Clover
- - - 第12章 傀儡6
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「魔竜を……召喚する?」

奥神殿のフィアルの部屋で、その言葉を聞いたディシスは愕然としていた。目の前にはフィアルの寝台に苦し気な息をついているネーヤと、その体中に浮かんだ魔導環を指で伝っているフィアル本人がいる。そのネーヤの背には白い翼が隠しもせずに緩やかに伸びていた。もちろんディシスはその事実を知っている。ずっと一緒に傭兵をやって来たコンラートも、その事実を知る一人だった。

「ディシスは明日発つんだから……今夜しか話す時間がないと思って」
「……本気か?」
「見ればわかるでしょう?ネーヤはこのままじゃ長くはもたない。いつまでもそれを時空のルーンで押さえることは、ネーヤの命を削るわ」

フィアルの手は緩やかにネーヤの額へと触れた。その額に浮かぶ反目の印を見て、ディシスの顔が複雑な表情が浮かぶ。時空魔導が効いたのか、ネーヤはうとうととまどろみ始めていた。

「……フィーナ……オレはやっぱり残った方が……」
「反対されることは覚悟してる。誰もきっと賛成なんてしてやくれないってわかってる。きっとそれを認めてくれるのがディシスだけだってこともね」
「だったら尚更オレが残った方が……!」
「同じよ。私はもう―――――決めてるの」

それは明確な決意だった。この娘には何があっても、13諸侯の反対を押し切っても、既に魔竜を召喚する覚悟ができているのだ。

「四大竜王は何と言っていた……?」
「止められた。でも……最後には何も言わなかった。本当は、竜である彼等の方が分かっているのかもしれないわ」

―――――魔竜そのものの存在が罪ではないことを。
ディシスもフィアルもはっきりと覚えている。内乱の最後の戦いの中で見た、黒鋼の鱗に覆われたその竜の姿を。誰もが魔竜を悪だと言うその中で、美しく透き通っていたその翡翠の瞳が、何を語ることもなく自分達をただ見つめていたことを。

「……魔竜は……」
「……?」
「あの子は……私を憎んでいるかもしれないわね……」

自重するように呟くフィアルの言葉に、ディシスの顔が歪む。

「あの子の主を殺したのは……私だもの」
「……それは」
「そう、仕方なかった。そうしなくちゃ、内乱は終わらなかった」

―――――光と闇。
―――――大神官と魔神官。
どちらが勝つのか……とても単純な構図。それを誰もが求めていた。

「だけど結局、あの内乱を企んだジョルドや数人の神官達は、ラドリアで生きている。大いなる矛盾を感じない?」
「……」
「何が正しくて、何が間違いなのかなんて、わからない。人によってそんなものは簡単に変わる。そう考えると『正義』なんて言葉はとんでもなく薄っぺらいものね」

ゆっくりとネーヤの額を撫でていた手を止めて、フィアルはその事実に皮肉気に笑った。ネーヤは小さな寝息を立てている。その安心しきった顔はいつもより幼く見えた。

「……ファングにも彼の正義がある。簡単にわかってくれはしないと思う」
「……そうだな」
「だけど連れて来て」
「……?」
「私、ファングに……魔竜を逢わせてあげたいの」
「……フィーナ……お前……」
「逢わせて、あげたいのよ」

―――――あの騎士の主を守る為に生まれた、あの翡翠の瞳の竜を。
しばらくの沈黙の後、力強く頷いたディシスに、フィアルは微笑んで見せた。


* * * * *


結局徹夜して作り上げたそれを持って、キールは王宮へと戻って来ていた。
シオンが指定したのは今日の夕刻だ。その前にキールはこれをフィアルへと渡し、魔導環のことを確かめたいと思っていた。その日の早朝に発ったロジャーとディシスを見送ったフィアルは、いつものようにアゼルと執務室にいるらしい。軽くノックをすると、アゼルの入室を許可する声が聞こえた。

「キール」

足を踏み入れると、フィアルはペンを持ったまま、笑って彼を迎えた。
この顔を見ると自然と嬉しくなる。一礼すると、キールはそのままフィアルの元まで歩を進めた。

「ステラハイムに行ってたんでしょ?」
「はい。デーヌの葉が欲しかったので……」
「また怪しい実験に使うつもりじゃないだろうな?これ以上執務室を破壊すると、ヴォルクの胃に穴が開くぞ?」
「ご心配なく。ステラハイムの館で全部完成させてきましたから」
「……大丈夫だったのか?」
「とりあえず、館は壊してませんよ」

心配顔のアゼルにキールはあまり笑えない冗談で答える。それが尚更アゼルの眉間の皺を深くするのだと、本人にはあまり自覚がないようだった。

「姫……ちょっと話があるんですが」
「……何?」
「……場所を変えませんか?」

きょとん、と目を丸くしたまま、フィアルはアゼルへと視線を動かした。アゼルはそれこそ怪訝そうな顔をして二人を見ている。キールとフィアルが二人で姿を消す時、それは破壊行為を行う時だと知っていたからだった。

「ここじゃできない話なの?」
「……できれば。ちなみに魔導実験の話じゃありません。そんなに睨まなくても大丈夫ですよ、アゼル様」
「……本当だろうな」

疑い深い瞳でまだ自分を見ているアゼルにキールは頷いた。魔導環の話はアゼルの前ではしない方がいい。フィアルはおそらく腹心であるアゼルにもその事実を話してはいないだろう。

「そんなに長くはかかりません。とりあえず俺の執務室でいいですか?」
「わかった。じゃ、ちょっと行ってくるね、アゼル」
「……わかりました。この決裁書類はちゃんと今日中に片付けてください」
「はいはーい……」

