Clover
- - - 第8章 旧友4
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「―――――……ファング……」
「―――――久しいな、ディシス」

2人の騎士を目の前にして、フィアルがそっと目を伏せるのを、キールは見つめていた。
ファングと呼ばれた片目の男は、じっと一行の後方にいるディシスを見ている。その視線に誘われるかのように、ディシスはゆっくりと彼に近づいた。

「―――――ダメだ!」

自分の横を通り過ぎようとしたディシスを、我に返ったリーフが、腕を掴んで引きとめる。

「アイツ……!キールを狙った男だ!」
「……狙った……?キール坊やを……?」

前方のキールへ視線を移すと、キールが静かに頷くのが見えた。

「……そうか」

―――――ポン。

彼は安心させるかのように、リーフの頭を軽く叩く。その仕草は大丈夫だ、と暗に言っているようで、リーフは思わず手を離してしまった。
そのままディシスは前へ進み、フィアルの隣に立つ。

「……思ったより早かったな」
「……うん」
「覚悟はしてた……だから、心配すんな」
「……わかってる」

小さく頷く彼女の頭を、リーフにしたように軽く叩いて、ディシスは歩き出した。
その視線の先には、共に笑いあった、かつての親友がいた。


* * * * *


一定の距離を保って、二人は向かい合った。それが互いの剣の間合いだということは、暗黙の了解であろう。ファングは纏っていたローブをゆっくりと脱ぎ捨てる。鍛えられたしなやかな身体は、一目で屈強な騎士のものだとわかる。
ファングはディシスを空ろに見やり、その後ろにいるフィアルへ視線を向ける。その視線をそらすことなく受けとめながら、フィアルはさりげなく、気付かれないように、自分の真後ろにいるネーヤをその視線から隠した。

「ファング……様?」

不意に名を呼ばれ、片目の騎士はその剛の騎士に気付く。

「……お前は……あのヴォルマイオスの坊主か」

しかしその瞳には何の感情も浮かんではいない。それがますますゲオハルトを驚愕させた。

「どうして……貴方が……それに……その目は……」
「……私はお前のように、巫女姫に従う気などない」
「何故です!?貴方は元々近衛の副団長だった人ではないですか!」
「私は確かに、元近衛で空のエリオス家の人間だ。……だが、それがどうした……今は関係ない」

この中でファングと面識があるのは、ディシスとフィアル、そしてゲオハルトだけだった。彼はかつて、近衛騎士団の副団長でディシスとは心を分かち合った親友同士だと聞いていた。実際にディシスのように、まだ幼かった自分に、剣の稽古をつけてくれたこともある。
ディシスほど明るくも気さくでもなかったが、時折見せる素朴で優しい笑顔がゲオハルトはとても好きだったのだ。

「ファング様……!」

言葉を続けようとしたゲオハルトの前に、すっと手が差し出された。
白く、細い指。
フィアルは無言だった、振り返りもしなかった。しかしその背中が言っている。

―――――黙って見ていろ、と。

ゲオハルトは主の意を悟って、グッと口を噤んだ。
そんなゲオハルトから目をそらすと、ファングはあらためてディシスに向き直った。


* * * * *


「―――――2年ぶりか」
「……ああ、そうだな」

かつては共に剣の腕を磨き、笑い合い、競い合っていた親友だった2人は、静かにお互いを見つめていた。

「道を違えてからは14年だ、ディシス」
「……お前はそうでも、オレは違えた覚えはないがな」
「違えたのさ……私達は護るべきものがあまりにも違いすぎた」

ファングの右の瞳には、暗い影が見え隠れする。

「4年前、内乱の折、お前はようやく戻ってきたと思った。でもそれは偽りだった」
「……何度も言うが、オレはお前を欺いたつもりはない」
「いや……お前は敵だ……敵になったんだ……」
「敵じゃない」

ディシスは真剣な光を浮かべた瞳で、真っ直ぐに友を見つめた。しかしファングはそんなディシスの言葉を一笑に伏して、その顔を険しくした。

「―――――お前はその娘を護る……だから私の敵だ」

ディシスの身体にわずかな緊張が走る。それは背後にいる娘を案じたからこそのものだった。

「お前は裏切った、私と、あの方を。そしてジークフリート様までも」
「オレは誰も裏切ってなどいない!」
「お前の育てた娘が、私の主を殺した。お前が殺したのも同じだ……違うか?」

