Clover
- - - 第13章 魔竜召喚2
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静かな声だった。
けれど―――――諸侯達が告げられた内容を理解するのには、少しの時間を要した。

「……召喚……する?」

何を召喚すると言った、自分達の主は?
アゼルの頭の中をその短い言葉で告げられた事実だけがぐるぐると回る。

「魔竜を召喚すると言ったのよ、アゼル」

しかし認めたくないその事実を、フィアルはいつもと全く変わらない様子で、もう一度アゼルへと告げた。
そのことが逆に諸侯達を一瞬冷静にさせ、そして別の感情を湧き上がらせた。

「冗談……ですよね?姫様……?」
「……本気よ、メナス」
「―――――ッ!どうして!?どうして魔竜なんかを!?」

神官勢力の象徴のような存在だったその存在を、どうしてこの人が召喚などしなければいけないのか。じわりと湧き上がる涙を必死で堪えながら、メナスの頭の中にあの内乱の最中で見た数々の悲劇が浮かんでは消えた。メナスだけではない―――――きっとその場にいた誰もが、同じ光景を頭の中に描いたはずだった。

「―――――どうして……か」

メナスの言葉を引き継ぐように、フィアルは少しだけ視線を泳がせた後、その声音のまま話し出した。

「ジョルド・クロウラ達……かつての神官勢力の残党が、その残ったわずかな魔導力を使って、魔竜召喚の魔導環を作り上げた。この事実は納得できる?」
「……ジョルド・クロウラ達が、ですか……やりかねませんね」

顎に手をやって、アークは考え込むような動作をしてみせる。
魔神官亡き後、魔竜の行方は完全にわからなくなっていた。魔神官と共に消滅した、どこかで眠りについた等様々な憶測が流れていたのもまた事実だ。その魔竜がもし時空を隔てた空間で眠りについているというのなら、召喚することは可能なのかもしれない。そしてそれを夢見て、自分達の覇権をかけて、奴等が魔竜召喚を目論んだとしても不思議ではなかった。

「そのままだったら、きっともう魔竜は奴等の元で召喚されていたでしょう。でも、それはされなかった。何故だと思う?」
「……どういうことです?」
「奴等の元から、肝心のその魔導環が消えてしまったからよ」

―――――消えた?
その意味が理解できずに、諸侯達は困惑したように顔を見合わせた。一度作り出された魔導環がそう簡単に消えるものだろうか?そんなことは聞いたことがない。それに魔竜を召喚するような大きな魔導環を、目にしたこともなかった。
そんな彼等の反応を知っていたかのように、フィアルは一瞬だけ小さな微笑を浮かべ、続ける。

「奴等が自分達の死力を尽くしてまで作り上げた魔導環は、今―――――私の元にあるわ」
「―――――!?」
「魔竜召喚の魔導環は強い魔と闇属性……たまたまだったのだろうけど、何かの拍子にそれは、側にあった正反対の属性を持つ純粋な魂の依代に移動してしまった」

だから、奴等の元からは消えてしまった……と彼女は続けた。
純粋な―――――魂の依代。
それが何なのか、と誰もが考えた時、震えたような声が静かに響く。

「……まさか……」
「イース?」

ヴォルクの戸惑ったような声にも答えを返すことなく、呆然とイースはその空色の瞳をフィアルへと向けた。フィアルは玉座の上からその視線を受け止め、小さく頷いた。その彼女の仕草に、イースは絶望的な気持ちが湧き上がるのを感じて、震える身体を自らの腕で強く抱きしめ、俯いた。

「……そんな……っ!……嘘……嘘だ!」
「……嘘ではないわ」
「だってそんなはずない!そんなことあっていいはずがないっっ!!」

懇願にも似たイースの取り乱したその様子に、戸惑ったように他の諸侯が視線を泳がせる。この穏やかで優しい気性の少年が、こんなに取り乱すことは珍しかった。

「……魔導環は」

けれど、そんなイースの様子を見てさえも、フィアルの声は静かだった。

「魔導環は―――――ネーヤ……あの子の身体に、移った」

―――――告げられる真実に。
すぐに反応を返せるものは、その場にはいなかった。


* * * * *


(「僕は―――――空に焦がれる」)

何て純粋で美しい魂だろう。
その正反対の色を持つ瞳で、青い空を見上げてそう言う彼に―――――憧れた。
ずっと……友達でいたい。
その魂に触れる度―――――強く、強く願う。


* * * * *


「アゼルは怒るかもしれないけど、今は時空魔導を使って、あの子の身体の時間の流れを遅くしているの。でも―――――もう限界だわ」

フィアルはふっとため息を付くと、目を伏せた。

「時空魔導で身体の時間の流れを遅らせることは、自然の摂理に逆うことに他ならないから、ネーヤへの負担が大きすぎる。今まではその痛みに耐えてきてくれたけど……私はこれ以上続けるべきではないと思っているの。無理に時間を歪めることは、あの子の命を削るわ」
「だから……もう限界だから貴女が魔竜を召喚すると、そう言うのですか」
「そうよ。理屈はわかってくれたみたいね、アゼル」

