Clover
- - - 第7章 父と娘11
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「……ネーヤ?」

すこし驚いて目を丸くしていたフィアルは、自分を抱きしめる少年が誰であるか気付いて、その名前を呼んだ。
別れた4年前。フィアルより背が低かった少年の肩は、今は彼女の顔の高さになっていた。
純白の髪が、目の前でさらりと揺れる。

「ネーヤ?」

もう一度、呼びかける。
その声に反応して、ネーヤはすっと腕の力を抜いた。
血の色の瞳が、ゆっくりと自分に向けられるのを、フィアルは何故か絵画を見るような気持ちで見つめた。

「ネーヤ」
「……フィーナ」

名前を呼び合う。
感情があまり浮かばないネーヤの瞳が喜びで潤んでいるのを、フィアルだけが見ることができた。
フィアルはそのまま手を伸ばして、両手で柔らかく彼の頬を包み込む。ネーヤは抵抗せず、そのままそっと瞳を閉じた。久しぶりに感じる彼女の手のひらの感触が、変わってはいなかったのが嬉しかった。
フィアルはネーヤの顔を引き寄せて、コツン、と額を合わせる。
これは彼女の癖のようなもので、親しい人間に逢った時に必ずする動作の一つだ。それがネーヤには何より嬉しい仕草だった。

「ただいま」

合わせた額から、暖かな熱を感じる。

「ただいま」

繰り返す声は、何より愛しい音色。
―――――誰よりも、何よりも、君が全て。

「……おかえり」
「うん……ごめんね」





―――――だから。
―――――僕を置いていかないで。


* * * * *


目の前で繰り広げられる、まるで恋人同士のような光景に、その場にいた全員が呆然としていた。
フィアルがあんな風に柔らかく笑うのはとても珍しいことだった。

「―――――感動の再会は、済んだか?」

一番最初に復活したディシスは、呆れたように小さく笑いながら問いかける。それに反応して、額を付け合っていた二人はゆっくりと離れた。そして未だ固まったままの全員を見回す。

「……うわ……何よ。気が付けば全員集合じゃないの」

最初は3人しかいなかったはずの部屋の中は、今や10人の人間で埋め尽くされている。いや、正確に言うなら、部屋の中にいるのはフィアルとネーヤだけで、他の人間はみな戸口付近に固まっていたのだが。

それに気付いたディシスは、とりあえず全員を部屋の中へと招き入れた。廊下にこんな大人数で立っているのも確かに不自然だ。もちろん部屋に備え付けられた簡素なテーブル周りには、4人が座るのが限度だったので、残りの人間はみな好きなところにとりあえず腰を落ち着けた。

「さて、何から話せばいいんだ?これは」
「……何からって言われてもね……キールとリーフはリリーネの暴走に巻き込まれて連れて来られたわけだし……。ゲオとイオは何でコンラート達と一緒にいるわけ?」

何をどう話せばいいのやら。
コンラート達とリリーネには、自分達の素性を全く話していない、と言うか話すつもりのない父娘である。
ノイディエンスタークの面々の前でならいろいろと昔の話も交えて話すことができるが、この面子の中ではそうもいかない。フィアルはそれを見越して、とりあえず当り障りのなさそうな経緯についての説明を促した。

「政府街で逢ったんだよ」
「……政府街?二人ともどうしてそんなところに行ったのよ?私が頼んだの、調査でしょ?」
「いや……それがよ……」
「この筋肉バカは、俺の忠告を無視して政府街で聞くのが一番早いって出ていったんです」

言葉を濁したゲオハルトに、キールがフォローにもならない説明をつけた。1の説明で10を理解する聡い彼女は、呆れたように大げさなため息をついた後、コンラートに視線を動かした。

「……で?コンラートとネーヤはなんで政府街なんかにいたわけ?」
「金の受け渡し。この間までの仕事の金をそっち側の人間にもらいに行ってたんだよ」
「……ディシスを置いて?」
「こいつ、何度も起こしたのに全然起きねえんだよ。昨夜もすいぶんとまぁご乱行だったからな」
「うるせえな……ご乱行って言ってもちょっとばかり飲みすぎただけだろ?」

