Clover
- - - 第12章 傀儡7
[ 第12章 傀儡6 | CloverTop | 第13章 魔竜召喚1 ]

夜の神殿は、ラドリアとの国境にあり、今のところ唯一他国の人間がノイディエンスタークに入国できる場所でもある。
そんな要所であるこの神殿を預かっているのは、神官であり、剣士でもある、ユーセフだ。なかなかの切れ者であり、その人柄も好感の持てる人物である。
だが今回の訪問を、キールは彼に知られるわけにはいかなかった。

一角獣で乗り付ければ、必ずそれは知れる。そのためキールは近くで精獣から降り、徒歩で神殿へと向かった。神殿の裏手にはこの神殿を夜のように暗くしている鬱蒼とした森が広がっている。その奥にある小さな滝……おそらくそこがシオンの指定する場所なのだろうとキールには見当がついていた。

しばらく進むと淡いヴェールのような結界が見えてくる。その手前に滝はあり、その向こうにキールは見知ったその姿を見つけた。

「兄上……」

2年ぶりに見る生身の兄の姿だった。あの頃より少しだけ、痩せた気がする。
シオンは結界を挟んで立ち尽くす実弟を見て、小さく笑った。

「こうして実際に逢うのは、2年ぶりだな」
「……」
「お前はこの2年間一歩もノイディエンスタークから出ようとはしなかった……あの姫君にそう言われていたのか?」
「姫は何も……ただ俺が積極的に外に出る理由もなかっただけです」

確かにフィアルは何も言わなかった。だが、アゼルやヴォルクからは出るなと暗に言われていた。
けれどそれは、国外に追放になった親族達が、自分達に近づくのを恐れてのことだ。裏切ったということで、ただでさえ引け目を感じていた自分達を、これ以上苦しめないようにという配慮からだ。

裏切った侯爵家は―――――5つ。
魔のファティリーズ、裂のステラハイム、斬のブルデガルド、水のスレイオス、空のエリオス侯爵家。
逆に内乱勃発後、即座に滅ぼされた侯爵家は―――――3つ。
炎のメテオヴィース、剛のヴォルマイオス、聖のイエンタイラー侯爵家。

その後も、地のフレジリーア、雷のシャリク、浄のシェイルナーラ、星のエアリエル侯爵家……と次々に滅ぼされ、残ったのはロジャーを当主とする風のレグレース侯爵家だけだった。
そんな中で全ての侯爵家の血筋が残っているのは、まさに奇跡としかいいようがない。

自分も……もちろんリーフも、アークもイシュタルもイースも、この2年間ノイディエンスタークを自分から出ようとはしなかった。自分達が国外に出ることでどれだけ領民に不安を抱かせるかということがわかっていたからだ。
―――――それが裏切りの代償。
キール達は時間をかけてその信頼を取り戻していかなくてはならない。

「ようやく国境付近にまで来てくれた……だから今こうして僕達は話すことができるというわけだ。奥まったファティリーズ領や、まして王都フィストにいたのでは、さすがの僕でもどうしようもないからね」

フフフ、とシオンは楽し気に肩を揺らす。その身体に纏う紫のローブの下に見え隠れする古く重厚なそれこそが、アドラの杖なのだろう。
淡い光のヴェール―――――その向こうに見える兄の姿は、柔和な青年でしかない。自分とは違う緩く波打つ髪は彼をどこか柔らかな印象に変えていた。年齢はアゼルやゲオハルトと同じはずなのに、どこか幼い子供のような印象を受ける。
―――――けれどその紫の瞳は……決して子供のものではなかった。
いや違う。子供であるが故に―――――この青年は……残酷なのだ。

「……本題に入りましょう、兄上」
「おや……?もう終わりか?相変わらずせっかちだな、お前も」
「俺は世間話をしに来たのではありません……お分かりでしょう」

キールは結界越しに真剣な瞳でシオンを見つめた。持っている色は同じ……純粋なファティリーズの栗色と紫であるのに、選んだ道の……そして信じるものの何と違うことだろう。
そんな弟の視線を受けて、シオンはゆるりと首を振って見せた。

「自分が危険な目にあうと分かっているだろうに……そんなにお前はあの姫君が大切か?」
「……」
「愛しているから、か……くだらない感情だな。自分以上に大切なものなどあるものか。僕には理解できないね」
「貴方に理解なんてされなくていい……してもらいたくない」

理解など……されてたまるものか。
この想いは自分のもの。今の自分を形作る大切なものだ。
しかしシオンは昔と全く変わらない馬鹿にするような目でキールを見やった。

「どんなに想っても、あの姫君はお前には振り向かない……それにお前の手に負えるような相手でもないだろう」
「……貴方には関係ない」
「そう、僕には関係がない。でも、興味はある。言っただろう?あの姫君は存在そのものが奇跡なのだと」
「……?」
「お前は一欠片も不思議に思わないのか?どうして光の存在である彼女が―――――闇魔導を使えるのか……考えたことはないのか?」

その無遠慮な物言いにキールは眉根を寄せた。

「歴代の大神官の中で、闇魔導を使えた人間など存在しない。それは大神官家たるフォルスマイヤーが光を継ぐ者だからだ。それなのにあの姫君だけがその対極にある力を易々と行使できる。おかしいと思わないか?」
「……何が言いたいのです」
「あの姫は……お前が思うほど光輝く存在ではないということさ」

そんなことは―――――知っている。
光輝く存在……それだけならば、内乱の最中彼女は前線になど立つ必要は無かったはずだ。何のためらいもなく敵を切り捨て、赤く染まっていく姿を見た時の驚きは今でも覚えている。
それまでは誰もが漠然と思っていた。光の巫女姫……その名にふさわしく、清らかで純粋な姿を思い描いていた。自分ももちろん例外ではなかった。けれど彼女は、自ら剣を持つことを選んだのだ。その手を血に染める道を選んだのだ。
少なくとも、キールはその選択こそが光だと思った。おそらく今、13諸侯の誰もがそう思っているだろう。

