Clover
- - - 第11章 四大竜王5
[ 第11章 四大竜王4 | CloverTop | 第12章 傀儡1 ]

『魔竜を召還するだと!?バカなことを言うな!』
「バカなことだなんて、思ってない」

彼女の言葉に絶句したように固まっていた竜王達もさすがにそれを聞き流すことはできなかったようだ。しかし信じられないといった風なヴェルガーに対し、フィアルは笑って答えるほどの余裕をみせていた。

『小さなお姫様……魔竜を召還ということの意味が本当にわかっていて、そんなことを言っているのか?2年前までのあのノイディエンスタークの惨状を忘れたわけではないよな?』

2年前……魔神官と魔竜を倒したことで、ノイディエンスタークの内乱は終結を迎えた。それまでに反乱軍、国民がどれだけの血を流し、犠牲を払ってきたのかを知らないわけではない、忘れたわけではない。
けれど……フィアルにはそんな風竜王の問いを素直に受け入れられない理由があった。
それはずっと―――――。
あの内乱の起こる前から、起こった後も、終わった今でさえも、変わらない疑問。

「私ね…・・・ずっと聞いてみたいって思っていたんだけど」
『……?』
「貴方達は…・・・竜よね?」

至極当然のことを聞かれて、竜王達は戸惑ったような顔を見せる。
そんな彼等を、フィアルは真っ直ぐに見つめた。その瞳は淡い淡い蒼。最高位の竜であり、彼らの主君でもある神竜の瞳と同じ色と光を持っている。

「じゃあ、魔竜は……?」
『どういう、意味だ?』
「魔竜は…・・・竜ではないの?貴方達と同じ、竜ではないというの?」
『……それは……』
「私は竜が好きよ……竜という存在そのものがとても愛しい。だから神竜も魔竜も、竜という存在であることに変わりはないと思っているの。ノイディエンスタークにも魔の魔導を受け継ぐ侯家があるように、魔というものの存在そのものが悪だなんて、私には思えない。闇も同じ……その属性そのものが罪ではないわ……そうは思わない?」

それは―――――誰もが気付かないふりをして、目をそらし続けた厳然たる事実だった。


* * * * *


竜王達はしばらく無言だった。
魔竜は確かに竜で、自分達の同朋であることは確かなのだ。
けれど……その属性は魔と闇。彼らが竜の中の竜、王の中の王と仰ぐ神竜とは一番対極にある存在でもある。

「その存在そのものが罪だなんて、誰が言える?その属性を持つ者には、生きる権利すら、ないの?」
『チィ……それは言い過ぎだ。オレ達だって、魔竜が竜ではないとか、生きる権利がないとは思っていないさ』
「ならどうして、魔竜を召還するのをそんなに嫌がるの、フォルク?」
『そうだな……簡単にいうなら、その力が強大すぎるからだ。魔の属性、闇の属性の全てが悪ではない……それはお前の言う通りだ。けれど魔や闇は、それに引きずられやすい危うい一面を持つことも確かだろ?』

確かにそれもわかる。フィアルはその火竜王の言葉に、小さく頷いた。けれど、ずっとずっと納得できずにいたことだ。

「危険だから……危うい存在だから。たくさんの国民を危険にさらすかもしれないから。そうして多くを守るために、犠牲にされてきたものは、きっと思うより多いのでしょうね」
「フィーナ……?」

納得できなくて。
でも、抗えなくて。
―――――犠牲にしてしまった小さな灯。
俯いてしまったフィアルに、ネーヤが心配そうな視線を向ける。その様子に気付いて、レインもフィアルの側へと歩み寄った。

「このままならきっと、今度はネーヤがそうなる……わかりきったことだわ」
『チィ……』
「だからギリギリまでは隠す。それでも駄目なら、私の手で魔竜を召還する」

その瞳に宿る強い意思に、レインは彼女がもう随分と前からそれを決意していたことを悟った。それは竜王達にも感じ取ることが出来た。

『……それならば、姫』

低く響く地竜王の声に、フィアルは顔を上げた。深い緑色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめているのが、その視界に映る。

