Clover
- - - 第8章 旧友6
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(―――――最後のオベリスクが……消えた)

大陸全体を包んでいたその気配が、消え去ったことフィアルは感じていた。
闇魔導で浄化されたオベリスクの本体は、数匹のネズミ達で、あっという間に地下水路の闇の中へと消えていった。
地下に降りる少し前に、もうひとつのオベリスクの気配も消えていた。そちらの方はシルヴィラ達がうまくやってくれたということなのだろう。

残ったのは、目の前で戦い続ける……二人だけだ。

最後のオベリスクの断末魔の声が、皮肉なことに、二人の合図になった。
どちらも凄腕の騎士だっただけあって、その戦いは長期戦の様相を見せ始めている。地下の空洞には剣戟の音が鳴り響き続けて久しい。少なくとも既に1時間以上はその状態が続いていた。
二人の身体からは、血が滴っている。その鮮血の赤が、これは稽古ではなく戦いなのだという現実を教えていた。





―――――ザシュッ!





ディシスの剣が、ファングの脇腹を掠めると同じに、ファングの剣がディシスの肩を切り裂く。直後、二人は互いの間合いまで距離を作った。
―――――……息が荒い。

「―――――本当に……」

肩を上下させながら、ディシスは目の前の男に問いかける。

「本当に……お前には……こんな道しか……選べないのか」





キィン……―――――!





そのまま飛び上がり、ファングに向かって剣を振り下ろす。ファングはその大剣で、それを顔の前で受け止めた。自然と二人は顔を付き合わせる格好になった。

「最初に誤ったのはどっちだ!お前はあの方より、あの娘を選んだ!共にあの方を護ろうと、私とお前は誓っていたのではなかったのか……ッッ!?」
「オレは、アイツのためにもフィーナを護ろうと思った!」
「それが結局、あの方を死に追いやったのだ!」

お互いの体重を支える手が、ブルブルと震える。

「アイツが……ッ!本当に望んでいたことが何なのかわかっていて、お前はこんな復讐に手を染めるのか!」
「それ以外に……ッ!どんな道がある!私には他に……何ができたと言うんだ!」





ガシュッ……―――――!





ギリギリまで近づいて、二人はまた距離を取る。いつまでもそれは続く。その言葉が平行線を辿っているのと同じように。

一行は何も言えず、止めに入ることもできず、ただ黙ってその様を見守っていた。
それを見つめるフィアルの顔は、とても儚く見えて……レインは思わずその細い肩に手をかける。

「……何?」
「……いや」

驚いた様に目を見開いて見上げてくるその顔はいつもの彼女で、レインは言おうと思っていた言葉を飲みこんだ。それに気付いたのか、フィアルは小さく笑った。

「……大丈夫。……ありがと」

でもそれはきっと、作られた笑顔なのだと、もうレインには分かっていた。


* * * * *


「―――――それにしても……いい加減に終わらせて欲しいわね」

フィアルが呆れたように肩を竦めるのを見て、ゲオハルト達の身体からも力が抜ける。今まで言葉も発せないほど、緊迫していた空気が、いつもの雰囲気に戻ったからかもしれない。

「あれ以上傷作られると、結局治すのって私だから、手間かかって仕方ないんだけど」
「―――――おいおい、男と男の勝負だぜ?しかも真剣勝負だ、邪魔しちゃいけねえよ」
「何言ってんのよ……女だって戦うわ。時には男より勇敢にもなる。それって女性蔑視な発言よ、ゲオ」

目の前で戦いが続いているのに、どうにもお気楽ムードが戻ってきている気がして、イオは笑ってしまった。やっぱりこの面々はこうして、軽口を叩き合っているくらいの方がいいと思う。

「大体ねー……今回の目的はオベリスク討伐だけで、こんな決闘のためじゃないはずなんだけど」
「っていうかさ、姫。いい加減なんとかしないと、あの二人、出血多量で死ぬぞ?」

