Clover
- - - 第8章 旧友3
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「コンラート、あれ、頂戴」
「あれ?」
「いつも懐に入ってるでしょ」
「……え、ああ……」

コンラートが取り出したのは銀色のシンプルな、しかし使い込まれていそうな容器だった。それは傭兵や冒険者がよく持ち歩いている酒を入れるためのものである。ディシスが煙草を好むのに反して、コンラートは酒を好む傾向があった。

フィアルはそれを受け取ると、今度はディシスに向かって手を差し出す。

「貸して」
「……あー、オレ、お前が考えてることがわかってしまったぞ」
「だったらとっとと出しなさいよ、一番コレが手っ取り早いんだから、仕方ないでしょう」

ひらひらと催促するように揺れるその手を、呆れた顔で見ながら、ディシスはコンラートと同じくそれを差し出す。
フィアルはそれを受け取ると、容器を開けて、中に入っていた度数の強いその酒を辺りにザッ!と撒き散らした。

「あー!!お前ッ!その酒は……」
「うわ、エイロー!……こんな強い酒ばっかり飲んで……いつか中毒で死ぬよ、コンラート」
「大きなお世話だ!ああ……高かったのに」

そうは言っても既に容器の中には、一滴も酒は残っていなかった。コンラートはがっくりと肩を落としてしまう。ゆっくりと楽しみながら飲もうと思っていた秘蔵の酒だったのだから、ショックも大きかったのだろう。
フィアルはそんなコンラートには目もくれずに、ディシスから受け取ったマッチを、予告もなく擦った。
既に空気中に拡散されたいたアルコールに、炎はすぐに反応する。





―――――ボワッ!!





「おわああああ!」

一気に天井にまで燃え上がった炎の柱に、フィアルを除く全員が一気に飛び下がった。
いくら炎に慣れているノイディエンスタークの3人でも、予告もなく目の前で火柱が立ったら驚くに決まっている。

「フィーナ!おっお前っ!予告してからやれ!予告してから!」
「はあ?これはただ単に空気中のアルコール成分が燃えてるだけで、そんなに近くにいたからって……」
「論理的なこたーいいんだよっ!心構えの問題だ!心構えの!」

コンラートが焦って怒鳴るのを、納得いかないように首を傾げてから、フィアルはまた炎に向き直った。

「……え!?」

その時、一行を取り囲んでいた殺気が、まるで霧散するように消えていくのを誰もが感じた。
あんなにもたくさんの気が、跡形もなく消えてゆく。まるで打ち寄せた波がひいていくかのように。

「な、なんだ!?どうしたんだ?」

リーフが慌てて周りをきょろきょろと見回す。しかしもう先程の殺気は微塵も残ってはいない。

(―――――火?……そうか……そういうことか―――――)

その正体に気付いたのはキール、レイン、ディシスの三人だけだったようだ。
それを元々予想していたのか、アルコール分があらかた燃え尽くし、小さく消えそうになった炎を見つめていたフィアルは、振り返ることなく言い放った。

「―――――分かる人には分かっただろうし、分からない人にもすぐに分かるから、説明する必要もないわね。……行こうか?」


* * * * *


地下には静寂だけがあった。
けれど見上げる上には、汚れた石造りの天井しか存在しない。地上のように青い空が見えることはない。
閉鎖された空間―――――しかしそんな中でも生きている人々は確かに存在するのだ。

ギルドの密集した一帯を抜けると、そこはリトワルトの首都、ラスクアの暗部とも言える場所だった。

「……うっ……」

―――――……死体だ。
あらゆるところに白骨化した死体が転がっている。腐敗がまだ進んでいない真新しい死体も見える。
思わず口元を押さえたリリーネや、顔を歪めたイオ達を見て、意外にも冷静な自分にリーフは気付いていた。
見れば、イヤそうな顔はしているものの、ゲオハルトやキールも動揺はしていない。

(―――――たいしたこと、ないって思えるなんて)

内乱の際の、あの凄惨な光景に比べたら。
ひとつの村が、皆殺しの憂目にあったその後の光景に比べたら。
少しずつ強まる魔の魔導の気の方が、よほどリーフの心を蝕んでいた。