2人に集中していたレイン達の視線が、その言葉によって、一気にフィアルに集中する。
しかしそんな視線を受けてさえ、フィアルは微動だにしない。
その様子があまりにも不自然に思えて、レインはキールの逆、フィアルの右隣へ移動し、その顔を覗きこんだ。

(―――――……フィール……お前……―――――)

彼女はただ、その目の前の会話を見つめているだけだった。
レインの見たそのフィアルの顔には、感情が、欠落していた。
―――――まるで5年前の、レインのように。


* * * * *


「満足か……?」

ファングの視線がゆっくりとフィアルへと向けられる。

「満足だろうな。お前は神官勢力を一掃し、他国の侵略軍を撤退させ、大地を豊かな緑へと戻し、あの地獄のようだったノイディエンスタークを復興させた……。傍目から見ればこれ以上はないほどの立派な行いだ。光の巫女姫の名にふさわしい所業だな」
「……」
「だがそのために犠牲になった者もいる。お前がその手にかけた私の主もその内の一人」
「―――――やめろ、ファング」

ディシスはその言葉を遮ろうとした。だが、ファングはそのままフィアルに対して話し続ける。

「あの国を、本当に護るべき価値のある国だと思っているのか?その血塗られた手で護られる国は、本当に光の国か?」
「……」
「お前が殺したんだ。あの方を殺したのは、お前だ」
「ファング!やめろ!」
「呪われるがいい、姫よ。私は何があろうと決してお前を許さない」

―――――フィアルは答えなかった。
そんな彼女から、ファングはディシスに視線を戻す。
今までとは違う、射るような殺気の篭ったそれに、ディシスは本能で身体を強張らせた。

「―――――裏切り者」
「……お前……」
「お前はその娘に、あの方を売ったんだ」
「違う!オレは助けたかった!どちらにも死んでほしくなんてなかった!」
「―――――……ならば。本当に裏切っていないというなら、その娘を……―――――殺せ」

ファングが指差す先には、自分の育てた娘。
一気にゲオハルトやリーフ、キールの身体が緊張に包まれ、さっと剣の柄に手がかかる。

しかしそれでもなお、フィアルは無言だった。

ディシスは信じられない想いで、ファングを見つめていた。
口数が多い方ではなかったが、素朴で、どちらかというと純朴で。いい加減な自分とは対称的に、真面目で優しい男だったのだ。
間違っても、何の理由もなく、人を手にかけるような人間ではなかったはずなのに。

(14年前……もしもオレとお前が逆の立場だったなら……―――――)
(お前は……どうしたんだ……―――――)

考えても答えなど出ない。14年間、それはずっとずっと考え続けて、答えの出ない問いかけ。
それほどまでに、ファングは追いつめられていた。ずっとずっと、救ってやれなかった。
悔しさに口唇を噛み締める。切れて鈍い血の味が口内に広がった。

「オレは……フィーナを殺すことはできない」
「……そうだろうな」
「何が望みなんだ」

搾り出すような声で答える。譲れない答え、それだけは絶対にできない。
そして神官達に荷担している理由を問う友に、ファングは遠くを見るような瞳で答えた。





「―――――……私はあの方を復活させる」





―――――瞬間、フィアルの瞳に急激に感情が戻った。
大きく見開かれた瞳は、最初に驚き、そして次に悲しみで伏せられる。

「……死んだ人間は復活などしない」

それが理。この世界に生きる者の理。例え甦ったとしても、それは死霊でしかなく、生きていることにはならない。

「そんなことは……知っている。だが私は必ず復活させてみせる」
「……もうやめろ……目を覚ませ」
「そのためにはなんでもする。生贄が必要ならくれてやる。ノイディエンスタークでもなんでも捧げてやる。……もう全ては狂っているんだ……何もかも狂っている……私は」
「―――――ファング!」

その叫びにファングはふっ……と視線を伏せた。その様子は狂っているようには見えず、ディシスは目を見開いた。

「―――――お前……何もかも分かっていて……それで……」

―――――受け入れられないのか。
その事実を……認めることが、あまりにも辛すぎて、それで狂ったふりをしているのか。
本当は全て分かっていて。
何もかも分かっていて……それでも……どうしようもできないのか。

止めようと、ファングへ向かって伸ばした手を、ディシスはきつく握り締める。
その様子を見て、ファングはふっ……と昔の微笑を見せた。

「―――――剣を抜け、ディシス。これが私の答えだ」

その言葉を合図にしたように、壁に貼りついていたネズミ達が、ざわざわっと動き出した。