Clover
- - - 第12章 傀儡4
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「―――――過去だな」

沈黙が部屋に満ちていた中、それを破るように強く言葉を発したのは前レグレース侯爵その人だった。

「全ては過去のことだ。今はそんなことを話し合っていても仕方がない」
「……過去?あの男が父上を殺したことはただの過去だと、そういうんですか……貴方は……いえ、貴方達は!」

その衝撃からようやく我に返ったアゼルは、強い瞳でロジャーと、目の前の姫君を睨みつけた。ロジャーの全く動揺していない様子を見れば、その事実を彼が知っていたことは明らかだ。知っていて、ずっとそれを黙っていた……そのことがアゼルの怒りを助長させていた。しかしロジャーはそんなアゼルの視線にも全く動揺することなく、淡々と続けた。

「奴がユーノスを殺した。その事実に何の驚きがある?ユーノスはジョルドという個人に確かに殺されたのかもしれない。しかし実際には、大神官であるジークフリートに反旗を翻した全ての者に殺されたのと同じことだ。たまたま手を下したのがジョルド・クロウラだった。それだけのことだろう?」
「……ッ!」
「それを見たのが、フィールだった。それもまた偶然だ……違うか?」
「……いいえ」

ロジャーの問いに、フィアルもまた淡々と答えた。事実はロジャーが言うほど簡単なものではなかったが、それをここでアゼルに話すつもりはない。いや……フィアルは決して誰にも話すつもりはなかった。ユーノスの死は、フィアルにとって、もしかしたら実の父の死よりも大きな衝撃として、今でも心に刻まれたままだった。その一端を少しでも知っているとするなら、それはディシスだろう。彼はあの時、フィアルが光の力を暴走させたことは知っているのだ。その発端が何だったのかは知らなかったとしても。

「それともお前は、父親を殺されたという私利私欲でジョルドを討つのか、アゼル」
「……俺は……ッ!」
「そうするつもりなら、すればいい。だがその時点でお前は神官長の座を降りろ」

ロジャーは冷たい言葉を紡ぐ。そんな父の様子に、シルヴィラは内心では深く感心していた。
確かに、父親として……そして夫としてはふさわしくない人―――――けれど、やはりこの人はこの国を護るには必要な存在なのだ。内乱が起こったその時に子供だった自分達とは違い、彼は全てを見てきたのだから。大事な親友や、仲間をその目の前で亡くして来た人間の言葉には、重みがある。
それはアゼルにも充分に伝わっているのだろう。強く拳を握り締めて、葛藤しているその姿は見ていて痛々しかった。

「ラドリア―――――」

高く甘いその声は、それでも凛とした響きを以っていて。

「全ては今―――――ラドリアに……あの国にある。それだけは絶対の事実よ」

フィアルの声は現実の重みを伴って、その場にいた全員の耳に届いた。

ジョルド・クロウラも。
シオン・ラウル・ファティリーズも。
全てがラドリアというあの国にいて、何かをしようとしているのなら……自分達はどうするべきなのか。

「私は明日、発つことにするよ……フィール」
「そうね」
「我々風隊は、準備が済み次第調査に向かいます」
「人数は最小限でね?ヴィー」
「わかっています」

シルヴィラが薄く苦笑するのを見て、フィアルも笑った。この行動の早さに、この二人がやはり親子なのだなと誰もが実感した。

そしてフィアルは無言で立っていた父親へと向き直る。

「……行ってもいいのよ、ディシス」
「フィーナ……?」
「ファングはラドリアにいる。そしてきっと奴等と一緒にいるはずなの。その目的は奴等とは全く違うけど……」
「……ああ」

リトワルトの地下水路で、彼は確かに言っていた。





(「私は……あの方を復活させる……―――――」)





