Clover
- - - 第6章 竜の鬣3
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洞窟内は一面の青の世界だった。フィアルの作った光珠で照らされていなければ、一面の闇であったことは容易に想像ができる。時々水滴の落ちる音の他には、何も聞こえない。
途中で何度も分岐点があったにも関わらず、先頭を行くフィアルとキールは迷いもせずに進んでいく。何度目かの分岐点を過ぎた所で、リンフェイがたまらずにゲオハルトに話しかけた。

「なあ、なんでこっちに来てるんだ?」
「……あ?ああ、なんで迷わないかってことか?」

こっくりと頷く竜騎士王は、自分より年上のはずなのに何故かとても幼く見えた。

「おひーさんとキールは、選ぶとかそういう次元で進んでるんじゃねえんだ。魔の魔導の気配が強い方へ進んでるだけさ。いたって単純明快な論理だろ?」
「なるほど……そういうことか」

リンフェイは納得したように頷いた。一国の王相手だと言うのに、ゲオハルトの口調はすっかり普段のそれに戻ってしまっている。それは気さくなこの竜騎士王が、敬語はやめて欲しいと言ったからだった。

「リーフ殿、大丈夫ですか?」
「……ヘーキ」

少し遅れてついてくるリーフはあまりに強すぎる魔導の気に、かなり参っているようで顔色が悪かった。イオの問いかけにそう返したものの決して平気には見えない。心配そうに何度も振り返るイオに、ゲオハルトは苦笑した。

「いいからほっとけって……」
「でもゲオハルト殿……」
「あれはな、体質とかそういうんじゃねえんだ。精神的なもんなんだよ、まぁ内乱の時にいろいろあったんでな。実際にオベリスクを目の前にしたら、あいつピンピンして戦うんだぜ?その点は腐っても13諸侯の一人、平気だって」
「そう……なんですか?」
「今までだってそうだっただろ?実際の戦闘の時、あいつヘバってたか?ピンピンしてただろが」
「……そう、ですね……」

イオはなんとなく腑に落ちないものを感じながらも、とりあえず納得した。そう頷いたところで、先頭を行く二人がピタリと足を止める。自然と後ろにいた全員の足も止まった。

「……かけといた方が、いいかもしれない」
「……そうですね……間違いないです」

フィアルとキールの会話の意味がわからず、ゲオハルトはイオと顔を見合わせる。レインだけはその異臭に気づいて、眉を顰めた。

「結界を張るわ、全員の身体に」

フィアルはそう言いながら、もう既に結界を張るためのルーンを唱えていた。

「おいおい、どうしたんだ?」
「……気づかないのか?筋肉バカ」
「キール、お前ね……ほんとにケンカ売ってるだろ?」
「この異臭に気付かないから、脳みそが筋肉だと言ったんだ」

異臭、と言われてゲオハルト達はあたりを見回す。かすかだが確かにすえたような刺激のある臭いが充満していた。その間にフィアルによって全員の身体が、淡い白金の光に包まれる。しかし一瞬でその輝きは消えた。

「……硫酸か」
「その通り」

レインの呟きにも似た言葉に、フィアルはニッコリと微笑んだが、キールを除く他の全員は身体を固くした。

「……硫酸!?」
「ああ、この先に硫酸の吹き溜まりみたいなものがあるんだろう。そのまま進んだら溶けてオダブツだから、姫が結界を張ったんだ」
「そんなものの奥にオベリスクがいるんですか?」
「どんな所にも、オベリスクなんて作ろうと思えば作れる。魔の魔導力さえ強ければ」

そう言った後、キールは不機嫌そうに顔を背けた。確かに今の言い方では、自分でも作ろうと思えば作れると言ったも同じことだ。リーレンの眉が顰められるのを、見逃すほどキールは鈍くはなかった。
そう、作れるのだ……おそらくは拍子抜けするほど簡単に。この中で少なくとも自分とフィアルには作ることが出来る。ただ自分達とシオンの違いは、実際に作るかどうかだけだ。

