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- - - 第4章 闇魔導8
[ 第4章 闇魔導7 | CloverTop | 第5章 竜騎士の恋1 ]

【―――――深淵の闇より来たりし狂える刃よ 誓い、望み、捧げる血の契約を今ここに示せ】

そのルーンが聞こえた時、キールが信じられないというように目を見開いた。
それは今、この場所で聞こえてはいけない言葉。

【―――――我は誓う この血と新たなる魂を以て】

姫君の高く掲げた手に集まるのは、いつもの彼女の魔導の波動ではなかった。美しい白金の波動が姫君のオーラのはずだった。しかし今、その手に集まるのはどす黒い歪んだ波動。
―――――光の姫である彼女が決して使うことはできないはずの。

【―――――我は願う この血と高貴なる魂を以て】

「嘘だろ……」

呆然としたようにゲオハルトが雪原に膝を付く。内乱の時何度も目にしたあの波動が、何故今自分の目の前にあるのか。リーフも同じ気持ちでルーンを唱えつづけるその少女を何も言えずに見つめるしかなかった。

【―――――我は望む この血と数奇なる魂を以て】

それは、ノイディエンスタークにおける最大の禁忌。
他の誰でもない、大神官にとってはもっとも忌まわしき、使ってはいけない禁断の魔導。

【―――――全てを消し去る力と偉大なる破邪の証を我に】

「姫……ッ!!何故……ッ!?」





【―――――ヴィラディウスクライヴ!!】





―――――闇魔導。

フィアルが最後のルーンを唱え終わった時、全員の視界がまばゆい光と深淵の闇に閉ざされ、強烈な衝撃波が全身を襲った。耳に響くオベリスクの最後の断末魔の悲鳴。そしておぞましい程の闇の気配。そのどれもが想像を遥かに越えた衝撃だった。


* * * * *


「―――――レイン」
「……フィール?」

目を開けると微笑むフィアルの顔が見えた。大丈夫?と小首を傾げる彼女を認めて、起きあがる。周囲にはまだ頭を振っているゲオハルト達の姿があった。

「気を失っていたのか……?」
「ほんの一瞬よ、5分くらいしかたってないわ」

衝撃波のことすっかり忘れてたから結界強化しなかったの、と肩を竦める彼女はいつものフィアルだ。

「オベリスクは……?」
「あの通り」

フィアルが指差す岬の突端だったはずの場所には大きな穴が開いており、岬自体も半分以上が吹き飛んでいた。それだけ彼女の放った魔導の威力が大きかったということだ。

「……すごいな」
「そうかな?そうでもないと思うけど、セーブしたし」
「……すごいで済まされることじゃねえよ、おひーさん」

気が付くと真横にゲオハルトが立っていた。いつもの豪快で穏やかな顔とは違って、真剣に怒った顔をしている。リーフも同様の顔をしており、キールは全く感情を表に出していなかった。

「何怒ってんのよ、ゲオ」
「怒らないと思うのか?」
「闇魔導を使ったことがそんなに腹立たしいわけ?」
「ああ、はっきり言って腹が立ってる。何でわざわざ闇魔導なんかを使った?と言うより、なんでそもそもおひーさんが闇魔導を使えるんだ?」

ゲオハルトの目は怒りで燃えている。それを一瞥すると、フィアルは逆に冷めきった瞳でゲオハルトを睨み返した。

「私が闇魔導を使えることがそんなにおかしい?私は賢者よ?賢者はどの魔導でも使えるから賢者なのよ」
「それは普通のノイディエンスタークの民の場合だろう。おひーさんは大神官、光の魔導を継ぐ人間だ。絶対に闇魔導なんて使えないはずだ」
「……迷信よ、そんなのは。実際私はちゃんと闇魔導を使える」
「闇魔導は禁断の魔導だ。内乱の時……神官達が使った魔導だ。それがどういう意味を持つのかわからないわけじゃないだろう!使えるのは百歩譲っても許せる。だが、実際に使うことはオレは許せない」

