Clover
- - - 第11章 四大竜王1
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「遠乗りに行くから」

まるでもう決定事項のように言い放つ目の前の姫君に、イヤだと言える人間はおそらく存在しないのではないだろうか……と、ぼんやりしていた頭でレインはそう思った。


* * * * *


しばらく飛んで辿り着いたのは、以前にも来たことのある竜瞳湖だった。
よく晴れた空に、湖が輝いて美しい。そう言えば時折、水竜も遊びに来るとこの姫君は言っていた気がする。

「綺麗だな……」
「あれ、やっと風景を見る余裕も出てきたの?」
「……どういう意味だ」
「皆が言ってたのよ、レインがまるで魂なくなったみたいになってるって。だから今日、私が連れ出すって言ったら、イオなんて大歓迎してくれたわよ?何かずいぶんとノイディエンスタークに馴染んできたなぁとか思っちゃった」

あっけらかんと言い放つから気付かないが、魂なくなってるとはえらい言われようである。しかし今は彼女のそのストレートな物言いがありがたかった。鬱々としていた気持ちが少しだけ浮上していくような気がする。

フィアルはそんなレインを置いて、履いていたブーツをポイッと脱ぎ捨てた。そのままザブザブと迷った様子もなく湖に入っていく。

「うーん、冷たくて気持ちいい」
「……脱ぐか、そんな簡単に」
「―――――ラドリアではどうか知らないけど、ノイディエンスタークに淑女は足を見せちゃいけませんなんて、時代錯誤な風習はもうないの。気持ちいいものは気持ちいいんだから、いいのです」

そう言われては何も言えず、レインはため息を付いて、ただその様子を見守った。リルフォーネもラドリアの常識からすればお転婆な娘だったが、フィアルの場合最早お転婆という域ではないだろう。男以上に体力も根性もある上に、いかにもじっとしているのは苦手そうだ。
そう考えて、レインはまたふっと思考を沈ませた。

―――――リルフォーネ。

彼女が自ら命を絶って、もう5年になるというのに……自分はまだそれを忘れることも思い出にすることもできず、引きずっている。

「―――――思い出してる?」

何の遠慮もない声が唐突にかけられたことで、レインは我に返った。顔を上げると、フィアルがあくまでも笑顔で彼を見つめていた。彼女の言っている言葉の意味がわからず、そのまま黙っていると、フィアルは目を細めてふっとため息を付いた。

「思い出してるんでしょ?彼女のことを」
「―――!?」
「どうしてそんなこと知ってるんだ!って言いたいんでしょ?わかってる」

くすくすと小さく声を立てて笑っているフィアルを、レインはこれ以上ないほどの鋭い視線で睨みつけた。

「……どういうことだ」
「風」
「風……?」
「風が、レインの記憶を引きずり出したでしょ?あの日」

あの日の記憶を辿ると、確かに奇妙な風が自分を包んで、それからいきなり昔のことを思い出した気がする。気が付いた時には、心配そうに自分を覗き込むイオの顔が目の前にあって、寝台に横になっていた。イオが言うには、どうやら倒れたらしいということらしかった。

「……あれは……お前が?」
「違うわ。あの日、私はアゼルと一緒に地下神殿に降りてたの。ああ、地下神殿っていうのは、昔の……言ってしまえば私とアゼルの父親が死んだ場所なんだけどね。あそこはずっと封印がされていて、私の父親の守護竜だった風竜の魂もずっと閉じ込められた状態になってたのよ。それを解放した反動が、理由はわからないんだけどレインのところに行っちゃったみたいなの」
「……反動?」
「過去を運ぶ風が、レインを包んだ。だから、過去が引きずり出されたのね。―――――ごめん……だから私とアゼルは一部始終を見ちゃったのよ」

