Clover
- - - 第4章 闇魔導3
[ 第4章 闇魔導2 | CloverTop | 第4章 闇魔導4 ]

(―――――この花が好き?)

魔導生物を作り出すのに絶対不可欠な力、それが魔属性の魔導力だった。
魔の魔導力は、他の国々では錬金術と呼ばれるものと趣は同じで、望むものを創造する力でもある。それゆえに危険な力でもあり、それを受け継ぐファティリーズ侯爵家には人格者が多いことで知られていた。
しかし長い時の中でその誇りは徐々に薄れ、12年前に勃発した内乱の折、ファティリーズ侯爵は神官勢力側に加勢した。13諸侯の中で神官勢力に組したのはファティリーズだけではなかったが、それでもその影響力は大きかったのだ。
しかし内乱の最中にファティリーズ侯爵は討たれ、血族のほとんどは国外に追放になった。巫女姫ではなく、大地そのものの意思によってノイディエンスタークから弾き出されたのだ。
その経緯を見れば、内乱の折父親に逆らい、アゼル達と共に戦う道を選んだ三男のキールが、ファティリーズを継いだのは至極当然の成り行きとも言える。

キールは奥神殿のさらに奥にある小高い丘の上に、根を張り枝を広げる菩提樹の木の下にいるのが好きだった。
奥神殿は大神官の住まいであり、現大神官であるフィアルはこの奥神殿に人が入ることを嫌っていたが、キールにだけは特別にその許可を与えてくれている。

以前はフィアルに見つからないように来ては、ぼんやり物思いにふけっていたのだが、当の彼女にはキールの行動はお見通しだったらしい。ある時ぼんやりとしていたキールの横に不意に現れてここで何をしているのか聞いて来た。見つかったことに決まりが悪かったが、キールは正直にこの場所が好きだと話した。この菩提樹が、この小さな、竜の涙と呼ばれる花が好きだと。
ここでそれらに囲まれながら空を流れる雲を見て、いろいろな考えを巡らせるのが好きなのだと。
そう言うとフィアルは、何事にもはっきりしている彼女には珍しく、何とも言えない複雑な顔をした。
そして、小さな声で問いかけたのだ。

(―――――この花が好き?)

それから、キールだけはこの場所に入ることを許された。他の諸侯には決して与えない許可をキールにだけは与えてくれた。

―――――何故だかは、わからなかったけれど。


* * * * *


内乱が起こる前の彼女を、キールは知らない。
彼女は神殿の奥、大地に祈るためだけに産まれた尊い姫なのだとずっと聞いていた。めったに人前にその姿を現すことはなかった。
キール自身もファティリーズ侯爵の子とはいえ、三男であり、そう王宮に来るような用事もなかった。基本的に昔から本を読むことは好きだったので、隣に立つ修学院にばかり出入りしていた記憶がある。
内乱が起こり、大神官と神官長が殺され、一人娘だった姫君の生死は不明になった。燃える大神殿と共に死んだのだと、多くの人間が信じる中、何年か後に反乱軍が立った。それを率いていたのが神官長の息子だったアゼルだ。
金と色欲に溺れた父、そして高圧的で他者を見下す兄、死んでいく大地と飢える人々。それを許すことが、受け入れることがどうしてもできずに、キールはアゼルの元へ走った。彼は、そんな自分を何も言わずに受け入れてくれた。
そんなアゼルが、圧倒的に不利な戦いの最中ぽつりと話すのは、いつも姫君の話だった。当時共に戦っていた現13諸侯の中でも、実際に姫に逢ったことがあったのは、神官長と共に奥神殿に出入りをしていたアゼルだけだった。
儚げな―――――小さな天使。
彼女さえ生きていてくれたら、この死んだ大地は甦る。
極限に近い状態の中、彼女の存在だけが自分達の希望だった、あの日。


