Clover
- - - 第8章 旧友5
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無数のネズミがひとつところに集まり、溶け、ひとつになっていく。
その光景は見ていて、思わず目をそらしたくなるほど、不気味なものだった。

「―――――コンラート」

ずっと黙ったままだったフィアルがくるりと振り返ったのに追随して、呆然としていた一行も我に返った。

「悪いけど、リリーネとネーヤを連れて、もっと後ろに下がって」
「え……っ……おい、フィーナ……」
「あれがオベリスクよ。これからここは、剣や銃じゃなく、魔導の戦場になる。言ってる意味、わかるでしょう?」
「お前……」

戸惑ったようなコンラートに、フィアルは笑って見せた。
そしてそのまま、リリーネと視線を合わせる。

「―――――……聞いての通りよ。本当はアンタに明かすつもりはなかったけどね」
「……アンタが光の巫女姫様ってわけかい。世も末だね……全く―――――」
「悪いけど、フィーナとしてここにいる限り、私はアンタと政治的な話をするつもりはないわ。傭兵のフィーナと、王女のフィアルは別人なの」

それがルールってものよ、と言い放つフィアルに、リリーネは苦笑する。
本当はそんなに単純に割り切れる問題ではないはずなのだけれども、少なくともフィアルはそれを貫くつもりらしい。そういう心意気はリリーネにとっても好ましいものだった。

「アンタがそれを望むなら、それでいいさ。あたしにとっても、アンタが今更お姫様だなんて気味が悪いしね」
「そりゃどうも。ちなみに言っておくとディシスは……」

そのフィアルの言葉を、ビッと指でリリーネは止める。

「何も言うんじゃないよ。あたしにとってディシーはディシーでそれ以外の誰でもないんだ。あたしの惚れた男は一人だけ……それ以外は知る必要もないね」
「……そう」

ふっとフィアルは微笑む。それは、この10年の間で初めて見せる、リリーネに対する好意的な笑顔だった。

「―――――フィール……来るぞ」

オベリスクはほぼその変形を終えたようだ。大きな黒い獣、それがあれだけ無数のネズミになっていたのだとしたら、教われたという盗賊ギルドはひとたまりもなかっただろう。
その黒い巨体の足元には、剣を構えて睨み合う二人がいる。

「レイン、悪いけど今回は少し加減して……あの二人に何の影響も出ないように」
「二人の邪魔をするな……そういうことか」
「それに、レインの勢いだと、キールに負担がかかる。ゆっくりでいいの、少しずつ力を削いでいくようにして」
「―――――わかった」

レインはひとつ頷くと、雷神を抜刀した。
それに続くように、ゲオハルト達も次々と剣を抜く。
キールはアメジストの杖をぎゅっと握り締めて、低い声でルーンを唱え出した。足元に現れるのは魔導変換の魔導環だ。

「―――――フィーナ……」

揺れる血の色の瞳に、フィアルは笑顔で答える。

「大丈夫……下がって、ネーヤ。コンラートの側にいてね」
「フィーナは?」
「私も側にいるわ、大丈夫よ」

前面に出たゲオハルト達の背中を見て、フィアルは小さくルーンを唱え、その周りに結界を張った。

―――――ズルリ。

オベリスクが動き出す音がする。下水道に巣食っているだけのことはあって、かなりの異臭が辺りに充満した。赤く光る瞳に意思はない。本能だけを増幅させられた魔物……それがこのオベリスクなのだ。

それをじっと見つめていたレインは、オベリスクが口を開けて、奇声を放った瞬間に、空中へ飛び上がり、最初の一撃を加えた。

―――――ザシュ!!!

肉の切れる感触、決して致命傷にはならない、無気味な生物。雷神にどれだけ手応えを感じても、それ自体に意味はないのだ。
レインに続くように次々と4人によって攻撃が始まる。
吹き出す緑色の鮮血は、今までと同じものだった。

キールの身体が淡い紫の光に包まれる。魔の魔導は緩やかに変換され、大気へと姿を変えていく。
フィアルはあの二人の周りにも同じ結界を張った。これで降り注ぐオベリスクの体液も、二人には何の影響もない。


