Clover
- - - 第12章 傀儡1
[ 第11章 四大竜王5 | CloverTop | 第12章 傀儡2 ]

ボン!という大きな音の後に、ガラスが弾け飛ぶガシャガシャという騒音が聞こえたのは、フィアルがレインとネーヤを連れて竜の角半島へ向かったその日の午後だった。
何だか似たようなシチュエーションで、つい最近も怒った記憶はあるものの、あの時のように大地が揺れるほどの衝撃はない。そしてその音はごく近くで聞こえた気がして、アゼルは頭痛を覚えた。
破壊大王の異名を取るフィアルは、今日明日はここにはいないはずだ。それなのにこんな音が聞こえるとしたならば、その原因はもう一人の破壊魔に因るものとしか考えようがなかった。

「……何とかしてくれよ」

ノックもせずに姫君の執務室兼、アゼルの執務室に入ってきたのは、見た目だけはいいと言われる聖のイエンタイラー侯シードだ。その長く伸ばした栗色の前髪を書き上げながら、うんざりしたような顔をしている。

「真向かいの執務室であんな音聞こえると、結構迷惑なんだよな」
「……賢者の塔を吹き飛ばした姫よりはマシだが……執務室で何をやってるんだ、アイツは」
「さぁ、アイツが何やってるのかなんて、オレは知らねーし、そんな色気のないことに興味もねーな」

お前の興味は色気だけか、とツッコミたい気持ちもあるが、それはグッと堪える。アゼルは仕方なく立ち上がると、外していたマントを羽織り、シードの隣にある執務室へ向かった。
ずらずらと並んだ執務室の中央辺りにあるその部屋の前には、その隣りの執務室の主でもある地のフレジリーア候ヴォルクが呆れ顔で立っていた。

「全く……キールの奴……今度は何の実験だ」
「まだ開けてないのか?」
「俺は学習能力があるからな。前に不用意に開けて、怪しい魔物の熱烈な接吻を受けた経験を忘れてないんだ」

生真面目なヴォルクは眉を寄せながら言うが、ある意味笑えない。姫君と同じで、頭が良すぎると言うのも考え物だな、とアゼルはため息をついた。このままでは埒があかないので、仕方なく扉に手をかける。

「キール!」

とりあえず開ける前に声をかけるが、予想通りで中から返事はない。
魔物とのご対面はゴメンだと恐る恐る扉を開けると、吹き飛んだガラスの側で、椅子に座っている部屋の主が見えた。
こんな爆発を起こしておきながら、まるで気付いていないかのように、目の前の魔導書を目で追っている。その手には怪しい色の液体が入った器が握られていた。

「……あいつ信じらんねぇ……気付いてねーよ」

シードの言う通り、尊敬モノの集中力だが、それは人としてどうだろう。さすが内乱終結後の数回の賢者の塔の爆破に、姫君と一緒に関わっていただけのことはある。
アゼルとヴォルクは顔を見合わせると、頭を抱えたくなった。13諸侯で1、2を争う苦労人は間違いなくこの二人なのだ。

「キール!」
「……」
「キール、おい!キール!」
「……え?」

ようやく気付いたかのように、ふっと顔を上げたキールは、同僚の三人が勢揃いでこちらを見ていることに、少し驚いたようだった。

「……何だ?三人揃って……何か用か?」
「お前な……今の自分の状況わかってないだろ」

呆れ返ったシードの言い草に、キールはゆっくりと辺りを見回す。ガラスは吹き飛び、そこら中に破片が散らばり、挙句の果てには積んであった決済済らしき書類の数々が部屋に散乱していた。

「……さっきのって、そんなに衝撃あったのか……」
「感心するな!とっとと片付けろ!」

まるで他人事だ。結局毎度この執務室の修復の役割が回ってくるヴォルクにしてみれば、嘆かわしい事態以外の何物でもない。言われてしぶしぶと立ちあがったキールは、散らばった書類を集め、ふと考えるように首を傾げてから、アゼルにひょい、とそれを差し出した。

「……届けに行く手間が、省けたな」
「……お前な」

この後に及んで何を言い出すのか。隣りのヴォルクの顔がますます渋くなるのを見て、アゼルも呆れるしかない。

「しかしこれじゃ……この部屋は今日はもう使えないだろうな」
「いいさ……執務自体は終わってるから。続きは塔に行くし」

飛び散ったガラスを避けて、先程まで開いていた重厚な表紙の魔導書をキールは抱えた。しかし部屋自体を片付けていく気は全くないらしく、そのままとっとと出ていってしまう。ある意味ではマイペースなのだか、ヴォルクにとっては迷惑千万な話だ。

