Clover
- - - 第5章 竜騎士の恋6
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「いい加減に止まれっ!フィーナ!」
「ヘンタイの餌食になるくらいなら死んだ方がマシ!」
「だから!誰がヘンタイだ!」

今や聖玉宮は一応国家元首である二人の、単なるグラウンドと化していた。最初と全く速度が変わらないあたりは流石としか言いようがない。回廊という回廊を駆け抜けながら、会話もしているところがすでに常人の域を越えていた。

「何年ぶりの再会だと思ってるんだ、お前は!素直に喜べ!」
「再会なんてほんとはするつもりもなかったんだー!」
「何でだ!」
「ヘンタイはいやー!」
「昔っからヘンタイヘンタイって……俺のどこがヘンタイだ!」
「今こうやって追いまわしてる時点で既にヘンタイなのよ!」

回廊の突き当たりにあった手摺をひらりと越えて、そのまま中庭らしきところまで飛び降りる。美しい玉で出来た噴水は12年前のままだな、と少しだけフィアルは懐かしさを感じた。

「フィーナ!」

噴水を挟んだ向こう側に竜騎士王が立っている。12年前の彼はまだ少年だったが、今の彼はもう青年だ。ただその真っ直ぐな瞳だけは変わらない。

「……逃げるな」
「……イヤ」
「逃がさない」
「逃げるもの」
「逃げてもいい……俺は追いかけて、捕まえる」
「本気で捕まえられると思ってる?」

噴水を挟んで向かい合う。昔も同じようなことがあった。その次の日の早朝に、フィアルはフューゲルを去った。

「12年もたてば少しはまともになってるかもって思ってたのに」
「……だから、俺のどこがヘンタイなんだ」
「リンフェイ、自覚ないの?」
「あるわけないだろ!」

彼女がリンフェイ、と名前を呼んだことで、目の前の少女が間違いなくあの小さかった娘だと竜騎士王は実感した。じりじりと円形の噴水の周りを微妙に動いて距離を保ちながら、二人は話を続ける。

「12年前、私は何歳?」
「8歳だろ?」
「で、リンフェイは何歳?」
「17歳」
「二人の年齢差は?」
「9歳」
「……ロリコン」
「……だから!なんでそうなる!」
「8歳の私に初対面で結婚迫った男のどこをどう見たら、ヘンタイじゃないって言えるわけ!?」

しかもベッドに運ぼうとまでしたくせに!と怒鳴るフィアルに、リンフェイはウッとつまる。確かにそれらは全て過去に自分がしたことだという自覚はあった。

「……わ、若さゆえの暴走だ!今は大人になった、そんなことはしない!」
「何をもってそれを証明するのよ!」
「……目だ!」
「はあ?」
「俺の目は真実を語る!信用しろ!フィーナ!」
「……却下」

バカじゃないの?と言わんばかりの冷めた目でフィアルはリンフェイを見た。


* * * * *


「一目惚れ!?」
「ええ、もう12年前のことになります」

走り去る二人を見送った後、ゲオハルト達はリーレンに促されて部屋に戻った。侍女が入れたお茶を飲み一息ついたところで、リーレンは重い口を開いた。

「12年前、フューゲルはまだ混乱の中にありました。ノイディエンスタークの内乱と同時期に、連合していたはずの王達の間でつまらない諍いが起こりましてね、最初は小さかったその火種が気がつけば大きな炎になっていたのです。あの頃は言ってみればこのフューゲルも内乱状態だったと言っても過言ではありません」
「内乱……」
「先代が亡くなって、後を継いだばかりのリンフェイ様を守る兵士も人材不足で、仕方なく私達は他国から何人かの腕の立つ人物を雇いました。その中にいた一人の騎士の子として、あの娘はこの城にやってきたのです」

あの娘、というのがフィアルのことだということはすぐにわかった。

「当時は茶色の髪に、深い蒼の瞳の娘でした。子供だというのに全く笑わず、感情というものをまるでもっていないかのような、そんな娘でしたよ」
「……笑わない!?あのおひ……いや、フィールが!?」
「ええ、笑った顔など一度も見たことはありませんでした」

リーレンの言葉にリーフとゲオハルトは顔を見合わせた。今のフィアルからは全く想像のできないことだ。

「王……リンフェイ様は、当時は命を狙われていたこともあって身辺の警備は特に厳重でした。フィーナの父親がしばらくして近衛兵として認められ、顔合わせをしたその時に二人は初めて会ったのです」

(本当に……あの時は腰が抜けるほど驚いたな)

