Clover
- - - 第4章 闇魔導7
[ 第4章 闇魔導6 | CloverTop | 第4章 闇魔導8 ]

吹雪の中をしばらく進むと、岬が見える。
最北端の海である極海を臨むその岬がシュバルツの最北端で、吹雪でない時は時々自然の芸術とも言える七色のオーロラが見えることでも知られており、それゆえにこの場所は採光の岬、と呼ばれている。

追放されたとはいえ、さすがにファティリーズの直系のシオンが作っただけのことはある。岬の突端に近づくにつれて濃くなる魔の魔導の気配にゲオハルトやリーフの顔からも笑みが消えた。

「……なんだか嫌な気配がしますね」
「あ、イオも感じるの?」
「何と言うかその……暗い沈んだ気のようなものが」
「少しとはいえノイディエンスタークにいたからかな?うん、この辺りは今、魔の魔導の気配で充満してる」
「……これが魔導の気配というものなのですか?」
「正確には違うけど、それだけわかれば上等」

緊張感に包まれた中、フィアルだけがその楽観的な態度を崩さなかった。その明るさは少しだけ場違いな感じもしたが、何分勝手のわからない魔導の戦いに臨むレインやイオにはありがたくもある。

「フィール」
「……何?」
「オベリスクが現れたら俺達はどうすればいい?」
「そうね、身を守ることをとりあえず一番に考えてもらおうかな」
「……それだけでいいのか?」
「とりあえず今回はそれでいい。次回からは戦闘に参加してもらおうと思ってるから見てて」
「……参加?」

魔導力しか通用しない敵との戦いに何故参加することができるのかわからず、レインは思わず聞き返した。そんなレインに、フィアルは笑って答える。

「確かに成り行きってのもあったけど、全く役に立たない人間を連れて歩くほど無駄なことしたくないわけよ、私はね」
「……?」
「魔導力がない人間でも戦える方法があるわけ。でも今回はとりあえずそれは保留。ゲオ達もみんな魔導生物相手にするのは初めてだし、勝手がわかってからじゃないとフォローもできやしないから」
「……そうか」
「うん」

納得した様子のレインにフィアルは頷いた。その瞬間、周囲の気がぐにゃりと歪んだ気配がして先頭を行くゲオハルトがビクッとして止まった。キール、リーフも緊張して腰の剣に手をかける。
ただ、フィアルだけが緊張もしないまま、顔を上げて天を仰いだ。

「……来た」

岬の突端、空間の歪みの中心、赤く光る二つの目が6人に向けられていた。


* * * * *


歪んだ空間は徐々に黒い毛皮へと変わった。狼と熊を足したような容貌に怪しく光る赤い瞳。口からは鋭い牙と涎が絶えず流れ、見上げるほど大きなその身体のいたる所から、魔の魔導の気配が漏れている。

「あれが……オベリスク、なのか」

リーフの呆然とした言葉にキールは無言で頷いた。

「あれが、魔の魔導力で作り上げられた魔導生物だ」

キシャアアアという声をあげてオベリスクは威嚇している。ギチギチと鳴らす爪は長く鋭い。あんなものに襲われたら、普通の人間ではひとたまりもない。
内乱の折、神官達によって召喚された魔物とずっと戦い続けてきたゲオハルト達も、ここまで大きな魔物と戦ったことはなかった。見ればわかってしまう。この生物はただ襲い、殺す本能しか持ち合わせていない。そういう風に意図的に創られている。

「こんなのが、何匹もいるのかよ……洒落になんねえな」
「だから俺達が来たんだろう」
「そうは言っても……こりゃ大変だぞ?」

さも当然と言いた気なキールに答えながら、ゲオハルトは腰の大剣を抜いた。その逆の手で眉間の辺りに魔導力を集める。

【砕く刃 沈む剣 力持ちし鋼の光 ヴォルグブレード!】

翳した手から溢れる橙い光が、大剣を包み込むのをイオは息を飲んで見つめた。ゲオハルトの持つ剛の魔導の力は宿系の魔導だと言った意味をそこで理解する。

【裂く光 登る陽光 宿りし刃に大気の剣 ステイズブレード!】

同時にリーフのルーンを唱える声が響き、リーフの剣が濃紺の光で包まれる。既に臨戦体制に入った二人を見て、血の気が多いなぁとフィアルは小さく笑った。

「キール」
「わかってます……魔の魔導の吸収は俺が」
「私はとりあえず全員に守護結界をかけるわ」
「……はい」

キールは腰から剣ではなく、アメジストでできた杖を手に取り、ゆっくりとオベリスクに向けた。剣での戦いはゲオハルトやリーフの領分であることを、キールは理解している。

「レイン、イオはあの木の下に」
「お前はどうする」
「……私?私はここで待つ」

真打は最後に登場するのがお約束だから、とわけのわからないことを言いながら、フィアルは小さく何かを唱えた。淡い白金の光が全員の身体を緩やかに包み込む。それが先ほど言っていた守護結界だと気付くのに時間はかからなかった。
レインとイオは言われた通り、近くにあった大木の下へ移動する。それを見届けると、オベリスクとの間に距離を取っていたゲオハルトとリーフへフィアルは視線を移した。