「またこの始末は俺か……」
「イヤなら放っておけばいいじゃねえか。なんだかんだ言いつつ律儀に片付けるよな、ヴォルクって」
「……隣室がいつまでもこんな惨状なのが嫌なだけだ」

どうやら意外と綺麗好きらしい。ふっとため息をつくと、ヴォルクはキールが出ていった扉を見つめた。

「アゼル……キールは少しおかしいな」
「……ああ」
「オベリスク討伐から帰ってきてからずっとああだ。異常なくらいに魔導書を読み漁ってる。あいつ……もしかしたらほとんど寝てないんじゃないのか?」

キールの異変には、アゼルも薄々感づいてはいた。ゲオハルト達からも兄のシオンと接触があったこと、キール本人がどうやら狙われているらしいことも聞いていた。けれどこのノイディエンスタークにいる限りは、キールの身に危険が迫ることはないはずだった。

「焦れて……いるのかもしれんな」

ヴォルクの言葉は正しいのだろう。頭が良く、思慮も分別もあるキールだが、意外と一本気なところもある。特にそれがフィアルに関わることなら尚更だった。自分に何ができるのか、何を為すべきなのか。頭の中でぐるぐると考えているに違いない。

「……やだね、オレは」
「シード?」
「そういうわけわかんねえことに、悶々とするのは好きじゃねえな」

そう言って、額にかかった前髪をバサリと掻き上げる。邪魔なら切ればいいのにとも思うが、どうもその仕草も女性受けするらしい。アゼルやヴォルクにはどうにも理解し難いことである。

「悶々とするなら、女のことにしとけっての。不健康だぜ」
「……お前の頭の中はいつもそれなのか」
「そーだよ、悪ぃか?男はみんな基本的に本能の生き物だろ?じゃ、オレはもう行くぜ。部屋でオレの子豚ちゃんが待ってるんでね」

ひらひらと軽く手を振って、部屋を出ていくシードの後姿を見送って、最年長の苦労人ヴォルクはますます肩を落した。あの能天気さをどうかキールにも半分分けてやって欲しいなどと思う。そんなヴォルクを見て、アゼルは苦笑した。

「なぁヴォルク……シードがどうして、自分に群がる女のことを子豚ちゃんって呼ぶのか、知ってるか?」
「は?」
「普通は子豚、なんて呼ばないだろ?呼んだとしても子猫とかじゃないか?」
「……まぁ、確かに」

考えたこともなかったが、確かにそうだ。子豚と呼ばれて嬉しい女性などいるのだろうか。いや、いなくもないだろうが、それは極少数だと思われる。

「それはな……あいつにとって彼女達が、本当に子豚だからなんだよ」
「……?意味がわからんぞ?」
「シードは屈折してるからな……本当は女嫌いなんだよ。特に自分の外見だけに寄って来るような女は大嫌いなんだ。姫やメナス、イシュタルはどうやら別格らしいが、他の女はみんな子豚扱いだ」
「……女嫌いのくせに、一応寄って来た女の相手はしてやるってことか?」

それはとても不誠実なことではないだろうか、とも真面目一辺倒なヴォルクは思うのだが、アゼルにはそれがわかっていた。

「シードはそうすることで……自分を保ってるんだろう。そのことに自分でも気付いているはずだ」

心に抱えたもの。
それはきっとキールにも、シードにも……そしてアゼル達にも少なからず存在するものに違いなかった。内乱の傷は、目に見えないものも確かにあると、こんな時に気付かされる。
―――――時間が、必要なのだ……自分達には。
静かな瞳で、アゼルは二人が出ていった扉を無言で見つめていた。


* * * * *


(「キールは特別許可ね」)

そう言って笑いながら彼女が渡してくれた鍵を、首にかけていた鎖から外す。賢者の塔は本来ならフィアル以外の者は立ち入りを許されていなかったが、キールにだけはそれを許してくれていた。
奥神殿、そしてこの賢者の塔、とフィアルがキールだけに与えている特権はある意味では破格ともいえるだろう。
ガチャリと鍵を開けて中に入ると、古いインクの臭いが鼻につく。ここにあるのは遥か昔から伝わる多くの書物で、それに囲まれて過ごすのがキールは昔から好きだった。

