Clover
- - - 第14章 闇と魔と3
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フィアル達がノイディエンスターク王宮の遥か上空にまで辿り着いたのは、翌日の午前中だった。
本当ならばどうゆっくり飛んでも昨日の夜には辿り着いていたはずが、フォルクやシェルの寄り道に付き合わされて、結局こんな時間になってしまったのだ。

「何だってこんな時間に……目立たない夜のうちに着くつもりだったのに」
『馬鹿言え、何のためにオレ達が一緒に来たんだよ。目立たなくちゃ意味ないだろうが』
『そうそう、それに出かけるからには寄り道をするのが醍醐味というものだよ』

お気楽な発言をする炎と風の竜王に、思わずため息が漏れる。やっぱりこの二頭ではなく、残りの水竜か地竜王をメンツに入れておくべきだった。背中に彼女を乗せている魔竜も呆れ顔をしている。

『竜王っていうのはみんなこういうものなのか?』
「ジェイド……全部が全部こんなだと思っちゃだめよ。竜族辞めたくなるから」
『……そのようだ』

あくまで真面目に答えてくる魔竜に苦笑しながら、フィアルはポンポン、とその首筋を軽く叩いた。ジェイドの首にもたれたままのネーヤは未だに目覚める気配がない。そこまで大きな負担をかけてしまっていたのかと思うと、少しだけ胸が痛んだ。

『……で?どうする?このままみんなで降りるか?チィ』
「……ううん……私とジェイドはとりあえず奥神殿へ降りる。今更隠しても仕方ないけど、王宮には一般の民がたくさん出入りしているから、混乱になると思うし」
『じゃあ俺達だけで王宮に降りるとしよう。13諸侯への説明はとりあえず我々でしておくよ。それでいいかな?小さなお姫様』

いきなり四大竜王の内の二頭が降り立ったりしたら、さすがの彼等も腰を抜かすかもしれない、とフィアルは考えなくもなかったが、確かにそれが一番いい方法のように思えた。

「お願いね……シェル、フォルク」
『だいじょーぶだって。これ以上ないってくらいに、威厳のある態度をしてやるから、安心しろ』

ガハハ!と笑うその様子に、フィアルは何故か一抹の不安を覚えた。

「あの……忘れないで欲しいんだけど……王宮にレインはいるわよ」
『……ああ、あのラドリアの王子か。でも彼なら平気じゃないか?無口な性質のようだし、俺達の本性を言いふらすようには見えなかったし』
「まぁ……確かに」

レインのことだ。その豹変ぶりに驚きはするだろうが、顔には出すまい。後でさりげなくフォローさえしておけば何とかなるだろう。

『それじゃ、降りることにしよう』

シェルが目を細めながら促すのに、フィアルは首を縦に振ることで答えた。
同時にジェイドに目くらましのルーンをかける。魔の力の強いキールがいたならば感づかれただろうが、他の13諸侯にはまず気付かれないまま、奥神殿へ降りることができるだろう。

急にスピードを上げて降下するその時に、シェルはフィアルの側へと近づき、小さな声で囁いた。

『忘れるな……これからが正念場だぞ』

フィアルはわかってる、と心配気な風竜王にほんの少しだけ微笑んで見せた。


* * * * *


突然舞い降りた二頭の偉大な竜に、執務室にいたアゼルは、慌てて中庭へと飛び出した。

「なんだありゃ!?どうなってんだ!?」

同じように飛び出してきたゲオハルトが困惑したように叫ぶ。同じ属性を持つからだろうか、アゼルにはあの真紅の竜が、炎の主であると直感でわかっていた。

「おひーさんが連れてくるのは、魔竜じゃなかったか!?」
「俺にもなんでかなんてわかるか!でもあれは……竜王だ!」
「りゅ……竜王!?四大竜王か!?」

中庭の中央にある噴水の近くの広場にその二頭が鎮座しているのが視界に入り始める。その姿を認めて、アゼルは走るのをやめ、立ち止まった。
騒ぎを聞きつけた他の諸侯達も続々とその場に集まり、その偉大な姿を呆然と見つめている。

「参りましたね……どうしたことですか、これは」
「竜王自らここに来るなんて、前代未聞だぞ」

アークの後ろでヴォルクが頭を抱える。どう見てもあの二頭は普通の火竜、風竜とは風格が違っていて、アゼルでなくてもその称号が王であろうことは予測がついた。

呆然と立ちすくむ諸侯達の先頭を切って、アゼルはゆっくりと竜王達の下へと歩を進めた。
フィアルが魔竜を召喚したこと。
そのことと竜王達の訪問には意味があるはずだ。それ位はわざわざ考えなくても簡単にわかる。

