Clover
- - - 第12章 傀儡2
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(三つ巴……か)

この大陸を覆おうとしている闇は、微妙なバランスの上で均衡を保っていることを、ファングは知っていた。カツンカツン、と回廊に彼の足音だけが響く。
しかし、実際にそのバランスなどあってないようなものであることも、彼にはわかっていた。
三角形に見えるその均衡は、実は一本の線に過ぎない。絶対的な力の下に、魔の青年がいて、そのまた下にこの館の主である神官の残党がいるだけなのだ。
ラドリアの深い森の中に建てられたこの館に、光は入らない。館の主はその醜い顔を光の下に晒すことを殊更に嫌っていた。

「……参りました」

回廊の奥にある大きな黒木の扉の前で、ファングは中にいるであろう館の主に声をかけた。程なくして、中から入室を許可する声が聞こえ、ファングはゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れる。その部屋は館の中よりもさらに暗く、閉めきられた窓辺には、いつもどおりにジジジ……と蝋燭の火が揺れていた。

「暗かろう?」
「いえ……」
「偽りを言わずともよい。この部屋は暗い、わかっていてわざとそうしているのだ」
「ジョルド殿……」

館の主……あの内乱を引き起こした張本人である、ジョルド・クロウラは、クククと笑いながら被っていたフードを外した。左半分の顔は相変わらず醜く拉げている。もう初老にかかろうという年齢でありながら、その眼光は依然鋭く、茶色の髪も艶のあるままだった。

「魔導環はどうした……まだ見つからぬのか?」
「それが……シオン殿の話では、どうやらあれは既に巫女姫の元にあるようです。どういう経緯で依代の人物が巫女姫の元にいるのかはわかりませんが……また、ファティリーズ侯爵も現在は国内に……ノイディエンスタークにある以上、手を出すのはかなり難しいと思われます」
「ノイディエンスタークにあるだと……?あの魔導環がか」

忌々し気にジョルドは顔を歪めた。それもそうだろう、2年の時間をかけて、多くの人間の血を使いようやく完成させたものなのだ。ノイディエンスタークを追放されてから、候家の血を継ぐ者達からも次々と魔導力は失われ、もう一度あれを作ることは不可能に近いと言える。
魔神官と呼ばれていた反目の印を持つ青年が巫女姫に倒されても、魔竜は死ななかった。直後にその姿はまるで異空間に転移したかのように消え去ったが、その存在を示すようにシオンの持つアドラの杖の魔水晶は、反応を示し続けていた。
それは確かに、ノイディエンスタークを追放された人々にとっては、希望の光となりえたのだ。もう一度、あのすばらしい生活を取り戻せるかもしれないと、夢見るだけの力には。

「何とかならぬものか……ノイディエンスタークの者に、その依代が始末されてしまっては、我等は終わりぞ」
「大地の結界さえなければよいのですが……あれだけはどうしようもありますまい」
「悠長なことを言っている時間はないのだ、ファング。オベリスクの存在で大陸全体の魔と闇の力が高まった今、魔竜は我等の預かり知らぬところで召喚されてしまうかもしれないのだぞ?……あの巫女姫のことだ、その前に始末する可能性もある」

しかし今はどちらにしろ―――――どうしようもない。
王宮に近づくことはおろか、入国することすらできない今の状態では。

「……ジョルド殿、依代を取り戻すよりも……もしかしたら召喚された魔竜を取り戻すことの方が簡単かもしれませんよ?」
「何?」
「召喚前に始末されてはどうしようもありませんが……もし召喚されてしまったとするならば、ノイディエンスタークの民がその存在を受け入れるでしょうか?内乱の折、結局は最大の敵となっていたあの存在を」
「……なるほどな」
「魔竜をノイディエンスタークに留め置くことは不可能だと思われます。いかにあの巫女姫と言えど、国民の声を無視することはできないでしょうから」
「賭けになるな……召喚が無事に行われるか否か……それに全てがかかっておると言うのだな?」
「はい」

