- - - 第10章 アイリオネ3 |
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(……―――――はぁ……)
「レイルアース様!お茶にしましょう!」
いつものその木の下で、満面の笑顔を浮かべて手を振る娘に、レインは大きくため息を付いた。彼女の横ではいつものように困った顔でイオが笑っている。ただただ静かだった毎日が、リルフォーネの存在によって確実に変わっていくことは、レインにとってはあまり認めたくない事実であった。
* * * * *
「どうぞ。今日は竜凛茶です。ノイディエンスタークの名産なんですって」
「……」
「お菓子はメラトーニパイです。あ、これはわたし、自信作なんですよ?甘酸っぱくて美味しいんです」
メラトーニはラドリア特産の果物で、鮮やかな赤の小さな果実だ。
次々に目の前に差し出されるそれらを、レインは無言で受け取った。
もう二度とここへは来るなと言った翌日から、彼女はお茶を持って必ずここに来るようになってしまったのだ。学習能力が無いのかと思って、不機嫌をあらわにしていると、リルフォーネはお茶を差し出しながらニッコリと笑ってこう言ったのである。
(「わたし、頑張ることにしました」)
(「……?」)
(「とりあえず、レイルアース王子様と、いっぱいお話して、仲良しになります!」)
面と向かってそんなことを言われたのは初めてで、しかもそれは本当に実行された。それから毎日毎日、飽きもせずに彼女はここへ来て、レインやイオと話をしていく。レインは殆ど話さないので、実際はイオが彼女の相手をしているのだが、それでもリルフォーネはとても楽しそうだった。
嫌なら無視すればいいと思わなくも無いが、妙に律儀なところのあるレインは、午後のこの時間に必ず彼女がこの場所にいると分かっていて、すっぽかすことはできず現在に至っている。
「ああ、これは美味いですね」
「本当ですか!?ああ、よかった!」
(甘党め……)
イオがその図体に似合わず、かなりの甘党であることをレインは良く知っている。リルフォーネがここになんのためらいもなくいられるのは、このお菓子にまずイオが懐柔されたせいだとレインは密かに思っていた。
「レイルアース様、いかがですか」
「……悪くはない」
確かにそこまで甘すぎるわけではなく、素材の甘味を生かしたようなその菓子は、レインの口にも合うように作られていた。リルフォーネがいろいろと自分のために考慮してくれていることも分かっている。
―――――しかし。
どうにもこういう和やかな雰囲気に、自分は慣れていないのだ。だからこうして午後を一緒に過ごしてしばらく経ってはいても、そっけない態度で接してしまう。長年培った性格は、そう簡単に直るものでもない。
「レイルアース様の『悪くはない』って、褒め言葉なんですよね」
「……?」
「最近わかってきました。わたし、レイルアース様研究を極めてみせますよ?」
「……何だそれは」
不機嫌に眉を顰めると、リルフォーネは悪戯な光を瞳に浮かべながら、小さく笑った。
「レイルアース様語録の研究です。『悪くは無い』は『結構気に入った』で、眉を顰めながらの『ん』は『勝手にしろ』で……」
「……」
「最近だいぶ分かるようになってきたんです、スゴイでしょう?」
そんなに自分はわかりやすい人間だったろうか。
そう思って隣を見ると、イオは顔を真っ赤にして笑いを堪えている。……どうやら彼女の言う通りらしい。自分で自覚が無かった分、なんだか奇妙に恥ずかしいような気分になる。
それをごまかすために、レインは手足を投げ出すとそこに横になって、さりげなくリルフォーネに背を向けた。その様子を見たリルフォーネはくすくすと忍び笑いを漏らす。
「それに……レイルアース様は……照れ屋さんです」
「……」
―――――本当に。
本当に、調子が狂う。
胸の奥がもやもやとして……言葉では言い表せないような、微妙な気持ち。
それに、ひどく戸惑っている自分を、レインは持て余していた。
* * * * *
フェレ女官長から、離宮にリルフォーネの叔父夫婦がやって来たと聞いたのは、そんな日々が2ヶ月ほど続いた頃のことだった。
「本当に常識のない……仮にも王族の住まいである離宮へ、事前に連絡もなく来るなんて」
女官長はレインとイオの前にお茶を置きながら、不機嫌そうに眉を寄せていた。
