Clover
- - - 第9章 過去を呼ぶ風1
[ 第8章 旧友6 | CloverTop | 第9章 過去を呼ぶ風2 ]

「お疲れさまでした」
「……へ?」

評議会堂の地下からまた生臭い通路を通って、地上に戻ったフィアル達を迎えたのは、久々に見る穏やかな笑顔だった。

「シルヴィラ!?どうしたんだ、お前!?」
「どうしたって……迎えに着たんだが」
「って……お前達の方は終わったのか?」
「ああ、終わった。ただ結構な強行軍だったんでな、魔導浄化をやったシードだけは宿屋で寝てる」

ゲオハルトの言葉にシルヴィラが笑う。
他はホラ、と指差すその動作につられて視線を動かすと、そこにはノイディエンスタークを出発した時に別れたイシュタルとアークの姿があった。アークの顔を見て、リーフはさっとイオの後ろに隠れる。だが、そんな見え見えの行動を見逃すほど、この斬のブルデガルド侯は優しくなかった。

「おや、今誰かさんが隠れるのが見えましたね」
「……!」
「大概失礼ですね、リーフ。そんなに私の顔を見るのがイヤだったんですか?」

つかつかとにこやかな微笑を浮かべて近寄ってくるその長い黒髪の青年に、リーフは引きつった顔を向けるしかない。

「ねえ?リーフ」
「お、オレは隠れてなんていないぞ……充分喜んでるぞ!」
「ほほう、それは感心ですね」

微笑みはそのままでぶに〜っとアークはリーフの頬を左右に伸ばす。

「いひゃい!いひゃい!にゃめろ!」
「ははは、お茶目さんですね、相変わらず。命知らずっていうのは貴方のような人のことを言うんですよ」

笑っているのに目が怒っている。相変わらずのその底知れぬ恐ろしさに、ゲオハルトとキールは身を震わせた。
そんな二人を尻目に、イシュタルがフィアルの側に近寄ってくる。

「元気そうね、まぁ心配なんてしてないけど」
「そっちも、相変わらずってところね、イシュー」

小さく笑い合う姿はどこか微笑ましい。しかしひとしきり笑った後、イシュタルはゲンナリとした顔をして見せた。

「フィール、アンタの人選には問題があったわよ?」
「……そう?」
「っていうかそっちは平和だったかもしれないけど、こっちはね……13諸侯の曲者全員集合みたいなメンツだったじゃないの。シルヴィラとアークの会話なんて、表面上穏やかなのに、聞いてると怖いのよ。シードに至っては論外。あいつ夜な夜な女の所に入り浸ってたわ。チームワークの欠片もなかったわよ?」
「……あはは……言われてみると確かに……」
「あたし、もうイヤよ、このメンツ。ああ、ゲオハルトとかキールを見るだけで心が和むわ」

本当にイヤそうなイシュタルに、名指しされたキールとゲオハルトは顔を見合わせる。確かにイシュタルの言う通りかもしれないと思いつつも、フィアルは苦笑するしかなかった。


* * * * *


すっかり和んでいる、こう見えて国を支える中枢のノイディエンスタークの面々を見て、コンラート達は困惑していた。

「なんだ?この派手くさい面子は」
「派手くさいってお前……もう少し言い様ってもんがあるだろ」

ディシスは笑うしかない。
確かにノイディエンスタークの人間は、特に13諸侯家の者は、その属性によりいろいろな色を持って生まれる。基本的に国民のほとんどが茶色の髪と茶色の瞳を持つリトワルトではめったにお目にかからない光景だ。

「本当に派手くさいねぇ……っていうかフィーナとそう変わらないガキんちょばっかりじゃないか」
「……いや、ガキんちょって……リリー」
「こんなんが本当にノイディエンスタークの中枢なのかい?まぁあのくそ小生意気な小娘が頂点って時点で問題ありだけどね」

確かに一般常識からすればそうなのだが、ノイディエンスタークにはもう力のある妙齢の人間はいないのが現実だ。
そう思って、ふと、ディシスの頭に一人の顔がよぎった。

(―――――いや、いたな……一人だけ)

ディシスの視線の先には、穏やかな顔の風の青年がいる。
言うまでもない……残る一人はシルヴィラの父、前レグレース侯爵のロジャーである。

(あの人だけは未だにわからんな……一体、何を考えているのやら)