ゲオハルトの言葉はおそらく内乱で心に傷を負った人間全員の代弁なのだろうとレインは思う。しかしフィアルはそれを否定するように首を横に振った。

「……ゲオの言うことはきっとノイディエンスタークの大多数の民の意見なんでしょうね」
「そうだ」
「でも、私はそんなの認めない」

そう言うと、フィアルは大きく抉れた穴の中央へと歩き出した。雪が積もり始め滑りやすくなっている凍った土の上をしっかりした足取りで歩いていくその背中に迷いは何もない。仕方なくゲオハルト達は姫君の後に続いた。
しばらくして、その穴の中央に小さな銀色の塊があることに、レイン達は気付いた。フィアルはそのすぐ側まで歩くと、すっと腰を屈めて手を差し出した。

「……おいで」

ビクッ!とその塊が震える。さらに近づくとそれが何かの動物であることに気付く。小さく小さく震えるその姿は何故か痛々しかった。

「……おいで。もう、大丈夫だから」

もう1度優しい声でフィアルはそれを呼んだ。しばらくそのまま震えていた銀色の毛がゆっくりと頭を上げる。まだ子供の小さなウサギだ。真っ黒な丸い瞳でウサギはフィアルを見つめ、小さくミィと鳴いた。

「……ウサギ?」

ゲオハルトが当惑した顔をする。それを見てキールは全てを理解したように目を見開き、そして伏せた。

仔ウサギはミィ、ミィと鳴きながら少しずつフィアルに近づき、その腕に抱かれた。フィアルはまだ震えているその小さな命を優しく撫でながら立ち上がり、ゲオハルトに向き直った。

「これが答え」
「……答え?このウサギが?」
「これが、オベリスクの本体」

ゲオハルトの瞳が驚愕に見開かれた。仔ウサギはまだフィアルの腕の中でミィ、ミィと鳴きながら怯えたように震えている。

「オベリスクはね、心に闇を抱いた動物や植物を使って作られる。この子はきっと親とはぐれたか何かで不安と恐怖でいっぱいだったのを使われたんでしょう。その闇を魔の魔導を使って増殖することであんな化け物になってしまう。この子自体には何の罪もありはしないのに」
「……」
「私は百を救う為に、一つを犠牲にするなんてことは選ばない。この子を最初から助けるつもりだった。だから、闇魔導を使った。魔の魔導によって肥大した闇が根源なら、闇魔導を使うことでそれを戻すこともできる。実際この子はこうして生きてる」
「……でも……闇魔導は……」

ゲオハルトはまだ納得できないように首を振った。そんなゲオハルトにフィアルは目を伏せながら続けた。

「光の部分だけしかない人間なんて、この世に存在するのかしら」
「……?」
「悲しみ、憎しみ、怒り。そんな感情を全く持たない人間なんてこの世に存在しない。ゲオの心にも、リーフにも、イオにもレインにもキールにも、もちろん私にだって闇の部分は絶対に存在する。それは自然なことよ……闇魔導そのものが悪い力じゃない。それを使う人間によって全ては決まる」
「使う、人間によって……」
「闇が悪いわけじゃない。闇を恐れる人の心の中にこそ本当の闇があると、私は思うの」

フィアルは腕の中で鳴く仔ウサギをそっと抱いて、ゲオハルトに差し出した。怯えた不安な瞳のまま、仔ウサギはゲオハルトを見つめて小さく鳴く。ゲオハルトは戸惑った顔をしていたが、ゆっくりとその大きな手を出して、仔ウサギを受け取った。

―――――小さな命だ、取るに足りない程の。でも、とても暖かい。

ゲオハルトは、仔ウサギに向けていた視線を上げて、姫君を真っ直ぐに見返す。するとフィアルはいつものように笑ってこう言った。

「―――――だけど、このことはアゼルには内緒ね」
「は?」
「闇魔導なんて使ったことがバレたら、私がまた怒られるに決まってるでしょ」

直後、姫君の意図を感じ取ったゲオハルトがいつものように、豪快な大声で笑い出す。
彼の腕の中の仔ウサギが、その音量に驚いて、ピン、と耳を立てた。