Clover
- - - 第8章 旧友2
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(裏切り者)
(お前はあの方を巫女姫に売ったんだ)

―――――違う。

(お前が裏切らなければ)
(お前があの娘を殺していれば)
(あの方は死なずに済んだんだ)

―――――オレには、殺せない。
―――――この手で育てたんだ。ジーフリート様に託されたんだ。
―――――大切な、娘だ。

(ならば、あの方は死んでもよかったのか)

―――――違う!

(お前の娘が、あの方を殺した)
(お前が殺した)

―――――違う!違う!違う違う違う!
―――――オレは、そんな結末は望んでなかったんだ!

(光と闇は、決して重なることはない)
(お前は光を選んだ)
(闇を見殺しにした)

―――――やめろ!

(私は―――――お前を決して許さない)

―――――なら。
―――――お前なら、どんな道を選んだんだ?
―――――オレ達の立場が、もしも逆だったとしたら、お前はどの道を選んだんだ?





―――――……オレには……答えが見えない。


* * * * *


こんな大人数で来るはずじゃなかった、とフィアルは人知れずため息をついた。

地下に降りると、独特の据えたような香りが鼻につく。
リトワルトの首都、ラスクアの地下全体には無数の水路が張り巡らされている。この地下はギルドの世界だ。普通のギルドから、盗賊、毒薬、そう言ったものを扱うギルドまでが互いを牽制し合いながら、依存しあって存在していた。
ラスクアのもう一つの顔、それがこの地下のギルド街なのである。

リリーネの力で、何とか一日だけこの地下水路からギルドの面々を退避させたはいいものの、自分の後ろをついてくる総勢9人の面々に、フィアルはげんなりしていた。まさかディシス達やリリーネまでがついてくるとは思わなかったのだ。

「役に立ちもしないのに……こんな大人数でゾロゾロと……ああ、私の美学にめっちゃ反する」
「……気持ちはわかります」

先頭を行くフィアルの横を、いつものように歩いていたキールが苦笑した。彼女が少数精鋭の機動力を好むのはよく知っている。だからこそノイディエンスタークには正式な軍隊が存在しないのだ。エセルノイツはどの隊も構成員は20人程で、その分優秀な人材が厳選されていた。

「……姫」

キールはフィアルの耳元に唇を寄せて、囁くように呟いた。

「どうするんです?姫が魔導を使うのはまずいんじゃないんですか?」
「……ディシス達はともかく、リリーネには極力知られたくないなぁ。あの女と政治的な話をするなんてぞっとしなくもないもの。コンラートの方は薄々感づいてる気がするし、別にバレても何も変わらないと思うからいいんだけど……」
「後ろの彼には?」
「ネーヤは大丈夫。私の正体とか、身分とか立場とかに興味のある子じゃないの」

今度はフィアルが苦笑する番だった。先程からキールが口にするのは自分に関する心配ばかりだったからだ。

「キール、私より自分のこと心配してね?」
「……俺は、平気です」
「ダメよ。ノイディエンスタークに帰るまでの間は、絶対に一人での行動は避けて。奴等がキールのことを狙ってるってわかった以上、放っておくわけにはいかないの」

フィアルはリーフから、そしてキール本人からも、リトワルトの裏通りで起こったことの報告を受けていた。キールを狙った人間の見当もその話からついてしまった。
シオンがキールを使って何をしようとしているのか。そんなことはさすがにフィアルにもわからない。けれどそれが、よからぬことに違いないことは疑いようもなかった。

(それに……)

ちらりと、一番後ろを歩いてくるディシスを見て、フィアルはまた前を向く。

(キールを狙ったのは……)

―――――左眼に傷のある男……だ。

フィアルにとって、それが必然でも、ディシスにとってそれは突然でしかない。
きっと自分は、また、ディシスを泣かせるのかもしれない。

「とりあえず、限界まで私は魔導は使わないつもりだけど、最後のトドメの時だけはね。ディシスに目くらましで炎でも呼べって言っておいたからなんとかなるでしょ」
「ディシス様が炎を呼ぶんですか?」
「……腐ってもメテオヴィースだし……そのくらいのことさすがに覚えててくれなくちゃ困るんだけどね……保証はないけど」

10年以上、ディシスは魔導力を使っていない。
フィアルもノイディエンスタークに戻るまではそうだった。
そう言えば、自分はこんな力も使えたんだな、と他人事のように感じて、最初は確かにおかしな感じがしたものだった。


* * * * *


「この地下水路は、もともとこの街にもしものことがあった場合に、防空壕として利用できるように作られたものなんだ」

そんな2人の会話を遮るように、一番後ろを歩いていたリリーネが話し出す。
伊達に議長を務めているわけではないというわけか。

「どの街も、それぞれに理由があってそう形成されている。リトワルトは全てが人の手で作り出した、人のための国だ」

そう言うリリーネはどこか誇らし気に見えた。そう、だからこそこの国は、大陸の中でも一番商業の発達した国なのである。

「でも、だからこその弊害もあるわよね」
「……なんだって?」
「私がもしこのラスクアを攻め落とそうとするなら、やることは一つだけでいいと思うわ」
「……なんだい、それは」
「水よ。この水路に毒を流すの。この街はそれだけであっという間に全滅よ。違う?」

