎ましくさえ感じるのだ。イオはこんな時、レインを一人にしてやるのが一番いいと、長年の経験で知っていた。飲みすぎませんように、と言い残して自分の控えの間に戻っていく。

ドアが閉まるのを確認したレインは、窓辺に寄って月を見上げた。明るすぎる夜は苦手だが、今夜の月は時折雲に隠れてちょうどいい風情だった。
気まぐれに月が雲間から顔を覗かせた時、中庭の噴水に人影を見つけて、レインは目を見張った。白金の輝きは紛れもなく昼に出会った天使のもの。

(こんな夜更けに何を……?)

見ていると何をするでもなく、ただ噴水の水をすくい上げたり空を見上げたりしている。昼に見た時より少し子供っぽく見えるその様子にふと、興味を引かれた。グラスをテーブルに置くと、窓を開けバルコニーから下に飛び降りる。2階だが、レインにとって、この程度の高さならたいしたことはない。

気配を感じさせないように近づいてその姿を眺める。ふとフィアルが視線を上げるのを、レインはまるでスローモーションのように感じた。

「レイルアース王子……どうしました?眠れませんか?」
「……姫君こそ、こんな夜更けにどうなされた?」
「私は、散歩です」

小さく舌を出して笑う彼女に、思わずレインは眉を潜める。不思議な姫だ。噂に聞いていたのとずいぶんと違った印象だ。その体から感じる尊い光だけは、目をそらすことのできないほど眩しいものなのに。

「申し訳ないと、思っています」
「……何をですか?」
「俺、いえ私との婚姻の話です。子の私が言うのもなんですが、父王は野心家です。ノイディエンスタークを我が物にしようとしている……懸命な貴方ならお分かりでしょう?姫君」
「……フィアル、とお呼びください」

苦笑いの混じったその表情に、レインは何故か罪悪感を感じる。この姫は、決して愚かではない。

「それでは私のことはレイン、とお呼びくださいますよう」
「レイン、ですか?」
「イオは……私の従者は私をそう呼びます。イオ……だけですが」
「わかりました、レイン様とお呼びします」

そう言うと、彼女はそっと顔を伏せた。

「わかっているつもりです……貴方の国を悪く言いたくはありませんが、ノイディエンスタークの民の中には、まだラドリアを許せないものも大勢います。そんな中で私が、婚姻を結ぶわけには参りません。私は政治のことにはとても疎くて、全て神官長に任せきりなのですが、それでも民を守る義務はあります」
「ええ」
「もしも違う形で出逢えていたら、私達は友人になりえたでしょうか?」
「……そうかも、しれません」

本当に、そうかもしれないのに。不思議なことにこの姫には隠し事や嘘偽りが通用しないような気がした。
元来人に執着は持たない人間であるレインが、今日会ったばかりの少女とここまで話すこと自体が、珍しいことこの上ないのだ。ラドリアの女官などが見たら腰を抜かすだろう、などとぼんやりと考える。でもそれはこの姫だから。不思議なカリスマ性を持ったこの姫と、頭上に見え隠れする月の光に狂わされたのだと思い込むことで、レインは何とかラドリアの王子である自分を支えていた。



* * * * *


(―――――演技もあそこまでいくとすごいわね)

噴水の傍にある木の陰で、気配を殺してその様子を見つめていたイシュタルは、哀れな王子に同情して、人知れずため息をついた。