娘のじとっとした視線に、慌てたように言い訳がましい言葉を吐いたディシスは、余計なことを言うなというようにコンラートを睨み付けたが、

「ちょっとじゃなかった」

というネーヤの一言にそれは効果を失った。

「それで?ネーヤ」
「……軽くセルシュ3本は飲んでた。その後バルザに行って、帰ってきたのが今朝だった」

にっこり笑うフィアルに促されて、ネーヤは特に何も感じた様子もなく淡々と事実だけを口にした。コンラートには口止めできても、フィーナ第一主義のネーヤの口を塞ぐ術はない。

セルシュはこの地方独特の酒で、かなり辛口で強い。そしてバルザというのは、傭兵街にある娼館の名前だった。

「ふーん……ま、いいけどね。支払が私に来ないことと、性病さえもらってこなければ」
「お前ね……仮にも年頃の娘がそうストレートに性病とか言うな」
「傭兵の死因の3大原因は、戦死、中毒死、そして性病よ」
「……」
「悪いけど父親が性病で死にましたってのはイヤだからね」

釘をさされて意気消沈したディシスを尻目に、フィアルはノイディエンスタークの面々に向かって話を続けた。

「えっと、一応紹介しておくけど……このフィーナさんが、傭兵のフィーナさんが、フィーナさんが!紹介しておくけど」

三回も繰り返されたことの意味がわからないほど、さすがにゲオハルト達はバカではなかった。

(ここでは絶対に姫とか呼ぶな。ここではフィーナ!職業は傭兵!わかったわね?)

という無言の圧迫を感じる。
コクコクと頷く面々に、フィアルは満足気に笑った。その表情に、レインが呆れたような視線を向ける。ギッと睨み付けると、その隣にいたネーヤが同じように睨んできたので、レインは眉根を寄せた。
―――――なんだって全然関係のない人間に睨まれるんだ?といった表情である。
ネーヤにとって、フィアルの敵が自分の敵なのだと知らないレインには、その表情の理解ができなかった。

「こっちがコンラート、この子はネーヤ、二人とも傭兵。そんでそっちの年増がこのリトワルトの議長のリリーネ」
「うるさいよ、小娘」
「……そんでそこの性病寸前のおっさんが、あの怒りんぼ大王と同系の私の父親、ディシス」

多少回りくどい表現ではあったものの、一応全員がそれを理解した。その後、何故か照れたようにゲオハルトが笑う。

「ディシス様、本当にお久しぶりです」
「……?……ゲオハルトか?」
「はい」
「……お前といい、キールといい……なんだってこんなにみんなでっかくなるかな……歳を感じるぜ」

もちろんアゼル坊主もでかくなったんだろうなぁ、と感慨深げにディシスは遠くを見るような顔をした。アゼルの父親である前神官長ユーノスとディシスは従兄弟同士だった。今の13諸侯の中で一番血縁的に近いのはアゼルなのだ。

「……で?なんなんだい?この男達はみんなあんたの連れかい?フィーナ」
「そうだけど?」
「……不自然だねぇ。なんだってこんな風変わりな連中ばっかりなのさ。どうみたってリトワルトやオデッサの人間じゃないよ?」

(―――――まぁ、そんなのは一目瞭然よね)

リリーネがそう返してくるのは予想の内だ。いいのか悪いのかわからないが、ノイディエンスタークの諸侯の半数以上は目立ちすぎる色を持っている。今回で言うのなら、キールとリーフがそれだった。

「―――――オベリスクよ」

フィアルは特に隠すこともなく、そう告げた。
リリーネの目が議長のそれに変わり、訝しげに細められる。

「……へえ、あんたがそれを知ってるのかい?」
「この人達はそれを討伐にきたノイディエンスタークの人間。そしてそれが、私の今の仕事よ」
「仕事ね……傭兵稼業を辞めたわけじゃないってことかい?」
「そんなことまでアンタに言う必要があるの?ここでほっぽらかして帰っても私は全然かまわないのよ?」
「……」

リリーネが悔しそうに唇を噛む。やっぱりこの姫は一枚上手だ。自分の持つカードを最大限に利用している。

「リトワルトが一番被害者が多いって聞いてるわ」
「……そうだよ。あいつは何をとち狂ったのか評議会堂の地下に巣くってるんだ。やられたのは一般市民じゃない、みんなギルドの連中さ。自分が倒そうって奴らが多くてね、犠牲が増える一方だ。アイツは寝ぐらこそ評議会堂だが、地下通路のどこへでも現れるんだよ。この間も盗賊ギルドがやられて、ほとんどが殺されちまった」

