Clover
- - - 第13章 魔竜召喚1
[ 第12章 傀儡7 | CloverTop | 第13章 魔竜召喚2 ]

キール、そしてラドリアへ潜入調査に行っているシルヴィラ以外の諸侯達を集めるために、アゼルが執務室を出た後、フィアルはそのまま窓辺で沈み行く太陽を見つめていた。
アゼルがどんなに急いだとしても、全員を集めるのには時間がかかる。もう執務時間は終わっているのだから自分の領地に戻った者もいるはずだった。

(決断を……急がなくては)

そう―――――急がなくてはならない。
これから全てのことはラドリアを中心に動く。その前に決断を実行に移さなければいけない。

彼女はキールのことを心配していないわけではなかった。ただフィアルには、シオンが何故彼を拘束したのかという目的にはおおよその見当がついていた。目的がキール本人でない限り、今すぐにキールに危害を加えるということはないだろう。

(―――――冷静ね……私)

そう思ってふっと彼女は自嘲的な笑みを漏らす。
そんな自分自身に―――――時々嫌気がさしてしまう。
それが最善の方法だとわかっていても、気持ちはそうはいかない。13諸侯の中にも感情に素直なリーフのように、そんなフィアルの態度を責める者はいるはずだ。

きっとそう―――――誰もがこれから話す彼女の決断を責めるだろう。

13諸侯の中で、唯一それを認めてくれたであろうキールは今―――――ノイディエンスタークにはいない。
赤く染まった太陽を眺めながら、フィアルは無意識に握り締めていた水晶の花をじっと見つめた。

キールが何故これを自分に残したのか。
その意味がわからないほど、彼女は愚かではなかった。

「……馬鹿ね」

そう―――――馬鹿だ。
こんな自分に……あんなに一途な想いを向けるあの魔の青年は―――――馬鹿だ。
でも……キールが馬鹿だとするなら、あの人も……そうだったのだろうか。

「……みんな……みんな馬鹿ね」

そう―――――彼もまた……馬鹿だった。
自分に想いを寄せる全ての人間は―――――例外なく愚かだったのだ。
そして彼等をそんな風にしてしまった自分こそが、一番罪深い存在なのだと。
―――――そんなことは誰に言われるまでもなく、フィアル自身にも分かりすぎるくらい分かっていることだった。


* * * * *


13諸侯が揃ってこの大広間に集まったのは、レインをこの国に迎えた時以来だった。
あの時はいつもと全く違う自分を軽やかに演じていたな、などと、そう昔のことでもないのに懐かしいような気持ちで思い出す。そんなフィアルの口からキールの身柄がシオンに拘束されたことを聞かされると、集まった彼等の間には大きな動揺が走った。それと時を同じくするように夜の神殿のユーセフから、キールが乗ってきたであろう一角獣が放置されていた旨の報告が来たことで、フィアルの言葉は決定的になった。

「こんなとこで話し合ってるばあいじゃねえだろ!?何ですぐに助けに行かないんだよ!」

つい先日に一緒にいたこともあって、リーフが焦ったように叫ぶ。しかしその言葉は冷静な言葉で遮られた。

「助けに?どこへ助けに行くつもりだ?」
「ラドリアに決まってんだろ!?今更何言ってんだよ、ヴォルク!」
「ラドリアのどこに行く?ジョルド・クロウラの居場所はロジャー様のおかげでおおよその見当がついていても、シオンの居場所はまだはっきりとは掴めていない。そのために今シルヴィラ達がラドリアに調査に行っていることを忘れたのか?」
「……ッ!だったらどうしろって言うんだよ!シオンの野郎がキールに何もしないなんて保証、どこにもねえんだぞ!?手遅れになったらどうすんだ!」

いてもたってもいられないようにリーフが叫ぶ。それを一瞥すると、アークがヴォルクの上をいく冷静さを以って、フィアルへと視線を向けた。

「姫様は、どうお考えですか?」
「……今アークが考えているのと、同じだと思うわよ」

そう言って玉座に座ったまま苦笑したフィアルに、アークは満足そうに微笑んで他の13諸侯に向き直った。

「では私が申し上げます。まず何故キールをシオンが連れ去ったか、その理由についてです。おそらくシオンの目的はキール本人ではないと思われます。シオンはキールを材料に使うつもりなのでしょう……取引の材料に」
「取引……?」