螺旋状に巡らされている塔の階段を昇って、最上階へ向かう。最上階以外は物品庫やら書庫になっているので、座る場所もない。だからこそいろいろな実験は最上階で繰り返され、その度にその階だけが吹き飛ぶという悪循環を、約三ヶ月に一度の割合で、自分と姫君は繰り返してきたとも言えるのだが。

最上階の扉を開けると、そこにはシンプルな木の大きな机が鎮座している。椅子はニ脚……自分とフィアルのためのものだ。キールがこの塔に出入りするようになってから、彼女がその椅子を用意してくれたことが、何故かとても嬉しかったのをぼんやりと思い出した。

「今日は……竜の角に行っているんだったな」

朝から姿の見えなかった彼女のことを思うと、キールは自分の椅子に腰掛けた。そして手に持っていた魔導書を開く。必死で文字を追っている間は……何も考えずに済むと、幼い頃からの経験で彼は知っていた。
それに没頭していれば―――――。
活字の世界に溺れていれば―――――。
それは確かに逃げでしかないのだろうけれど……そうやっていつも、キールは自分の居場所を、必死で探していたのだ。
―――――圧倒的な魔の力を振りかざしていた長兄、シオンのいた、あの屋敷の中で。

(「穢れた血だよ、お前の血は」)

シオンと次兄の母親は同じファティリーズ一門だった。それとは逆に後妻だったキールの母親は聖のイエンタイラー家の出身だった。だからなのだろう、何かある毎に、そう言われ続けていたのは。

(「どうしてお前のような者に、ファティリーズの色が出たんだろうな」)
(「純粋な魔の力は、あんなにも美しいものなのに」)
(「創造の力―――――それに勝る力などあるはずがないんだ」)

魔の力こそが全てだったシオンにとって、イエンタイラーの血は穢れだった。魔導に興味が偏っていたから、少しも惹かれていなかったわけではないのだろうが。内乱の中、魔物を使ってイエンタイラー領を集中的に攻めさせたのは、その思いが強かったからともいえるのだろう。

現イエンタイラー候であるシードが、内乱前までは、ひどく真面目で奥手な少年だったことを知っているのは、今では彼の親友である雷のシャリク侯レヴィンを含む極少数の人間だけだ。
信じていた母親が実はファティリーズと通じ、イエンタイラー候家を滅ぼしたという事実が、シードの心に深く傷を落としていることを―――――知る者も。
キールはあの日、イエンタイラーの館が燃え落ちるその光景を、忘れることは決してない。

(「―――――力を貸してくれるだろうか?」)

父を、兄を……全てを裏切って反乱軍へ走った自分に、居場所を与えてくれたのは―――――アゼル。
憎まず、疑わず……仲間として接してくれた、今の13諸侯達。

そして―――――。

(「―――――特別よ?」)

―――――護りたいと想うたった一人のひと。
―――――守りたいと想う今の居場所。





―――――失いたくない。





「兄上……」

フューゲルの洞窟の中で確かに聞いた、兄の声。長い年月の中で蓄積されたファティリーズの血が生んだ―――――狂気そのもの。魔という力に魅せられた人間。
魔は……闇を欲する。もともとそういう性質を持ち合わせているのだ。
オベリスクを作ったのは確かにシオンだったかもしれない。神官の残党と手を結んでいるのも確かだろう。
―――――だが。
きっとそれが全ての真実ではない。あのシオンが本当に神官達のためだけに何かをするなんてことはありえない、ありえようはずもない。
あの兄は、相手には利用されているように見せかけて、本当は神官の残党を恐らく利用しているのだ。そしてそれ以上の何かと結託している。それが何なのか……それが読めない、わからない。

(「それに俺を欲するのは何故だ……何を考えている?」)

あんなに見下していた弟を今になって欲する理由―――――それは何かに利用するためには違いない。
でも―――――わからない。
いろいろなことが、複雑に絡み合っていることしか、今の状況ではわからないのだ。

キールはいつしか活字を追うことを止めていた。そのまま古い羊皮紙を使ったその魔導書へと顔を伏せる。そう言えばもう何日も眠っていないことに、今更ながらぼんやりと気付いた。

(「考えても仕方の無いことは、考え過ぎない方がいいの。キールのそういうところ、心配よ?」)

オベリスク討伐から帰ってきたあの日、そう言いながら彼女が自分の肩に置いたあの小さな手のぬくもりを思い出す。どうしてだろう……何だかひどく安心して、キールはいつしか深い眠りへと落ちていった。