それが―――――目的。たった一つの、決して叶うことのない彼の願い。
―――――それを……止めたい。
行き場のない心を、ただ復讐に捧げようとしているかつての友を―――――救いたい。
心の底からそう思うのに、ディシスは首を横に振った。それがわかっていたかのように、フィアルは苦笑する。

「どうして?」
「オレは……行けない」
「……私を一人にするのは、怖い?」
「……」

あの時と同じ後悔をしたくないだけだ、とディシスは小さく呟いた。
ノイディエンスタークへ戻ることを決めたその時に、誓ったのだ。もう二度と娘の側を離れることだけはしないと。
それは、ディシス自身の誓い。けれど目の前の娘は、そんな彼の様子に少し困ったような顔をした。

「それじゃ……まるで私は、ディシスを閉じ込める檻みたいね」
「……!」

そんな風に思ったことはない、そう反論しようとしたディシスに、フィアルはその淡い蒼の瞳を細める。

「私達、何年間一緒にいたの?」
「フィーナ……」
「ディシスはロイと一緒に行って。そして、ファングをここへ連れて来て」
「……ファングを……ここへ?」

それは不可能だ。ディシスやフィアルがどんなに望んでも、ノイディエンスタークの大地に拒まれている限りは―――――。
そこまで考えて―――――ディシスはハッと気付いた。

「……まさか」

揺れる瞳で自分を見つめてくるディシスに、フィアルは微笑みながら返した。

「そうよ……ジョルドやシオンとは違って、ファングは大地に追放されたわけじゃない。彼は自分自身の意思で、このノイディエンスタークに戻ることを拒んでいる。私には……わかるの」
「あいつ……」
「行って、ディシス―――――お願いね」

優しい娘―――――人の心を気遣うことを知っている。
最後の確認のような彼女の言葉に、今度はディシスが首を横に振ることはなかった。
連れて戻る―――――絶対に……絶対に。彼の主は決して、復讐も復活も望んではいないはずなのだから。





(―――――だけど……お前は?)





隣のロジャーと話し出したフィアルをじっと見つめながら、ディシスは思った。
フィアルは……ファングの主の復活を、本当に望んでいないのだろうか―――――と。


* * * * *


「レインは……ううん、イオもだけど、今のラドリアをどう思っているの?」

内乱時の残党がラドリアに多く潜んでいることを告げたその口で、フィアルは彼等に問いかけた。一瞬面食らったかのように目を合わせた二人だったが、やがて視線を落とすとポツリと話し出す。

「俺は……今のラドリアを決して正しいとは思わない」
「……そう」
「民は長引く戦乱に疲れ果てている。それなのに一部の貴族達はそんな者達から重税を取り立て、享楽に耽っている。父王は色と野望に溺れている。それを正しいと思うはずもない」

その父王に言われるがままに、軍を率いていた自分が言えたものではないとレインは内心で思った。レインもイオも、それが間違っているとわかっていても、徐々に慣れてしまっていたのだろう、無意識の内に。ノイディエンスタークに来てようやくそのことに強く気付かされた。

「しかし……王が変われば、ラドリアも変わります」
「王が変わる?ああ、レインのお兄さんが王位に就けばってこと?」

フィアルの返事にイオは何故か苦笑する。それに同意するようにレインが口を開いた。

「……セイルファウス兄上は思慮深く、優しい方だ。国を治めるだけの能力も充分持っている。兄上が王位に就けば、ラドリアは間違いなく、いい方向に変わるだろう」
「そう……」

微妙に納得できないような声音のフィアルに、レインが怪訝そうに顔を歪めた時、少し離れた中庭の噴水の側の広場から、ゲオハルトがレインを呼ぶ声が聞こえた。すっかり剣を合わせることが日課になってしまっているらしい。腕がなまるから、と理由をつけてはいるが、レインもイオもわりと楽しそうにしているのをフィアルは知っていた。
レインは傍らに置いてあった剣を握り締めるとすばやく立ち上がり、フィアルとイオに軽く手を上げて、ゲオハルトのいる方へと向かう。ゲオハルトの隣には、大方上手く丸め込まれて連れてこられたのか、仏頂面をしたリーフがいた。しかしそんな顔をしているのは、彼等の立つその木の上に、水の女侯爵がいるからだろう。リーフとイシュタルの仲の悪さは、13諸侯の中でも有名な話だった。