『そこまでの覚悟をしているのならば……何故お前は、陛下を目覚めさせないのだ?』
「……言われると、思ってた」

小さな苦笑いを零して、フィアルは瞳を伏せる。
今までも……今回も。彼らがこの場所にフィアルを呼ぶ最大の理由は、それなのだと知っていた。

『魔竜をお前が召還するのは仕方がないかもしれん。しかしノイディエンスタークの民がそれを受け入れるはずはないだろう。だが、その時にお前の側に陛下が……竜王陛下がいらっしゃるのなら話は別だ。国民は魔竜の存在を、簡単とは言えずとも受け入れることができるだろう』
「……あの子がいれば……魔竜が例え暴走しても……自分達の安全が保たれるから……?」
『人とはそういうものだ。お前には……よくわかっていることではないのか?』

―――――何故、目覚めさせないのか。
それが出来るのは、この世界にたった一人、フィアルだけだというのに。
しかしこの14年の間、彼女はそれを頑なに拒みつづけてきた。目の前の竜王達に願われても、精霊王に諭されても、それでも首を縦に振ることはなかった。それはあの内乱の最終決戦の時でさえも変わることはなく……そのために、彼女はたった一人で、魔竜と魔神官を相手にしなければならなかった。

「私はね、あの子をとてもとても愛してる……大切なの」
『……それは陛下も同じだろう?あの方はお前をとても大切に思っていらっしゃる』
「だから、起こさないの……あの子もそれをわかっているから、自分から目覚めようとはしていない。どうしてなのかなんて、誰にもわからなくていい。それは……私とあの子の間にだけある絆だから」

目覚めさせようとしない娘と、目覚めようとしない竜。何故と問うても、それは二人にしかわからない何か大切な理由で。
わかっていることは、神竜は目覚めない、その事実だけだ。
言葉をなくして立ちつくす竜王達とレイン達に、彼女はポツリと……誰に言うでもなく呟いた。





「完全な……正義なんて……この世には存在しないと、どうして誰も……気付かないの?」





―――――それに誰が、反論することが出来ただろうか。


* * * * *


話はそれで打ち切りになり、四大竜王による小さな宴が開かれて、結局その夜は竜宮に滞在することになった。
これ以上話してもどうしようもないと誰もがわかっていたし、それよりも彼女に親愛を寄せる竜王達は、彼女の瞳が複雑な感情に沈むその様を見たくなかったのだろう。

宴ではまた火竜王フォルクの作った料理が振舞われたが、さすがに懲りたのか、はたまたヴェルガー辺りに説教をくらったのか、普通に美味しく食べれる料理が出てきたのはありがたかった。
そんな中レインが普通に驚いたのは、その宴の間中ずっと、竜王達が人型をとっていたことだった。
『そうじゃないと普通に楽しめないだろ』と軽く風竜王シェルが言うのには、納得できるようなできないような複雑な気分でもあった。そもそもノイディエンスタークに来て、フィアルと出会っていなければ、竜王と肩を並べて酒を飲むなどということは、絶対にありえなかったに違いない。
その酒の席で、すぐに真っ赤な顔になってこてんとネーヤが寝てしまったことにも少し驚いた。フィアルが苦笑しながら、「ネーヤはお酒、弱いから」と言っていたが、その本人は全く顔色すら変わらない。そう言えばコンラートが、フィアルはザルだと言っていたのを思いだして、奇妙に納得してしまった。

竜王達も寡黙に飲んでいるヴェルガーとイーファ、そしてあまり変わらず飄々としているシェルに、一人テンションの高いフォルクとそれぞれだった。
しかし当のレインはと言えば、昔ラドリアの山奥で二年間暮らしていたというヴェルガーに思い出話を語られていた。影でフォルクが『説教ジジイに捕まっちまって可哀想に……』と呟いているのもしっかり聞こえていたが。

ふと視線を動かすと、眠ってしまったネーヤに膝枕をしてやりながら、シェルと話しているフィアルが視界に入る。相変わらずフィアルもネーヤには極甘だ。

(【空の子】……か)

その意味がレインには今もわからないが、ネーヤにも何か特別な秘密があることはわかった。それをフィアルに聞けば、彼女は当たり障りのない範囲で教えてくれるには違いないだろうが、今はそれをするべきではないと思った。

(「完全な……正義なんて……この世には存在しないと、どうして誰も……気付かないの?」)