ジョルドは感心したように一度大きく頷き、それを認めた。それが一番賢明な答えだと納得したようだった。
暗い窓辺に立ち、揺れる蝋燭の火を無言で見つめる。そして思い出したかのように、彼は自分の醜い左顔に触れた。ケロイド状に凝り固まった肌は、未だに時々疼いてならない。

「ファング……お前は知っていたかの」
「……?」
「私のこの顔だ。誰が私の顔を焼いたのか、お前に話したことがあったか?」
「いえ……ただ神殿襲撃の際に傷を負われたのだとは伝え聞きましたが」

生真面目に答える目の前の騎士に、ジョルドは楽し気に微笑んだ。どんなに治そうとしても治らなかった顔。あのシオンの魔の力を以ってしても、それは不可能だった。

「あの娘だ」
「……娘?」
「この顔を焼いたのは、あの光の巫女姫なのだ。たった6歳の子供に、私は一生消えぬ傷を負わされたのだ」

驚いたようにファングが顔を強張らせるのを見て、ジョルドはついに、声をあげて笑い出した。

「あの日、我々は確かに大神官に反旗を翻したが……神殿を吹き飛ばし破壊したのは我等ではない、あの娘だ」
「!?」
「私はあの時、初めて見たのだ。偉大な命を育む力を持つ大神官一族の……その光の力が暴走する様をな―――――あれは恐ろしい力ぞ?闇や魔の力などとは比べ物にならぬ。全てを焼き尽くし、消し去る力だ。あの娘はそれを制御することができなかった。その光に私の顔は焼かれたのだ。命があっただけでも奇跡ぞ」
「暴走……」
「娘は力を暴走させ、父は火を呼んだ。神殿を滅ぼしたのは我々ではない……大神官一族が、滅ぼしたのだ。そのことを……その恐ろしさを、あの国の民は何も知らぬ。自分達を守るその光の力こそが、一番恐ろしい力だということに気付きもせぬ。滑稽なことだとは思わぬか?のう……ファング」

何が正しくて、何が間違っているのか。
それが今のファングには判断することができなかった。ジョルドの言葉を鵜呑みにする気はない。元々自分はこの男に心から仕えているわけではない。3つの力のどれとも、適度に距離を守って、見極めているつもりでいた。
悪と呼ばれるもの―――――そして正義と呼ばれるもの。
それは全ての人間に、平等であるはずも―――――ないのだ。


* * * * *


「……」
「……あー……あのな、気持ちはわかるぞ、うん、すごくよくわかるんだ、これが。でもな……シルヴィラ……」

扉を開けた直後に無言で固まった現風のレグレース侯爵に、ディシスは無駄と思いつつも必死でフォローを入れた。
それもそのはず、本来執務室であるはずのこの部屋は今、酒臭で充満している。とてもではないが、これが朝の光景とは信じたくない惨状である。

「いやいやいや……アンタ見かけによらずイケる口だな!」
「そうかね?そうでもないさ」
「またまたまた……ま、もう一杯」

そんなやり取りを交わすのは、姫君の傭兵時代の仲間と、認めたくはないが自分の父親であることに、シルヴィラの身体が小刻みに震え出す。それが怒りによるものだということが、手に取るようにディシスにはわかってしまった。

「あのな……昨夜三人で飲んでてな……ロジャー様が執務室でもう一度飲みなおそうと言ったもんだから……」
「……父上が言い出したんですか」
「え!あ……」

(ヤバい……つい、言っちまった)

口は災いの元、を地で行く男である。そのために散々自分の娘にヒドイ目に合わされてきたというのに、未だ以って学習できない。どんどん不穏な空気を増していく息子を尻目に、父親のロジャーはコンラートと二人、朝だというのに、まだ酒を煽っていた。ディシスは夜に戦線離脱して、先程までソファーで寝ていたので、既に酒は抜けている。

