Clover
- - - 第6章 竜の鬣4
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(「大きすぎる力は」)
(「―――――要らないものなの」)

―――――滑稽だ。
どうして、あんなことを言ってしまったんだろう。
大きすぎる力を……不必要なその力を、誰よりも持っているのは、他ならぬ自分だというのに。

―――――でも、要らない。
―――――本当は……こんな力は、要らない。
―――――こんな印は……要らない。


* * * * *


聖剣レスフォールに集まった光は、姫君の一振りで真っ直ぐにオベリスクを貫いた。貫かれた場所から次々と光が溢れ出し、オベリスクの形が崩れていく。まるで分解するかのように、確実にその身体は粒子状になって大気へと溶けていった。

―――――言葉も無かった。

こんなにもあっけなく終わるとは、誰も予想もしていなかっただけに、その場には沈黙だけが残った。
そんな静寂の中、フィアルの手の中で、レスフォールは役目を終えたかのように一瞬燃えさかる炎へと形を変え、そして消えた。

「―――――言っておくけど」

呆けたような面々にフィアルは向き直り、言葉を投げる。

「今回は特別だから。いつでもこんな簡単に行くなんて思わないでね」
「……え?」
「今回は核が飛竜だったから、多少の魔導力に耐性があったってこと。今までみたいな小動物や人間相手に、今みたいな光魔導をぶつけたら、速攻であの世行きよ。何の為にわざわざ今まで、あんなまどろっこしい手段を使ってたと思ってるの?」

アンタ達、私が何も考えてないと思ってるでしょう?と、フィアルは眉根を寄せた。

「確かに……そりゃちょっとばかり腹が立ってたもんだから、荒療治になったけど……」
「ちょっとばかりじゃねえだろ、おひーさん。すっげえ怒ってたんだろ?」
「……えっと……」
「怖ええなぁ……オレ、おひーさんだけは怒らせたくないぞ」

ぶるる、とゲオハルトは大げさに身震いをして見せた。うっさい黙れ、とフィアルはゲオハルトに後ろから飛び蹴りを食らわせる。流石にお互い本気ではなかったので、ゲオハルトは難なくそれを受け止めた。それがゲオハルトなりの気の使い方なのだと、フィアルにもよくわかっていた。

「フィーナ」
「……?」
「竜の子が……」

リンフェイの視線の先には、蹲る小さな飛竜の子の姿があった。気遣わし気な視線は、リンフェイがどれほど飛竜を大切に思っているのかが感じられる。竜という偉大な存在を愛している点では、フィアルとリンフェイの心は同じだった。
まだ小さな緑色の身体は、怯えきって小刻みに震えていた。フィアルはリンフェイを連れて、ゆっくりと飛竜の子に近づく。

(「大丈夫よ?」)

竜言語で話しかけると、ビクッと飛竜の子は身体を震わせた。ますます縮こまるその姿に、フィアルは苦笑しながらゆっくりと触れる。その感触に、飛竜の子は一瞬逃げる素振りを見せたが、彼女の優しい手の動きに、ゆっくりと顔を上げた。
大きな深緑の瞳が、少しだけ戸惑いの色を浮かべて姫君を見つめていた。フィアルは微笑んでそのまま身体を撫で続けてやる。しばらくすると安心したかのように、飛竜の子はフィアルに身体を預けた。

「よかったな、チビ」

リンフェイも嬉しそうに、フィアルの腕の中に抱かれている飛竜の子の頭を撫でてやった。本能でその本質がわかるのだろうか、リンフェイの手に飛竜の子は嬉しそうに頭を摺り寄せている。その様子は微笑ましく、その場にいた全員の頬を緩ませるのに充分だった。

「帰りましょうか、エウロンが待っているでしょうし」

リーレンの言った通り、洞窟の外ではエウロンが待っているはずだった。この子のことをあれほど心配していた彼を、早く安心させてやりたい。フィアルは飛竜の子を抱いたまま歩き出した。

