Clover
- - - 第5章 竜騎士の恋9
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(リーレンのヤツ……よりにもよってこの部屋にするとは……)

リーレンがフィアルにと用意した部屋は、周りに全く手をかける場所のない、外からは一番進入しにくくなっている部屋だった。
自室のベットで目が覚めた直後、枕元で仁王立ちしていたリーレンにこっぴどく怒られたが、そんなことでめげるリンフェイではなかった。

(しつこいと言われようと、12年越しの片思いだ。絶対諦めねえ)

部屋へ行くのを手助けしてもらおうと、エウロンに頼んだが、そんなことの手助けができるかと思いっきり振られた。自分の騎竜にまでああ言われるくらいだ、これは確かに常軌を逸した行動なのだろう。
部屋から一番近い大きな木にリンフェイは登っていた。この木も手をかける枝は少なく、登りにくいのだが、そこは持ち前の体力で何とかカバーする。部屋と同じ高さまで来ると、用意してきた鍵爪付きのロープをしゅっとバルコニーに向かって投げる。
カランと小さな音がして、ロープはがっしりと固定された。

(楽勝〜♪)

リンフェイはもう一方のロープの端を、今まで自分がしがみついていた木の幹に器用にくくりつけると、ロープをつたってバルコニーに降り立った。一仕事終えたかのように、満面の笑みで額の汗を拭う。月が今日も綺麗だなぁなどとのん気にも考えた。
そしてまた腰につけた小さな布袋の中から、ガラス用のナイフを取り出し、鍵の部分だけを切り取る。そこから手を入れると窓の鍵はいとも簡単に開いた。まさに完全装備、準備万端の夜這いだ。

(フィーナ……ああ、本懐だ!)

部屋に入るとリンフェイはそこに並べられた二つのベットを見た。しかしおかしなことにベットは二つとも平らなままで、誰かが使った気配がまるでない。

(……おかしいな)

とリンフェイがそちらへ一歩足を踏み出した時、その首筋に冷たい感触が当たった。それが何であるのかわからないほど、リンフェイは経験不足な竜騎士ではなかった。





「―――――動くな」





背後からかけられた声は紛れもなく低い男のもので、フィアルの声ではない。首筋に当てられている紛れもない刃の感触に、リンフェイは動きを止めた。

「誰だ」
「……」
「フィーナはどうした。俺が竜騎士王と知ってのことか」
「あたりまえでしょう」

答えない背後の男の代わりに、前方から響く声にリンフェイは視線をバッ!と動かした。
月明かりの中、扉に近いソファーに悠然と腰掛けているのは、紛れもない彼の想い人その人だった。

「……夜這いっていうのよね、こういうの」

あきれ返った声で、フィアルは目の前の侵入者を見やった。二つに分けられた蜂蜜色の髪を指でくるくると巻きながら、ひとつため息をつく。

「本当に学習能力ないよね、リンフェイ。まぁ昔もいきなり拉致られてベットに押し倒されたけど。力技しか能がないわけ?」
「……なんでわかったんだ……くそぅ」
「くそぅじゃないでしょ、何考えてんのよ、ヘンタイめ」
「俺はヘンタイじゃねえ!」
「……その言葉は今となってはひどく説得力がないと思うが」

背後でリンフェイの首に雷神を押し付けたまま、レインは呟く。その一言がリンフェイを逆撫でした。

「大体なんだこいつは、どうしてお前の寝室にいる!」
「リンフェイが絶対来るとわかっていたからこそのボディガードだもん」
「女の部屋に、不用意に男を入れるな!」
「……そういうアンタはなんなのよ……」

ねえ?とフィアルはレインに同意を求める。レインはそのままの体制で小さく頷いた。

「仕方ないだろう、お前が好きなんだから」
「好きなら何をしてもいいって言うの?」
「いいだろ!?」
「……。……雷神」





バリバリバリ!





