- - - 第7章 父と娘6 |
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「―――――断る」
少しの沈黙の後、キールの凛とした声が響いた。しかし片目の男はその言葉にピクリとも反応を示さない。
「俺を連れて来いと言ったのは、兄上だろう?そんな話に乗るわけにはいかない」
「……何故ですか。シオン殿は貴方の肉親でしょう」
「俺には守るべき人がいる。それは兄上じゃない」
その言葉に目を伏せて、男は小さな声で言い放った。
「あの姫ですか……」
「……だったらなんだ」
「……あの姫は貴方の思うような人間ではありませんよ」
それはキールにとっては聞き捨てならない言葉だった。この男に……シオンの下で働いているような男に、フィアルを愚弄する言葉を吐かれること自体が、我慢ならなかった。
「……黙れ」
「あの姫が本当に貴方達を信用していると思いますか?あの娘は何も語りはしないでしょう?」
「何もかも話すことが全てじゃない。俺は今のままの彼女でかまわない」
倒れていた男達が起き上がり、じわじわとリーフ達との間の距離をつめる。それに気付いてリーフは剣を構えなおした。しかしキールの視線は片目の男だけに注がれている。
(―――――……グ……俺は……)
(―――――それでも……が……大切なんだ……)
「……貴方も同じ目をしている」
しばらくの沈黙の後、ポツリと片目の男は呟いた。
キールにはその言葉の意味がわからない。ただ彼の言葉が、シオンを指して言ったものではないことだけは感覚としてわかった。
―――――誰のことだ、と聞こうとしたその時、キールの背後から、鋭い剣戟の音が聞こえた。
「……キールッ!」
見れば、リーフが今にもキールに切りかかろうとした男の剣を受けていた。ハッと正気に戻り、キールは剣を構え、横から走りこんできた、もう一人の男をなぎ払う。頭脳派とはいえ、剣の腕が悪いわけではないのだ。
そしてキールは一瞬だけ後方にいた片目の男を睨むと言い捨てた。
「帰って兄上に伝えろ!俺はいつまでも貴方の思うほど弱くはないとな!」
「……わかりました……今回は引きましょう」
けれど、貴方は必ずシオン殿の下へ連れて行きます、と言い残して、片目の男は黒衣を翻した。
リーフがもう一度魔導剣を発動する。とりあえずわらわらと群れてくるゾンビのような奴等を吹き飛ばしたかったのだ。リーフにしてみればかなり手加減したつもりなのだが、叩きつけられた男の何人かの口からは血が溢れた。
「……どうすんだ?オベリスクとは違うけど、キリがないぞ」
「……親玉がいなくなった。呪縛をかけられているんだろうが、しばらくすればそれも解けるだろうし……眠ってもらった方がいいかもしれないな」
キールはすっと左手をかざして、魔導力を集める。淡い紫色の光が集まり始め、その口から小さなルーンが唱えられた。その直後、立ち上がろうとしていた刺客達がバタバタと倒れる。キールの唱えた眠りのルーンのためだ。キールはそのまま剣を鞘に納めた。リーフもほっとしたように、魔導を帯びた剣から濃紺の光を消して、鞘に納める。
その後には何故かしばらくの沈黙があった。何かを言いよどんでいるようなキールを、リーフは何も言わずに待っていた。
「―――――このこと……姫には……」
心配をかけたくない……これ以上苦労をかけたくない。
そんな想いを見透かしたかのように、リーフは少しだけ怒った顔をした。
「言うぞ、オレは」
「リーフ?」
「隠すなよ、こういうこと。奴等がお前を狙ってんのはわかったんだ。これからオベリスクを退治するまでに奴等が来ないって保証がないだろ?知ってるのと知らないのとじゃ対処の仕方が違うだろ?」
―――――言わない方がよっぽど彼女に負担をかける。
リーフの言い分は正論で、キールは反論できない。じっと同意を求めて見つめてくるリーフに、小さく頷くと、よしっ!とリーフは満面の笑顔を見せた。
ただ単純なだけじゃなく、物事を見極める目を持っている。リ−フはそれを考えて行うのではなく、感覚でやっているのだ。
(「―――――侮らない方がいいぞ?」)
以前笑いながらそう言ったシルヴィラの顔が、キールの脳裏にぼんやり浮かんだ。
* * * * *
裏通りから大通りに戻ると、先程の襲撃が嘘のようだった。店先に並ぶ様々な商品、それを買い求める人々、平和な街の風景がそこにはあった。表の社会と裏の社会が混在する、これがリトワルト、と言う国だ。
「どうする?宿屋に戻るか?」
店先に陳列されている果物を眺めながら、リーフが問いかける。キールが頷いて、同意をしようとしたその時にそれはやってきた。
ドドドドドドド……!!
