Clover
- - - 第7章 父と娘8
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「知ってるのか!?」
「……えっ……!」
「知ってるんだろ!?フィーナは今どこにいる?何してる?元気にしてる!?」

今にも掴みかかりそうな勢いでつめ寄るネーヤに、ゲオハルトは尻込みした。
知ってるも何もついさっきまで一緒にいました、ずっと一緒に旅してました、ついでに仕えてます、元気ありまってましたとは言える雰囲気ではなかったのだ。
それにネーヤが探しているのが、ノイディエンスタークにいる別のフィーナという名前の少女だという可能性もある。迂闊なことは言えない。

「フィーナと言っても、オレの知ってる人間とは別人かもしれないし……」
「フィーナは強い!勝てる人間なんていない!」

……ビンゴ!
その一言でもう疑う余地もなくなってしまった。この少年が探しているのは間違いなく姫君だ。しかしフィーナ、という名で呼ぶということは、彼女がノイディエンスタークの巫女姫だということは知らないのだろう。
ネーヤは期待を込めた目でじっとゲオハルトを見ていた。前々から自覚はあったが、ゲオハルトはこういう視線の前で、自分の感情を隠すことが誰よりも下手である。助けを求めて視線を彷徨わせると、イオは仕方がないな、といった風情で苦笑した。

「多分、私達の知っている人物と、君の探しているフィーナ、は同一人物だと思うが?」
「!」
「君と彼女はどういう関係なんだ?」
「僕は……フィーナの……」





「―――――家族さ」





言い淀んだネーヤに変わって、コンラートが続けた。その言葉に驚いたようにネーヤは目を見開く。まさかそんな台詞がこの男から出るとは思っていなかったというような反応だった。

「少なくとも俺達は10年近く一緒に生きてきた。家族同然だろ?」
「……一緒に生きてきた?アンタ達、傭兵なんだろ?」
「フィーナもあいつの親父も傭兵さ。一緒に戦場で生き抜いてきたんだ。ある意味家族より強い繋がりだぜ?だけどあいつは、4年前に突然姿を消した。だからネーヤはずっとフィーナを探してたんだ」

―――――4年前。

神官・ラドリア・アイザネーゼの3つの勢力を相手にしなければいけなかったアゼル達反乱軍の未来は風前の灯だった。誰もが最後まで潔く戦って散ることを決意したその時、突然に彼女が現れたのだ。紛れもない大神官家の証である色を纏い、額に祝福の印を頂いた彼女の存在がなかったら、反乱軍は絶滅していただろう。

―――――彼女は強かった、それはもう鬼神のように。

姫とは思えない攻撃力、また知略にも優れ、形勢は徐々に逆転し始めた。彼女の祈りの力で大地の力が少しずつ戻り始め、アゼル達も魔導力を十分に使えるようになった。また大地が生き返り始めたことで、今まで虐げられていた国民は圧倒的に彼女を支持した。それが今もフィアルが国民に絶大な人気を誇る要因でもある。

―――――あの時、もしも姫君が戻ってきてくれなかったら。

前述の通りノイディエンスタークは間違いなく滅んでいたはずだ。
しかしその為に、この少年は姫君と別れなければならなかったのだ。

(―――――だけどよ、おひーさん……)
(なんだって、傭兵なんてやってたんだよ……―――――)

―――――確かに。
10年も傭兵をやっていたというのなら、あの強さにも合点がいくというものだが。
しかし、内乱が起こる前まで、仮にも彼女は姫君ではなかっただろうか?奥神殿からめったに出てくることのない、聖なる姫ではなかったか?それがどこをどうしたら、傭兵なんかになるのだろう。

フューゲルで彼女は言っていた、自分を連れ出したのはメテオヴィースの人間だったと。メテオヴィースは13諸侯の中でも別格の、大神官家に最も近しい名門だ。だからこそ、ノイディエンスタークの王都フィストは、メテオヴィース領に取り囲まれる形になっている。





(―――――え……?)





もしかしたら。
肝心なことを、自分は聞き漏らしていたかもしれない。そう思い至って、ゲオハルトは真っ直ぐに向けられたままのネーヤの視線を避けて、コンラートに問いかけた。

「なあ」
「……?」
「フィーナの……親父も傭兵だって、お前言ったな?」
「……ああ、そうだが?」
「……その親父の……名前は?」

ゲオハルトの言葉に首を傾げながら、それでも律儀にコンラートは答えた。





「―――――ディシス。ディシス・シュトラウスだ」





(―――――一体……何をやってるんですー!ディシス様!)

