Clover
- - - 第7章 父と娘7
[ 第7章 父と娘6 | CloverTop | 第7章 父と娘8 ]

(「ねえ、ここから出たい?」)
(「……」)

ボロ布に包まれた少年は小さく横に首を振った。
鉄格子の向こうに見える空はいつも灰色。それ以外の空を、少年は知らなかった。

(「出たくないの?」)
(「……」)

ふるふると、少年はもう一度首を横に振る。出たくないのではなく……出れないことを知っているから頷けないだけだ。
随分と長い間、狭い檻の中に閉じ込められていた少年は、全てのことに期待をすることをやめていた。

(「……出たいよね?でも出れないって思ってる?」)

少女は大きな瞳でじっと少年を見つめた。あまりにも真っ直ぐなその瞳に、思わず少年はコクリと頷く。

(「あのね……?諦めなければニンゲン、何とかなるものなのよ?」)
(「……?」)
(「行こう?」)

少女は鉄格子の間から手を差し入れ、自分のそれより小さく細い少年の手をギュッと握り締めた。ビクッと身体を震わせた少年に、彼女は満面の笑顔を見せながら、両手でその小さな手を包み込む。

(「―――――私が、君に自由をあげるよ」)

柔らかくて、暖かい……その手が、どれだけ勇気をくれただろう?
思い出す度に、泣きたくなる程切ない記憶。
その瞳は、深い深い空の青。





―――――君に出逢うために、僕は生まれてきたんだ。


* * * * *


「……コンラート」
「……ん……どうした?」
「……あれ」

少年の指差す先には、この場所にはとんでもなくそぐわない二人組がいた。
政府街はリトワルトの中でも、裕福な、文官の家族しか近寄らない場所だ。そんな中に、思いっきり冒険者の格好をした、図体のでかい男が二人揃って立っていたら、イヤでも目立つ。しかもどうやら、評議会堂の衛兵ともめているらしい。

「なんだありゃ……この国のヤツじゃねえな」
「……」
「ちょっと袖の下でも出してやれば、あんなに頑なに拒否されねえのに……なぁ?ネーヤ」
「……知らない」

自分から話題を振って来たのにプイ、と少年はそっぽを向いた。コンラートはやれやれ、と肩を竦めつつ、もう一度その様子を見やる。よく見れば片方はこのリトワルトとラドリアの民の持つ色、茶色の髪に茶色の瞳だが、もう片方は黒髪に青の瞳だ。あの組み合わせは通常ではありえない色だ。例え混血児だったとしても、父親か母親、どちらかの色しか子には受け継がれない。それがこの大陸における絶対の理でもある。

「ありゃ……ノイディエンスタークのヤツだな」
「……え?」
「今は入ることも出ることもできない謎の国だけどな。まぁ内乱の時にあれだけ他の国に好き勝手されたんだ、仕方ねえって言ったら仕方ねえんだけどよ」

ノイディエンスタークの内乱の中盤以降、リトワルトの傭兵街は大いに賑わったものだった。ラドリアとアイザネーゼの両国が、かの国への侵攻のために大量の傭兵を必要としたからだ。ノイディエンスタークでの仕事は金になる仕事だった。しかし、彼らは決してその仕事にだけは手を染めなかった。彼の相棒である男は、今言い争っているあの男と同じ、黒髪に青い瞳を持っていたからだ。

コンラートは直接ディシスに、生まれた国のことを聞いたことはない。実際、彼の娘であるフィアルも通常ではありえない色を持っていたので、二人がノイディエンスタークの出身だということは薄々は気付いていた。しかし傭兵に過去は必要ない。必要なのは今を生き抜く力だけだ。
……それにあの二人の色が普通でないと言うなら、今隣にいるこの少年の色はどうなるというのだろう。

「……何?」

ネーヤは自分に対する視線に敏感な少年だった。純白の髪に、血の色の瞳はイヤでも目立つ。ノイディエンスタークにすら存在しないその外見は人々の奇異の視線を集めるのに十分だった。

(「―――――拾って来ちゃった」)

フィアルがそう言って、この少年を連れてきたのはもう10年も前のことだ。ボロボロの布だけを体に巻きつけて小さく震え、全てを拒絶する瞳をしていた。よほどひどい目にあって来たのだろうということは、一見しただけでもすぐにわかった。
最初ははっきり言って困った。フィアルは、子供とは思えないほどの凄腕で仕事に支障はなかったが、この少年がそうなるとは思えなかったからだ。しかししばらくして、コンラートはその認識を改めざるを得なかった。フィアルに教えられるがままに銃を握っていた少年は、すぐにその才能を開花させたのだ。教師がよかったのか、筋がよかったのかは定かではないが、今では立派な傭兵として自分の隣に立っている。