遠くから聞こえてくるものすごい足音に、二人はピタリと足を止める。かなり大勢の人間、もしくは牛や馬の群れが走ってくるような、そんな足音だった。
「な、なんだ?」
思わず通りの中央まで出て、きょろきょろと辺りを見回すと、大通りの遥か向こうに土煙が見えた。
「……なんだ?アレ?」
「……さあ……?」
リ−フにつられて、キールも通りの中央へ出てそれを凝視する。土煙に気を取られて、周りの市民が極端に道の端に寄って、避難していることに二人は気付かなかった。
土煙は段々と一つの影になった。否、一つの影を追いかける数人の影と言うのが正しい。呆然と見ていた彼等の目に、明るい茶色の髪が見えたのは、ほんの数秒後だった。
「―――――お、おい」
「……」
先頭をものすごい形相で走ってくるのは、ゲオハルトも真っ青の大きな女性だった。明るい茶色の髪は細かくうねり、背中の中央まで伸びている。それを振り乱しながら全速力で駆けてくるその姿は、思わず身体が硬直するほど恐ろしいものだった。
彼女はものすごい勢いで走ってくる。これはここにいたらヤバいんじゃないだろうか……と思ったその時にはもう遅かった。
「わあああああ!!」
突進してきた彼女は、まるで邪魔なものを排除するように、ヒョイッ!と二人を掴んでそのまま走り出したのだ。
左手にはリーフ、右手にキールを抱えて尚、速度を落とさず走り続ける。あまりのことに二人は抵抗もできなかった。
「お待ちください!」
後方から聞こえてくる声にも耳を貸さず、彼女は走り続ける。大の男を二人も小脇に抱えて、どうしてそのまま走り続けられるのか。そのことに思わずキールは考えが及んでしまった。
「何しやがる!てめえ!離しやがれ!」
さすがに猪突猛進型のリーフは、キールのような思考は持ち合わせていないらしい。やっと我に返ると、自分を抱えている女性に大声で文句を言い、暴れ始める。
「うるさいよ!静かにしな!」
しかし彼女は、ドスのきいた声でリーフを一喝した。ビクッ!として、リーフは思わず身体の動きを止めてしまう。
「あんた達が邪魔なところにいるから悪いんだよ!おとなしくしな!」
「……なっ!」
「あたしはね、ただ恋しい男に逢いたいだけさ!それを邪魔する奴等から逃げて何が悪いんだい!」
「はあ!?」
「乗りかかった船だ!いいから付き合ってもらうよ!坊主共!」
信じられないことに、彼女は今より更に速度を上げて走り出した。あっという間に後方の追っ手が見えなくなっていく。人間技とは思えないその速度に、二人は口を噤んだ。この速度で放り出されたりしたら、それこそ命取りだ。
大通りを抜けて、市場のど真ん中を走り抜け、尚も彼女は走り続ける。
「……あのさ」
恐る恐るだが、リーフが彼女に問いかけた。
「なんだい!?」
「……これって、どこへ向かってるんだ?」
「ああん!?あんた達よく見るとこの国の人間じゃないね?あたしを知らないなんてさ」
彼女は眉を顰めて二人をササッと見やった。そんなことは当たり前じゃないか、と二人は思う。どう見てもこの髪と瞳の色はリトワルトに住まう者の持つものではない。
「向かってんのはね、傭兵街だよ!」
「傭兵街!?」
「あたしの愛しい男がそこにいるんだよ。久々に会えるってんで楽しみにしてたのに、あいつらが止めようとしやがるんで、逃げてきたってわけさ!」
全く人の恋路を邪魔するなんてろくでもないね、と彼女は鼻息を荒くする。リーフはこの女性に好かれている男に、心の底から同情した。姫君も乱暴者だが、ここまでの暴挙には出ない。というかあの姫君は外見だけ見れば、可憐な天使なのだ。
(傭兵街か……)
傭兵街には今、フィアルとレインがいるはずだ。うまく行けば、合流できる。歩かなくて済んだ分、手間が省けたかもしれないな、とキールは打算的なことを考えた。
「アンタ達、名前は!?」
傭兵街に入ったのか、少しだけ速度を落としながら、彼女が問う。もう抵抗することすら諦めてリーフが大声で叫んで答えた。
「リーフ!そんでそっちはキール!」
「ほほーう、いい名前じゃないか!」
ハッハッハ、と彼女は豪快に笑う。本当に女版ゲオハルトじゃねえかよ、とリーフは遠くを見つめるしかなかった。
「あたしはリリーネ!よろしくな!」
「……。リリーネ……?」
「おや、こっちの坊主は知ってるみたいだね?」
キールは目つきが悪くなるほど眉根を寄せた。その名前は聞き覚えがある。……というより、仮にもこのリトワルトにいて、知らない方がおかしな話だ。
「あなたは……もしかして……」
ためらいがちに尋ねるキールに、リリーネはバチン!と音がしそうなほど大げさにウインクをしながら、答えた。
「そうさ!あたしがリリーネ・サイラスだよ!」
彼女こそが、このリトワルトを治める議長である女傑その人だということに、キールとリーフは目を見張るしかなかった。
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