Clover
- - - 第11章 四大竜王2
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「―――――やっぱりラドリア……か」
「ああ、どうにも不穏な気配の消えない国だな、あそこは」

人払いをして、ロジャーと二人になったフィアルは、飄々としていて、実は切れ者の彼からの報告に、納得したように頷いてみせた。

「それは国境に近い北方じゃないんでしょう?」
「ああ、奥も奥……王宮にも程近いレーゼ湖の近くだ。王宮がその存在を知らないとはとてもじゃないが思えないな」
「あのくそジジイ……ううん、そのくそジジイの背後にいる奴ね」
「それはまだ掴めてない―――――相手も巧妙だ」

ロジャーはため息を付いて、注がれたグラスの酒を淡々と口に運んだ。フィアルは顎に手をやって、少し考え込むような姿を見せる。その様子を何故か嬉しそうに見つめるロジャーの視線を感じて、フィアルはふと顔を向けた。

「―――――何?」
「いや……そうしていると本当にお前はジークフリートに似ているな、と思ってね」
「何か最近よく言われるんだけど、父様は私よりもっと儚げで優しい顔だったと思うんだけどなぁ」

むぅ、と顔を歪めたフィアルに、ロジャーはまた笑って、その頭を撫でてやる。実の息子には殆どしたことのない行為をフィアルに対してはよくするのだ、彼は。

「顔立ちも似ているけど、その真面目に考え込んでるところが似てるんだよ」
「……は?」
「ジークフリートはいっつも悩んで、考え込んでいた。そういうことさ」

自分の知る父親とも、ディシスの知る主とも、ロジャーの知るジークフリートは違っているのだろうとフィアルはふと思った。フィアルの前でのジークフリートは、悲しそうな顔をしていることはあったけれど、考え込んでいる姿など見せることはなかった。

「引き続き、調査は続けるよ。何かわかり次第、連絡する」
「うん……まぁ少しだけ休んでね」
「ああ、久しぶりのノイディエンスタークを満喫させてもらおう―――――っとそうだ、伝言を預かってきたんだった」

伝言?と首を傾げたフィアルに、ロジャーは変わらず微笑を向けたまま、伝えた。

「ここへ来る途中で、風の使い精霊に逢ってね」
「……使いって……もしかして竜の角から?」
「風竜王陛下からの伝言だよ、フィール。近いうちに訪ねてくるように、ということだ」
「―――――また……シェルも人使い荒いんだから……」

ぶすっとした様子のフィアルに追い討ちをかけるように、ロジャーは続ける。

「風竜王陛下だけではなくて、四大竜王勢揃いで待っているそうだ……光栄なことだな、フィール」
「……どこが!!」

―――――絶対絶対何か嫌なことに決まってる!
げんなりと椅子に身体を預けたフィアルを、ロジャーは優しく見守っていた。


* * * * *


奥神殿に他人が立ち入ることを、フィアルは絶対的に許さなかった。
しかし今は、例外的にディシスとネーヤだけはその自由な出入りを許していた。
ディシスが久しぶりに帰還したロジャーと酒を飲むと出かけたので、今夜は二人だけになる。

その、ネーヤの部屋には……止むことなく、荒い息遣いが響いていた。

部屋は薄暗い。月明かりだけしかその存在を映し出すものはない。奥神殿はフィアルの意向で、光球も、蝋燭の灯火も殆ど灯されてはいなかった。最低限、回廊にポツリポツリと明かりが存在するだけの、質素な建物であった。

大きな天蓋付きのベットには白い柔らかな素材のシーツがかけられている。
それに顔を埋めるような、うつ伏せの状態で、ネーヤは必死で何かに耐えるように息をついていた。

「―――――つらい?」

ネーヤの上半身は裸だったが、その身体には……以前とは比べ物にならないほどの濃い紋様が浮かび上がっている。それは魔導環と呼ばれる召喚の儀式に使われるものだった。
―――――白く細い指が、その紋様をゆっくりと辿る。
苦し気に息を吐き続けるその横に腰掛けて、フィアルはそのネーヤの様子を見下ろしていた。