「兄上」
「……なんだ?」
「時間稼ぎはもう結構です。俺はあなたとそんな話をしに来たんじゃない」
「……時間稼ぎ、ね」
「ラドリアに不穏な動きがあることなど、分かっています。貴方はその内容を知っていると言った。それが姫に降りかかる凶事だと。でも本当はそれを俺にわざわざ話しに来たのではないでしょう?」

手を伸ばせば触れる距離にいながら、兄弟の間には決して越えられない結界がある。
それを挟んで無言で二人は睨み合った。

「貴方は……俺を、捕らえるために来たのでしょう?」
「……そうだ。わかっていてここまで来たのか?お前もおめでたいな」

シオンはもう顔を作ったりはしていなかった。その紫の瞳に浮かぶのはただ純粋な欲、だった。

「僕はあの姫君が欲しいんだよ」
「……ッ」
「でも彼女は難しくてね。お前達は気付いていなかったかもしれないが、オベリスクを退治して回っている間中ずっと、全員の身体に魔除けの結界を張っていたのさ。とても手が出せない崇高な光の結界をね」
「結界……」

シオンはその左手をすっと伸ばして、キールへと近付ける。しかしその瞬間、大地の結界にそれは阻まれた。まるで鉄のように固くなったその光のヴェールに、シオンは手を置き、ドンッ!と叩いてみせる。

「忌々しいものだな、コレは」
「……」
「僕はあの姫が欲しい。あれほどの器、他にはない。だから……贄を最初に用意することにしたんだよ」
「それが……俺、ですか……」
「お前は最高の贄だ。13諸侯の中でも特に彼女と親しい部類の存在……そしてお前は彼女を愛している。お前が僕の手に堕ちれば、彼女はお前を探すだろう。捨て置いたりはすまい?そこに僕は罠を張る。時間をかけて確実にそれを手に入れるための罠をね。おびき寄せなくても、お前さえこちらにあれば、姫は向こうからやってきてくれるだろう?」

確かに……このままキールがシオンに捕らえられれば、それは現実のものになるのかもしれない。
しかし―――――それを為すために、シオンには最大の障害がある。
目の前の光の壁を越えられなければ―――――キールを捕らえることはできないのだ。もちろんキールも自分からこの結界をわざわざ越えてやるつもりは欠片もない。

「どうやって俺を捕らえます?俺はそちらに行く気はありません」
「……ックク」

キールの挑発にも、シオンはその欲に満ちた笑顔を崩さなかった。
その、余裕とも思える顔に、キールは何故か嫌な予感を覚える。この兄が……超えられない結界だと分かっていて、何の手も打たないことなどありえるだろうか。もしかしたら自分は無意識の内に、大地の結界の力を過信してしまっていはしなかったか―――――?

そう思って思わず後ずさったキールの背中に、ドンっと何かが当たった。
振り返る間もなく、キールは誰かの腕でその身体を拘束されていた。

「―――――なっ!」
「―――――お静かに。暴れなければ貴方に危害を加える気はありません」

低いその声には―――――聞き覚えがある。
リトワルトの……街で、そして地下水路で。

「お前は……!」

その視界に、長身の片目の騎士の姿が目に入った。ディシスと激しく剣を合わせていた元近衛副隊長だった男―――――ファングだった。

「お前……結界を!」
「……本当は結界内になど入りたくはなかった」

忌々しげにそう言いながら、ファングはその圧倒的な腕力でキールを拘束し、結界の外へと連れ出そうとする。もちろんキールは必死で抵抗するが、どうしても振りほどけない。ズルズルとキールはついに結界の外へ引きずられた。
拘束されている弟を、楽しげにシオンは見つめる。
そして先程は届かなかった手を伸ばし、キールの頬へと触れた。

「……だから僕は好きだよ、キール」
「……ッ!兄上ッ……!」
「どうしようもなく愚かなお前がね」

その瞳には侮蔑の色。
幼い頃、ずっとこの兄が自分に向けていた、あの色だ。

シオンの手はそのまま頬を滑り、額へと到達した。その手に淡い紫の光が集まるのを感じとったキールは、必死で顔を振る。額に拘束の印を刻むつもりなのがすぐに分かったからだ。しかし―――――それは無駄な抵抗でしかなかった。





「―――――堕ちろ」





―――――シオンの短いその言葉を最後にして、キールの意識はそのまま途絶えた。


* * * * *


「どうしました、姫?」

おとなしく執務をこなしていたフィアルが、突然纏う雰囲気を変えたのを感じて、アゼルは首を傾げた。フィアルは無表情のまま、呆然と動きを止めている。

「……姫?」

アゼルの呼びかけにもフィアルは答えない。疑問に思ったアゼルは席を立って近づき、フィアルの顔を覗き込む。けれどそれでもフィアルは微動だにしなかった。
いくらなんでもおかしいと、アゼルが彼女の肩に手を伸ばしたその時、フィアルの手が動いて、胸にかかっていた小さな水晶の花を握り締めた。そして……そのまま俯く。

「アゼル……今すぐ13諸侯を全員集めて」

そのままフィアルは立ち上がり、窓の外へと視線を動かした。窓辺に立つフィアルの全身は沈みつつある太陽の光を受けて、真紅に染まっている。そのただならぬ様子にアゼルが怪訝そうに眉を寄せたのにも気付かないように、フィアルは呆然と呟いた。





「―――――キールが……堕ちた」