- - - 第13章 魔竜召喚3 |
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目の前に立ち上るその光の柱を、諸侯達は呆然と見つめていた。
内乱の最中でさえ、彼女が激昂したところなど見たことは無い。どこか達観したような、そんな視線で戦局を冷静に見極める目を持っていた印象しかないのだ。
自分達は―――――もしかしたら、姫君の本当の姿を知らないのかもしれない。
(「多くのために、少数の者は犠牲になれと言うの」)
床に叩きつけられ痛む身体を起こしながら、アゼルは光に包まれた彼女の姿を見つめていた。
内乱の時―――――その時自分達は圧倒的に少数だった。その自分達が今、今度は誰かを犠牲にして、今の平和を守ろうとしている。
―――――それは正しいか?それを正義と呼ぶのなら、今までの自分達はなんだったのだ。
けれど……国民を守ることも確かに自分達の仕事で。
(―――――どちらを選べばいい?どちらが……正しい道だ?)
内乱が終結してから2年。
初めてぶち当たるその壁に、アゼルはどう決断を下すべきなのか―――――わからずにいた。
* * * * *
「―――――僕は」
凛とした声だった。
誰もが声を出すこともできないまま、一瞬恐怖を感じていたその時に、それは何故か静かに響いた。
それをまるで合図にしたように、フィアルを取り巻いていた光のオーラは急速に消えていく。そして彼女はそのまま冷ややかに声の主へと視線を向けた。
「僕は―――――魔竜を……召喚すべきだと思う」
「……イース……お前……何を」
ヴォルクの言葉を受け流して、最年少の空の侯爵は揺らがない意思を瞳に浮かべ、真っ直ぐに主を見つめていた。フィアルは何も言わずそのままイースの次の言葉を待っている。
「僕がネーヤと親しいから言っているんじゃ……ありません」
「……」
「確かに魔竜を召喚することに抵抗はあります。それはきっと、今の平和を壊すかもしれないという心配だけじゃなくて……ただ……怖いから。上手くは言えないけれど、あの存在を僕は、心のどこかで恐れてる」
「―――――……どうして?」
先程まであれほど冷たい空気を纏っていたフィアルが発した声は、思いのほか柔らかかった。
こんな風にフィアルと本心で言葉を交わすのは初めてだと、イースは思う。今まで最年少だと言うだけで、守られることの多かった自分が、こんな風に自分の意志をはっきりと声に出すことも。
「―――――わからないから、です。僕は……魔竜のことを何も知らないからです」
何も知らない―――――違う、知ろうともしなかったのだ、本当は。
それはイースだけではなくて、ノイディエンスタークに暮らす民全てが同じのはずだった。
そして……この場にいる諸侯達も、その例外では―――――なかったのだ。
「キールが……言ったの」
フィアルはじっとイースを見つめたまま、ぽつりと言った。
「自分は魔竜に一度も攻撃されたことはないって」
「……僕も、です」
「そう、誰も……この中の誰一人だって、魔竜に攻撃されたことのある人間はいない。そうであっても、人はその存在を恐れる……何が真実かも知りもしないのに」
伏せられた瞳に、長い睫が影を落とす。その様を見つめながら、アゼルはゆっくりと立ち上がり、再び彼女の隣に立った。
「自分の目で確かめることをしてほしいの。誰かがこう言った、だからそうなんだと勝手に思うのはいちばん簡単な逃げでしかない。アークの言った通り……私はもう心を決めている。だから魔竜を……召喚する。それをどう受け止めるのかは、貴方達に任せるわ」
玉座に座ったままのフィアルは、アゼルを見上げて、そっとその腕を撫でた。先程床に叩きつけられた場所だ。何気ないその仕草に、アゼルはどうしようもないほどの切なさを覚えた。
どうして……彼女はこうなのだろう。
魔竜を召喚するということがどういうことなのか、知らなかったはずはない。13諸侯の中でもアークやヴォルクのような常識的な人間に、それがどう思われ、反論されるのかも分かっていたはずだ。そしてそれが国民の大多数の意見だということも。
それでも―――――彼女の意思は揺らがない。
何がそうさせるのか、その理由を―――――決して語ろうとはしない。