ふっとため息をつくと、体中の傷がずしりと痛む。長い傭兵稼業で怪我には慣れていたが、ここまでの傷を負ったのは久しぶりだ。それにフィアルの手の傷も気になった。

「おい!フィーナ!」
「―――――?」

イシュタルとの話を中断してこちらを振り向いたフィアルに、ディシスは顔を歪めて小さく笑った。

「―――――場所、移そうぜ?とにかく先にこの傷なんとかしてくれ!」


* * * * *


リトワルトの傭兵街ではなく、大通りに面した比較的大きめの宿をシルヴィラが貸しきってくれていた。どこまでも気配りの利く青年である。
今までの疲れが出たのか、ほとんどの面々が食事を終え少し歓談した後、早々に部屋に戻り眠りについた。宿屋の酒場は閑散としている。そんな中カウンター席でディシスはコンラートと並んで座りながら、煙を燻らせていた。

「―――――……オレは、戻る」
「……ま、いつかそう言うと思ってたけどな」
「悪い……」

ノイディエンスタークを脱出して、結局行き着いたこの街で、生きていく術は傭兵になることしかなかった。自分に誇れるものはその剣しかなかったからだ。幼い姫を護らなければいけないという使命感もあった。
だが、騎士団の中で生きてきた自分にとって、傭兵というのは未知の世界で、うまくいかないことも多かった。

そんな時に出逢ったのが、コンラートだった。

傭兵として生きていくには、ただ強いだけではダメなのだ。情報の収集等の処世術をディシスに教えてくれたのか彼だった。どうしてそんなことまで教えてくれるのか、昔尋ねたことがある。すると、コンラートは大声でひとしきり笑った後、こう言った。

(「面白かったのさ、純粋に興味があった」)
(「面白い?」)
(「あのな、普通傭兵になろうなんて奴は、子連れでそれをやろうなんて思わないもんだぜ?」)

家族を亡くした者。
家族を捨てた者。
家族が最初からいない者。
そういう人間が傭兵には多い。それなのに、ディシスはどんな時もフィアルを側から離そうとはしなかった。

(「そんなもんか……?」)
(「そんなもんさ」)
(「オレがどうしてフィーナを連れてるのか、気になるか?」)
(「気にならねえとは言わねえよ、でも聞く気はないぜ?傭兵に過去は必要ない。必要なのは今を生き抜く力だ」)

だから、ディシスはどういう経緯でコンラートが傭兵になったのか、その理由を知らない。
そんなことを知らなくても、彼等は今までずっと共にいたのだ。

「戻ってフィーナを護るのか?あの娘はお前に護られてるようなタマじゃねえと思うがな」
「……いや、フィーナを護るためだけじゃない」
「……さっきのあの片目の男と、決着でもつけるのか?」
「それもある。でも他にもいろいろとケリをつけなきゃいけねえことがあるんだ。今までオレはそれをすることから逃げてきた。全部をあの娘に背負わせたままだった。いい加減、自分でなんとかしなきゃ、オレは前に進めない。……そんなのは、らしくないだろ?」

違いない、とコンラートが笑いながら酒を飲み干す。ディシスもそれに倣って、グラスを空にした。
トクトクと音を立てながら琥珀色の液体がそのグラスに再び注がれるのを、ぼんやり見つめる。





―――――と、背後からにゅっと手が伸びて、そのグラスをかっさらった。





「ああ!?」

ゴクゴクゴクゴク……とかなり強いはずのその酒を一気に飲み干したのは、見知った娘だ。

「まーた二人で淋しく酒飲んで……暗いよ」
「……フィーナ……お前なぁ……オレの楽しみの酒を……」
「いいじゃん、一杯くらい……ケチ」
「お前はザルな上に全然酔わねえから、酒をドブに捨ててる気分になるんだよ!オレとしては!」

後ろにお約束のようにくっついているネーヤは、フィアルとは正反対でめっぽう酒には弱い。逆だったらよかったのにと何度思ったことか……とコンラートは肩を落とした。
ディシスはそんな様子に困ったような顔をしながらも、グラスと酒をカウンターではなくテーブルへ移動させる。この4人で酒を飲むのは本当に久しぶりのことだった。

「とりあえずのフィーナ組、再結成に乾杯!」
「……こら待て、フィーナ組ってなんだ、フィーナ組って」
「この4人のこと」
「勝手にフィーナ組とか言うな!全くお前はディシスに似てネーミングセンスの欠片もねえな」
「―――――オイ」