彼の身体を滑る彼女の指の先から、キラキラと輝く不思議なオーラが放たれているのを、ネーヤは知っている。フィアルはそうやって、少しずつ少しずつ丁寧に、ネーヤの身体に、禁断と言われる時空魔導をかけていた。ネーヤの身体の時の流れを、極力遅らせる為に。―――――その魔導環の進行を少しでも長引かせるために、それは絶対に必要なことだった。

「―――――つらい?」

フィアルはもう一度、その言葉を繰り返した。
身体は通常の時間の流れを求める。それを無理矢理に遅らせる時のルーンを受けるということは、ネーヤの身体に歪みをもたらし、それは痛みとなって彼を襲った。それがわかっているから、フィアルはネーヤに問わずにはいられないのだ。変わってやりたくても、それはできないのだから。

「―――――フィーナ」

ネーヤはうつ伏せたまま、フィアルに向かって手を伸ばす。それを言葉なくフィアルは握り返した。ネーヤの手に時折ぎゅっと力が込められるのは、痛みのせいだろう。その度に、フィアルも安心させるように強くそれを握り返した。

「……ごめんね、ネーヤ……」
「どうして……フィーナが謝るの」
「苦しい思い、させてるでしょう?」

枕に埋めていた顔を少しだけ横に向けて、荒く息をつきながら、ネーヤはフィアルにその赤い瞳を向けた。その額には汗が浮かんで、苦しそうなのに、その口元には微笑を浮かべている。

「僕は……苦しくない」
「ネーヤ?」
「でも……フィーナが……悲しい顔をすると、苦しい」

握っていた手を離して、ネーヤの手のひらが、そっとフィアルの頬を撫でた。その少し汗ばんだ感触に、フィアルの心はぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。ネーヤの額には、はっきりと反目の印が浮かんでいて……フィアルにはそれを直視することができなかった。
いつも自分の後をくっついて歩いていた少年。世界の全てのことを知らなかった彼に、何もかもを教えたのは、間違いなく自分だったはずなのに。
―――――いつしか、こんな風に……人を気遣うことすら覚えて、成長している。
とても嬉しい……けれど少し、切なく、胸を打つもの。

それをネーヤに感じるのは、彼が……『人』ではないからなのか。
―――――今はもう、それがフィアルにも、よくわからなくなってしまっていた。

「フィーナ……」
「……なぁに?」

昔よりも低い、掠れた声が名前を呼ぶ。

「僕は……フィーナが好きだよ」
「……」
「フィーナが、フィーナを嫌いでも……僕は好きだよ……変わらず好きだよ」
「―――――ネーヤ」

ネーヤは荒い息のまま上半身を起こすと、うつ伏せていたその体制を反転させてベットヘッドに背中を預け、フィアルを見つめた。その赤い瞳はまるで吸い込まれるような強い意志を持っている。ネーヤには迷いがない。純粋であるが故に、彼はフィアルをただ想うことを躊躇しない。
フィアルは手を伸ばして、ネーヤの額にかかる白い髪をそっとよけた。その額には金色の逆四葉がくっきりと光っている。彼女はそのままそっと自分の額と、ネーヤの額を合わせて、目を閉じた。

相反するもの。
けれど、対であるもの。
だからこそ、愛しくあるもの―――――。

「フィーナ……?」

額を合わせたまま動かないフィアルを、至近距離で見つめながら、ネーヤは呼んだ。まだ、時空魔導のかけ直しは終わっていないはずだ。
その呼びかけにフィアルはゆっくりと目を開ける。その瞳には何の感情も浮かんではいなかった。

「……ごめん、もう少しだけ……我慢してね」

額を離すと、フィアルはネーヤをもう一度促して、今度はベットに仰向きの状態で横にさせた。その細身の身体を指が辿る度に襲う痛みに、ネーヤは耐える。身体に触れないもう片方の手で、フィアルはネーヤの手を握った。

(私は……何をしているの)
(ネーヤにこんなことを強いてまで、何を守りたいの)

汗ばむネーヤの手が、時折力を込めてフィアルの手を握り返す。
これは、一時的なものだ。どんなに時空魔導を使っても、その魔導環の発動を完全に止めることはできない。

(―――――言われる、かな)

