Clover
- - - 第9章 過去を呼ぶ風2
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「……あのさぁ……私って昨日帰ってきたばっかりだよねぇ?」
「そうですね」
「そうですね……っじゃないでしょ!?何よこの書類の山は!」

だあ!とまるで机をひっくり返しそうな勢いで怒鳴るフィアルに、アゼルは不機嫌そうに眉根を寄せた。いつものように執務室に入ってきたフィアルが見たものは、自分の机の上に山と積まれた書類の山。さすがのフィアルもこれには閉口した。

「仕方ないでしょう、姫がいなかった時の書類が溜まってしまっているんですから」
「だったらアゼルが代わりに決済してくれればいいじゃない!」
「それは、あなたの役目です。文句言ってないで、手を動かしてください」

しゃあしゃあと言ってのけるアゼルに、フィアルはこれでもかといわんばかりの抗議の視線をぶつけるものの、アゼルは動じなかった。黙々と自分の作業を続けている。
フィアルは仕方なく書類に目を通すと、横にいたネーヤに「判子押してね?」と承認済の書類を渡した。ネーヤは嫌がることなく頷いて、ペタンペタンと事務的に判を押していく。その光景にアゼルの顔がますます不機嫌になった。

「……自分でやりなさい、姫」
「やってもいいけど、そうするとネーヤのやることがなくなるじゃない」
「ないならないで、他にすることがあるでしょう、彼にだって」
「ないわよ。ネーヤは私の側にいたいんだもの」

ね?と見つめるフィアルに、ネーヤは小さく笑って頷いた。そんなネーヤの頭をよしよし、とフィアルは撫でる。そのあまりにあまりな光景に、アゼルは頭を抱えた。
昨夜、オベリスクの報告も兼ねて、アゼルにはディシスやネーヤ、コンラートの事情は説明してあった。しかし言葉で説明されるのと実際に目の前で見せられるのは別問題というものである。この少年は本当に姫君を親鳥のように慕っている。

「……どうにも……問題がありませんか?」
「―――――私だって……ちょっとヤバいかなとは思ってるけど仕方ないでしょう、こうなっちゃったんだから」
「だったら今からでも少し距離を置いて……」

―――――と、そこまで言いかけて、アゼルは言葉を噤んだ。
ネーヤがそれはそれは鋭い視線で自分を睨んでいたからだ。
それはどう贔屓目に見ても、

(「―――――僕とフィーナを引き離そうとする奴は、みんな殺す」)

と言わんばかりで、さすがの神官長も腰がひけた。フィアルの前では従順な少年だが、他の人間に対する彼の態度は傭兵そのもので、全身に隙がなく、時々薄ら恐ろしい殺気を放っている。
思わず固まったアゼルを苦笑しながら見つめて、フィアルはネーヤの手に触れた。

「ネーヤ、だめ」
「……どうして?」
「あんなんでも一応私の副官なの。アゼルがいなくなると書類がどこに行ったかわかんなくなるし、小さな揉め事まで全部私が決済する羽目になるしで、めんどくさいから手を出さないで」
「―――――……姫……全然フォローになってません。俺の存在意義はそんなことですか」
「何よ、援護してやったのに」

途端にフィアルがブスくれる。それにつられてネーヤもまた、その血の色の瞳でアゼルを睨みつける。
とんでもなく面倒くさいことになったと、アゼルの眉間には通常の3倍増しで皺が刻まれた。


* * * * *


「よっ……と」

一瞬だけ視界が眩んだ後、ディシスは大きく伸びをする。別に目に映る何かが変わったわけではないが、どうにも気分が落ち着かないものだなぁ、などとのんきに考えて、中庭へと歩き出した。

「あ!ディシス様!」

ゲオハルトがディシスの姿の見つけて手を振っている。さすがに昔の自分を知っているだけのことはある、全く動じないのは立派だ。しかしその周りにいたコンラートやレイン、イオは目を丸くしている。

