Clover
- - - 第7章 父と娘9
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―――――しばらくの沈黙があった。

父と娘は静かに……ただ見つめ合っていた。いや、お互いに視線を逸らすことができなかったのかもしれない。
レインはそんな二人を黙って見守るしかできなかった。

―――――ノイディエンスタークへ戻る。

それだけのことが―――――できない。
二人の間には深い絆の反面、大きな何かわだかまりがあるようにも思えた。
10年は、簡単に語れる長さではない。それだけの時間を共に過ごしていたはずの娘を一人残して、何故彼は今もこうして傭兵をしているのだろう?
元々メテオヴィース侯爵家の地を引く者ならば、戻ろうと思えば簡単にノイディエンスタークには戻れたはずなのに。

レインがそう疑問を覚えた時、ふっと視線を逸らしたのはディシスの方だった。

「……後で、話そう」
「……」
「真昼間から話すことじゃねえし」
「……昼間とかそういうの関係あるわけ?」
「……とにかく今は話す気分じゃねえんだよ」

そう言い捨てて、ディシスはフィアルの視線から逃げるように顔を背けた。灰皿代わりの空き缶に煙草を揉み消し、新しい煙草を咥えて火をつける。せわしなく吐き出される紫煙に、フィアルは少しだけ嫌そうな顔をした。

「―――――それに」
「……?」
「お前、オレがいないのがそんっなに淋しいのか?」
「……何を言ってるんでしょう、このおっさんは」

棒読みで返ってきた答えに、ディシスはニヤリ、と笑ってフィアルを見やった。
その笑いはどうやらフィアルの勘に触ったらしい。
眉間に深い皺を寄せるフィアルを見て、ああ、これはまたあのパターンか、とレインは思った。

「まぁな。お前がまだこーんなチビだった頃、一緒に風呂にも入ったし、いろいろと世話も焼いてやったもんなぁ」
「……」
「そうか、そんなにこのお父上様が恋しいのか、フィーナ。わかったぞ、お前がそこまで言うなら、あっつい愛のベーゼを……」





―――――ズンッ!!





……鈍い音だった。
レインの予想通り、しかし今度は蹴りではなく鳩尾に、フィアルは手加減無しの拳を沈めた。ディシスは咥えていた煙草をポロリと落とすとテーブルの上で蹲る。それもそうだろう、今のは間違いなく急所を直撃したはずだ。
しかしフィアルはそのまま何事もなかったかのように、椅子に深く座りなおすと、お茶を口に運んだ。

「口は災いの元ね」

にっこりと笑って話しかけられても、レインは曖昧な顔をするしかない。

「……いいのか?」
「……心配不要。ほっといていいのよ、こんなの」
「いや……でも今のはモロに入ってた気がするんだが」
「別に出てくるもんはさっき食べたニンジンくらいのもんでしょ。わあ、すごい!反芻して食べるほどニンジンが大好きになったなんて……さすがはお父上様でいらっしゃいますこと、っていうかもったいないおばけが出るから、吐くだけだったらもう一発くらわすぞ、ってなもんね、オホホ」

何気にひどい言い草である。
誰が好き好んで自分の嫌いな食べ物を反芻してまで味わうだろうか?いや、わかっていてそう言っていることは間違いないのだが。 どうして……こうもこの少女は暴力的なのだろう。

本当は彼女は不遇な身の上のはずだ。
親を殺され、国を追われ……それまでとは全く違う生活を余儀なくされたのだがら。
しかし育った環境が人格形成に大きな要因をもたらすものならば、目の前で悶絶しているこの男の自業自得と言えなくもない。
……彼女を育てたのは、ディシス本人なのだ。

「……お〜れ〜は〜……ッ!……こんな娘に……育てた覚えは……ナイッ!」

レインの心の声を感じ取ったかのようにディシスはようやくその身を起こした。
意外に早いその復活に、あら、という風にフィアルは驚いた顔をする。つまり本当に手加減無しだったのだろう。