四大竜王が自分を呼んでいるその意味が分からない程、フィアルは愚かではなかった。
苦しむネーヤの頬にかかる髪にそっと触れながら、自分を深く愛してくれる竜王達の心を思う。

(どうしたらいいのかなんて)
(―――――本当はわかっているのよ)

荒い息だけが響くその部屋を、青い月明かりが優しく包み込んでいた。


* * * * *


その翌日、フィアルは後をアゼルに任せて、竜の角半島へと向かうことにした。竜の角半島はノイディエンスタークの国土ではあるが、完全に独立した竜族の土地である。普通の人間は足を踏み入れることを許されてはいない。しかも四大竜王の住まう場所は、竜族にとっても神聖な土地である。そこへためらい無く入ることを許される人間は、この世にただ一人―――――ノイディエンスタークの大神官だけであった。

「彼を連れて行くのですか?」
「うん、連れて行く。多分その方が話が早そうだから」

フィアルはどうやらそこにネーヤを連れて行くつもりらしい。何の話が早いのか、アゼルは多少気にはなったが、とりあえず同意するように頷いた。

「おひーさん、どっか行くのか?」

聖獣を召喚しようとしたフィアルのところへ、早朝稽古をしていたらしいゲオハルト達がやってくる。出かける仕度をしている姫君達を見て不思議そうに首を傾げているのを見て、フィアルは説明するのが面倒だと言うように、投げやりにアゼルを見た。その視線を受けて、アゼルはため息を付き、しぶしぶと言ったように、ずいぶんと図体のでかい男達に簡単に説明をする。

「姫は、四大竜王に呼び出しをくらったので、今から竜の角半島に行くんだ」
「……ちょっと。その言い方は何なのよ!呼び出しって、まるで私がまずいことをやって、怒られに行くみたいじゃないの!」
「おひーさん、呼び出しかよ」
「違う!」

があっ!と食ってかかるフィアルに、ゲオハルトはハハハ、と大声で笑った。

「四大竜王……とは何ですか?」
「ああ、イオやレインは知らねえか。四大竜王ってのは、その名の通り四元素を司る竜王のことだ。火竜王、水竜王、風竜王、地竜王だな。その上に立つのが光の竜……つまり神竜で、これは種族じゃなくて、この世に一頭しかいないってわけだ」
「そんなものに呼び出しをくらってるんですか!?」
「―――――呼び出しじゃないって言ってんでしょ!」

ドカッ!

思いっきり素で驚いた声をあげたイオにストレートに腹が立ったのか、フィアルは少し離れて立っていた場所から勢いをつけて、鳩尾めがけて飛び蹴りを入れた。流石にそう来るとは思っていなかったらしいイオは、よける暇もなく大地に崩れ落ちる。その光景を見たネーヤを除く他の男達は慌てて口を噤んだ。

「とにかく、行って来るから。早ければ今日中に帰ってこれると思うけど、話が長引いたら明日になるってことで―――――行こう、ネーヤ」
「うん」

フィアルはネーヤを促して天馬に乗せると、自分もセラフィスを召喚して、ヒラリと跨った。飛び蹴りをくらわせる時といい、この姫君はなんだか普通に地に足をつけている時の方が少ないのではないだろうかと思わなくもない。

そんなフィアルの腕を、引き止めるように掴む手があった。

「―――――レイン?」

珍しい彼の行動に、フィアルも少しだけ驚いたように首を傾げる。
レインも一瞬自分の行動にビックリしたようだったが、すぐにまた彼女を見上げ直した。

「……」

言わなければ、何か。
そう思えば思うほど、言葉が浮かばない。何と言ったらいいのか、わからない。
いつもの無表情のままでぐるぐると考えを巡らせているレインを見て、フィアルはふっ……と急に表情を和らげた。

「―――――わかったから」
「……?」
「一緒に、行こう?」

差し伸べられる手は、何故だろう……とても優しく思えて、レインは迷うことなく、自分の手のひらを重ねた。
その様子を何故か、ネーヤは穏やかな顔で見つめていた。