国民を守る―――――その立場と、感情の板ばさみになっている自分とは、違うのだ。
(「多くのために、少数の者は犠牲になれと言うの」)
それを決してフィアルは許さないだろう。
例えその対象となるものが、ネーヤ……あの少年ではなかったとしても。
アゼルの腕を撫でていた手のひらを止めて、フィアルはゆっくりと立ち上がった。
「明日―――――竜の角半島で、私は魔竜を召喚する」
「姫……」
不安気なアゼルを見つめて、フィアルはうっすらと、視線を和らげ、口角を上げた。微笑むとまではいかない、何とも表現のしようのない微妙な表情だった。
「全てを背負う覚悟はできてる―――――だから、私を止めないで」
誰にも、もう誰にも、止めることなど―――――できない。
諸侯達は俯いて、各々の心の内に浮かんでは消える複雑な感情と戦っていた。今まで信じていた世界がまた失われるのかもしれない。そんな恐怖を……誰もが抱えたままで。
* * * * *
「ネーヤ」
諸侯達を残して、ひとり奥神殿に戻ったフィアルは、起き上がる気力すらないネーヤの横たわるベットへと近づいた。その気配に気付いたのかうっすらと開かれた真紅の瞳が、一番愛しい者の姿を捉えて、ほんの少しだけ細められる。
「明日……一緒に竜の角に行こうね?魔竜を召喚すれば、魔導環は消えるから」
「……いいの?」
「うん」
頷いて微笑んだフィアルを、ネーヤは怪訝そうに見つめた。
「どうしたの……?フィーナ」
「……?」
「悲しそうな顔をしてる」
その問いかけにフィアルは目を丸くした。綺麗に隠したはずの自分の心の一部分、それをこうしていつもこの翼人の少年は真っ直ぐに見つめてくる。それはある意味では残酷で、時に優しい。
だからつい……本音をこうして時々漏らすのだ。そんな時ネーヤは決して何も言葉にすることはない。ただ黙ってそれを聞いているだけだった。
「みんなに反対されたこととか、そんなことが悲しいんじゃないのよ。少し大人気なかったかなぁとは……思ってるけど」
「……」
「薄情かもしれないけど、私はもう明日、魔竜に逢うことしか考えてないの……本当はずっとずっとその日を待っていたから」
フィアルの手はネーヤの手を握り、ネーヤはその手を少しだけ強く握り返した。
「ネーヤ……私のこと、好き?」
その言葉に特別な感情はない。それがわかっているからフィアルは敢えてそれを問うことができる。そして、その問いに返される答えは聞かずともわかっていた。
「好き」
ネーヤの答えに迷いは無い。
しかしそれを聞いたフィアルの顔がますます悲し気になるのを、ネーヤは自分の視界に認めることができた。
「……私もネーヤが大好きよ?」
いつもなら心が歓喜の声をあげるその答えを、今日ばかりはネーヤは素直に喜ぶことができなかった。思わずふらつきながら、ベットの上に上体を起こしたその頭を、フィアルはふわりと抱きしめる。いつも彼女から香る柔らかな草の香りが鼻腔を擽った。
「―――――でもね」
抱きしめられたネーヤからは、フィアルの表情は見えない。
「私は今―――――憎んで欲しいの」
内乱が終結してから、2年の間―――――ずっとずっと願っていたこと。
ファングが……そして魔竜が、その望みを叶えてくれるだろうとフィアルは考えていた。
自分はファングの主を―――――殺した。
自分は魔竜の半身を―――――殺した。
だから……きっと彼等は自分の願いを叶えてくれる。
愛してくれなくていい、慕ってくれなくていい。優しくなんてしてくれなくてもいい。シオンのように興味も抱いてくれなくてかまわない。
(―――――ただ純粋に私を憎んで)
そんなどこか狂気にも似た感情を抱いているなんて、諸侯達は夢にも思っていないのだろう。
それをするには―――――彼等はあまりにも……綺麗過ぎたから。
「フィーナ、好き」
ネーヤは何かにすがるように、フィアルの身体を抱きしめながら何度も何度も繰り返す。フィアルの手は、それを宥めるようにゆっくりとその純白の髪を撫で続けた。
―――――けれど……懇願のようなネーヤのそれに答える声は、なかった。
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