きょとん、と首を傾げた隣のイースの頭にポン、と手を置いてアークは続ける。

「シオンは貴女を望んでいます……そうですね?姫様」
「……多分ね」

全員の視線が一気にフィアルへと集中する。それを物ともせず、フィアルはどこか余裕のある表情で悠然と微笑んで見せた。アークが彼女を代弁するように言葉を続ける。

「シオンの目的が姫様なら、それをおびき寄せる餌になるキールにすぐに危害を加えることは考えられない。それではキールを捕らえたそもそもの意味がなくなるからです。だから……そのことに関してはそんなに心配しなくてもいいと思いますよ」
「ではいつか、シオンはこちらに接触してくるということか」
「いいえアゼル、きっと向こうから何か言ってくるということは無いと思います。シオンは頭がいい。何もしなくても自分の居場所が突き止められることくらいわかっているでしょう。そしてこっちはそれにのらないわけにはいかない。不本意ではありますがね」

アークは冗談めかして肩を竦めてみせたが、それを咎める者は誰もいなかった。その考え込んだような全員の顔を見て、アークは自分より頭一つ分低い身長のフィアルへと視線を動かす。それに気付いてフィアルは小さく笑った。

「とりあえず今は、キールが今どういう状態になったのかということを全員が把握しておくことです。そして自分の身辺にもより注意を払いましょう。後は……まずシルヴィラからの連絡を待つしかないでしょうね」
「そうだな……救出に行くとしても、まず居場所がわからないことには……」

納得できないながらも、そうするしかないのだとアゼルは顔を歪めながら同意した。血気盛んなリーフやレヴィンはいまいち納得できていないような表情だったが、なら他にどうすればいいのかと問われると何も答えることはできない。


* * * * *


「フィール」

その場にいた全員の間に諦めにも似た気持ちが漂った時、不意に名前を呼ばれて、フィアルは顔を上げた。見ればいつもは飄々としている水の女侯爵がじっと自分を見つめていることに気付く。

「……何?」
「あたし、ラドリアに行きたい」
「……何のために?」
「キールを探すわ」

言葉を交わしながらも、イシュタルはフィアルから目を逸らそうとはしなかった。生まれ持つ属性そのままに、掴むことのできない性格の彼女が、こんな風に感情を露にすることは珍しく、他の諸侯達も目を丸くしている。

「どうして?今アークが言った通り、ただ闇雲にラドリア国内を探し回ることはできない。ラドリアはノイディエンスターク国内ではない……他国なの。イシューが動き回ることは外交問題になりかねないでしょう?向こうはレインと私の婚姻まで申し込んできてるような微妙な関係なんだから」
「バレないようにやる」
「……許可できないわね」

イシュタルは一段上の玉座に座ったままのフィアルを見つめるその眼光を鋭くした。普段は仲のいい二人でも、今回ばかりは勝手が違うらしい。そんな睨みつけるような視線をぶつけてくる友人に、フィアルは少しだけ笑って見せた。

「イシューは……どうしてラドリアに行きたいの?」
「どうしてって……今言った通り」
「キールが心配だから助けに行きたい?―――――言い訳はよして」
「……言い訳?」
「イシューが行きたいのは、キールを連れ去ったのがシオンだから……そうでしょう?」

その言葉は核心をついていたのだろう。イシュタルは一瞬目を見開き、そのまま口唇を噛んで俯いた。そんな彼女に、フィアルは尚も続ける。

「自分の双子の兄を殺した男を許せないから。自分の手で殺してやりたいから……そうでしょう?」
「……そうよ」

吐き捨てるようにイシュタルはその事実を認める。
許せない―――――どうしても許せないのだ、あの男だけは。

「いつもいつも……あいつが……シオンが奪っていくの。それが自分の野心の為だってことならまだ分かるけど……あいつにとっては全てが遊びでしかない。そんな奴のためにどれだけの犠牲が出たか……」

口唇が切れて血がじんわりと滲み出し、イシュタルの口の中には鈍い鉄の味が広がった。親同士が決めた婚約者……彼女とシオンはかつてはそういう関係だった。しかしお互いに面識はほとんどない。それどころか、イシュタルにとってシオンは、双子の兄であるイザークを殺した憎むべき相手なのだ。その事実を知らない者は、13諸侯の中には一人もいなかった。

―――――わかるから。
―――――その、強い想いが痛いくらいにわかるから。

だからこそ……誰も彼女を責めることはできない。
その時同じ場所にいて、イシュタルと共にイザークの最期を見ていたリーフであっても、それは同じだ。
今まで消息の知れなかった相手が、憎むべき敵が、すぐそこまで来ているというのに……どうして見ているだけなんてできる?