リーフが二人を見つめながら進言した。こちらの会話など全く耳に入っていないように、真剣に切りつけ合う二人は、身体中に傷を作っている。その中にはかなりの深手も見受けられた。

「―――――仕方ないか……元凶って……私だしね」

左にいたキールの肩をポン、と叩くと、フィアルは二人の方へ歩き出す。その後姿を全ての視線が心配そうに追った。
彼女は何の気負いもなく、二人の間合いのほぼ中央にずかずかと割り込んで、言い放った。

「―――――もう、いいでしょう?」

いきなり視界に入ったお互い以外の存在に、二人はビクリと反応した。しかしすぐにそれは怒気へと変わってゆく。

「―――――どけ!」
「どかないわ。二人が死ぬまで切り合う場面に遭遇するのはごめんよ」
「―――――フィーナ、どけ。もう無理だ……止めるには戦うしかないんだ」
「イヤだって、言ってんでしょ」

殺気を漲らせて、ファングはその片方だけになった目でフィアルを睨みつけた。

「……お前さえ……お前さえいなければ!」
「―――――いなければ、どうだったの?」

しかしフィアルは冷静だった。挑発にも似たその視線にも動揺することなく、落ちついた瞳で答える。
その雰囲気に、ファングは一瞬でのまれた。

「私がいなかったら、どうなったの?あの人が望んだ世界は、あの滅びゆくノイディエンスタークだったと言うの?」
「……黙れ」
「……ファング」
「黙れ!私の名をその口から呼ぶな!」
「―――――憎んでいい、恨んでいいわ、私のこと。……きっと……貴方はそれでいいの」

フィアルはそのままファングの方へ歩を進めると、向けられたままのその剣身を、素手のまま強く掴んだ。

「――――――――――!!」

ブシュッと音を立てて、血が溢れ出す。既にディシスの血で汚れていた刀身は、フィアルの鮮血で真っ赤に染まっていった。
フィアルはまるで、その剣に自分の血を吸わせているかのように、さらにそれを強く握り締める。
新たな鮮血が吹き出し、ファングの手を伝って、ボタボタと床へと零れ落ちた。

「―――――……人間は……愚かな存在……―――――」

そっと……その言葉はファングの耳にだけ、届いた。彼の瞳がかすかに揺れる。
その言葉の意味を、少なくともファングは、一部分だけだったとしても、分かっているはずだった。

「……行って」
「……お前……」
「もう行って……今は、引いて」
「……」
「―――――行きなさい」





(―――――逆らえない……)





その瞳は、本人が気付いていなかったとしても、王者の瞳だった。
他人を従わせる力、それを強制するのではなく、自然とそうさせる力。それは彼の主にも、そして以前に忠誠を誓った大神官ジークフリートにも存在したものだ。

「……これで……終わりではない」
「知ってるわ」

フィアルは刀身から手を離し、小さく微笑む。それを見て、ファングは血だらけになったその身を翻した。
一歩、歩き出して……思い出したかのように、言い残す。

「ファティリーズ侯は……必ず迎えに来る」

カツンカツンと靴音が響いて、やがてその姿は、地下水路の闇の中へと消えた。


* * * * *


その後姿を黙って見送ったフィアルを、後ろからふわりと抱きしめる身体があった。

「―――――バーカ」
「……何よ」
「男と男のケンカ中に、割りこんでくるバカがいるか?救いようのないバカだな、お前は。バカ娘」
「……あんたもね」

ディシスは彼女を抱きしめたまま、手を伸ばして、その無残に切り裂かれた手のひらをそっと包んだ。

「こんな怪我、しやがって……」
「……その台詞、そっくりそのまま返してもいいかな?」

手だけのフィアルよりも、明らかに全身に傷を負っているディシスの方が重傷である。
その腕の中で、くるりと身を翻したフィアルは、その顔を覗きこんで、笑った。

「バカ親父」
「うるせぇ、バカ娘」

ディシスも笑った。





―――――けれど、その笑いは、一抹の淋しさを伴っていた。