Clover
- - - 第7章 父と娘3
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大通りを横に逸れて、入り組んだ細い道を通った袋小路に、傭兵街はあった。
すさんだような空気が漂い、風は酒と血の臭気に満ちている、そんな場所だ。リトワルトの人間ですらめったに近づかない、いわば隔離されたような空間、それが傭兵の集う場所だった。
夜になればネオンで明るくなるのだろうが、今は真昼間である。道を歩く者は少なく、閑散とした雰囲気が漂っていた。

フィアルはその中を迷いもせずに、真っ直ぐに目的の店を目指していた。

大通りを出てからすぐ入った細い道で、フィアルは自分の色を変えた。ステラハイムの色である金と青から、茶と深い蒼へと。そして結い上げられていた髪も背中の半分までにして、無造作に高い位置で一つに束ねた。肌の色も桜色から、少し黄色味のあるものになった。顔立ちは変わらないのに、色が変わるだけで大分雰囲気が変わるものなのだと、レインは初めて知った。

(「フィーナって呼んでね」)
(「フィーナ?竜騎士王達と同じに?」)
(「そう。この街では私はその名前で通ってるの」)

どうやら空白の10年間、彼女はその名前で過ごしてきたらしい。そう結論付けて、レインは小さく頷いた。

しばらく歩くと、小声でこちらを見ながらこそこそと話している人々がいることに気付いた。視線をそちらに向けると、怯えたようにささっと姿を消してしまう。それがあまりにも不自然でレインは眉根を寄せた。

「……どうしたの?」
「……いや、さっきから見られてるんだが、視線が合うと逃げていく」
「ああ……怯えてるのよ」
「……何に?」
「私に」

気にしないで行こう、とフィアルはレインを促す。何故彼女を見て人々が怯えるのかわからなかったが、とりあえずレインはフィアルの後に続いた。
傭兵街の入口からかなり歩いて、フィアルは一つの店の前で立ち止まる。看板には赤い燕のマークが彫られていた。

「赤燕亭っていうの。まんまでしょ?」
「……ここなのか?」
「そう。今は昼間だから身構えなくても大丈夫。さ、入ろう」

フィアルはそう言うと、店の扉を押す。
立て付けが悪いのか、ギギギという音を立てて扉は開いた。入って右手にカウンターがあり、左手にはテーブルと椅子が無造作に置かれている。カウンターの中にはこちらに背を向ける形で、恰幅のいい少し髪の薄い男が一人、キュッキュッとグラスを磨いているのが見える。扉の音に気付いたのか、男はグラスから目をそらさないまま、言った。

「悪いけど、うちの店は夕方からだよ」

その言葉にフィアルは笑ったように見えた。

「私でもダメなの?トーイ」
「……はあ?」

男は面倒くさそうに振り返って、二人を見た。その目が驚愕に見開かれ、そしてそのまま満面の笑顔が顔中に広がっていく。

「フィーナ!フィーナか!?」
「うん」

慌てたようにカウンターからトーイと呼ばれた男が飛び出してくる。フィアルも笑いながら彼の近くに歩み寄った。

「フィーナ!ああ!本当にフィーナだ!どうしたんだおい!元気だったか!?」
「うん、トーイも元気そうね」
「ああ、元気さ!これでも前よりちょっとだけスリムになったんだぞ?」
「……へ、へえ」

どう見ても変わったようには見えないお腹を見て、フィアルは曖昧に言葉を濁した。しかしトーイはそんなことを気にした風でもなく、ワハハと笑いながら彼女の細い肩をバンバンと叩いている。

「まぁ座れって……そっちは連れか?」
「あ、そう……今の連れ」
「男の連れなんて良くあいつが許したな」
「……ははは」
「まぁいいさ、あんたも座りな。腹減ってないか?何か作ってやるぞ」

トーイはそう言いながらカウンターの中へ戻る。フィアルは苦笑しながらレインを手招いて、並んでカウンターに腰掛けた。二人ともフィーナスペシャルでいいな?と言って、トーイは手際よく料理を始める。フィーナスペシャルという料理の中身が、さっきのような凶悪な物だったら……、と思いつつレインは黙っていた。

「しかしフィーナよ、お前ここ2、3年全然姿見せなかったなぁ」

料理をしながら呟くトーイに、フィアルは苦笑した。

「……まぁね、いろいろ忙しくて」
「最初はよ、どっかの誰かにやられっちまったのかと思ってたんだけどよ。あいつに聞いたら、ちゃんと生きてるっていうから、そんなに心配はしてなかったんだがな?やっぱり顔が見えねえと淋しいわけだよ」

まるで魔法のように、次々と手際よく料理が出来上がっていくのを、ぼんやりと眺める。とりあえずフィーナスペシャルとやらは食べられない類の料理ではなさそうだ。
そんなことを考えていると、隣の姫君が唐突にトーイに話しかけた。

「あのね、トーイ。あのバカどこにいるか知ってる?どっかに仕事に出てる?」
「……?」
「いや、いるぜ?昨夜も来た。なんだ、まだ逢ってないのか?」
「今日の朝着いたばっかりなのよ。ここに来れば行方はわかると思ってね」

トーイが一つの大皿に作った料理を一気に盛る。いろいろな料理が一気に食べられる、これがいわゆるフィーナスペシャルというものらしい。トーイは大皿2枚を器用に持つと、二人の前にドン、と置いた。

「あいつならきっと、青い海風亭にいると思うぜ?次の仕事まではそこにいるみたいな話をコンラート達としてたからな。この間の仕事が結構長かったから、少し休むみたいなことも言ってたし」
「……休んでる間に随分とご乱行をしてくれたみたいだけど……?」
「女のことか?まぁお前にしたら複雑かもしれねえけどよ、ありゃ男の本能みたいなもんだしな。それにあいつは商売女にしか手を出してねえから大丈夫だろ?」