「お前、本当にディシスか?」
「おうよ」
「……お前……派手くさい男だったんだなぁ」

とんでもなく失礼なことを言われている気がしなくもないが、気持ちはわかる。特にコンラートは10年以上、黒髪の自分しか知らなかったのだから、いきなり元の紅に戻せばそれは驚くだろう。

「派手くさいって……仕方ないだろう、こっちが地毛なんだ」
「いや、昨日逢った神官長にもかなり驚いたけど、お前も負けてないぞ」
「メテオヴィースは他の候家より色が目立つんだよ」

元々候家の色は、血統が濃ければ濃いほどその家の特色が強く出るものだ。だからメテオヴィースの中で一番鮮やかな真紅を纏うのはアゼルということになる。ディシスの少し黒味がかった紅ではない、純粋な真紅だ。

「フィーナはどうした?」

その場にいない娘を探して、きょろきょろと辺りを見回すディシスに、ゲオハルトが苦笑いをしながら答えた。

「姫は今日はカンヅメです」
「……カンヅメ?」
「執務室に拉致られてます。不在だった間の執務がこれでもかってくらいに溜まってたらしくて。他の連中も今日一日は執務に追われてると思いますよ?」

なるほど、言われてみればゲオハルト以外は、そう言ったデスクワークに縁のなさそうな面々ではある。
しかしふと、気付いたようにイオがゲオハルトに問いかけた。

「ゲオハルト様は執務はいいんですか?」
「……オレ?オレは奇跡的にすっげえ書類少なくってなぁ。2、3件の裁可だけだったから速攻で終わらせた」
「……そしてそれがそのままフィールのところに回ってるってわけか」
「そりゃそうだ、最終の裁可は姫がやるのがお約束ってやつだろ?」

―――――ということは、フィアルがどんなに書類を片付けても、後から後から追加が来るということで。

(……まぁ、頑張れよ、フィーナ)

と、ディシスは心の中で娘にエールを贈ってみたりした。
もちろん手伝う気など微塵もない。昔からデスクワークは大の苦手で、ほとんどファングにまかせっきりだったのだ。キール曰く脳味噌筋肉と言われているゲオハルトと、その辺りはたいして変わらない。

「ディシス様、手合わせしてもらえませんか?」

ゲオハルトの瞳が少年のように期待で輝いている。その様子は昔とまるっきり変わっておらず、ディシスは笑うしかない。

「―――――悪いな、今日はちょっと用事があるんだ。コンラートに相手してもらってくれ」
「オレかよ!?」
「お前も少しは腕を磨いとけよ、コンラート」
「……ハイハイ」

あまり気乗りがしなさそうなコンラートを尻目に、ディシスはゆっくりとレインに向き直った。

「悪いが、付き合ってもらえるか?聞きたいことがあるんだ」
「……俺に?」
「そう、お前に」

人好きのする笑顔でそう言われれば、レインには断る理由はない。フィアルといい、ディシスといい、不思議と人に断ることを許さないような力がある気がする。血が繋がっていないとはいえさすがに親子ということか。

「……わかった、どこへ?」
「そうだな……そんな遠くに行く必要もねえから……ラウルの丘にでも行くか」
「ラウルの丘?」
「王宮の裏にあるちっちぇえ丘だよ。日当たりだけはいいから、昔からオレの昼寝場所の定番ってところだ」

そう言って、ディシスはゲオハルトに天馬を用意してくれるように頼んだ。

(―――――どうして自分で召喚しないんだ?)

