Clover
- - - 第8章 旧友1
[ 第7章 父と娘12 | CloverTop | 第8章 旧友2 ]

「……オベリスクも残り2体、か……思ったよりあっけなかったな」
「元々知能のそれほど高くない動物が核ですから……唯一フューゲルの1体は違いましたが……」
「わかっている。所詮あんなものは時間稼ぎに過ぎぬ。倒されようとかまわぬわ」

蝋燭だけが灯されたその部屋で、黒いローブを被った男の声は怖いほどに響いた。否、部屋だけではない。この館には光というものが一筋たりとも入らぬようになっているのだった。

「魔竜は復活する。問題は魔導環がどこへいったのかわからぬ点だ。シオンは何と言っている?」
「強力な依代になる存在が近くにあったのだろうと」
「依代……?人か?」
「おそらくはその可能性が高いと思われます」

傍らに膝をついている片目の騎士に、男はギョロリとした視線を向ける。その拍子に垣間見えた顔は、左半分が醜く拉げていた。

「……見つけ出せ、なんとしてもだ。魔導環はそう簡単には作れぬもの。新たに作ろうとすれば、また長い年月がかかるのだ。私はそんなに待ってはおれぬ」
「は……」
「私には魔竜が、魔竜の加護が必要なのだ。聞けば巫女姫は、神竜を封印したまま、どんなに説得してもそれを解こうとはしないそうではないか。神竜さえいなければ、我等に恐れるものなど何もない」

ニヤリ、と男が笑う。しかし騎士の表情は変わらなかった。

「シオン殿には、ファティリーズ侯爵を捕らえよとの命を受けておりますが」
「ファティリーズの小僧をか?……ふん、また何かの実験に使うつもりか。この間も生娘を30人ばかり与えてやったばかりだというに……指一本触れずに単なる実験材料として全員殺してしまったそうではないか」
「シオン殿は女性には興味がないご様子ですから」
「違うぞ、あやつは人間に興味がないのだ」

面白味のない奴よ、と男はまた笑った。そして騎士に向かって、笑った顔はそのままに命を下す。

「仕方がない、ファティリーズの小僧をとっととシオンに与えてやれ。しかし一番重要なのは魔導環を探すことだ。努々忘れるでないぞ」
「……は」

従順に命令に従う彼に、男は満足そうに頷く。そして少しばかりの揶揄をこめて語りかけた。

「お前ならしくじることはあるまい。のう……元副団長殿」
「……その地位は遥か昔に捨てたものです。お許しください」
「何を言う。そなたの腕は誰もが認めるところ。2年前に魔神官様を護りきれなかったのは、相手が化け物だったからではないか。あの巫女姫は化け物以外の何物でもないわ。今では闇魔導までも使いこなすと聞いたぞ?光の存在でありながら、闇まで操れる。生まれながらの化け物よ」

騎士はその言葉に、何の反応も示さなかった。その言葉は肯定することも否定することもできない。その様子をつまらなそうに見やって、男は独り言のように繰り返した。

「必要なのは魔竜よ……あの大いなる存在があれば、我等の時代が来る。この世界は我が物になる」
「あの大いなる存在があれば」
「あの存在があれば……」

何もかもがもう、狂ってしまっているのだ。
……もちろん、自分自身も。
そう思いながら、騎士は冷静にその様子を見つめ続けていた。


* * * * *


「ディシー?」
「……あ?どうした、リリー。飲んでたんじゃないのか?」
「いやだね、あたしだって前日まで飲んだくれてるほど常識がないわけじゃないよ」

黒い夜の海を宿屋の屋根から見ていたディシスの側に、リリーネは笑いながら近づいて、隣にゆっくりと腰を下ろした。その瞳はいつもとはどこか違って、穏やかだった。

「明日、フィーナが仕事を終えたら……どうするんだい?」
「……一緒に、行くつもりだ」
「……傭兵として?」
「―――――……父親として、かな」

ディシスの答えに、リリーネはふっと目を伏せた。ディシスがこの街に戻ってきてから2年間。いつかこんな日が来ることは、覚悟していたので、それほどショックは感じなかった。
ただ、ふっと胸に小さな穴が開いた気がするだけだ。