「あれ、どうするよ?ネーヤ」

最近、昔を思い返すことが多いな、と自嘲的な笑みをこぼして、コンラートはネーヤに問いかけた。ネーヤは怪訝そうな顔をしていたが、再びその視線を評議会堂の前で揉めている二人へと戻した。その視線には何の感情も感じられない。ネーヤが感情を露にするのは、この世にたった一人、フィアルの前でだけだ。盲目なほどに、その心は一途だった。

「……何とかしたら?」
「あ?珍しいな、お前が自分から人と関わろうとするなんて」
「……ノイディエンスタークの人間なんだろ……?フィーナのこと、知ってるかもしれない」

……結局それかよ、とコンラートは頭を抱える。
フィアルとディシスが揃って姿を消したのは4年前。その2年後、ディシスだけが何故かこのリトワルトへと戻ってきた。そしてフィアルの行方を知りたがるネーヤに、ディシスは少しだけ寂しそうに笑って告げたのだ。

(「アイツは今、ノイディエンスタークにいる。もう、戻って来れない」)

それは少年に、大きすぎる絶望を与える言葉だった。実際ネーヤはあきらめることができずに、何度も何度も狂ったようにノイディエンスタークの国境へ行き、その度に憔悴しきった様子で帰ってきた。ネーヤのフィアルへの依存はそれほど大きかったのである。

(「―――――必ず帰ってくるから、待ってて?」)

それがフィアルがネーヤに残した最後の言葉。今もネーヤはその言葉を頑なに信じている。それでもただ待つだけの今の状況に満足しているわけではなかった。

「仕方ねえなぁ……」

ぽりぽりと頭を書いて、コンラートはゆっくりと評議会堂の方へと歩き出した。ネーヤはその瞳の色と同じ紅の皮のコートを翻して、黙ってそれに続く。細身に見えるそのコートの裏には銃が数丁隠されていた。無条件に守ってくれる存在のない自分に、彼女が教えてくれた、生きていく術……それは、戦うこと。
―――――彼女が見せてくれた青空を、今も忘れることが、できないから。


* * * * *


「だからよ、オレ達は議長に会いたいだけだって言ってんだろ!」
「何を言う!約束もないのに図々しいことを!」
「こっちは頼まれてきてやってんだぞ!困ってるのはそっちだろ!オベリスクは……!」
「……ッ!貴様!なぜそのことを知っている!」

評議会堂の門前で押し問答を始めて約20分が過ぎていた。衛兵と未だ喧嘩寸前のゲオハルトに、イオは小さくため息を漏らす。やはり出掛けのキールの忠告を聞いておくべきだったと、彼は大いに後悔していた。

(「オベリスクの場所なんて、トップに聞きゃあすぐにわかるだろ?」)
(「……やめとけ、筋肉バカ。時間の無駄だ」)
(「何ッ!?一番有効かつ無駄のない考えだろうが!」)
(「……へえ、そう思うなら行けよ。一応、忠告はしたからな」)

どうやらリトワルトでも賄賂というものは必要らしいことを、このやり取りが始まってすぐにイオは気付いた。今や腐敗しているラドリアでもそれは有効な手段だ。キールはそれを知っていて、出がけにあんなことを言ったのだろう。それを伝えなければ、とも思ったが、あまりにも激しいやり取りに、イオは口を挟むことができずにいた。内乱時は違ったのだろうが、ノイディエンスタークは精錬潔白を絵に描いたような国だ。賄賂という観念は、ゲオハルトの中には存在し得ないのだろう。実際彼は軽いように見えて、騎士道精神に厚い。そんな言葉を聞いただけでも拒否反応を示しそうだ。

(「―――――俺も行く」)

フィアルと一緒に出て行ったレインのことをふっと思い出す。その変化をどこかで不安がり、どこかで嬉しがる二人の自分がいるようで、イオは落ち着かなかった。もちろんレインは子供ではないのだから、危険なことなどそうはないとは思う。しかし何しろ連れがあの破天荒な姫君だ、主君の身に何かないだろうか、と不安になる。
―――――実際、レインはフィアルのスウィティ強制によって、ひどい目にはあっていたのだから、この予感は正しかったとも言えた。