ゲオハルトは本気で頭を抱えて蹲った。
フューゲルで姫君の話を聞いた時に、その父親代わりの人物の名前を聞いておくべきだった。素直にあの姫君が教えてくれたとも思えないが、それでも聞いておくべきだったのだ。

―――――ディシス・シュトラウス・メテオヴィース。

それが、彼の本当の名前だ。燃えるような真紅の髪と瞳を持つ、炎の騎士だった。
弱冠15歳で大神官付の近衛隊の隊長にまでなった、ノイディエンスターク1の剣の使い手だった青年だ。忘れるはずもない、気さくだったディシスはゲオハルトやアゼル達にも、暇があると稽古をつけてくれた。まだ少年だったゲオハルトにとっては憧れの存在だった。
―――――その彼が……内乱の折、大神官を最後まで護って、死んだと思われていた彼が。
逃げていたのだ……あの姫君を連れて。全てを捨て、傭兵にまでその身を貶めて。
何故姫君までもが、傭兵になったのかは本人に聞かなくてはわからない。けれど、ディシスは……ディシスには、それしかきっと選択肢はなかったのだろう。その剣だけが彼の持てる唯一の物だったのだから。

(あの請求書の主は……ディシス様だったのか)
(……なら、おひーさんは今ディシス様のところにいるはず……か)

「ゲオハルト様?」

イオの心配そうな声に、ゲオハルトはハッと我に返った。顔を上げると、自分を見ている3人の不思議そうな顔が目に入る。
ごまかすように苦笑しながら立ち上がって、ゲオハルトは目の前の少年を見た。通常ではありえない色の少年はその視線に動じることはない。

「……逢いたいか?」
「……」
「おひ……いや、フィーナに、逢いたいか?」
「……」

ネーヤはしばらく反応しあぐねていたようだったが、やがてゆっくりと……けれど確実に頷いた。

「僕は……」

その紅い瞳が、ゆっくりと伏せられる。その仕草を、何故だろう、ゲオハルトは美しいと思った。





「―――――僕は……フィーナに出逢うためだけに生まれてきたんだ」


* * * * *


コンラートの口から、オベリスクはどうやら地下に潜伏しているらしきことを聞いたゲオハルト達は、とりあえずの仕事は終わったということで、フィアルがいるであろうディシスの元へ向かうことにした。ネーヤはすぐにでもフィアルのことを聞きたがったが、それは傭兵街に着いてから、ということにしておいた。そうしなければ、この少年は一目散に駆け出して行きそうな勢いだったからだ。 政府街から傭兵街へ行くためには、商業地区と市場を通り抜けなければならない。特に急ぐ理由もないので、4人はのんびりと大通りを歩いていた。そんな中でも、やはりネーヤの姿は好奇の視線の的だった。

「目立つってのも大変だな、坊主」
「……もう慣れてる」

グリグリと頭を乱暴に撫でるゲオハルトの手を払いのけながら、ネーヤは少しだけ嫌そうな顔をした。

「……いちいち気にするなって、フィーナも言った」
「……あのな、坊主。お前の思考の基準って全部、おひー……いや、フィーナを中心に回ってないか?」
「……それが?」

どうやらこの少年は、そのことに何の疑問も抱いていないらしい。きょとん、と首を傾げるネーヤの瞳には何の迷いもなかった。思わず絶句するゲオハルトの肩を、コンラートが苦笑しながらポン、と叩く。

「無駄だ、無駄。ネーヤにとってフィーナは絶対なんだ。フィーナが正しいって言ったことは正しいし、間違いって言ったことは間違ってると本気で思ってるからな」
「……それは……ちょっと危険ではないか?」
「イオの言う通りだ、その思考はやべえだろ?」
「仕方ねえよ……ネーヤにとってはそれが全てなんだ。それを無くしたら、あいつの心は壊れちまう。フィーナの存在そのものが、ネーヤを生かしてるようなもんなのさ」

一人前を行く少年の後姿は、どこか孤独で、人を寄せ付けない雰囲気があった。それが変わるのは姫君の話をする時だけだ。彼女にある不思議なカリスマ性が人を惹きつけることは、ゲオハルトもよく知っている。しかしこの少年の依存はある意味、異常とも思えた。たった一人だけが生きていく理由。だが少年の瞳は、恋をしているようには見えない。そういう意味で、少年は彼女に惹かれてはいない。ただただ純粋な本能のようだ。まるで子供が親に抱くような真っ直ぐな愛情だ。