「……さすがに打たれ強いなあ」
「強くもなるに決まってんだろ!10年間お前にどれだけドツかれ、蹴り飛ばされ、殴られたと思ってんだ!しかも何気に急所を的確に突いてきやがって!」

……そんなに虐待されてたのか、とレインは目を伏せつつ、ため息をついた。
しかしディシスには、そのため息は気に食わなかったらしい。その怒りにまかせて、不躾にレインをジロジロと見やった。

「……っていうか今まで気付かなかったが、お前誰だ!」





(―――――……気付いてなかったのか?)





思いっきり目の前にいたのに、姫君以外は眼中になかったということなのだろうか。
それはそれで失礼な話だが、自分から自己紹介をしたわけでも挨拶をしたわけでもないので、お互い様のような気もした。

「……気付かなかったの?傭兵辞めたら?」
「あのな、お前のインパクトが強すぎんだよ。大体なんだコイツは、まさかお前の男じゃねえだろうな!?」

急に敵意を込めて見られても、レインには反応のしようがない。その無表情っぷりが、ますますディシスの怒りに油を注いだようだった。そう言えば赤燕亭の男も言っていたような気がする。男と一緒なんてよくあいつが許したな、と。この場合のあいつというのはまさしく目の前にいるこのディシスを指すのだろう。

「許さん!許さんぞ!オレの目の黒いうちは絶対にお前を嫁には出さん!特にこんな仏頂面の男はダメだ!男にはある程度の愛嬌が必要なんだ!まぁ愛嬌ばっかりだとあのフューゲルのエロガキになっちまうから、多少は真面目さも兼ね備えてだな。ついでに顔もよければ剣の腕も超一流が理想的だ」
「……愛嬌は仕方ないにしても、他の部分は満たしてるような気がしなくもないけど……」

ねえ?と苦笑いしながら見上げてくるフィアルに、レインは知るか、といった表情で返した。そんな話題の振り方をされても答えようがない。と言うより、彼の激しい誤解を先に解いてくれないだろうか、とレインは切実に思った。

「レインはね、王子様なんだよ」
「……あ?」
「だから、王子様なの」

唐突にレインの身分を明かす姫君の言葉に、弾丸のように話し続けていたディシスの口が止まった。
ぽかん、といった風に呆けている。

「……王子?」
「うん」

じっと自分を見るディシスの視線に遠慮というものは存在しない。まるで品定めをされているようで居心地が悪い。しかし生来持っている性格は変えようもなく、レインはその視線を真っ向から受けとめる形になった。

「……なるほど……ラドリアの死神か」

やがて、ディシスの言葉と共に、その視線はレインから外された。

「……」
「縮れてない黒髪に黒い目なんてこの大陸じゃアンタしかいないだろ?それにそっちは知らなくてもオレ達は知ってるしな。どうりで、見たことある面だと思ったんだ」
「……俺を……知ってると?」
「あー……それ、話してないんだよね」

フィアルがバツが悪そうな顔をしたので、レインは眉を顰めて隣の少女を見た。この姫君は以前から自分を知っていたというのだろうか?あの玉座の間で会ったのが初めてではなかったのか?しかしレインには、過去にこの二人に出会った記憶はまるでなかった。

「何だ、話してねえのか?」
「……傭兵やってたこともついさっき話したばっかり」
「ああ!?お前まさかあの坊主達にも話してないのか?」
「アゼル達のこと言ってるなら、答えはイエス」

はっ!と小さく言葉にもため息にも取れる音を発して、ディシスは無造作にまた煙草を取り出し火をつけた。ガリガリと頭を掻く仕草から察するに、どうやら苛立っているらしい。

「苦労人だな……アゼル坊主も」
「なんでよ、別に今の状況に関係ないと思うけど?」
「そんくらい話してやれよ。お前は結構秘密主義だからな、周囲を不安にさせるぞ」
「聞かれてもいないのにどうやって話せって?唐突に、私って実は傭兵やってたんだあ〜とは言えないじゃないの」
「……ま、まぁな」