―――――フィアルはそれを止めるのだ……その痛みを決して知らないはずはないのに。

しかし反論しようと口を開きかけたイシュタルを止めたのは、もっと意外な人物の声だった。

「……気持ちはわからないでもねえけど……やめとけよ」

宥めるような声音は、レヴィンの隣に立つ青年のものだった。イシュタルと同じように、多くのことに関心を示さない飄々とした人柄で知られるシードが苦笑いを浮かべている。

「お前にとってシオンはイザークを殺した憎い相手だろうけど……キールにとってあいつは兄貴だ。キール自身がどんなに嫌ってても、憎んでても、永遠にそれは変わらない。そんな関係が俺達の中にはたくさんある。一つ一つ考えてたらキリがないくらいにな」
「……だったらお前は、シオンを許せって言うのか!?オレやイシュタルにそういうのかよ!」

イシュタルが何かを言う前に、激昂したようにリーフがシードを睨みつけた。こんな女狂いに何がわかると言わんばかりのその態度に、シードは苦笑したその顔を崩さない。

「……許せなんて言ってないさ。お前等は忘れてるようだが……俺の家……イエンタイラー家を滅ぼしたのもあのシオンだったんだぞ?」
「……ッ!だったらお前だって……!」
「だけど俺は―――――お前達とは違う。10年以上内乱をやってる間に気付いたんだ。シオンだけが悪いんじゃない……俺達の中にこそ罪はあるんだってことをな」

普段あれほど乱れた女性関係を送っているとは思えない毅然とした態度で、シードはリーフとイシュタルを見つめた。そんな彼の横に立つレヴィンも、彼の普段とのあまりのギャップに、驚いたように目を見開いている。

「あいつらを……内乱を起こした連中を飼っていたのは、紛れもなく俺達だ。確かにあの当時、俺達はまだ子供で、何の力もなかったかもしれない。だけど……その横暴を許したことに変わりはない。国としてその腐敗を享受してしまったいた、そのことが根本的な原因だ。もちろんだからと言って、大神官様が悪いんじゃない。あれはこの国に生きる全ての人間の責任だったんだ」
「シード……」
「俺だって憎まないでいられるなんてことはない。だけど……努力はする……難しいけどな」

まるで時が内乱の前に戻ったようだ。思慮深く、穏やかだったあの日の彼がそこにはいる。
未だ許せるわけではない―――――けれど、そのままではいたくないと目を伏せた親友を見つめるレヴィンの瞳は優しかった。内乱が起こる前までの彼は、こうして今も確かに存在していることがわかる。変わらないものも、確かにあるのだと信じることができる。

深い意味をこめたシードの言葉に、イシュタルもリーフも……他の誰もが言葉を発することができなかった。
内乱に関わった全ての人間の心のどこかにある―――――憎しみ。
シードの言葉も、イシュタルやリーフの想いも……何もかも他人事ではありえない。

それを認めてやろう。
そして―――――少しずつでもいい、変えていこうと……そう言えること。

それが聖のイエンタイラー候の名を名乗るにふさわしい理由なのだと、今なら分かった。


* * * * *


(―――――綺麗な言葉)
(でも……それを実践できる人間は、ほんの一握りしかいないわ)

しかしフィアルだけが、シードの言葉を素直には受け取れずにいた。

(それが―――――人)
(人であるということ―――――)

わかっているのに、受け入れられない気持ち。
フィアルにはどちらかと言うと、イシュタル達の心の方がよくわかる。

伏せていた瞳をゆっくりと開いて、まるで固まったかのようにシードを見つめている諸侯達を、どこか他人のようにフィアルは見つめた。

これから自分が口にする事実を知っても、彼等はそんなに綺麗でいられるだろうか。
ノイディエンスタークの国民は、その事実を受け入れるのだろうか。

(我ながら自虐的だわ……これから私は人間の一番醜い一面を次々と見ることになる)
(……その時……私は?)

それを、見せつけられても。
―――――絶対に、心は、揺るがない。
もう―――――決めたのだ。

「……話が、あるの」

その一言で、広間の止まっていた時間が動き出した。
全員の視線がフィアルへと集まる。それを確認すると、彼女は小さく微笑んだ。

「キールのことはこれでおしまい。ヴィーからの連絡を待って、それから考えましょう」
「……その話ではなく、他にも話があるのですか?」
「あるわ。どっちかっていうとこっちが本題だから」

アゼルの問いに答えて、フィアルはふっ、と一呼吸を置くと、口を開いた。
その事実を―――――告げるために。





「魔竜を―――――召喚します」





静かな声だった。