* * * * *


「―――――ここにいると思った」
「姫……」

いつもの場所で、ぼんやりと昔のことを思い返していたキールの目の前に、淡い白金の髪が揺れていた。細められたその瞳は優しい柔らかな光を浮かべている。
フィアルは何の断りもなく、ふわりとキールの横に腰を下ろした。膝を抱え込むような格好で首を傾け、上目遣いでキールを見る。

「出立は明日なのに、準備は?」
「とっくに終わってます。オベリスクが絡んでいる以上、俺が選ばれないということはないと思ってましたから」
「それで、ここにいたの?」
「……いけませんでしたか?」
「ううん、いいの」

いると思ったの、とフィアルは続けた。この場所にいる時、フィアルの顔がいつもとは違っているのに、キールは随分前から気付いていた。

「……怖い?」
「……いえ」
「今回のことにファティリーズの人間が絡んでるのは間違いない。シオンだけじゃない」
「……俺に、接触してくるでしょうね。心配しなくても寝返ったりしません」
「そんなことは心配してない、心配してるのはキール自身のこと」

フィアルが何を言いたいのか、キールにはわかっていた。
父侯爵は戦いの最中死んだが、兄を含め、神官と手を結び甘い汁を吸っていた多くの者が内乱後、大地によって国外追放になっている。キールを含む賢明な数人だけしか今ファティリーズの血を継ぐ者はいない。
シルヴィラのように、国外の情報収集を1度も命じられないのはそのせいだ。贅沢三昧をしてきたファティリーズの者達が、なんとかノイディエンスタークに帰って昔のような暮らしを取り戻したいと願う時、近づいてくる対象は現ファティリーズ侯爵のキール以外にはありえない。
フィアルはそれを誰よりもわかっていたからこそ、この2年決してキールを国外には出さなかった。キールも出たいとは思わなかった。

「俺は、ここにいます」
「……」
「あの兄が何を企んでいても、俺はここに戻ります、必ず」

足元で揺れる小さな花をあの時彼女は、好きかと聞いた。

(―――――好きです)

そう答えた自分を見た彼女のあの笑顔を、キールは生涯忘れることはないと思った。
あんな悲しそうな笑顔を、切ない瞳を見たのは、後にも先にもあの時だけ。

(―――――私も、好きなの)

そんな泣きそうな顔で、笑わないで欲しい。
側にいたいと思った、この姫の側に。
自分がここにいる理由なんてそれだけで充分で、他の理由などいらない。
ここにいたい、この場所に。彼女の愛する花の咲く、この場所に。

「ここに、いたいから」
「……うん、そうね」

フィアルは笑う、いつもより少しだけその微笑みは柔らかくなる。この花が、彼女をそうさせる。

うーん、と一つ伸びをして、フィアルはそのまま芝生に寝転がった。流れていく雲をぼんやりと見つめている。キールが一人ここにいる時いつもしていることだ。

「綺麗だね」
「……そうですね」
「平和で美しい国……この国は」
「……」
「神官達を倒して、大地に緑が戻り、人々に笑顔が戻る。物語の最後みたい」
「……でも……物語のように、そこで現実は終わりません」
「……そうね……誰もが幸せになれる終わりなんて、どこにもありはしないわ」

そこまで言うと、フィアルはふと目を閉じた。キールは、空に向けていた視線を、ゆっくりと自分の横に横たわる少女に移す。華奢なこの体のどこに、この国を背負う力があるのだろう。諸侯達は見失ってはいないだろうか?彼女は確かに強い、頭も切れる。しかし、彼女が一人の少女であることを、どこかで忘れてしまってはいないだろうか。

(―――――私も、好きなの)

ああ言った時の彼女が、本当の彼女のようにキールには思えてならない。言えば勝手な思い込みだと、彼女は笑うだろう。それでもキールは、あの時の彼女がが本当の姫君なのだと信じたかった。

側にいたいと、強く願う。
ずっと俺は、ここにいます。
あなたがどんな道を選んでも、俺はここにいます。

顔を上げてキールは空を仰いだ。
明日からはしばらく見ることができなくなる、ノイディエンスタークの空は、いつもと変わることなくただ、そこにあった。