「……危険な力ですね、貴方達ノイディエンスタークの魔導力というものは」
「……違うな」

リーレンの呟きにも似た言葉に答えたのは、レインだった。突然の主の言葉に、イオが目を丸くする。

「力が危険なわけじゃない……危険なのは使う人間だ。作れるか作れないか、そんなことは問題じゃない。作るのか作らないのか、それだけだ」
「それは力を持つ人間の驕りです。力を持たない人間は作れるというだけでそれに怯えるものだ」
「……ならばフューゲルは力を持たないとでも?フューゲルの飛竜は、竜を知らない国の民にとっては脅威ではないのか?」
「我々は飛竜を侵略に使ったりはしない」
「誰がそれを信じる?それとオベリスクを作れることは同じことだ」

レインの正論にリーレンは返す言葉がなかった。どこにでも力はあり、それは使うものによって左右される。
そんなレインをイオは信じられない様子で見つめていた。力、特に権力と呼ばれる力を嫌ってさえいたレインが、こんな風にリーレンに反論するとは思わなかったのだ。

(レイン様は、変わられている……少しずつ)

それはとてもよいことに違いないのだけれど、いつかレインは壁にぶつかるだろう、とイオは確信していた。以前はそれから目を背け、対峙することさえ拒否したレインが、再びそれにぶつかったなら。一体彼はどんな結論を出すのだろう。
イオはふと視線を動かして、キールの背後にいる姫君を見やった。そんなイオの視線に気付いて、フィアルは口の端を上げて小さく笑う。それは何もかもをわかっているようなそんな微笑で、イオは何故だか心が軽くなっている自分を感じていた。


* * * * *


硫酸の泉を越えてしばらく進んだ先から、光苔でぼんやりと薄明るい道を進むと、大きな空洞が姿を現す。その中心に鎮座する漆黒の巨体に赤い瞳の竜は、何故だか静かに彼等を見つめていた。
今までのオベリスクが、本能のままに襲ってきていたことを考えれば、この反応は不思議だった。

「……キール、見て」

フィアルの指差す先にはオベリスクの顔があり、その額に輝く赤の輝きをキールは見つけた。

(魔水晶……)

シュバルツ、ルシリアのオベリスクにはなかったそれは、間違いなく兄、シオンの残したものだとわかる。そしてそれがある限り、どれほど魔導力を吸収、解放しても、無駄だということも。

「わざわざ魔水晶の欠片を使うとはね……シオンは私達に何か話があるみたいね」
「……え?」
「見てればわかる……ほら」

フィアルがそう言った直後、オベリスクの額から赤い光が溢れて、洞窟内を怪しく照らした。そして、光はやがて小さな球体の形を取り、空中にふわりと浮かんだ。

『……久しいな、キール』

球体から聞こえる声は、低くビブラートのかかった男性の声だった。

「兄上……」

静かに答えるキールの横顔は、球体の光に照らされて赤い。緊張からか少し強張って見えた。

『巫女姫様もおいでですか、このようなところまで……勇気がおありになる』
「どうも、と答えたいけど誉められた気がしないわ」
『我が愚弟を侯爵として重用してくださっているだけでも、感謝してあまりありますよ、巫女姫様』

ククク……というくぐもった笑いが球体から響いた。ゲオハルトは、内乱の折何度も顔を合わせ、脳裏に焼きついたシオンの顔を瞬時に思い出した。癖のある、キールと同じ栗色の髪、深い紫の瞳。全ての言動に何かを含んだような、真意の読めない彼はゲオハルトやアゼルと同じ歳だった。

「兄上」
『……何だ?』
「何が望みなのです、貴方は権力にはまるで興味がないはずだ」
『偉そうに言うようになったな、キール。親を殺し、兄を追放して侯爵になった気分はどうだ?』
「何とでも……俺は間違った道を選んだ覚えはない」

シオンの挑発にもキールは動じなかった。真っ直ぐに球体を見つめ、感情を殺して事実だけを探り取る。それが今の自分の仕事だと、キールは信じていた。
会話にのってこない弟に、シオンは興味を失ったらしい。球体が小さく、リン、と鳴った。