「ディシス、お前も飲め!」
「飲めるかよ……もう朝だろうが!」
「おやおや、酒は夜に飲むものだなんて、誰が決めたんだ?そういう固いところはアゼルに似てるんだな。メテオヴィースの血か?」

(そういう問題じゃないんです、ロジャー様……この空気を読んでください)

ディシスは内心で頭を抱える想いだったが、もしかしたらこの人はわざとそうしているのかもしれないとも思う。ロジャーがフィアル並に頭が切れることは、ディシスにはよくわかっていた。

「あなたって人は……どこまで非常識なんですか……」

低く、地の底からひねり出しているような声色のシルヴィラに、ロジャーは表情を変えずに答える。

「非常識?お前こそ何を朝っぱらから怒っているんだ?」
「どこらへんが『爽やかな』朝なんです?しかも何で俺の執務室で?」

怒りを込めて睨みつける息子に、父は何も考えていないかのように、さも当然と言った様子で答えた。

「そりゃお前、ここは元々は私の執務室だったわけだし?」
「あなたが……あなたがここで執務をした時間なんて、ほとんどないじゃないですか」
「ハハハ、まぁな」
「肯定しないで下さい」
「お前はいつも怒ってるなぁ。肯定しようと否定しようとどうせお前は怒るんだから、どっちだって同じだろう?」

その淡々とした、そこはかとなく毒を含んだ物言いが貴方の息子を怒らせているんですよ、とディシスは言いたい気持ちにかられる。フィアルといい、キールといい、そしてこのロジャーといい……頭のいい人間というものは得てして口が悪いものなんだろうか。どちらかと言えば単純明快な性格のディシスには到底真似できない芸当ではある。

「いい年をしてそうやっていつまでもいつまでもフラフラと……俺がそのせいでどれだけ苦労したと思ってるんですか」
「いい年をしてってお前、結構失礼な奴だな」
「何で俺が貴方にそんなことまで気を使わなくちゃいけないんです」
「お前はレグレース候だろう?交渉の第一歩は言葉からだぞ?」

真面目なのかそうではないのか、これではシルヴィラでなくとも怒りたくなるものだ。ディシスもどちらかと言うと昔からロジャーには振り回されていた記憶しかない。そんな彼と対等に付き合っていたのは妻でありシルヴィラの母でもある亡きレノアと、主君だったジークフリート、そしてユーノスだけだった気がする。みんな今考えると人格者だったんだなぁとしみじみとディシスは昔を懐かしく思った。

自分の娘と同じで、ロジャーの行動に意味がないはずはない。それはシルヴィラにもわかっているのだろう。

結局のところ、ロジャーは世渡りは上手だが、実の息子とのコミュニケーションがあまりにも苦手なのだ。こんなやり取りが、彼の精一杯ということだ。
そう思うと、血は繋がっていなくても、ディシスとフィアルの関係はこれよりは良好だったということだろうか。





淋しい―――――と彼女は決して口にしなかった。

だから、何も言わずに側にいた。





辛い―――――と彼女は決して言わなかった。

だから、時々その小さな頭を撫でてやった。





親と子の関係なんて……それだけのことだ。
簡単で―――――でも、胸の奥に灯り続ける暖かな何か。少なくともディシスはそう思う。
言葉にできるほど、ディシスとフィアルの関係は簡単ではなかったから。ディシスは絶対に実の父親であるジークフリートを超えることはできないから。
血の繋がりが全てではないとわかっていても、ディシスはジークフリートにはなれない。あの優しい青年のようには愛してやれない。





でも、共に過ごした十年間は幻ではないのだと、ちゃんとわかっている。
わかっていれば……忘れなければ―――――大丈夫だ。





もう―――――逃げるのはやめた。
目の前で未だに毒舌を交わし続ける風の親子を見つめながら、ディシスは知らず微笑んでいた。