- - - 第10章 アイリオネ11 |
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(「―――――いつか、一緒に見ること、できるかな?」)
リルフォーネの葬儀の日には、不思議なことに、ラドリアではここ30年間は記録にない雪が降った。
しかし空は何処までも青い。こんな風に晴れた日に振る雪を、北方のシュバルツや、ノイディエンスタークでは、風が運ぶ花片、風花と呼ぶのだと、いつか二人で見た本に書いてあったのをふと思い出した。
(「普通の雪は無理でも、晴れていても降る雪なら、ラドリアでも見れるかもしれないわよね?」)
―――――見たことがない雪に、憧れていたリルフォーネ。
この雪は、彼女が降らせたように、レインには思えてならなかった。
いろいろな悪い出来事が、重なっただけだと言えば、そうだったのかもしれない。
彼女の心が、あの事件以来どこか、壊れ始めていたことに、気付けなかった自分が愚かだったのかもしれない。
そう……何故だろうか……あの事件の後、彼女はレインと離れること、嫌われることを異様なくらいに恐れていた。
―――――分かってやれなかった。
―――――気付いてやれなかった。
―――――守って……やれなかった。
後悔だけが降り積もる―――――この雪のように。
リルフォーネの実家はセイルファウスの助力もあって、取り潰しと斬首だけは免れた。
しかし事が事だけに、葬儀は身内だけで質素にとり行われることになった。
葬儀の直前に離宮に訪ねてきた、初めて会うリルフォーネの父男爵は、レインの顔を見ると、深く頭を下げた。
「あの子とは……ご存知のことと思いますが、血が繋がっておりません」
降る雪を、その少し皺のある手で受け止めながら彼はレインに話しかけた。
「それでも……私はあの子をとても愛していましたし、実の娘だと思って育てたつもりです」
「……彼女も、よく貴方の話をしていた」
「……そうですか」
小さく微笑むその顔は、血の繋がりはないはずなのにどこかリルフォーネに似ていた。
母親は流石にショックが大きかったらしく、寝込んでいるという。
「あの子は強そうに見えて、実はとても弱い心の娘でした。昔あの子の兄が死んだ時も、まるで魂が抜けたようになってしまって……ずいぶんと心配したものです」
「……」
「貴方と出会ってからは、手紙にも事細かに貴方のことを、それは嬉しそうな文面で書いてよこしたものですから……安心していたのです。ようやくこの子はあの心の傷を癒すことができたのだと」
その言葉に、レインは俯いた。癒すどころか、その傷を抉っただけだったと今は思う。
「王子……」
「……?」
「こんな結果にはなってしまいましたが……あの子は……リルフォーネは間違いなく、貴方の側で幸せだったと思います」
―――――そうだろうか。
そんなはずはない……幸せだったのなら、こんな結末を迎えるはずがない。
けれどリルフォーネの父は、優しく微笑んでもう一度レインに頭を下げる。
「ありがとうございました……」
「―――――やめろ……」
「……こんなことを、私が言ってはいけないのかもしれませんが、貴方は幸せにならなければいけません」
「……俺が…幸せに?」
「貴方は―――――リルフォーネにかけがえのない幸せをくださったのです」
そう言い残して去っていく、少し老いた背中を、レインは答えることなく見送った。
遠く、葬送の鐘の音が聞こえる。レインはその葬儀に出席することすら、許されなかった。
* * * * *
いつも二人で過ごしたその場所に立ち、空を仰いでいた視線をふっと下へ向けると、白い雪に覆われた隙間に、ちらりと赤い花片が見えた。
―――――アイリオネの花。
最期のその時まで、リルフォーネを彩った……彼女が最も愛した花。
夜にしか咲かないはずなのに、その一輪だけが、密やかに花開いている。
(「『実りなき恋』っていうのよ」)
花言葉までもが今では皮肉に感じられるその花を、レインはそっと摘み取った。
「レイン様……」
その声に顔を上げると、辛そうに顔を歪めているイオとセイルファウスが並んで立っているのが目に入った。
「―――――兄上……」
「……すまない」
―――――違う。
セイルファウスは何も悪くはないのだ。むしろこの兄はどれだけ自分達二人のために、尽力してくれたかわからない。
そんな想いを込めて、レインは小さく首を横に振った。
「兄上のせいではありません……」
「しかし……」
「きっと誰も……悪くはない……ただ、悔しいだけです」
そう、悔しくて……ただ虚しいだけだ。
そんな弟の様子を痛まし気に見つめると、セイルファウスは真剣な声色で語りかけた。
「レイルアース」
「……―――――はい」
「もしも私が……暗殺されずに無事に王位を継承することができたなら……私はラドリアを、この国を……絶対にこんな悲劇が二度と起こらない国に変えてみせる」
「兄上……―――――」
セイルファウスはそのまま、空を仰ぎ見た。
青い空に舞う白い雪は、きらきらと輝いて……その決意を祝福しているように見えた。
「その時は……お前の力を貸してくれ」
「俺は……」
「今すぐにとは言わない。今のお前には、その傷を癒す時間が必要だ……それが完全に癒えることは、ないかもしれない。でもお前を大切に思う人間がいないとは思わないでくれ。自分を必要する人間がいないとは思わないでくれ。少なくとも、私とイオにはお前が必要なんだ……お前と言う存在が必要なんだ」
この人は、必要だと言う。
こんな存在を……愛した娘一人守ってやれない脆弱な自分を。
―――――そう、昔からこの兄だけだった……自分を必要だと言ってくれたのは。
でも、今は―――――。
今はまだ―――――立ち上がれない。
「俺は……今はまだ……自分を許せるとは思えません」
「ああ……それでいい」
セイルファウスはそう言うと、悲し気に微笑んだ。レインの肩を二回軽く叩いて、イオを促すと、そっとこの場所を後にする。この場所がレインとリルフォーネの思い出の場所だということは良く知っていた。邪魔をするつもりは微塵もなかった。
セイルファウス達が去った後、レインはぼんやりといつもの木の下に座り、雪で白く染まった大地を見つめた。
数日前まではその場所にいたはずの、柔らかな彼女の笑顔を思い出す。
この離宮の至るところに、リルフォーネと過ごした時間が息づいているように思えて、尚のこと辛かった。
どうしてこんなに虚無感が全身を襲うのだろう。身体の半分がもぎ取られ、そのまま放置されているような、そんな気分だ。
―――――もう何もかも、どうでもいい。
それが今の本音という気がする。
逆恨みから今回の事態を起こした張本人であるアイザックも。
それを受けて、圧力に屈した父王も。
恨む、憎む……そんな気すらわいてこない、絶対的な虚無感。
この感情に名前があると言うのなら。
きっとこれを……絶望と呼ぶのだろう。
今なら、分かる。
―――――出逢ったことが、間違いだったと。
もしも出逢っていなかったら……彼女はまだきっと生きていただろう。
自分の知らない場所で、微笑んでいただろう。
そう……生きて……生きていたはずなのに―――――。
想いが溢れて……レインは両手で目を覆った。
その拍子に、持っていたその花がぐしゃりと潰れ、その汁が頬を伝う。
―――その赤い雫は涙だったのか。今はもう彼にすらわからなかった。
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