彼女は口うるさくはあるものの、面倒見はいい。誰もがあまり近づこうとしないレインにも自分の意見をズバッと言える、数少ない人間の一人である。そんなところに気付いたのか、最初はぎくしゃくしていたリルフォーネとも、最近は仲良くやっているらしい。もちろん礼儀に厳しいことに変わりはないのであるが。
「しかも門を入ったところにまで馬車で乗りつけたのですよ?無礼にもほどがありますわ。王宮でしたら即刻首を切られる不敬罪です」
「……仕方あるまい……地方の下級貴族ではそのようなことは考えないのだろう」
「いいえ、イオ様。あれはあの二人の性格ですわ。まるでここが自分の館のように振舞っているのですよ?わたくしは、あの二人のこの離宮に留めることには反対です」
ずいぶんとリルフォーネとは違う性格の親戚だな、と思いつつ、レインはお茶を口に運びながら答えた。
「しかし追い返すわけにもいくまい……日帰りできるような距離ではないし」
「どこかに自分で宿を取ればよいのです!連絡もなく来て、そのようなずうずうしい……レイルアース王子からビシッと言ってやってください」
「だが……それではリルフォーネが困るだろう」
音を立てないように静かにテーブルにカップを置いたレインは、やっと自分に向けられる二人の視線に気付いた。
女官長もイオも、驚いたように目を見開いて自分を見つめている。
「……なんだ?」
「いえ……レイン様からそういう言葉が出るとは思いませんでしたので」
「……?」
「いいではありませんか、イオ様。何だか微笑ましいですわ。レイルアース王子はリルフォーネ嬢を気にかけておられるのですね」
―――――何だか自分の意図するのと違う方向へ話が進んでいる気がするのはどうしてだ?
レインはムッと眉根を寄せたが、いつもの不機嫌そうなその顔も、何故か今日は微笑ましく見えたらしく、二人は顔を見合わせて笑っている。
何だか居心地が悪くなって、レインは席を立った。言わなくても行く場所がいつもの木の下だと分かっているのか、イオ達がそれを問い正すことはなかった。
* * * * *
(何なんだ……一体)
そう思いながら回廊を一人、いつもの場所に向かっていたレインの耳に、聞きなれない大きな声が聞こえた。男の声だ、しかもどこかしゃがれていて訛りもあり、上品な話し方とは言えなかった。
気になって、いつもは足を踏み入れないその一角へ足を向けると、どうやら話し声は突き当たりにある広間から聞こえているようだった。通常ここは客人が来た場合、従者達の控えの間として利用されている部屋だ。
「……だからあの子にはせいぜい頑張ってもらわないとな」
立ち聞きはあまりよろしくないことは分かってはいる。だが、そうしなくても聞こえる声量で話しているのだから、そう咎められることもあるまい。そう結論付けて、レインは気配を殺して部屋の中の様子を伺った。
部屋の中央に置かれた大きなソファーにふんぞり返るように座っている、恰幅のいい派手な男と、それにへつらうような笑みをこぼしている化粧の濃い女。王宮では良く見た人種だが、それでもどこか雰囲気がやぼったいというか、洗練されていなかった。
(これが……さっき話していた……)
フェレ女官長の言うところの、ずうずうしく無作法なリルフォーネの叔父夫婦なのだろう。あの女官長が文句を言いたくなる気持ちはなんとなくわからなくもなかった。しかし叔父とはいえ、リルフォーネとは全く以って似ていない。
「けどあんな地味な娘が、お目に止まるものかしらねえ」
派手な女は自らの夫に媚びるように、いやらしく男の太腿を撫でる。動くだけでドアの影にいるレインにも、強い香水の香りが感じられるほどなのに、男は平然としていた。
「王宮には美しく、派手な娘は山のようにいるさ。ああいう毛色の違う娘の方が目にとまる確率は高いだろうよ」
「だけどこの離宮の王子は変わり者なんでしょう?『死神』なんて物騒な名前で呼ばれてるって聞いているわよ?」
―――――どうしてそこで自分の名前が出てくるのか。
嫌な予感を感じながら、レインは彼らの次の言葉を待った。
「なぁに、変わってると言っても所詮世間知らずの坊ちゃんだ。それにここの王子は正妃腹だぞ?リルフォーネさえ上手くやってくれれば、我等の未来は安泰というわけさ。あの子には頑張って、ここの王子の側室になってもらわないとな」
「もしお子を授かれば、王室の親戚になれるってわけね。あんな田舎はとっとと脱出したいわ」
(―――――……何と言った……今)
(―――――リルフォーネが……俺の……側室……に?)