その言葉を呟いた時のフィアルに表情がなかったことが、レインには気にかかっていた。
彼女からは時々そうして表情が消える。ディシスとあの片目の男が剣を合わせていた時もそうだった。そしてそれは、リルフォーネを失った後のレイン自身とも重なるものだった。

(人には……話したくないことの一つや二つ、あるものだ)

―――――自分はひょんなことから彼女には知られてしまったが。
先程の会話を聞いていても、どうも彼女は一人でいろいろなことを抱え込むところがあるようだ。それは自分にも言えることなのだが、彼女の背負うものは自分より遥かに重いような、そんな気がしてならない。
それをもしかしたら本能で分かっているのかもしれないと、彼女の膝で少し微笑みを浮かべながら眠っている白髪の少年をレインは見やった。

『レイルアース王子』

不意に名前を呼ばれて、目の前の地竜王が苦笑を浮かべていることに気付く。フィアルに気を取られて、彼の話を半分聞いていなかった。しかしヴェルガーは気を悪くしたようすもなく、少しだけ意味ありげな視線を彼に向けた。

『覚えておくといい……姫はな、自分に意味のないことをしない娘だ』
「……?」
『お前を側におくことにも、あの【空の子】を側におくことにも意味がある。お前自体の存在もそうだが……ラドリアが絡むとそれはますます複雑になるだろう』

―――――ラドリア。

『これからラドリアには、いろいろなことが起こるだろう。あの国の闇の気は深い……魔竜復活の魔の気よりももっともっと深く大きなものだ。お前はその国の王子……もし祖国を捨てられぬというのなら、お前の前にも闇は立ちはだかるだろう』
「―――――闇……ですか」
『長い時間は、人を、竜を、精霊を……そして大地そのものに歪みをもたらすこともあるのだ。それは私が地の属性を持つからわかるのかも知れぬがな……』

遠くを見るようなその慈しみ深き眼差しに、レインはふと、目の前の地竜王が長い時間を生きていると思い知らされた。

『竜王とは言っても、我々にはたいした力はないのだ。人の世界のことは、人が解決しなくては意味がない。ただそれがノイディエンスタークに関わることになれば話は別だ。我々は元は大神官の守護竜だったのでな』
「大神官の……守護竜」
『我々はあの国の大地を愛した彼等を守護する竜なのだ。例え主が寿命を迎え、この世から消えても、その想いは簡単には消えない。我々は主を本当に大切に思っていた……だから彼等が守ろうとした大地をも愛する。考えてみれば利己的かもしれん』

―――――誰も……愛する人が愛したその場所を守りたいと願うものだろう?
地竜王ヴェルガーの瞳は、どこまでも深い緑で……優しい色をしていた。


* * * * *


翌朝、竜の角半島を出て、ノイディエンスターク王宮へ向かうその途中で、フィアルは突然速度を緩め、レインの乗っている天馬の横へ自分の聖獣でもある黒馬セラフィスを近づけた。

「レイン」
「……何だ?」

あれだけ飲みまくっていたというのに、すっきりした顔をしている彼女が不思議だ。あの後フォルクにしこたま飲まされたレインと、コップ半分しか飲んでいなかったネーヤは微妙な頭痛を抱えているというのに。傭兵時代の経験は、伊達ではないということだろうか。

「昨日のことだけど」
「……昨日のこと?」
「ネーヤの話と、魔竜の話」

フィアルの瞳が真剣な色を帯びている。それに気付かないほどレインは鈍感ではなかった。

「他言無用でお願い。いつまでも話さないつもりもないけど……まだ話す時じゃないと思ってるから」
「アゼル殿にも、話さないのか?」
「アゼルはああ見えて苦労人なのよ?これ以上悩みの種を増やしたら、確実にハゲるわよ。それはそれで面白いけど」

冗談めかしているが、いろいろと考えがあるのだろう。レインは小さく頷いて、それを受け入れた。その反応を見て、ありがとう、とフィアルは微笑んだ。

「じゃあ、見せてあげる。ご褒美ってところかな?昨日の会話を聞いてたんだし……気になってたでしょう?」
「……褒美?」
「ネーヤ」

フィアルが手招きすると、慣れた動作でネーヤは天馬を操って、側に寄ってくる。フィアルがその間に小さなルーンを唱えると、パチン、と周囲の気が弾けたような音がした。風の結界を張ったことがわかるあたり、レインもノイディエンスタークになじんでいるということだろうか。しかし今どうしてここでそんな結界を張る必要があったのかは、わからなかった。