苦々しい表情で言うリリーネに、フィアルが眉を顰める。
その横で、なんだよ、オレ達が調べる必要ないじゃないかよ、とゲオハルトががっくりと肩を落とした。
だが結果的にそうなっただけであって、リリーネとここで逢うとはさすがにフィアルは予想していなかったのだから仕方がない。

「一般市民には知らせてないのね?」
「言えるかい?あんたなら。パニックになるのはわかりきったことじゃないか」
「そうね、私でも言わないわね」

リトワルトの市民には結束意識と言うものが希薄だ。長い内乱を戦い抜いたノイディエンスタークの民とは決定的に違う。商売に都合がいいからそこにいるのであって、国を守ろうという気質は元々持ち合わせていないのが実情だ。

「ギルドの連中に話をつけるのに、どのくらいかかる?」
「……この小娘、最初からあたしにやらせるつもりだったのかい?」
「当たり前でしょ?アンタの国のことなんだから。ディシスに逢ったらすぐアンタのところに行くつもりだったし」
「一日が限度だよ?ギルドの連中を地下から退避させるのなんて、簡単にできる話じゃないんだ」
「一日で充分、カタはつけるわ」

話をつけるのに3日はかかる、と言われフィアルは納得した。ギルドの人間はある意味頑固な人間が多い。しかもギルドは一つではないのだ。それを説得して回る労力を考えると、どう早く見積もってもそのくらいはかかるだろうとフィアルも思っていた。

そんな中、あまりにも会話がスムーズに進むので、レインは少し拍子抜けしていた。先程まで低俗な言い争いを繰り広げていた二人にはとても思えない。それが人の上に立つ者の技量、というものなのだろうか?

「じゃあ決まりね、明日から3日が説得期間、討伐は4日後よ。さ、行った行った」
「……ちょっとお待ち。あんた何だかんだ言いつつ、ディシーからあたしを遠ざけたいだけなんじゃないのかい?」
「あら、何のことかしら?」

ニッコリ。
その笑いがいつもながら怖い。
それを見て、リリーネは隣のディシスの腕にガバッとしがみついた。

「おわっ!」
「やだよ!説得は明日からだよ!今日はディシーと愛を語り合うんだよ!」
「あのね、語り合うような愛がディシスにあると思ってんの!?ディシスにあるのは本能だけよ!」
「……あのな」
「本能のままなディシーがあたしは好きなんだよ!ほっといておくれ!」
「……お前等な……何で二人して最後にオレを貶めるんだよ!」

諦めろ、お前はそういうキャラなんだから、と慰めにならないフォローをコンラートが入れる。その口の端が上がっているのを見て、ディシスは不機嫌そうに顔を歪めた。

「いい?ネーヤ。あんな風に人におもちゃにされるような男になっちゃダメよ?」
「……?……うん」

隣に座っていたネーヤに、まるで子供に言い聞かせるようにフィアルは話しかける。ネーヤは不思議そうに首を傾げていたが、やがてこっくりと小さく頷いた。

「こらそこ!ひよこに妙な知識を教えるな!」
「……ひよこ?」

なんだその呼び名は、といった風に問い返したキールに、コンラートが笑いながら教えてくれた。

「ネーヤのことだよ。ディシスはいつもそう呼んでる」
「……何故ひよこなんです?」
「そりゃお前、あれだよ、インプリンティング、刷り込みってやつ。どこに行くにも何をするにも、フィーナの後ろをちょこちょこついて歩いてたもんだから、ひよこそっくりだったんだ」

なるほど……とキールが納得したように首を振り、目の前の二人を見た。再会の時には恋人同士のようだった二人が、何故か今は親子のように見えるのは何故だろう。彼女に触れられる度にネーヤの顔がどこか安心したようなものになる。それをわかっていて、この姫は不必要に思える程に、この少年に触れているのだとキールにはわかった。

―――――優しい人だ。
その優しさは素直ではないので、とてもわかりにくいものだけれど。

そんなキールの視界の端に入ったディシスもまた、そんな二人を見つめていた。
それは穏やかな、優しい父親としての瞳だった。