* * * * *


「フィーナ……」
「……なぁに?」

ツン、と袖を引かれて、フィアルはネーヤを見た。しかしネーヤは目の前の黒い獣を見つめたまま視線を動かさない。

「―――――これは、悪いもの?」
「……いいえ……本当は小さくて、善良な生き物よ」

ネーヤの瞳が揺れる。目の前で奇声を上げるその巨体を、ゲオハルトが、リーフが切りつけるさまを見守っている。

「僕の……この身体の模様から、同じような気を感じるんだ」
「……そう」
「僕も……いつかは悪いものになってしまうのかな?」
「―――――そんなことない。私が、させないから」

フィアルは傍らにあったネーヤの手をぎゅっと握り締めて、額の前に持って来る。
ネーヤは抵抗することもなく、フィアルになされるがままだった。

「最初から悪いものなんてないのよ。それを形作るのは、いつだって、人間なの」
「―――――じゃあ、人間は……悪いものなの?」
「……―――――そうね……そうなのかもしれない」

フィアルは握っていた手を離して、そのままネーヤの頬に触れた。
ネーヤは頬に触れられるのが好きだと知っていたから、触れて、そして笑顔を見せてやる。
そのフィアルの様子に、ネーヤは安心したように、ほっとため息をついた。


* * * * *


「―――――倒せばいい」
「……何?」
「滅ぼせばいい……あの方をそうしたように」

結界に阻まれて、ファングのその声はディシス以外には届かない。正直、今はそれがありがたかった。

「やめろ……これ以上あいつの傷をえぐるようなことをするな」
「傷?傷ついたのはあの娘ではない」
「―――――お前、それを本気で言ってるのか?一番傷ついたのは、苦しんだのは、間違いなくフィーナだ」
「……」
「死んだ人間より、生きている人間の方が辛いんだ。お前がそうであるように……」
「―――――お喋りが過ぎたな」

ファングはゆっくりと剣を構えなおす。その切っ先は間違いなく目の前の友へと向けられていた。

「始めよう。いつまでもこうしてあの娘の結界に護られているのは我慢ならない」
「……ファング……―――――」

避けられない。
ディシスは想いを巡らすように、目を閉じる。そして再び開いたその瞳には、騎士の光が宿っていた。
使い慣れたその剣が、カシャン、と音を立てて向けられるのを、ファングは何故か満足した気持ちで見つめていた。


* * * * *


「―――――姫」
「……そろそろ、でしょ?……わかってる。ご苦労様、キール」

フィアルはネーヤの側を離れ、結界を出た。
すっと手を上げる。それは合図であり、ゲオハルト達は戦うのを即座に止めて、キールの位置まで下がった。

「何が始まるんだい?」
「……浄化、です……」

苦し気な様子のまま、キールは答えた。

「姫にしかできない……本体を傷つけずに……浄化するなんてことは」
「つまりは、トドメをさすってわけか。フィーナが真打で最終兵器ってことだな?」
「まあ……言い方はなんだけどその通りだな」

ゲオハルトが彼女の周りに集まり始めた、闇の波動を見つめながら同意する。
いつまでたっても、彼女が闇魔導を使うことには、慣れられそうにない。願わくば、これが最後であってほしいと、そう思った。

「あの二人は……まだ睨み合っているんですね」
「―――――間合いが微妙だ。攻めあぐねるのもわかる」
「闇魔導を直撃して、平気なんでしょうか……?」
「フィールが結界を張っている……あまり心配することもないだろう」

レインは冷静に状況を把握している。しかし言葉の端に、フィアルへの信頼感を感じることができた。
彼はフィアルの実力を認めているのだ。ラドリアにいた頃は決してなかったことだ。

(―――――しかし)

微妙な感情がイオの中に浮かび上がる。

(―――――彼女には……暗いところが多すぎる)

それがレインに伝播することを、イオは恐れていた。





フィアルが発動する。闇魔導。
その詠唱が、始まる。





―――――ゾワリ。

(―――――ッ!?)

その途端、ネーヤの身体に異変が起きた。
蛇が全身を這うような感覚……ゆっくりと絡み取られるような、そんな不気味な触感。
全身に広がった魔導環に沿って、その感覚が襲う。





(【―――――目覚める】)
(【―――――目覚める】)
(【―――――魔竜が……目覚めるためには……】)





その声が、頭の中に響いた瞬間、視界が……一面の闇へと堕ちた。
―――――……オベリスクの断末魔の悲鳴と共に。