素朴にそう思うと、そんなレインの思いを感じ取ったのか、ディシスはバツが悪そうに頭を掻いた。

「あ〜……オレなぁ……召喚の仕方っていうか……魔導の使い方……半分忘れちまってなぁ」
「……忘れるものなのか?」
「いや……元々オレ、剣の人間なんで、魔導は微妙に苦手だったんだよ」

さっき召喚してみたら、ちっこいリスが出てきた、とディシスは肩を落とす。天馬を召喚する術を思い出すには、まだまだ時間がかかるらしい。
その話を聞いたゲオハルトの大笑いが、ひとしきり落ち着いた後、レインとディシスは連れ立って王宮の裏手にあるラウルの丘へ向かった。


* * * * *


その丘は、一面が芝生になっており、丘の上には何本かの楡の木が大きく枝を伸ばしている。強すぎるほどの陽射しを柔らかく遮るその木陰はとても気持ちのいい場所で、ディシスが昼寝に使っていたというのも頷けた。

「ここがオレのベストポジションだな」

木陰にゴロッと寝転がったディシスを見て、レインはその横に静かに腰を下ろした。葉の間からちらちらと漏れる光がとても心地いい。

「―――――あいつがこの国に戻ってくるまでは……ここも単なる荒地だったんだよな」
「……」
「大神官家の力ってのは、それだけすごいもんなんだ、本当は。でもそれは本来戦いに使うような力じゃない。現にオレはジークフリート様が戦いのために力を使うのを見たことがない。大神官家の力は、大地を育む力なんだ」
「……大地を育む……」
「それだけでも、あいつは歴代の大神官の中では異端児ってことだな」

よっとディシスは起き上がり、横に座る青年に小さく笑いかけた。
そして眼下に見える王宮を、静かに見下ろす。

「ラドリアの王子のお前が、どうしてノイディエンスタークにいる?」
「……それは……」
「フィーナだろ?あいつがお前に何か言ったんだろう?」

ディシスはレインに視線を向けず、ただ真っ直ぐに前を見据えたままだった。

「……フィールは……王子としての俺ではなく、剣士としての俺が欲しいと」
「剣士としての……?」
「ラドリアという国を背負ったままの俺が欲しいと言った」
「―――――……そうか……」

少しの沈黙の後、ディシスの顔が一瞬だけ、何故だか苦し気に歪められた。

「―――――何か……意味があるのか、俺の存在は」
「……そうだな……あるからこそ、フィーナはお前を欲しいと言ったんだろう」
「その理由に心当たりがあると?」
「ああ……」

ディシスは顔を隠すように、膝に顔を埋める。その動作にレインは眉根を寄せた。

「―――――なあ」
「……?」
「お前……人を殺せるか?」

ディシスがゆっくりと顔を上げて、真剣な瞳でレインを見る。緩やかな風が、その紅の髪を揺らした。
燃える瞳。そしてそれはおそらく彼の本性でもある。





「―――――殺せる」





レインは簡潔に真実だけを述べた。それにディシスは皮肉気に小さく笑い返す。

「……オレもだ。お前は軍人で、オレは傭兵。人を殺すのが仕事だからな……殺せるだろうさ」
「……だったら何故、そんなことを聞く?」
「―――――お前は、それが誰であっても殺せるか?」
「……どういう意味だ」
「殺す相手が、例えば自分にとって一番大事な人だったとしても、殺せるか?」





(―――――大事な……人)





そっと芝生に手をついて、ディシスは立ち上がった。楡の幹に手を置いて、その髪を風に遊ばせながら、遠くを見る。

「……オレにはできない」
「……」
「オレは、フィーナを殺せない。何があっても、どんなことがあっても、殺せない」
「……それは」
「例え、フィーナ自身がそれを望んだとしても……だ」

レインは立ち上がり、ディシスと肩を並べるように立った。どこまでも続く緑豊かな大地……それは全て大神官の祈りによって支えられるもの。

「―――――でもな……あいつは違う」
「……違う?」
「あいつにはできる。どんなに自分が大事に思っている者でも、あいつは必要なら殺す」

―――――それが例え、オレであっても。





「フィーナは、殺せるんだ」





―――――自分達と彼女とは、一体何が違っているというのだろう。