Clover
- - - 第5章 竜騎士の恋8
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「おひ、いやフィール!ど、どうした」
「何よ」

不機嫌、と書いてある顔で戻ってきたフィアルの傍らに竜騎士王の姿はなかった。

「フィーナ、リンフェイ様はどうした?」
「あんなヘンタイのことを何で私がいちいち話さなくちゃいけないわけ?」
「……なんか、されたか?」
「……ヘンタイぶりに輪がかかってるわよね……リーレンの教育がなってないんじゃないの?」
「……されたのか」

がっくりと肩を落とすリーレンをキッと睨んで、フィアルは窓際に座っていたレインの横にどかっと座る。

「ヘンタイでロリコンだけならともかく、痴漢だったとは知らなかったわ」
「……お前、何されたんだ」
「胸、揉まれた」

レインが眉を顰めるのと同時に、隣でお茶を飲もうとしていたイオがブッ!とそれを吹き出した。

「あのヘンタイなら噴水のところで倒れてると思うから、引き取りに行ったらどう?リーレン」
「倒れてる?」
「人の胸、許可なく揉んどいて無傷でいられると思ってんの?往復ビンタと鳩尾、腹、後頭部に一発ずつで済んだことに深く感謝してほしいわ」

本当は魔導でもぶちかましてやろうかと思ったけど、さすがにそれは理性が咎めたからやめてみた、とフィアルは言って、今までレインが飲んでいたらしいテーブルの上のお茶を一気に飲み干した。リーレンは青い顔をして、ちょっと失礼、と部屋を後にする。いくらなんでも王を倒れたままにしておくわけにはいかないと思ったのだろう。
それを見届けると、フィアルは小さく何かを唱える。キールにはそれがこの部屋を包み込む結界のためのルーンだとわかった。

「聞いたんでしょ?リーレンから」
「大方はな……しかしおひーさん、ほんとに殴り飛ばしたのか」
「当たり前でしょ、タダで触らせてやるほど私の胸は安くないわよ」
「いや、そういう問題でもないと思うんだが……オレ的には」
「しかし本当にそんな不埒なマネをしたんですか?そんな風には見えませんでしたが……」
「イオ、アンタは甘い。だから私は最初から言ったじゃない!ここはヘンタイがいるからイヤだって!」

本当にヘンタイがいるとは思わなかったんです、と誰もが思ったが言葉にできない。フィアルは自分で急須のお茶を注ぎ足すと、そのまま一気に喉に流し込んだ。

「やっぱり野獣だった、何も変わってない。ここにいると本当に身の危険だから、とっとと片付けて次に行くわよ」
「いやいくらなんでも懲りたんじゃねえの?」
「……どうしてイオといいリーフといい、お気楽でいい人ばっかりなのかなぁ」

フィアルは呆れたようにため息をついて、ソファーにドカッと沈み込んだ。その反動で隣のレインにもたれかかるような格好になる。

「いい!?アイツはほんっと〜にヘンタイなの!大袈裟に言ってるんじゃないのよ、野獣なの!」
「野獣……って」
「いいわ、今夜、誰か一緒に寝てもらうから!そしたら私の言ってたことが嘘じゃないってわかる!」
「一緒にってそりゃちょっとマズいぜ?オレ達がアゼルに殺される」
「アゼル如きを何怖がってんのよ、ゲオ!あんなのはね、言わなきゃバレないの!」
「……まぁ、そうだよな」
「不謹慎なこと言うな!リーフ!キールも頷くな!」

(どうしてこう騎士道精神の欠片もない奴等ばっかりなんだ……)

ゲオハルトは頭を抱えてしまう。仮にもここにいるのは13諸侯の一員ではなかったか?そうでないレインやイオの方がよっぽど騎士然として見えるとはどういうことなのか。

「……姫」
「……何?キール」
「姫は以前ここにいらしたのですね?」
「そうよ。内乱が起こってからひとつところに落ち着いたことなかったから、たまたまだったんだけど」
「一緒にいたのは、誰なんです?」

リーレンは言った。彼女は父親と一緒だったと。
しかしフィアルの父親である前大神官ジークフリートは、内乱が起こったその日に神殿と共にこの世を去ったはずだ。
だからこそリーレンの言葉はキールの心にひっかかった。

(―――――俺達は、考えてみたら何も知らない)