フィアルがそう言った途端、雷神から紫色の小さな雷撃が放たれて、リンフェイが悶絶して床に崩れ落ちた。レインは手の中の雷神を見て固まっている。

「……テメッ!何しやがる!」
「いや俺は何も……」
「だったら今のは何だ!」
「いや……剣が勝手に……」
「うるさいな、もう一回雷撃くらいたいの!?」

ピタ、と不毛な言い争いをしていた二人の動きが止まった。フィアルが軽く指を振る度に、雷神からバチバチと雷光が出ているのを認めたからである。

「フィーナ……電撃はやめてくれ……」
「イヤならもう少し常識的な行動をしてよ、リンフェイ。仮にも……ほんとーに信じられないけど仮にも王様なんだから」
「……悪かったな、仮で」

床に座りこんだまま、リンフェイは少し憮然とした表情になって、プイ、と横を向いた。その仕草は子供のようで、フィアルは苦笑するしかない。やりたい放題だというのに憎めないのは、彼のこんな資質にも因った。

「ねえ、リンフェイ」
「なんだ」

そのままの体制なのに律儀に返事をする。そんなリンフェイを小さく笑って見やると、フィアルは自分の横にレインを手招いた。

「私達、明日オベリスクを討伐したら、すぐに発つわ」
「……」
「知ってるから、今夜来たの?」
「……ああ」
「……ほらね、レイン。だから私は絶対に来るって言ったのよ」

真横のレインを見上げて、困ったようにフィアルが笑う。フィアルが決してリンフェイを嫌っているわけではないのだと、その表情からレインは悟った。むしろ彼女の中で、この竜騎士王は好き、の部類に入る人間なのだろう。

(素直じゃないな……)

この姫君が、好きなものを好きとは言わない天邪鬼的な性格の持ち主であることは、短い付き合いの中でもわかっていた。アゼルに対する態度も同じようなものなのだろう。

「……フィーナ」
「何?」

視線を元に戻すと、リンフェイが立ち上がって二人を見ていた。その茶色の瞳が、先程までと違って真剣な色をおびている。

「……お前は、誰なんだ?」
「……」
「俺にはお前がステラハイム侯家の娘だとは思えない。お前はあの侯爵達の中で一番上に立つ者だろう?つまり……」
「だったら、どうするの?」

凛とした瞳がリンフェイを見据えた。二人の空気が一瞬で変わる。ここにいるのは二人の王だとレインは感じた。

「リンフェイの考える通り、私が巫女姫だったなら、どうするの?」
「……」
「国を追われた巫女姫が、素性を隠して12年前にこの宮へ来たのだとしたら、リンフェイと私の何かが変わるの?」
「……何も」
「本当にそう言い切れる……?私達はお互いに一つの国を背負っているのよ?」
「……変わりやしない。俺達は、王である前に人間だから……だから、変わりやしないさ」

リンフェイは目を伏せて、自嘲的に笑った。

「どちらかと言うと、安心してる」
「……え?」
「もう、俺はお前を当てもなく探さなくてもいいから」
「……」
「お前は信じてなかったけど……俺は本当にずっと探していたんだ、10年以上も。お前だけ、探してた」

逢いたかったら、逢いに行ける……居場所さえわかっているなら。
元気でいるのか、困っていないか、眠る前にいつも考えて苦しかった夜はもう来ない。

リンフェイの言葉を黙って聞いていたフィアルは、ツン、とレインの服を引っ張った。見れば、彼女の髪と瞳が、本来の色に戻っている。そしてフィアルは、照れたような、困ったような、言葉では言い表せない程複雑な顔をしていた。

「リンフェイ……」
「……ん?」
「逢いたかったら、逢いに来てもいいよ」
「ほんとか!?」
「ただ……ねえ……」

フィアルは自分を見下ろしたままの、レインの顔を首を傾げて見つめる。そして根本的でとてもシンプルな疑問を口にした。

「レイン、リンフェイは大地の結界を越えられると思う?」
「……」
「ノイディエンスタークの大地って、この世で一番私のことを愛しちゃってるから……無理な気がするんだけど」
「……不埒な心をなんとかすればいけるかもな」
「それ、無理だぞ!惚れた女に何もしないなんてこと俺にはできねえ!」
「……じゃあ、来んな」

―――――禁欲。

リンフェイがノイディエンスタークの土を踏めるのはいつになるだろう。レインはガックリと肩を落としてまた座りこんだ竜騎士王の姿を見ながら、軽くため息をついた。

―――――その情熱はもう、5年前に彼が失ったもの。

レインは、何故か少しだけ、自分の感情に素直なこの目の前の青年を羨ましくも思った。