「さ、行くわよ。日が暮れる前に竜の鬣半島まで行くんだから」
「このまま行くのか!?」
「当然。大体リーフ、今回アンタ達疲れるようなこと一個もしてないんだから大丈夫でしょ」
「そりゃ姫が、怒りに任せて勝手に……」
「……何か言った!?」
「だから……モガッ!?」

反論しようとしたリーフの口を、大きな手でゲオハルトが塞いだ。モガモガともがくリーフに、ややこしくなるから黙ってろ、と言い捨てて、そのまま後方に引っ張っていく。その様子を呆れたように見やって、フィアルは歩き出した。
その隣にリンフェイが駆け寄ってきて、フィアルの腕の中にいる飛竜の子に指でちょっかいを出す。その顔はとても幸せそうに見えた。

(リンフェイ様……ロリコンで手が早いだけじゃなく、竜フェチなのもバレてますよ……)

とリーレンはその様子を眺めつつ、大きな深いため息をついた。


* * * * *


竜の鬣半島は、人間が立ち入ることを許されない土地である。そういう点ではノイディエンスタークにある竜の角半島と同じだが、角半島には4元素の比較的高位の竜が住むのに比べ、鬣半島は飛竜族の住まう土地として知られていた。この鬣半島があるからこそ、フューゲルは飛竜を交通手段とした文化が発達してきたとも言える。

その半島にある、ハドラル石で出来た大きなドーム状の建物の中で、飛竜族の王が彼等を待っていた。

「デューク!」

エウロンよりもさらに銀色に近い身体を持つ飛竜王に、真っ先に走り寄ったのは、エウロンから飛び降りたリンフェイだった。腕にフィアルから受け取った飛竜の子を抱いたまま、嬉しそうに駆け寄ってその身体に触れる。飛竜王は慈しみ深い優しい瞳で、リンフェイを見つめ返した。

『元気そうだな、リンフェイ』
「ああ!最近嬉しいことが重なったからますます元気なのかもな」
『嬉しいこと?』
「フィーナに逢えた!あ、あとこのチビも助かったし」
『我が一族の子だな……無事でよかった』

飛竜王は鼻先でツン、とその小さな身体をつついた。飛竜の子はくすぐったそうに身体をよじる。その様子をリンフェイは優しい顔で見つめていた。
そして顔を上げた飛竜王の瞳に、困ったように微笑むフィアルの姿が映った。彼は目を細めて、そっとフィアルの方へと頭を擡げる。

(「……久しいな、竜の姫君」)
(「うん……でも10年は経ってないけどね」)
(「一族の子を助けてくれてありがとう……礼を言う」)
(「助けたかっただけ……と言うか元はこっちの責任だし、お礼を言われるようなことはしてないわ、飛竜の王」)
(「名前を呼ぶといい、昔のように。君とリンフェイにだけは名前で呼ばれたいのだよ」)

エウロンと同様にデュバルホークという真実の名では呼べない。リンフェイもデュークという名は聞いていても、本当の名は知らされてはいないだろう。彼等がフィアルにだけそれを明かす訳は、彼女が特別だからだ。
竜は、竜という存在である限りフィアルを愛する。時に例外もあるが、この大陸にいるほとんどの竜が、彼女にだけは敬意を払うだろう。そういう意味で彼女は、竜の姫君、と呼ばれるのだ。

飛竜王デュークは、彼女に頬を摺り寄せ、親愛の情を示した。フィアルも逆らわずにその挨拶を受け入れる。竜のするこの仕草がフィアルはとても好きだった。竜の愛情は一途で純粋なものだ。それを向けられる度に泣きたいほど嬉しい。

「こらデューク、あんまりくっつくな」

あまりにも睦み合い過ぎたのか、拗ねたように首を引っ張るリンフェイに、デュークは苦笑した。彼の想いを12年間ずっと聞かされてきただけにそれは当然だった。

『ヤキモチか?リンフェイ』
「……そーだよ、わりぃか?」
『私も久々に逢うんだ、少しは譲ってくれてもいいだろう?』
「イヤだ。フィーナは俺のもん……」
「……私のモノは私のモノ、他人のモノも私のモノ」
「俺が言う前に終わらせんな!」