―――――知られた、ということか……この姫君に。
レインは思わず脱力する。そういう経緯であんなに一気に過去の夢を見る羽目になったというわけかと奇妙に納得した。しかしどうしてだろう……確かに知られたくはなかった過去だが、彼女に知られたことで、気負ったものが何故か軽くなったような気がした。
見ればわかる。フィアルの態度は知る前と後と、どこが違う?何も変わらない、労わっているようなそんな様子すら見えない。それが逆にレインを安心させていた。

「……同情するか?」
「―――――何に対して?」
「好きな女一人、守りきれなかったバカな男に」

自嘲的に笑うレインを、フィアルは心底呆れたように見つめた。

「ぜんぜん」
「―――――は?」
「だから、ぜんぜん、だってば」

何よ、同情して欲しかったわけ?とフィアルは少しだけ機嫌が悪そうだった。その様子にブンブンと慌てて首を振る。

「だったらどうでもいいじゃない。私は同情なんてしたくもないし、もし自分がレインの立場でもそんなものは、いらないわ」
「……そうだな」
「ここで言ったよね?私は今の、ラドリアを背負ったままの貴方が欲しいって」
「……ああ」
「私に、理由なんてそれだけでいいのよ」

その単純明快な論理が、今のレインにとっては救いに思えた。
目を細めて目の前の彼女を見やった後、……少し考えて、レインは自分もブーツを脱ぎ捨て、ズボンの裾をたくし上げた。そしてそのままフィアルと同じように、湖へと足を進める。素足に当たる水は、透明でとても冷たく、心地よく感じられた。

突然のレインの行動に目を丸くしていたフィアルも、その様子に嬉しそうに微笑んだ。

「冷たい?」
「ああ」
「気持ちいいでしょ?」
「そうだな……知らなかった」

そう、知らなかった。
自分から何かを変えるために動いたことのない自分には、知らないことがとてもとても多いのだろう。

「俺は、もっといろいろなことを……自分で知ろうとするべきなのかもしれないな」
「……変わりたい?」
「……どうかな……5年前から俺の時間は止まったままだ。でもその5年間の間、一度もそんな風に思ったことはなかった」
「レインって、わりとナイーブだったのね」
「……あのな」

そういう問題か?とも思ったが、フィアルがこれ以上ないくらいに皮肉気な顔で笑っているので、反論する気が失せた。この姫君の真意は相変わらずわからない。自分に何をして欲しいのか、それすら言ってはくれず、ただただ自分はその予想できない行動に振り回されているような気がする。
―――――でも、それは決して心地の悪いものではない。

しばらくそんな会話をした後、うーん、と伸びをして、フィアルは立ち上がった。

「帰ろっか。あんまり遅くなると私がイオに怒られそう」
「……逆だろう?俺がアゼル殿に怒られるんじゃないのか」
「あーあーあー、そんなことあるわけないじゃない。もしアゼルが怒るとしたら私に怒るに決まってるでしょ。執務サボったこととかレインを引っ張り回してとか、散々言われそう」
「……」
「……なんで無言なの。そんなことないとか、何とか言えないの?」
「いや……」

その場面が容易に想像できた、などと言ったら目の前の彼女を怒らせるだけだと、レインには分かっていた。だから口を噤んだのだが、そんなごまかしがこの姫君に通じるはずはなく、横から出てきたその細い足が、狙ったようにレインのふくらはぎに命中する。
―――――さすがに、痛い……と言うか、前々から思ってはいたが、足癖が悪くないか?しかも絶対に一番効果的な急所を狙って蹴っているとしか思えない。
顔を歪めるレインに気付かないフリをしながら、フィアルはとっとと自分の聖獣の方へ歩いていってしまう。少しだけ足を引きずりながらもレインはその背中を追った。


* * * * *


「やぁ、お帰り」
「……あれ?」

王宮に戻った二人を出迎えたのは、少し癖のある茶色の髪を、無造作に横で纏めた男性だった。その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいるのに、どこか含みがある。
その横にはアゼルとゲオハルトが困ったような顔で苦笑いをしており、その背後にはいつもの穏やかさなど微塵も感じられないほどに不機嫌オーラを漂わせたシルヴィラがいた。