フィアルは本当に突然にノイディエンスタークに戻ってきた。それまでの空白の10年間のことを知るものは、今のノイディエンスタークには存在しない。
内乱の前までフィアルはほとんど奥神殿から出ることのない深窓の尊い姫君だったと聞いていた。しかし戻ってきた時、彼女は誰よりも強くなっていた。今の彼女を形作った空白の時間、無理に聞き出したいわけではなかったけれど、キールはもしも話してくれるのなら、それを知りたいと思った。

―――――しかし、フィアルはそんなキールの物思いなど何も知らないと言うように、あっさりと言ってのけた。

「父親よ」
「……おいおい、おひーさん。ジークフリート様であるわけがないだろう。ジークフリート様は……」
「誰が父様だって言ったのよ、ヤツは10年間ずっと私を育てた男。いくらなんでも6歳の子供が一人で逃げて生きていけるわけないじゃないの」

バカでしょ、あんた、とフィアルはゲオハルトを胡散臭そうな目で見た。

「内乱の時、私はそいつに連れられて、あの神殿から逃げたってわけ」
「……じゃあそれは、ノイディエンスタークの人間なんですね?」
「そうよ、真紅の髪に真紅の瞳の男よ」
「はぁ!?それって、アゼル様と同じじゃねえか!」

リーフの大声にフィアルは肩を竦める。

「そうよ、だってアイツは、メテオヴィース家の人間だったもの」

何を驚いてんの?と首を傾げるフィアルの言葉と同時に、マジかよ、とゲオハルトがソファーに体を埋めた。


* * * * *


「―――――いろいろとあったんだな、お前」
「へ?」

リンフェイが必ず来ると言い張り続けて、フィアルが確保したボディガードは結局レインにだった。キールは休ませなければと思っていたし、リーフに手加減の二文字は存在しない上、ゲオハルトはいまいちそれを信じていない節がある。姫君と同じ部屋など!と強固に反対し続けたイオを説き伏せるのには苦労したが、残った人選がレインだけだったのだから仕方ない。

「内乱のことを言ってるの?」
「……ああ、他にも」

二人は、寝るための簡易な服装に着替えている。いつもは結い上げてあるフィアルの髪は、今は二つに分けてゆるく編まれていた。はたから見たらなんとも艶っぽい光景なのだが、この二人にはあまりそういう雰囲気がそぐわなかった。

「まぁ普通の姫君よりはいろいろな場数を踏んでるとは思うけど」
「……それをあいつらに話してはやらないんだな」
「別に綺麗なことばっかりだったら話してるけど、どっちかっていうと汚いことばっかりしてたから。話すようなことでもないんだ。……人には、一つや二つ、人に話したくないことってあるものよ」

それでみんな、特にアゼルが不安がってるのもわかってるけどね、とフィアルは苦笑した。その気持ちはレインには痛いほどわかる。レイン自身も、イオに話したくないことはあった。

グラスに淡い琥珀色の液体が注がれる。先ほどから結構口にしているのに、二人はあまり顔色が変わらなかった。
二つの月は、フューゲルの山々の陰をくっきりと映し出し、ひどく幻想的な光景を見せている。フィアルはそれを見て、レインを窓際に手招いた。ドアに一番近い椅子に腰掛けていたレインは腰を上げて窓に近づく。

「フューゲルでは、月食は幸運を呼ぶって言われているんだって」
「月食が?」
「ラドリアでは違うわよね?凶兆でしょ?」
「ああ、ラドリアは太陽を尊ぶからな……それを妨げる日食も月食も凶兆とされている」

月の光の中でも、レインの姿は今にも闇に溶けそうに見えた。ラドリアでは嫌われるその色も、ノイディエンスタークでは違うように、人の信じるものなど本来はもしかしたら何の根拠もないものだ、とフィアルはふと思う。

「……レインは、落ち着く」
「……何がだ?」
「レインだって、そうでしょう?」
「……」
「私と貴方、同じ匂いを感じる」

月を見ていた視線を、レインはゆっくりとフィアルへと動かした。フィアルは既に月を見てはおらず、不思議な微笑を浮かべてレインを見つめている。

―――――視線が、絡み合った。

「……ほらね」
「……まさか本当に来るとは思わなかった」

優秀すぎる剣士の二人が、窓の下に感じた気配は、紛れもなく予想通りのもので。
確信犯の笑みを浮かべるフィアルを庇うようにレインは立ち、傍らに置いてあった雷神を、ぎゅっと握り締めた。