やる気のなさそうな声でフィアルは立ち上がると、キールと肩を並べて部屋を後にした。その時にヒラヒラとふざけて後手など振ったものだから、アゼルはまた不機嫌そうにため息をついたが、部屋を出た当の本人にそれが知られることはなかった。


* * * * *


ほんの1分で到着した執務室は、ヴォルクの努力の成果か綺麗に整頓されている。部屋に備え付けの応接セットへ彼女を促すと、キールは手早くお茶を淹れて、自分もフィアルの向かいに腰を落ち着けた。

「……で?アゼルがいたらまずいような話なんでしょ?」

くすっと小さく笑いながら、冷たく冷えていたお茶をフィアルは口に運ぶ。キールはその様子を見ながら、表情を改めて真っ直ぐに彼女を見つめた。

「……ネーヤ……彼に魔導環が現れているのは事実ですね?」
「……」
「それは単なる魔導環ではなく、魔竜を召喚するためのもの……そうですね、姫?」
「……そうよ」

フィアルは持っていたグラスをテーブルへ置くと、笑みを消して、キールの視線を真っ向から受け止めた。まるで射抜かれるようなその強い瞳の光に、一瞬ゾクッとする何かを感じたが、キールも視線を逸らさなかった。

「ネーヤ……あの子はとても純粋。だからかしら、アレが引き寄せられてしまったのは。奴等にしてみればこの2年間、大地の加護もなく失われていくばかりの魔導力を使って、ようやく作り上げたものだったでしょうに……取り返したいと思わない方がおかしいわね」
「……どこまで進んでいるんです?」
「……もうすぐ、抑えきれなくなる」

彼女のあの巨大な魔導力なら、抑えきれないこともないだろうに。それを敢えてしようとしないのは、あの少年を犠牲にすることを彼女が選んでいないからだとキールには分かった。

「覚悟を……決めているんですか」
「それは何の覚悟?魔竜を召喚する覚悟?それとも13諸侯の……ううん、ノイディエンスターク国民の批判を一人で浴びる覚悟?」

少しだけその真剣な表情を崩して、フィアルは悪戯に問いかける。そんな彼女に、キールも少しだけ視線を和らげると、はっきりと「後者です」と答えた。その答えに、フィアルは薄く微笑んだまま、ふっと目を伏せた。

「キールは……反対しないのね」
「……本当に正直に言うなら……俺も不安がないわけじゃありません。でも……魔竜が奴等の元で召喚されるよりは賢明だと思います。それに……」
「それに?」
「俺は魔竜に、直接攻撃されたことは、一度もありませんから」

―――――その直後だった。
―――――フィアルのその整った顔に、何とも言えない表情が浮かんだのは。

「姫……?」

それは……キールが今まで、一度も見たことのない表情で。戸惑いがちに声をかけると、ハッと我に返ったように、彼女はいつも通りの顔に戻った。けれど、その瞳には動揺の影が見て取れる。
その様子に―――――キールもまた、戸惑っていた。

「……誰も」
「……え?」
「今まで……誰も……そんなことを言う人、いなかった」
「……姫……?」
「魔竜はたまたまキールを襲わなかっただけかもしれないわ。それでも……キールは私が魔竜を召喚することに反対しないの?」

フィアルは俯いて、キールの瞳を見ることを避けているようだった。
確かに彼女の言うことにも一理ある。それは単なる偶然で、魔竜はたまたま自分がいる時には人を襲わなかっただけなのかもしれない。
―――――でも。

「姫」
「……」
「俺は、魔の魔導を受け継ぐ人間です。きっと……ノイディエンスタークの中の誰よりも、魔竜に……あの存在に近しい存在だと思います。魔の力は確かに闇に引きずられやすいことは確かです。だからと言って、魔の力そのものが悪ではない。闇の力そのものも決して悪ではないように。昼があれば必ず夜も必要なのだと、俺は……そう思います」

フィアルがゆっくりを顔を上げるのを見て取ると、キールは懐から、今朝方完成させたそれをそっと取り出して、彼女へと差し出した。

「……これ……竜の涙……?」
「水晶化、です。今朝完成しました」

小さなその水晶の中には、竜の涙が透明な姿で咲いていた。細い鎖がついているところから見ると、どうやらペンダントになるようだ。

「生きている物を水晶化する……悪用されれば危険ですが、試した限りではそんな大きなものには使えないようです」

キールはそう言って微笑むと、その水晶をフィアルの首にかけた。フィアルはそれを手に取って、じっと見つめている。

「綺麗ね……でも」
「本当は生きている花の方がいいんですけど……守り石代わりに持っていてくれませんか?」
「え……?」
「姫に何か危険が降りかかる時、貴女を守ってくれるように……気休めですが」

キールの頬は少し照れたように淡い紅色に染まっている。そんな彼の様子に、フィアルはふわっと笑って、ありがとう、とその水晶を両手で大切そうに握り締めた。
彼の気遣いは、嬉しい。
けれど、先程の彼の言葉は……もっと嬉しかった。

「この水晶が……俺の代わりに貴女を守ってくれるように」
「……キール?」
「姫が何を選んでも……俺は姫を信じてます」

キールは自分の手で、水晶を握り締めている小さな手ごとそっと包み込んだ。そんなキールに、フィアルは少しだけ怪訝そうな表情を浮かべる。けれどそれ以上キールは何も語るつもりはなかった。
―――――守れたらいい……この手を、守れたらいい。
だから―――――行かなくては……夜の神殿へ。





―――――太陽はゆっくりと西へ傾きつつあった。