真っ直ぐだが何かが間違っているリンフェイの愛情表現を見て、デュークの瞳に優しい光が宿った。リンフェイは元々竜に好かれる資質の持ち主だ。竜騎士王と呼ばれるのもどこかわかる気がする、とフィアルは思った。

(「……竜の姫君」)

そんなことをぼんやりと考えていたフィアルに、デュークがもう一度頬を摺り寄せる。

(「先日、風竜王がここにいらした」)
(「……シェルが?」)

驚いて目を見開いたフィアルに、デュークは続けた。

(「伝えて欲しいと頼まれたのだよ、君に」)
(「……?」)
(「ノイディエンスターク大神殿の最下層へ行けと」)

フィアルの顔が微妙に強張る。元々自分の感情を隠すのが上手い彼女にしてはそれはらしくない動揺だった。
―――――大神殿の最下層。
それは……内乱の勃発したあの日、彼女の父親である前大神官ジークフリートが自らの守護竜と共に散った場所だ。
ジークフリートは最後に、神殿に炎を呼んだ。今ある神殿は内乱終結後に再建されたものだが、地下は以前の神殿のまま残されていた。燃えつきた黒い残骸の、神殿の残照がそこにはある。
神殿を再築する際、そこをどうするかは13諸侯全員で話し合った。そして彼等は選択したのだ。封印し、残す道を。二度とこんな悲劇を繰り返さないために。そしてそこで散った前大神官と神官長の墓所として。
実際の当事者であるフィアルとアゼルは、地下を封印して後は足を運んではいない。父親の死様には複雑な思いがあるのか、二人の間でもそのことが話題になることはめったになかった。

(「―――――今更あそこに何があるの……?」)
(「遺産だそうだ」)
(「……遺産?」)
(「君の父上を最後まで側で守り通した、風竜の娘の遺産だ」)

フィアルの瞳が一瞬揺れた。
ジークフリートと全てを共にした、自分にも優しかった風竜の娘の、空色の瞳を思い出す。それを最後に見たのは、神殿を脱出するその直前だった。このまま離れたら、もう二度と父親に逢うことは出来ないと、幼いながら本能でわかっていたあの時。泣いてすがって、それで一緒にいられるなら、一生分の涙を流しても後悔しないと本気で思った。

(「―――――倖せになりなさい」)

シュバルツの賢王と同じ言葉を最後に残した、優しい優しい風竜の娘。
―――――大好きだった、本当に大好きだった、存在。

(「私達飛竜は、風竜に近い存在だからわかる。あの場所に風は吹かない」)
(「……デューク?」)
(「地下の澱んだ空気は、風にならない。誰かがその場所に空気の流れを作ってやらなければ、彼女の魂はいつまでもその澱みに縛られる……」)
(「……」)
(「どうか、彼女を大気に帰してあげて欲しい」)

デュークの瞳の奥に、フィアルはあの日の風竜の娘と同じ光を見た。
……自分があの場所を訪れることで、風竜の娘は自由になれるのだろうか。

(「……わかった……リトワルトから戻ったら、必ず行く」)
(「ありがとう……」)
(「お礼はいらない、私が行きたいの。伝えてくれてありがとう、デューク」)

フィアルは笑った。少しだけ無理をしているような、そんな切ない笑顔にデュークは悲しげな色を瞳に浮かべる。
運命は、どうしてこの少女にばかり重い荷物を背負わせるのだろう。普通の人間が一生かかっても体験することのない苦しみ、悲しみ、痛みを彼女はもう既に味わってしまっているような気がして、痛々しかった。
―――――けれど。
だからこそ彼女の魂は孤高で美しい。そしてその輝きは竜を惹きつけてやまないのだ。

再び彼女に頬を摺り寄せた飛竜王の鼻先に、フィアルは小さく口付けた。
それを見て小さく悲鳴をあげたリンフェイを、腕の中の小さな飛竜の子は、シュバルツの仔ウサギと同じように、目を丸くして見上げていた。