―――――ゆっくりと上げられた左手が、静かに振り下ろされる。

それが、合図だった。


* * * * *


「何なんだよ……これは!!キリがねえぞ!」

オベリスクの咽喉に深く切りつけながらリーフは叫んだ。
ゲオハルトとリーフ、二人がかりでもオベリスクは無傷だ。否、傷は負っているのだがすぐに再生しているのだ。再生はしているが、その度にオベリスクそのものを形作っている魔導力は失われているので、ダメージがまるでないわけではない。現に二人の後方ではキールがその魔導力を吸収、変換し、大気へと戻している。しかし実際の傷が残らないことは精神的にはかなり辛い。

「頑張れ〜」
「全部知ってて黙ってたな!姫!」
「だって言ったらアンタ、やる気失いそうだったんだもの」
「あったりめーだ!ちくしょー!覚えてろ!」
「はいはーい、今は頑張れ〜」

実に能天気に応援するフィアルに、リーフが真っ赤な顔で怒鳴った。その間も手を緩めないのはさすがに13諸侯の一人である。

「ゲオ、まだまだいけそう?」
「おひーさん……鬼だろ?」
「限界に挑戦してみる?」
「やなこった!!」

ザシュッ!とゲオハルトの大剣がオベリスクの腹を切り裂いた。緑色の鮮血が飛ぶが、それは一瞬ですぐに塞がってしまう。チッ!と舌打ちをしてゲオハルトは剣を構えなおした。
切り裂かれる度にオベリスクは断末魔の悲鳴を上げる。その爪や牙で多少はゲオハルト達も傷を負っている。思うよりもオベリスクの動きはその体躯に似合わずすばやかった。

「キール」
「……まだ、平気です」

身体を使って戦っている二人よりも、吸収、変換、放出と三つの工程を同時に行わなければいけないキールの方が負担は遥かに大きいことをフィアルは知っていた。激しくなる吹雪にも関わらず、キールの額には汗が滲んで、滴り落ちている。
手助けをすることは彼女にとってはとても単純なことだった。けれどこれはファティリーズ侯としてキールがやらなければ意味がないことだと、ちゃんとフィアルは理解していた。

(「人間にはその場所にいる理由が必要なものです。それを奪うのは感心しません」)

アゼルが言ったその言葉は真実だ。誰しもがその場所に自分がいる意味を与えられなければいけない。自分が必要なのだと思われなければ、その場所に留まる意味がなくなってしまう。

「くらえ!」

ゲオハルトが側にあった木の反動を利用して高く飛びあがり、大剣をそのままオベリスクの眉間に突き刺した。ギシャア!というおぞましい奇声が上がり、オベリスクはゲオハルトを振り払うために全身を強く振り回す。しかしその大剣は眉間に突き刺さったままで、再生することができていない。

「ゲオハルト!」

リーフが叫んだ時、ゲオハルトはレイン達がいる大木へと叩きつけられた。ズルッと落ちるその大きな身体をレインが受け止める。ゲオハルトは痛みに顔を歪めていたが、気丈にもそのまま立ち上がろうとしていた。その様子にリーフが血相を変えて走り寄るのが見える。

「……姫」

ゲオハルトにオベリスクさえもが気を取られている時、キールの低い声がフィアルを呼んだ。

「ご苦労様。大丈夫?」
「俺は……平気です」
「じゃあキールも行って」

フィアルは少しふらつくキールをゲオハルト達の元へ向かわせた。そして静かにオベリスクに向き直る。視線の先には眉間に突き刺さった大剣のためにもがき暴れているその姿が映った。

「ゲオハルト、もういい」
「キール……?」
「だから、あの眉間の剣を抜け」

キールはなおもオベリスクに向かおうとするゲオハルトをやんわりと止める。ゲオハルトは視線を動かして、雪の中に静かに立つ自分の主の姿を見つけた。

「もう……充分なのか?」
「ああ、もう魔導の吸収は充分だ。後は……姫の仕事だ」
「そうか……」

ゲオハルトはフッと息を付くと、左手を上げた。やがて橙い光がその手から発せられると、オベリスクの眉間に刺さった大剣が同じ光を放って反応し、すっと抜けて彼の手へと戻った。

すぐに眉間の傷が塞がり、緩やかな静寂が岬を包んだ。吹雪の音だけが耳に痛い。オベリスクはその二つの赤い瞳でただ一人を見つめていた。何も言わず、凛と立つその少女だけを見ていた。

「……可哀想に」

小さな呟きは吹雪にかき消され、ゲオハルト達には届かない。

「大丈夫……助けてあげるから」

フィアルの手が静かに天に向かって上げられる。そして彼女はそのルーンを風に乗せるように紡いだ。





【―――――深淵の闇より来たりし狂える刃よ 誓い、望み、捧げる血の契約を今ここに示せ】