そんな物思いにふけっていたゲオハルトの耳に、その声が聞こえてきたのは、商業地区を抜けようとした時のことだった。

「……今日はまた、派手だったわねぇ」
「リリーネ様も何が悲しくて、傭兵なんかに惚れちまったんだか」
「あら、でもあの傭兵は確かにいい男だよ。あたしももう少し若ければ……」

金物屋の店先にいた数人の主婦らしき女性達が立ったまま話していたその内容に、コンラートがブフッと吹き出したので、全員の足が止まる。コンラートはそのまま、近くにあった壁をドンドンと叩いて、必死で笑いを堪えていた。
一体どうしたと言うのだろう。ゲオハルトとイオは顔を見合わせて、少年に視線を合わせる。しかしネーヤは、肩を竦めて小さく首を振った。
そんな彼等を尻目に、女性達は話を続ける。

「でも今日はなんだか派手な子達を抱えて走ってたじゃないか、ありゃ何だろうね」
「よそ者だよ。リリーネ様が走ってくるってのに、道のど真ん中にぽかんと立ってたのさ」
「よそ者?」
「あんな髪の色の人間がこのリトワルトの人間なわけないじゃないか」
「そうさね、金色と栗色の髪の毛だったよ」

(―――――金色と……栗色の……髪の毛?……ってオイ!)

そんな人間の心当たりは、あの二人しかない。見ると、イオも頬を引きつらせたまま小さく頷いている。ゲオハルトは未だ笑いつづけているコンラートに詰め寄った。

「おい!どういうことだ!?」
「……は?」

コンラートは笑いすぎて半分涙目である。しかもゲオハルトの質問の意味がわかっていない。

「リリーネって誰だ!?何があったんだ!?」
「……クハハ……り、リリーネってのはこのリトワルトの議長さ。お前達がさっき会おうとしてた女だよ」
「そいつがどうしたって!?なんで俺達の連れを抱えて走ってったんだ!?」
「……連れ?ああ、さっき言ってた金と栗色の二人か?」
「そうだ!」

ゲオハルトがあまりにも真剣な顔をしていたので、コンラートは落ち着かせるようにポンポンと肩を叩いた。

「心配しなくても、それがお前達の連れなら好都合だ。傭兵街で合流できると思うぜ?」
「……?」
「リリーネはよ、ディシスに惚れてんだ。ディシスが仕事を終えて帰ってくる度に、部下の手を振り切って、仕事そっちのけで逢いにくるんだよ。それがまた派手な逃亡劇でなぁ……大通りのど真ん中をあの巨体で走り抜けていくもんだから、ほとんど名物と化してるわけだ。この街に住んでる奴等はそれを知ってるから避けるんだが、お前達の連れは知らなかったみたいだな。道に突っ立ってたから邪魔者扱いされて、そのまま抱えられて行っちまったんだろ……まぁ行き先はどうせディシスのところなんだから、平気さ」

見物だぜ、とコンラートはまた腹を抱えて笑い出した。ゲオハルトとイオは困惑したような顔をしていたが、ここまで笑えるようなことなら大丈夫なのだろう。しかしこの国の議長がディシスに惚れているとは、驚きだった。

「……はぁ、はぁ……これでフィーナがいたらなぁ……とんでもなく面白えのになぁ」
「……な、なんでだ?」
「そりゃもう、リリーネとフィーナは犬猿の仲なんだ。リリーネにとっちゃフィーナは邪魔なコブ……いや小娘だし、フィーナにとっちゃリリーネは父親に懸想したバカ女、ってんでな。まぁディシスはフィーナが一番大事な男だから、軍配は元々フィーナに上がってんだけどよ」





―――――いる。





今、フィアルはどう考えてもディシスの側にいる。
そしてリリーネという議長も、そこにいる。

考えたくない光景に、ゲオハルトもイオも思わず回れ右をして帰りたい気分だった。
というか自分達はオベリスクを退治するためにこの国に来たのではなかっただろうか?こんな家庭内修羅場を見るためだっただろうか。

はぁ〜……と大きなため息をついて肩を落とした二人の大男を、ネーヤは不思議そうに見上げていた。