『今回のオベリスクはお気にめしましたか?巫女姫様』
「趣味が悪いわね、余興のつもりなら最悪よ」
『これは手厳しい……貴女が竜の姫君と呼ばれる方だからこそ、わざわざ飛竜を使ったのですよ?ラドリア方面にはイシュタル達が行っているようですね』
「元婚約者のことが気になるわけ?」
『まさか。ほとんど顔も合わせたことのない娘に執着はありませんね』

シオンは球体の向こうで笑ったようだった。イシュタルとシオンは昔に親同士が決めた婚約者同士であったが、顔を合わせることも無く内乱が起こり敵対する立場になった。そのため、その話は立ち消えになっている。

(「あんな奴が一時でも婚約者だったなんて、人生最大の汚点よ」)

とイシュタルが、シオンのことを語る時はいつも苦々しい顔をしていたことを、フィアルは不意に思い出した。
リリン、と突然球体が音を発して、そのままフィアルの目前に近づき、止まる。

『僕はどちらかと言えば、貴女に興味があるのですよ』
「……私は無いけど?」
『光の巫女姫である貴女が、闇魔導を使えるとは思いませんでした。嬉しい驚きでしたよ?』
「それはどうも」
『貴女の魔導力は底が無いようですね、姫様。実に興味深い』
「―――――悪いけど」

恍惚と話し続けそうなシオンの言葉を遮って、フィアルはその球体へ手を伸ばす。キールが止めようと声を出しかけたが、直後に彼女の手はそれをしっかりと握っていた。

『……なっ!?』
「私はね、アンタのくだらない口上を聞きにここにいるんじゃないのよ」
『何故だ!?これを直接掴むなんてことが出来るはずが……!?』
「自分の力に酔うのは勝手だけど、私のいないところにして。ついでに言うなら、キールにもイシュタルにも余計なこと言わないで欲しいわね」

ググッと、フィアルはその手に力を込めた。球体が不自然な形に歪んでいく。

「―――――はっきり言うけど」

フィアルはその手の中の球体を、これ以上は無いくらいに冷たい目で睨み付けた。ぐにゃりと不自然に歪みだした球体は、生き物のようにその圧迫から逃れようとしている。

「ケンカを売るなら、相手を選ぶのね」





パァン!





シオンが魔水晶を使って作り出したその球体は、大きな音を立てて、無残にもフィアルの手に握りつぶされた。シオンのくぐもった悲鳴が聞こえたが、フィアルは関心が無いかのように、パンパンと手をはたいている。
球体が弾けるのと同時に、オベリスクの額に付いていた魔水晶の欠片も弾けとんだ。制御を失ったのか、グルグルと低い唸り声が洞窟内に響き渡り、全員が身体を硬くした。

「―――――今回は、手出ししないで」

フィアルがオベリスクと正面で向き合う。その後姿が手出しを許さない、と言うように拒絶の意を表していた。





(―――――もしかして)
(いや、もしかしなくても)
(今回のオベリスクに、竜を使ったってだけで……おひーさん……最初からものすげえ怒ってたんじゃないか!?)





ゲオハルトの想像は、ある意味では完全に当たっていただろう。
全員が言葉を失って見守る中、天にすっと伸ばされたフィアルの手の中に、ゴウッと炎が集まり、一つの剣の形になった。

「……レスフォール……」

リーフが呟いたその名は、彼女の持つ剣の名だった。
ノイディエンスタークにある五振りの伝説の剣の内の一つ、聖剣レスフォール。
それを慣れたように構えると、フィアルの身体は淡い白金の光に包まれ始めた。それが、大神官一族だけが使える光の魔導の発動を意味することを、キールは知っていた。





【―――――遠き陽光 真白き光と生まれし聖なる螺旋 光の御手を以ちて 今ここにその証を為す】





フィアルの静かな声は、洞窟内にひどく響いた。その静かさが恐ろしくなるほどに。