がはは、とトーイは大きなお腹を揺すって笑った。フィアルは肩を竦めて、フォークを手に取り、フィーナスペシャルを食べ始める。冷めないうちにと促されて、レインも料理に手をつけた。野菜も多く、バランスも取れているとてもおいしい料理だ。先程の凶悪物体とは、天と地ほどの差がある。

「武器買ったのは、ここでしょ?あのバカ、何を買ったの?」
「新しく入った大剣さ。細工がすごくてな、ひとめで気に入ったらしいぞ」
「……あの武器フェチめ……」

フィアルの顔が苦々しく歪む。買ってもどうせ使いはしないことをわかっているからだ。昔から使い慣れている剣しか使わないくせに、新しい武器を見ると買ってしまうあたりが武器フェチなのだ。

「そういやフィーナ、いいもんがあるんだが、買わねえか?」
「……いいもの?」
「とびっきりのブツだぜ?」

人のよさそうな笑顔を浮かべながら、トーイはカウンターの下からごそごそと何かを取り出した。ポン、と置かれたそれは袋に入った白い粉で、見た瞬間にフィアルの瞳に冷たい光が宿った。

「トーイ……私、薬はやらないって知ってるでしょ」

その言葉にレインの目が見開かれる。薬……つまり今ここにあるのは麻薬なのだ。一瞬の快楽を得られる代わりに、依存症になりいつかは廃人になる悪魔の薬だ。
こんな人好きのしそうな男が、それを日常茶飯事的に扱っている事実に。そしてそれをフィアルが普通のこととして話している事実に、レインは心の底から驚いていた。

「わかってるって。お前もあいつも酒はガバガバ飲むくせに、薬にだけは手を出さねえことはさ。だからその連れのにーさんに……」
「私が薬をやるようなのを、連れに選ぶと思うの?」
「……そうだな、わりぃ」

いいブツなんだけどな……とトーイはそれをまたカウンターの下にしまった。しかし今度はすぐに違うところを探り出し、フィアルの目の前に茶色の木箱を置く。

「じゃあこれはどうだ?」
「……何?」
「銃だよ、お飾りの一切ない、玄人向けの特別品だぜ?」

フィアルが木箱を開けると、そこには鈍く黒光りする無骨な銃身が納まっていた。確かに余計なものは一切ついていない、プロ仕様の一級品だと見ればわかる。

「どうだ!こういうのはお前の好みだろ?」
「……うーん……」
「お前は剣だけじゃなくて、どんな武器でも扱えるから、銃もいいだろ?」
「……トーイ、商売上手よね……」
「買うか?」

欲しい、気がする。
でも昔ならともかく、今これが必要かと言われると、否、と言わざるを得ない。フィアルはしばらく悩んだ顔をしていたが、結局首を横に振った。一瞬心がぐらついたが、その瞬間、頭の中にアゼルの顔が浮かんでしまったのだ。

「今度また何か入ったら教えてもらうから」
「……そうか?」

トーイもがっかりしたような顔をしていたが、仕方ないというようにそれをまた元の場所へしまう。これ以上ここにいると完全に商売の話になってしまうと判断して、フィアルはレインを促して立ち上がった。

「ごちそうさま、おいしかった」
「あいつのところに行くのか?昨夜遅かったからなぁ、まだ寝てるんじゃねえか?」
「それでいいの。何のためにわざわざコレ、買ってきたと思う?」

ニンジンの袋を持ったレインの右手を、おどけるように持ち上げたフィアルに、トーイは満面の笑顔を浮かべる。

「あっはっはっは!そりゃあいい!見物だな!」
「でしょ?すばらしい嫌がらせだって思うでしょ?」
「ああ!目に浮かぶようだぜ?」

涙目になるほどおかしなことが、このニンジンで起こるのだろうか?そんな疑問にレインは首を傾げる。トーイは目の端に浮かんだ涙を必死に拭うと、少しだけ真剣な顔でフィアルに向き直った。

「まぁ、また仕事が欲しかったら来いよ、フィーナ」
「……そうだね」
「お前を指名してくる仕事が今も多くてな……大変なんだぞ?」
「それはそれは、光栄です」
「なんてったってお前は伝説だからな」

トーイの言葉に、フィアルは困ったように苦笑した。まるで悪戯がバレた時の子供のような顔をしている。
軽く手を振って赤燕亭を出た後、並んで歩きながら、フィアルはレインをじっと見つめて言った。

「驚いたでしょう?」
「……ああ」
「あんな顔をしてても、薬を売ってる。武器の密売や情報の売買、望めば一夜の相手も手に入る。……ここはね、そういう場所なの」

傭兵が薬を多用するのにも、理由がある。
戦場で何人もの人間を殺す。それは自分が生きて、明日の糧を得るためだ。けれどそれに心がついていかない者もいる。仕事だと割り切ってもどこかで良心の呵責を感じる者もいる。
―――――そういう人間は、薬に頼る。
薬をやっている時には、そういった感情とは無縁になる。何も感じずに何人も何人も殺せる。傭兵に薬の中毒者が多いのは、そういう原因もあるのだ。

「そういう場所で、私は生きてきたわ」
「……フィール?」
「言ったでしょ?私はレインよりももっと多くの人間を手にかけたって」
「……ああ」

傭兵街の大通りは相変わらず人が少ない。二人の会話を聞いている者は誰もいない。





「―――――私も、そんな血生臭い傭兵の一人だったから」





だからこそ、その言葉を聞いたのは、確かにその時レインだけだった。