「見せてあげて」
「……いいの?」
「いいわ。それに時々は羽を伸ばさないと、ネーヤも辛いでしょう?」

フィアルの言葉にネーヤは頷いて、天馬からそっと身を乗り出す。それを見たレインは慌てた。ここはかなりの高度の空中だ。落ちたりしたら命はない。

「……おいっ!!」

そう言ってレインが手を伸ばしかけた時―――――。





バサッ……―――――





ネーヤの背中に伸びる……まるで花開くように広げられた、一対のそれは。
天馬よりも大きい、純粋な―――――白。





美しい―――――翼。





あまりのことに、レインは呆然とそれを見つめる。
天使という存在は空想のものだと、ずっと思ってきた。しかし空中に浮かぶその姿は……まさしくその伝説の生き物だ。
ラドリアは大地を神そのものと考えるノイディエンスタークとは違って、ラーネという女神を信仰している。その女神の使者として人に恵みを与える神の御使いの役割を果たすのが、天使という存在なのだ。
もちろん竜頭大陸の全ての国が、ラーネ教ではない。けれどどの国の信仰においても、少なからず天使、というものは存在するのが常だった。

「―――――天使、って人は呼ぶわね……」
「フィール……これは……」
「でもネーヤはそんな不確かな伝説の存在ではないわ。彼等はね、遥か昔からこの世界に存在していた種族なの。その存在を知っている者は本当に極少数だけど……」

バサリ、とネーヤはレインの目の前でその翼を動かしてみせた。動かした拍子に、数本の羽が抜けて辺りを舞う。

「その存在を知る者には、彼等は【翼人(つばさびと)】と呼ばれているわ」
「翼人……」
「竜族や精霊族は、彼等を【空の子】と呼ぶけどね。属性は風、だからシェルに一番近い存在と言っても過言じゃないの。知能も高く、独自の言語と文化を持って、時に人にその知識を教えた、偉大な種族よ」

血の色の瞳の少年は、黙ってその説明を聞いている。そんな彼にフィアルが手を差し伸べると、ネーヤはすぐに彼女の元へと舞い降りた。その姿はまるで夢を見ているかのようだ。

「でももう翼人はどこにもいない。ポラリス島で細々と暮らしていたはずの彼等は、突然姿を消したの。この竜頭大陸に残ったのはネーヤだけ……翼人の純粋な血統を受け継いだ、最初で最後の【正統なる翼】……それが、ネーヤよ」
「【正統なる翼】……」

フィアルが差し伸べた両手に、ネーヤは自分の手のひらを重ねる。そしてゆっくりとレインへを視線を動かした。ネーヤが自分からレインと視線を交わしたのは、初めてのことだった。いつでも彼の瞳には、フィアルしか映っていなかったのだから。

「―――――僕の名前だ」
「……名前?」
「【正統なる翼】……それは翼人の言葉で、シーク・ネーヤと言うんだ」

それはきっとある意味では、彼が【翼人】の王であるということなのだろうとレインにも理解が出来た。
けれどそのネーヤ本人は、その名を受け継ぐことの意味を、もう考えるのは止めていた。

「僕は……そう呼ばれるよりも、フィーナに……ネーヤと呼ばれるのが嬉しかった」
「……そうか……」
「そう……やっと見つけた―――――僕の青空……ねえ、フィーナ」
「なあに?」

レインから、フィアルへと視線を戻して、ネーヤは微笑む。何の邪気もない、疑うことも知らない子供の純粋さを以って。
―――――ああ、だからなのか。
あまりにも純粋過ぎるものに、魔は引き寄せられたのか。
レインの中で、いろいろな事柄が一本に繋がった。

「知ってた?フィーナという名前は、僕らの言葉では、【大気】という意味なんだ」

空を翔ける翼人を包む、優しいその名前。
その出会いはきっと運命だったのだと、手を取り合う二人を見ながらレインは何故か強くそう思った。