レインの頭に彼女の笑顔が浮かんでは、消えていく。
先程までくっきりとしていたその輪郭が、鮮やかに思い出せたはずのその瞳が、ぼやけて……不確かなものになっていく。
(「―――――レイルアース様……!」)
(「わたし、レイルアース様と仲良しになりたいんです」)
(「いいお天気ですよ?あの丘に遠乗りに行きたいですね」)
―――――全部……何もかもが。
―――――嘘と、偽り。
二人の甲高い笑い声が響く中、レインはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて思い出したかのようにその扉に背を向けた。
早足で馬場へと向かうその瞳には、最近は影を潜めていた暗い炎が灯っていた。
* * * * *
「レイン様?どうなさいました?」
てっきりいつもの木の下にいると思っていた主を探していたイオは、馬場に向かう途中のレインを見つけて立ち止まった。しかしそんなイオの声にもレインは足を止めることはせず、ただ目的の場所へと急いだ。その様子を怪訝に思い、イオはその後を追う。
「レイン様……?どちらへ行かれるのです?」
この先には馬場しかない。しかし遠乗りに行くにしては、どうにも様子がおかしい。
「レイン様!?」
少しだけ強く肩に手を置いて引き止めると、ようやくレインはその足を止めた。
しかし……振り返ったその瞳を見て、イオは愕然とした。こんな瞳をするレインを、イオは戦場でしか見たことはなかった。
レインが部屋を出て、まだ1時間もたってはいない。その短い時間の間に、一体何があったというのだろう。
「―――――イオ」
通常よりも低いその声は、レインがひどく怒っていることを示すものだった。
はっとして、イオは目の前の冷たい彼の顔を見返す。
「―――――あのゴミを追い出しておけ。ごねるようなら、殺せ」
「……ゴミ?」
「今日来た二人……あの娘の親戚だ。今後この離宮に来るようならその場で切って捨てると言っておけ」
レインを激昂させた原因がその二人だと言うことは、尋ねなくても分かった。ただならないその様子に、イオは神妙な顔で頷く。
「俺は、王宮へ行く」
「王宮へ……?一体どうして……」
「兄上に会う。聞きたいことがある」
レインは本気だ、とイオはすぐに悟った。
あんな風に暗殺や謀略が犇く王宮へ、しかも護衛もつけずに一人で行くという。
―――――それならば、自分がするべきことは一つだ。
「―――――わかりました。ならば私も共に行きます」
「……」
「あの二人のことは、ちゃんと言付けておきます。それならばよいでしょう?」
―――――……イオは。
幼い頃から、ずっと一緒にいて……本当の自分を知ってくれている一人だ。
だからレインはこう言うしかない。何があっても、イオが考えを変えないことをわかっているから。
「……勝手にしろ」
―――――イオは何も言わず、目を伏せながら、頷いた。
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