フィアルの言うことも最もなのだが、微妙に配慮に欠けている感は否めない。そんな二人のやり取りを顔を歪めたまま聞いているレインに気が付いて、ディシスは皮肉気に笑ってみせた。

「つまりな、オレらはアンタの下で働いてたことがあるんだよ」
「……?」
「アンタのスクライツ侵攻の時に雇われてたんだよ。だからアンタのことも知ってる。なんてったって総大将殿だったからな」
「俺の下で……!?」

確認の意味も込めてフィアルを見ると、彼女は少しだけ困ったように頷いてそれを認めた。
悪気があって黙っていたわけではないんだ、と。
確かに一介の傭兵と将軍では、顔を合わせることもなかったのだろうが……それにしても奇妙な縁もあるものだ、とレインは思った。

「アンタの実力は知ってるつもりだけどよ、フィーナのことはそれと話が別だ、認めねえ」
「……別に認めなくてもかまわないが」
「なんだよ?あっけなく引き下がるのか?」
「いや……そういう意味じゃなく」

確かに結婚を申し込んではいるものの、自分にも彼女にもその気はまるでない、と言ったら、何故だかこの目の前の過保護な男が怒り出すような気がして、レインは続けるのを躊躇してしまう。
それでなくてもこの男の視線には力があった。何故だかそらすことを許されないような、そんな強い瞳だ。今は青いその色が、もし本来の紅に戻ったなら、その威力はますます強くなるように思える。

「―――――だから、そういうんじゃないんだってば」

やんわりと二人の間に入って、フィアルは笑った。

「レインと2人で来てるわけじゃないのよ。総勢6人の大所帯なの」
「……6人!?お前なんでそんな大人数で、オレに逢いに来るんだ?」
「―――――自惚れんな。ディシスに逢いに来たのがついでなのよ」
「……じゃあお前達……なんで……」

そこまで言って、ディシスは突然動きを止めた。
顎に指をやり、考えるような仕草を見せる。そして何もかもわかった、というように少しだけ困った顔を見せた。

「―――――オベリスクか」
「……正解」

にっこり笑うフィアルに、ディシスの瞳に父親らしい光が宿った。心配しているような、見守っているような、そんな心情が見え隠れする。

「情報は入ってる……シオンが動いてるってな。各国に一体ずつオベリスクが作られたことも聞いた」
「じゃあそれを私が外交に利用したことも知ってるわけね」
「……まぁな」
「じゃあ動いてるのがシオンだけじゃないってことも、わかってるよね?」
「……ああ……神官の……あいつもか」

機密ともいえることを淡々と語る二人は、やはり傭兵なのだろう。
ディシスもやはりノイディエンスタークのことは気になっていたのか、情報は一通り知っているようだ。

「……もう一人、いるのよ」
「……もう一人?」
「ディシスもよく知ってる人よ。彼も動き出したわ」

怪訝そうな顔で考えを巡らせていたディシスは、はっ……と思いついたかのように、表情を強張らせた。
信じられないものを見るように、ゆっくりと娘の顔を見やる。
その視線を受けたフィアルは、なんとも表現のしようのない、複雑な感情を込めた瞳でディシスを見返した。

「……待ってたの」
「……お前……」
「この2年間、私はずっと待ってた。心の底から願っていたの」





―――――だから。





「一緒に、来て」
「―――――!……お前は……どうして……」
「私が、ディシス達を雇うわ。傭兵としてでいい。それでもいいから、来て」





全てを、見届けろと言うのか。
そうしなければ、救われないのか?

(―――――……お前達の倖せだけが、オレの望みだったのに)

俯くことしか、歯を食いしばって耐えることしかできない。
そしてきっと、それを拒むことはできないのだと、ディシスは知っていた。