ディシスの目は、いつでも遠くを見ていた。
その先にはいつでも、あの娘がいたのだ。

「そんなに、大事かい?フィーナのことが」
「……ああ」

こともなげに彼は言う。自分の気持ちを知っていても、偽りの優しさはくれない人だ。自分を愛しているとは、嘘でも言わない。娼館で買った女を抱いている時も、愛の言葉を囁くことはしない人なのだ。
そもそも彼は、娘以外の女性に、心惹かれたことがあるのだろうか。ずっと心に抱いていたその疑問を、今なら聞けるかもしれないとリリーネは思った。

「ディシーは、フィーナ以外で、惚れた女はいないのかい?」
「……オレ?」
「そう。男として愛した人はいないの?」
「……そりゃ全然いないってわけねえだろ?オレをいくつだと思ってんだ、リリー?」

ディシスの顔に苦笑いが浮かぶ。でもその微笑みには、どこか作り物めいた感情が感じ取れた。

「ディシー、子供の頃の初恋とかは数に入らないよ?」
「……え」
「……そう答えるってことは、やっぱりいないんだね?」
「……待て!いや……そんなことは……」
「考えなくちゃ出てこないようじゃ、ないってことだよ」

リリーネの言葉に、ウッと答えをつまらせて、ディシスは困ったような顔をした。こんな子供っぽい表情がリリーネは大好きで、ついつい彼を困らせるような行動をしてしまうのだ。

「……ああ、でもいるな……一人だけ」
「……へえ」
「フィーナの……母親だ」

愛していた、というよりは憧れに近いものだったような気がする。

フィアルの母、ジークフリートの妃だったユリーニは、聖のイエンターラー家の娘だった。自分よりずいぶんと年上だったにも関わらず、いつでも少女のようだった女性だ。
ジークフリートとは政略結婚だったが、彼女は真っ直ぐに彼を愛していた。その一途さと素直さに、憧れた。

フィアルは、母親を知らない。
ユリーニは、フィアルを産んですぐに帰らぬ人となった。大きすぎる力を持った子を産んだ影響なのか、竜王までも産み落としたからなのか、それはわからない。確かに元々丈夫な女性ではなかったのだ。
フィアルは全くと言っていいほどユリーニの血を受け継がなかった。どう贔屓目に見ても、完全な父親似だ。大神官家の血はそれほど濃いということなのだろうか。昔はその血を絶やさないために、近親婚を繰り返したという話も聞いたことがあった。

「フィーナの母親……ね」

その呟きにふと我に返る。
リリーネはフィアルとディシスの間に血の繋がりがないことを知らない。

「……ねえ、ディシー?」
「何だ?」

リリーネの顔がすっと真剣な光が帯びる様子を、ディシスはぼんやりと見やった。
そう言えばこんな風に穏やかに話すのも、初めてではないだろうか。

「ディシーは……いつまであの娘の背中を追いかけるつもりだい?」
「……。何が言いたい?」
「昔からずっと思ってたよ。ディシーの目は、フィーナの背中をずっと追い続けてる。最初はそれを親としての愛情だとあたしは思ってた……でも、違うね」
「……違う?」

眉を顰めるディシスに、リリーネは微笑んだ。本当に気付いていないのだろうか。だとしたら筋金入りの鈍感である。そんなところも彼の愛すべき資質ではあるけれども。

「ディシーはフィーナに負い目があるんだね」
「……」
「まるで償いみたいに見えるよ。あたしが気付いてるんだ、あの敏感なフィーナが気付かないはずないさ。それでもあの娘はそれを一言も口にはしないだろう?しゃくだけど……あの娘はわかってるんだね。わかってて黙ってるんだよ……あんたを想って」
「……償い……」

それは、2年前のあの日からの話ではない。リリーネの言う通り、国を出てからずっと……自分はフィーナに、ジークフリートの面影を重ねていたのかもしれない。

―――――護れなかった……その、負い目を。

「だから、聞くよ?ディシーはいつまで、フィーナの背中を追うつもりだい?」

リリーネが真っ直ぐにディシスを見つめる。
その瞳をそらすことはしない。それは彼女を傷つける。





「―――――……多分、一生だ」

……それでも、嘘が言えなかった。