その広い、黒衣に包まれた背中を見送って、不意にフィアルはイオに向き直った。

「イオは?」
「……は?」
「イオは本当にそう思ってる?セイルファウス王子がラドリアの王位を継げば、ラドリアはいい方向に変わると思う?」
「……」

その突然の問いに、イオは返す言葉を失った。しかしそれはただ突然だったからではない、深い意味を持った沈黙でもあった。

「暴君の父王、けれどそれを継ぐべき王子は清廉潔白で賢く優しい国民の希望―――――いいと思うわ?でもそれは物語だったら、の話ね」
「……何が言いたいのです?」
「綺麗過ぎるのよ……できすぎてるの。そのことに本当は貴方、気付いているんでしょう?」

聡いというのは、時に凶器だ。
あまりにも核心を突いてくる彼女の言葉に、イオは今まで漠然としか感じていなかったその不安を大きくせざるを得なかった。この不安が杞憂で終わればそれでいいと、思っている場合ではないということなのか。

(「フィーナは僕の青空だから」)

あの少年が言っていた彼女の瞳は、今は冴え冴えとした氷の輝きを放っているように、イオには感じられた。

「―――――……私、近いうちに逢うわ」
「……誰にです?」
「誰だと思う?ラドリアにいる私が逢いたいと思っている相手って」
「……。まさか……セイルファウス様、ですか?」

セイルファウスに逢うことは難しい。同腹以外の全ての兄弟やその血縁である貴族達から命を狙われているような彼は、厳重な警備の中にある。レインですら、連絡なしで逢うことは難しいほどなのだ。他国の姫がやすやすと逢える存在ではない。
しかしそんなイオの言葉を、フィアルはふるふると首を振って否定した。

「いいえ。私、皇太子には興味がないの」
「……?……では、誰に……」
「自分で考えて?但し皇太子でも、あのタヌキオヤジ……もとい、国王でもないわ。だけどイオは知ってる人よ」

イオは本格的に訳がわからないといった顔をする。しかしフィアルが一瞬だけ遠くを見るような瞳をしたので、彼女から視線を外せなくなった。

「きっとその人は―――――知っているの」

彼がフィアルの語る言葉に、たった一度だけでいい……頷いたなら。
それが―――――全ての答えになる。

イオが戸惑ったような視線を自分に向けているのに気付いて、フィアルはふふっと小さく笑った。

「ねえ……イオ。貴方は本当は……レインに王位を継いで欲しいと思っているんでしょう?」
「それは……」

当然―――――とも言えるだろう。
自分の仕えている存在に至高の地位に就いてもらうことは、従者の最高の望みだ。イオもそれに反することはない。
レインは確かに無口だし、器用でもないが、それでもイオは彼の心の奥にある正しい気質を知っていた。
しかし立場というものがある。言葉を濁しているイオに、フィアルはまるで全てを悟っているような、そんな声音で続けた。

「私も―――――そう思うわ」
「……え?」
「……本当の意味で、レインがラドリアの王になればいいと……そう思うわ」

驚きに目を見開いたイオに小さく声を立てて笑うと、フィアルは、少し離れたところで剣を合わせている漆黒の青年を見つめた。

本当の意味で……彼が王になるならば―――――それはきっと、たくさんの人々の、救いになる。

けれどそれを、ほんの少しでもかけ違えてしまったなら―――――ラドリアは……あの国は、どうなるだろう。
今でさえ不穏な空気に包まれたあの国は。

キンッ!と響く剣戟の音を聞きながら、フィアルとイオは無言でただ、その場に立ち尽くしていた。