しみじみとリーレンは思い出して額を押さえる。あの時の衝撃と頭痛が蘇ってくるような気がした。

「リンフェイ様はフィーナを見て、しばらく呆然とした後、真っ赤な顔で言ったんですよ」
「……なんと?」
「『お前、俺の妃になれ!』……とね」

今まで女には見向きもせず、竜にしか興味のなかった、やんちゃな若き王の初めての恋は、突然にやって来た。
ただ、その相手がまだほんの子供だったことが問題だったのだ。

「フィーナの父親も、フィーナ本人も最初は唖然としていましたよ」
「……そうでしょうね……普通その場面でその台詞は出てこないでしょうからね」
「もちろん私達も声も発せられないほど、驚きました。しばらくの沈黙の後、一番最初に正気に戻ったのは言われたフィーナ本人でした」

フィーナは胡散臭いものを見るような、冷たい瞳で、仮にも一国の王を一瞥して言い放ったのだ。





(「……あんた、馬鹿じゃないの?」)





「それからはもう毎日毎日リンフェイ様はフィーナを追いかけてましたよ。フィーナの方は一日中嫌がって逃げてました」
「……げー……オレ、ちょっと姫、いやフィールに同情するかも」

リーフは顔を歪めてその光景を想像した。出会ったばかりのかなり年上の男に惚れられて追い回されるなんて、フィアルでなくとも逃げ出すのではないだろうか。

「……あの方は見ての通り、一本気な性格でしてね。当時は本当に周りが見えてなかったのだと思います。それこそもう一日中フィーナ、フィーナ、フィーナで。今日はフィーナがこんなことをしてただの、今日はフィーナはこんなものを食べてただの、聞いてるこっちの方がノイローゼになりそうでしたからね」
「……何というか……宰相殿も気苦労が……多いのですね」
「本当に」

はぁ、とため息をつくリーレンの顔は本当に疲れていて、誰もが同情を感じずにはいられなかった。

「本人はもう夢中で、好きで愛しくて仕方がなかったんでしょう。あの方もあの時は一番多感な時期でしたから。ただちょっとそれがある時、行き過ぎてしまいましてね」
「……行き過ぎた?」
「無理矢理フィーナを捕まえて寝室に連れて行ってしまったんです」
「!?」
「それはまぁ、未遂で終わったと言うか、フィーナがその……急所に蹴りを食らわせて逃げたらしいのですが、そのことを知ったフィーナの父親が烈火の如く怒ってしまいまして。翌日の朝、誰にも知られぬうちにフィーナを連れて姿を消してしまったのです。その時からずっとあの二人は逢ったことがなかったんです」

(姫がヘンタイよばわりするわけだな……)

キールはその経緯を聞いて、フューゲルに入ってからの姫君の行動に奇妙に納得してしまった。

「フィーナがいなくなってから、リンフェイ様の落ち込みはそれはひどいものでした。毎日エウロンと空を飛び回って、鬣半島にいる飛竜王の下へ行ってみたり、荒れに荒れていましたから。時々絵師を呼んでは、成長したフィーナを想像して絵姿を書かせていたりしていました。その絵が……今回は、フィーナにとっては運悪く当たってしまったようですね」

リーレンは苦笑してテーブルの上のお茶を手に取り、一口飲んだ。そして少しだけ声を低くして、静かに話し出す。

「……勘違いはしないでほしいのです。リンフェイ様は、本当に純粋にフィーナをずっと想っていた……12年間一人の側室も、正妃も迎えていないのは、ただただフィーナを愛しく想っていたからです。もちろん一方的な気持ちで、フィーナにしてみれば迷惑以外の何者でもないのでしょうけれど……私は12年間、ずっとそんなリンフェイ様の想いを見続けてきましたから……できることならあの方の想いを叶えたいと思ってしまうのです」
「無理ですね」
「キール!?」

リーレンの言葉を強い言葉で打ち消したキールに、ゲオハルトは慌てたように声を上げた。キールは少しだけ怒りの篭った瞳でリーレンを静かに見つめる。

「それを判断するのは、フィールです。我々ではない」
「……わかっています」
「いいえ、わかっていません。あなたはフィールをこの宮殿から出さない気でいる。主のために」
「……」
「それがどういう意味を持つか、わかっていますか。フィールはステラハイムの娘だと俺達は言ったはずです。仮にも候家の娘にそれをすれば、どうなるのか。懸命な貴方にわからないはずもない」
「……」
「貴方の行動を、貴方の主である竜騎士王は許さないでしょう。彼が本当に貴方の言う通りの気質の持ち主であるのなら」

キールの挑発するような言葉に、リーレンは眼光を鋭くした。それを受け止めて、キールは怒りを込めて言い放った。

「……彼女は誰にも……渡さない」

―――――あの姫は、ノイディエンスタークの花だから。