「こりゃ全部ギルドの連中だな……裏切り者や組織を抜けようとした人間を始末したんだろう」

さすがは傭兵をやっているだけあって、こんな状況には慣れているらしく、コンラートはのんきにも死体の様子を観察し始める。すべての死体が金目の物を身につけていないのは、そんな理由からだと想像はついた。

「ギルドはまぁ正当な技術者の集まりみたいなもんもあるが、裏仕事な場合も多いからな。ある意味仕方ねえな」
「何言ってんだい……こんなんの上で生活してたなんてぞっとするよ!」

そんなもんだと言うコンラートにリリーネが食ってかかった。

「そっちこそ何を言ってるの」
「ああ!?」
「これがリトワルト……アンタはさっきそう言ったじゃないの。アンタ達議会は裏ギルドの存在を認可はしていないけど、黙認してきたはずよ?」
「……それは……!」

反論しようと言葉を発するが、それ以上が゙続かない。
フィアルの言うことは真実で、それがこのリトワルトを繁栄させてきた一因であることも、否定できない。
しかし当のフィアルは、通路の死体を足で転がしながら、振り返りもせず先へ進んでいた。

「結局、どんなことにも二面性があるのさ」

ディシスがまた、娘の言葉をフォローするように続ける。

「綺麗なだけのことなんて、ありえないんだ。最初はうまく行ってても、必ずどこかに歪みが生じる。だからといって反面、汚いことばかりじゃ、人は生きていけない。戦争を起こす時、権力者はお綺麗な理屈を並べ立てるのはそのせいさ。その目的に基づいているから戦うのだと、そういう理由がなければ戦争なんて、できないんだ」

―――――重い言葉。
―――――けれどきっとそれは真実。

死体があちこちに転がる中をしばらく無言で一行は進んだ。

生ぬるい風があちこちから吹いてくる。その中に生臭いような、饐えた腐臭が混じる。
徐々に魔の魔導の気配が強くなる。ふとイオが後方を見ると、リーフの顔色がすごぶる悪いことに気付いた。いつものことながら、彼は本当にこの気に弱いようだ。
その視線に気付いたのか、リーフが顔を上げる。

「……なんだよ」
「いえ……大丈夫かと」
「……平気だよ……ああ、ちくしょー……なんでオレ、こんなに敏感なんかなぁ」
「そりゃ仕方ねえだろ、お前の場合生まれ持ったもんでもあるからな」

ポン、と肩を叩くゲオハルトに、リーフは少しだけ困ったような視線を向ける。

「別にいいんだけどさ……問題はオレがいつまでたってもコレに慣れられないことだと思わねえか?」
「まぁ……そう言っちまったら終わりだろ?」
「アイツのせいだ……シオンの」

隣を歩くキールの身体が、ぴくりと反応するのを、フィアルは視界の端に捕らえた。

「他の気配は平気なのに、魔の気配だけがダメなのは……絶対にアイツのせいだ」
「―――――おい、リーフ」
「絶対に、許さない。アイツがオレとイシュタルの目の前で、イザークを殺したんだ」

―――――殺したんだ。

恨み。
憎しみ。
怒り。
そして……悲しみ。

人はきっといつまでたっても、この感情から逃れられない。
それを思い出に変えること、自分の中で浄化できること、諦めること。
それができる人間はきっと強くて。でもそれができない人間も確かにいて。

―――――綺麗な夢だけ見ていられたら。

でも、きっとそれは生きていることには、ならないのだと。
誰もが本当は、分かっている。

だからゲオハルトには、何も言えなかった。


* * * * *


狭い通路を右に曲がると、その先に大きな空洞が見えた。
そこはまさに、リトワルトの心臓部。評議会堂の地下だ。

しかし、そこにいたのは、石壁が見えないほどに埋め尽されたネズミの大群だった。真っ黒な身体に赤い瞳の……オベリスクに酷似したその異様なネズミの大群は、壁に貼り付いて、死んでいるように動かない。

その壁に囲まれた空洞の中心に、黒いローブを纏った男が一人立っていた。
彼の左目には、生々しい傷が刻まれている。腰に下げられた大剣には飾りひとつない。





「―――――……ファング……」





ディシスの呟くような言葉に、彼は反応した。





「―――――久しいな、ディシス」





2人の騎士を目の前にして、フィアルはそっと、目を伏せた。