まるで冗談のような会話は、4人の間ではいつものことだ。
しかしそれでも、どこか浮かない顔をしているディシスを見て、フィアルは大げさに肩を竦めて見せた。

「―――――あのね、そんな今生の別れみたいな顔しないでよ、ディシス」
「……お前は能天気でいいな、今生の別れかもしれないだろ?傭兵なんていつ死ぬかわかんねえんだから」
「おいおい、オレを勝手に殺すな。心配しなくてもオレはここで普通に傭兵やってるさ」

二人の間に流れるどうにも重い空気に、フィアルは呆れる。そしてどこかバカにしたような瞳で、目の前の図体のでかい男達を見やった。

「……あのさ、一つ聞くけど……誰がコンラートは行かないなんて言ったの?」
「……は?」

―――――その間、たっぷり30秒。

「っていうか何で行く気が最初からないのよ、アンタ」
「……いや、だってお前……ノイディエンスタークの問題なんだろ?これからのことってのは」
「私やディシスの問題でしょ?それとも何よ、アンタ、フィーナ組のくせに一人でそ知らぬ顔するつもり?」

ぽかん、と口を開けたコンラートとディシスに、フィアルはニッコリと笑った。

「コンラートを雇うのは、私よ。だから一緒に来て」
「……フィーナ……」
「ここまで来たら運命共同体でしょ?最後まで付き合ってよ」

あっけらかんと口にするその意味を、本当に彼女はわかっているだろうか?こんなんでも一応国家元首で……と考えて、はた、とそれは中断された。

(―――――そうだ、何を考えているんだ、オレ達は)

目の前の娘は、ずっと自分達と共にいた娘ではないか。
彼女なら……そう自分達の育てた娘ならそう言うはずだ。例え彼女が王女だったからと言って、それが変わるわけがない。

(なんて簡単なこと―――――)

気付いて、コンラートはどっと脱力する。横目でちらりと見ると、ディシスもどうやら同じらしい。

「仕方ねえな……最後まで付き合ってやるよ」

自分でも不思議な位の嬉しさで、コンラートは、心の底から笑顔になった。


* * * * *


ディシスとの別れにもっとごねるかと思ったリリーネは、意外と落ち着いていた。

(「逢いたいと思えば、人間いつでも逢えるもんだよ」)

そう言って笑う。彼女はなんだかんだいいつつも、やはり大人の女性だった。

リトワルトを早朝に飛び立った一行は、、一路ノイディエンスタークへと向かった。
最初は慣れない様子だったネーヤとコンラートが、危な気なく天馬を乗りこなせるようになるのを見届けると、フィアルはスピードを上げた。今日一日飛び続ければ、夕方にはノイディエンスタークへ着けるだろう。というか、フィアルは着くようなスピードで飛ぶ気満々であった。
眼下に広がる赤い山肌はフューゲルのもの。それを見下ろして、フィアルはふっと飛竜王の言葉を思い出していた。

(「風竜王様からの伝言だ、ノイディエンスターク大神殿の最下層へ行けと―――――」)

約束したからには、行かなくてはいけない。

(……父様が……死んだ場所、か……)

全ての悲劇の始まりの場所。そこに行くのは……行くべきなのは、自分と……アゼルだ。
そう結論付けて、姫君は速度を上げた。どうしてだろう……今、無性にノイディエンスタークへ帰りたかった。

途中何度か休憩を入れつつも、一行はアイザネーゼとの間にあるノイディエンスタークの国境を無事に越えた。心配されたコンラートとネーヤが何の抵抗もなく大地に受け入れられたことに、ゲオハルト達は正直、拍子抜けしたほどだ。
しばらく飛ぶと白亜の宮殿が見えてくる。夕陽に照らされて赤く浮かび上がるその姿は、何故か一行の胸に郷愁を呼び起こした。
そんなに長い間離れていたわけではないのに、懐かしい故郷に帰ってきたようなそんな気持ち。言葉に言い表すのはとても難しい。

王宮の周りを一度旋回すると、一行は王宮の中庭へと降り立つ。
そこには、夕陽を受けて、燃える炎のような容貌の青年が微笑んで待っていた。





「―――――おかえりなさい」





アゼルの声に、フィアルは笑顔を返した。





「―――――ただいま」





そしていつもの日常が始まるものだと、誰もが信じて疑わなかった。