その不穏な空気に、レインは近づいてきたイオに問いかける。

(「……どうしたんだ、これは」)
(「よく……わからないのですが……あの方が突然訪ねて来られてから、シルヴィラ様の機嫌が最悪に……」)

いつも穏やかなシルヴィラのあまりの豹変振りにイオも戸惑っていた。
しかしそんな場の雰囲気など関係ないかのように、フィアルは破顔しながらその男性に近づいて、気軽に声をかけた。

「ロイ!どうしたの?帰ってきたの?」
「まぁ、とりあえずな。また大きくなったんじゃないのか?フィール」
「大きくって……私、流石にもう成長期は過ぎたんだけど?」

楽しそうに会話をする二人を見て、シルヴィラの周りの気温がまた一段と下がったような気がした。それに気付いているだろうに、彼は楽しそうにフィアルをふわりと抱きしめる。流石に見かねたアゼルが、言葉を挟んだ。

「ロジャー様……これ以上シルヴィラを刺激するのはやめてください」
「刺激?こんな可愛らしいスキンシップが刺激か?」
「貴方がやるから刺激になるんですよ。わかっているでしょうに……」

アゼルががっくりと肩を落とすのを面白そうに見つめて、彼はレイン達に視線を移した。よくよく見てみれば、その髪の色と瞳の色はシルヴィラと同じ色だった。

「ラドリアの王子、か。本当にキープ中か?フィール」
「……キープって……人聞き悪いこと言わないでよ」
「はは……とりあえず自己紹介はしておこうかな。はじめまして、レイルアース王子。私はロジャー・フォン・レグレース。先代の風のレグレース公爵だよ」

ニッコリ笑って差し出されたその手を、レインは思わず握ってしまう。そして名乗った彼の名に、少しだけ驚いて目を見開いた。

「先代のレグレース公爵……?」
「つまりね、ロイはヴィーの父親ってわけ。まぁ……強烈に仲悪いんだけどね……これが」

フォローにならないフォローをフィアルが入れた時、その背後から低い声が聞こえた。

「仲なんていいわけがないでしょう」
「……おや、言うね」
「いつまでくっついてるんです。姫様から離れてください、父上」
「何だ、お前妬いてるのか?大人げないな、相変わらず」
「……一族を放り出して、ふらふらと自分勝手に生きている貴方に、その台詞だけは死んでも言われたくありません」
「ははは、相変わらずだな、シルヴィ」

(―――――怖いぞ、この会話!)

その場にいたフィアル以外の誰もがそう思ったが、口には出せなかった。

実際ロジャーは、内乱の折、唯一生き残った侯爵でもある。しかし反乱軍を自ら率いることはせず、あくまでアゼルの補佐役に徹し、フィアルが戻ってからもその立場は変わらなかった。その機転の早さと正確さは良く知られているが、内乱後、忽然と姿を消していた。どうやら姫君とだけは連絡を取っているらしいということは、13諸侯の間では通説になっていた。
内乱の起こる前から、その司る力の通り、掴めない性格で有名だった男である。
ふらりと姿を消しては戻り、また姿を消す。そんなことを繰り返すのは日常茶飯事だったらしい。他人にとっては、あいつなら仕方ないな……の笑い話で済んでも、家族であるシルヴィラにとっては違っていたようだ。シルヴィラは殆ど家に戻らない父親の変わりに、幼い頃から侯爵としての仕事を全て担ってきた。だからこそ、そのいい加減な態度に怒らずにはいられないのである。

「まぁ二人とも、喧嘩は後にしてよ」
「……姫様」

苦笑しながら二人の間に割って入ったフィアルのお陰で、その冷たい雰囲気は幾分緩和された。

「話があるから帰ってきたんでしょ?ロイ」
「―――――オレはお前のそういう聡いところが好きだよ、フィール」

姫君の言葉に、ロジャーも微笑んで返す。その何故か入り込めない独特の空気に、シルヴィラはまた顔を歪めた。