「おい」
「……」
「おい、そこのあんた」
「……え?」

振り返ると、そこには自分やゲオハルトと大して体格の変わらない大きな男が、顔を歪めて立っていた。ゲオハルトは衛兵との喧嘩に夢中でこちらに気付いていない。

「あんたら、よそもんだろ?」
「……それが、どうした?」
「ここは政府街、お偉いさんや金持ちの住んでる街だぜ?ここにその格好は目立ちすぎる。まぁ格好に関しちゃオレ達も人のことは言えねえけどよ。なんか情報を求めてきたんなら、正当法じゃ無理だぞ?」
「賄賂か……?」
「お?なんだよ、気付いてるんならあんたの相棒、何とかしろよ」
「……声をかけられる雰囲気に見えるか?」
「……あー……完全に頭に血が上ってるな、ありゃ」

男は頭を掻きながらゲオハルトを見やる。身体が動いたことで、彼の後ろにいた細身な少年が、じっとゲオハルトを見つめていることにイオは気付いた。

(なんだ……これは)
(魔物か……?)

純白の髪と紅い瞳にイオが視線を奪われていると、それに気付いた少年は一瞬イオを睨み、またゲオハルトに視線を戻した。その様子に気付いた男が、人好きのする笑顔をイオに向ける。

「言っとくけどな、これはオレの連れだぜ?人間だ」
「……そう、なのか?」
「で?どうするんだ、アレは。気が済むまでやらせとくのか?」

3人の視線が一気に集まると、さすがに腐っても騎士であるゲオハルトはそれに気付いて、振り返った。ゲオハルトと同じくして、評議会堂の衛兵二人も吸い寄せられるように視線を動かす。

そして少年を見た途端に、顔色を無くした。

「……ッ!?」
「……【死の天使】!?どうしてここに……!」

その様子に、ゲオハルトは眉根を寄せる。【死の天使】と呼ばれた少年は、じっとゲオハルトを見つめたままだ。しかしそんな様子には目もくれず、衛兵達は焦ったように門の中に入ると門を固く施錠して、評議会堂の中へと逃げるように走っていってしまった。

「あっ!おいっ!!」
「……無駄ですよ、ゲオハルト様。この国ではどうやら賄賂が必要なようです。……と言うより、賄賂を渡しても、もう情報はくれそうにありませんけどね……」

そう言い放って、イオは華奢なその少年を見た。明らかに衛兵達はこの少年を見て怯えていたのだ。しかし彼はそんなことを気にした様子もない。むしろ慣れているようにも思えた。

「悪ぃな……なんかオレ達が邪魔したみたいで」
「……あんた、誰だ?」
「オレか?オレはコンラート、傭兵をやってる。こっちはネーヤ、こいつも傭兵だ。ネーヤはある意味、この国じゃ2番目に有名な傭兵でな、あいつ等はそれに怯えて逃げ出したってわけだ」
「有名?」
「【死の天使】って呼んだろ?腕もあるが、外見がこうなんでな、そういう呼び名がついてんだ」

なるほど、納得できる呼び名だ。戦場にこんな少年がいたら、誰もがそう思うだろう。
しかし情報収集そのものは完全な振り出しだ。フィアルに言われた通り、占い師に会いに行ったキール達の方がもう情報を手に入れているかもしれない。

「アンタ達、何の情報が欲しいんだ?ことによっちゃオレ達でも答えられるかもしれねえぜ?」
「……賄賂なしでか?」

冗談めかしたゲオハルトの答えに、コンラートはアハハ、と乾いた笑いを返した。どうやら彼はゲオハルトと同タイプの人間のようだった。

「ま、オレ達にも交換で教えて欲しいことがあるんだけどよ……って、ああ、警戒しなくてもたいしたことじゃねえよ」

イオがひどく顔を歪めたのを見て、コンラートは自らの言葉をその場でフォローした。見返りを求めるのは、この街では暗黙の了解だが、なんと言っても彼らはリトワルトの人間ではない、言葉には注意が必要だ。

「……アンタ」

そう思って言い出そうとした矢先、待ちきれなかったのか、ネーヤがゲオハルトに向かって口を開いた。

「……アンタ、ノイディエンスタークの人間なのか?」
「……だとしたら?」
「聞きたい」
「……何をだ?」

さすがに慎重に受け答えをするゲオハルトに、ネーヤは真っ直ぐな視線をぶつけてくる。その目には真摯な想いが溢れていた。





「フィーナ……フィーナという子のこと、何でもいいから、知らないか?」





ゲオハルトは目を見開き、思わずイオと顔を見合わせる。
それは、ネーヤにとってその質問の答えを知っていると肯定されたことに他ならなかった。