先頭を進んだまま、振り返らずに放たれたフィアルの言葉に、リリーネは凍りついた。確かに今ラスクアはこの水路だけに飲み水を頼っている。その水が汚されれば、あっという間に街は全滅だ。
……しかしそれは傭兵の思考ではない。どちらかと言えば裏で雇われた暗殺者、もしくは政治的意図を持つ人間の考え方だ。

(相変わらず……わからない娘だね……)

リリーネは内心でそう思いながら、精一杯の皮肉をこめた声で姫君に話しかけた。

「……さすがっていうべきかね、【エストワール】」
「……その呼ばれ方、嫌いなんだけど」

隣を歩くキールは、姫君の顔が不機嫌に歪められるのに気付いた。

「【エストワール】って、何のことだ?」

ゲオハルトが振り返りながら尋ねると、リリーネは肩を竦めながら答える。

「【エストワール】ってのは、この地方で伝えられている神話の中に出てくる女神の名前だよ」
「……女神?」

(おひーさんが!?)

心の中でゲオハルトはそうツッコミを入れる。
その様子に気付いたのか、リリーネは薄く笑った。

「彼女は右手に天秤を、左手に短剣をもった女神でね。右手の天秤の片方には人の善行を、もう片方には悪行をのせて、その均衡を見て人間の命の長さを決め、左手の短剣で運命の糸を切ると言われているのさ。人間の命の長さは【エストワール】次第。だから彼女は死を司る女神として、人々に恐れられている」

―――――死の女神。

少なくとも、ノイディエンスタークにあって、彼女は大神官で光の巫女姫とまで呼ばれる存在だ。確かに深く付き合うとそれだけの姫ではないとわかるが、それでも大地に祈る彼女の姿は、とても神聖で美しいものだとゲオハルトは思っていた。
けれどリトワルトでは、彼女は死の女神の名で呼ばれるほど、恐ろしい存在になる。他の傭兵にさえ恐れられるほどに。

そんなゲオハルトの気持ちを感じ取ったのか、リリーネの隣に立っていたディシスが答えた。

「―――――生きるためだよ」
「……え?」
「オレ達傭兵は、生きるために戦う。明日の糧を得るために、戦う。戦うことでしかそれを手に入れられなかったんだ」
「……ディシス様」
「それだけのことさ」

まぁそれだけフィーナやオレ達が強かったってことでもあるけどな、と彼は笑った。
つられてゲオハルトも笑顔になる。そうだ、気にしても仕方のないことだ。今ここにいる姫君が、自分の知る全てなのだから。

「しかしよ、こんなにゾロゾロと大人数で来なくたってよかったんじゃねえの?」

一番後ろを歩いていたコンラートが呆れたように言うので、フィアルはピタリと足を止めた。

「何言ってんのよ、コンラート。あんた達は別に呼んでないわよ」
「うわっ!フィーナお前、冷てぇこというなよな!」
「大体なんでリリーネまで来るわけ?あんた仮にもリトワルトの最高権力者でしょ?もしものことがあったらどうすんのよ」

(それをお前が言うか……?)

と思いながら、横を歩いていたイオを見ると、困ったような苦笑いがレインの視界に入った。確かにこの状況ではそういう反応しかできまい。

「大体ノイディエンスターク関係者じゃないと今回は役に立たないんだから……」

と、そこまで言いかけて、自分の真後ろにあった血の色の瞳が、悲し気に揺れるのを見たフィアルは、ぐっと言葉を飲み込んだ。
再会してからこの数日間、ほとんど自分の側から離れようとしないネーヤに、今の言葉はまずい。

「ね、ネーヤはそんなことないのよ?」
「……本当?」
「本当!」

強く言ってやると、ネーヤは安心したように目を伏せた。我ながら……自分はネーヤにとことん甘いと思う。呆れた顔のディシスとコンラートがそれを肯定していた。
ノイディエンスタークから一緒に来た面々には、驚きだっただろう。
ため息をつきながら、フィアルがネーヤの頬に触れようとしたその時……―――――





―――――……!





リリーネ以外の全員の身体が、一瞬で硬直する。それに気付けないほど、愚かではない。
……―――――殺気が走ったのだ。

「な、なんだい!?」
「黙ってろ、リリー」

殺気はひとつではなかった。無数……そう、数えきれないほどの殺気が一気に一行を取り巻いたのだ。ひとつひとつは小さいものなのに、その数が尋常ではない。しかもますます増えている。

「……どうなってんだ……こりゃ」

ゲオハルトは剣に手をかけながら、姫君を見つめた。
フィアルはしばらくその気を辿っていたが、やがて結論に至ったように、ふっと息をついた。

「―――――なるほど……手厚い歓迎ね」
「冗談言ってる場合じゃねえぞ、フィーナ」

コンラートが辺りに気を配りながら答える。けれど、彼女は何かを企んだように、ニッと笑って見せた。

「大丈夫、なんとかなるわよ」
「お手並み拝見、かねえ、【エストワール】?」

リリーネのからかいを含んだ言い回しに、フィアルはイヤそうに眉根を寄せた。