玉座に座る自分の横に立つ炎の青年に、フィアルは微笑みかけたが、アゼルの顔は未だ強張ったままだった。見れば他の13諸侯も同じ顔をしている。

「姫様が……召喚する必要があるんですか」
「……どういうこと?」
「魔導環を発動させるのは、別に貴女じゃなくてもいいじゃないですか!わたし……わたしはイヤです!姫様が魔竜を召喚するなんて、絶対にイヤです!」

震える声でメナスは叫ぶと、ついにそのまま顔を覆って泣き出してしまった。そんなメナスの肩を、隣にいたゲオハルトが宥めるように軽く叩く。
しかしそんなメナスを、フィアルはどこか冷たさの篭った瞳で見つめていた。

「……大手を振って賛成って人がいないのは分かってる。だけど魔竜がジョルド達の元、もしくは他の見知らぬ土地で召喚されることのリスクを考えて、個人的な感情じゃなくて、13諸侯の一人としての意見を言ってほしいの」

フィアルの冷静な問いかけに、しばらく大広間を沈黙が包んでいた。
答えを出すのは難しい。個人的感情だけで言うならば、誰もが魔竜の召喚になど賛成するはずがないのだから。しかし彼等は13諸侯であり、領民を守らなければならない立場にある。そして……その上での意見をこの姫君は求めていた。

「意見を言ったら……貴女の心は変わるのですか?」

その沈黙を破る、緊張の篭った声。黒髪の向こう、アークの緑の瞳が鋭い眼光を放っている。

「我々がもし、ここで貴女に全員一致で反論したなら、貴女の心は変わりますか?」
「……何が言いたいの」
「貴女はもう、魔竜を召喚することを決めているのでしょう?我々に意見を求めるまでもない」

アークの視線は姫君を射抜いている。その真剣な様子に、フィアルの横に立っていたアゼルは言い知れぬ不安を覚えた。

「はっきり言います。我々に意見を求めるなら、貴女はあの少年を殺すべきだ」
「……アーク様!?何を言うんです!」

イースが驚いたように叫ぶ。その発言に泣いていたメナスも顔を上げて呆然とアークへと視線を走らせた。

「魔導環が発動する前に、その依代を殺せば全ては終わる。魔竜を召喚などしなくても済む。そうではないのですか?」
「……」
「個人的な感情ではなく、と貴女は言った。でも一番個人的感情に身を委ねているのは姫様、貴女ではないのですか。例え魔竜を召喚したとしても、ノイディエンスタークの国民がそれを受け入れると思いますか?そんなことは絶対にありえないと分からない貴女ではないでしょう」

アークの矢継ぎ早な言葉にも、フィアルは全く反応しなかった。否、反応していないように見えていた。けれど玉座に座って諸侯を見下ろす彼女の隣に立っていたアゼルには分かっていた。彼女の身体からいつもとは違う、冷たい気が感じられるのを。
それは―――――怒りではないのか。
アゼルの不安を察することもなく、アークは尚も言い募った。

「貴女が国民を守りたいのなら、あの少年を殺すべきです」
「国民を……守りたいのなら?」

この言葉の真意を正すようなフィアルに、アークは深く頷いて、そして今度こそ主たる彼女を睨みつけた。





「たった一人のために、国民全てを犠牲にするおつもりですか!」





それを言い放ったアークも……そしてアゼルも。
その場にいた諸侯達誰もが気付けなかった。

その言葉は―――――フィアルには絶対に言ってはいけなかったということに。





バチッ―――――!





アゼルは、確かにその時見たのだった。
姫君の身体から立ち上る、その白金のオーラを。

「……いつまでたっても、変わらない」
「……ひ……め?」

いつもは甘く高いその声が、その時ばかりは一段低く響いたように感じられる。戸惑い狼狽して、アゼルは思わず一歩、その場所から後ずさった。

(―――――何て愚かな生き物)

ゆっくりと開かれた彼女の瞳には、冷たい光が宿る。
もしディシスやコンラートだったなら、すぐに気付いただろう。その瞳は傭兵として戦場に立っていた彼女が、人を殺すときにしていた瞳と同じだということに。
けれど今、それを知る者はこの場所にはいなかった。

「……多くを生かすためには、多少の犠牲はやむを得ないと言うのね。多くのために、少数の者は犠牲になれ、と」
「……」
「でも……私は認めない。そんな理屈、絶対に認めない」

瞬間、フィアルの身体から光の柱が立ち上る。
横に立っていたアゼルはその力にはじかれ、近くの床に叩きつけられた。
それはいつも、彼女を包んでいるあの柔らかな光ではない。激烈な―――――力の奔流だった。
それに直面して誰もが悟らずにはいられなかった。アークの言葉が、彼女の逆鱗に触れたのだ―――――と。





(「あれは全てを焼き尽くし、消し去る力だ―――――」)
(「その恐ろしさを、あの国の民は何も知らぬ……滑稽なことだとは思わぬか?」)