徐々に近づいてくる真紅の青年を、二頭の竜王は黙って見つめていた。

「あれは……」

ようやく追いついたレインの視界にもその姿が映る。見覚えのある二頭の竜王とそれに近づいていく神官長。
しかしその周囲に、あの姫君の姿はなかった。


* * * * *


『……名を名乗れ、人の子よ』

跪いたアゼルをしばらく無言で見つめた後、風竜王が威厳のある低い声で言い放った。それが竜の言葉ではなく、自分達の使う人の言葉であったことに、アゼルは少し驚いたが、頭を下げたまま静かに答えた。

「私は……ノイディエンスタークの神官長を務めております、炎の力を受け継ぐメテオヴィース侯爵家を預かる者。名をアゼル・フォン・メテオヴィースと申します」
『なるほど……炎の子か。それならば近しい気を感じるのも道理だな』

隣にいた火竜王が気安い声をかけてくれたので、アゼルの身体から少しだけ緊張感が抜けた。

「火竜王殿下と風竜王殿下とお見受けいたしますが」
『……いかにも』
「我が主である光の巫女姫が、竜の角半島に行っているはずです。姫と共に参られましたか」
『……そうだ。お前達の主は今頃奥神殿へ降り立ったはずだ』

奥神殿へ―――――。
あの聡い姫君が、無用の混乱を避けたのであろうことは予測がついた。

『そなたは13諸侯の長であろう?あちらにいる諸侯達をここへ呼ぶがよい』
「諸侯達を、ですか」
『見覚えのある顔が一つあるな……あのラドリアの王子も共にここへ呼べ』
「……わかりました」

アゼルは立ち上がると、少し離れた所からその様子を見つめていた他の諸侯達を手招いた。それに従ってアーク達も二頭の足元に跪く。レインとイオもとりあえずそれに習った。

全員がその場に集まったのを認めると、風竜王が静かに話を切り出す。

『汝等の主は、先日、我等の見守る中で魔竜を召喚した』
「……存じております」
『そして既にこの地へと戻ってきている……我等と共にな。何故かわかるか?』

その問いかけに、ヴォルクが生真面目に答えた。

「四大竜王であらせられる貴方方と共にあれば、魔竜の存在が受け入れられやすい。そういうことですか」
『そうだ……その為に我等はここにある』
「それは四大竜王の総意なのですか」
『そうだ』

四大竜王自らが魔竜の召喚を認めた、そういうことだと風竜王は言い切った。それに魔竜召喚そのものに複雑な思いを抱いていた諸侯達は戸惑いを隠せなかった。

『我等は……』

不意に今まで黙ってそれを見守っていた火竜王が語り出す。

『我等は……汝等の主が愛しい』

その呟くような声に、俯いていた諸侯達は、ハッと顔を上げた。そこにあったのは、慈愛に満ちた柔らかな真紅の瞳だった。

『……我等はあの娘をとても大切に想っているのだ。汝等とはまた別の想いで彼女を見守っている。その彼女の意思は強かった。だから、我等は受け入れる決意をしたのだ』
「魔竜を、召喚することをですか」
『汝等は知らぬ……真実を知らぬ。だから汝等はそれを受け入れることができぬ。それは愚かな人の性なのかもしれぬ。だが、そのままでいたくないのならば、汝等も魔竜に逢ってみるがよい』

火竜王は諭すようにそう告げた。静かであるが故に、その言葉はとても重く感じられる。

『……ラドリアの王子よ』
「……」

不意に呼ばれてレインが顔を上げると、料理好きな火竜の王と目が合った。

『汝も……あの魔竜に逢うとよい』
「俺も……?」
『きっと、気が合う。彼女もそう言っていた』

それは一体どういうことだろうか。思わず首を傾げたレインに火竜王は少しだけ悪戯に微笑むだけだった。


* * * * *


奥神殿には、彼女の愛する白い小さな花の咲き乱れる庭があり、それは緩やかに、丘へと続いている。その丘の上には菩提樹の大木があり、そこはキールがよく本を読んでいる場所でもあった。
その丘の向こうの土地には大神官であるフィアルの結界があり、他者の侵入を頑なに拒んでいる。

奥神殿へ降り立ったフィアルは、ネーヤを彼の部屋の寝台へ横たえると、その結界の中へとジェイドを連れて行った。

『……やはりここか』
「え……?」

結界の向こうには塔がある。
賢者の塔とそう高さの変わらない古びた塔だ。
外壁を蔦が覆い、窓は極端に小さい。
それを見上げながら、ジェイドは過去を懐かしむような光を、その翡翠の瞳に宿した。

『リュークは、ここが好きだった』
「……」
『彼はほとんどの時間をここで過ごしていた。何をするでもなく、ただここに座って、あの丘を眺めていた』
「……そう」

その光景が、目に浮かぶ。
どうして彼がここにいたのか、そんなことは考えなくてもわかる。
それ以外に―――――彼が知らなかったからだ。
ここから見える景色が、彼の知る全ての世界だったからだ。

フィアルはジェイドを促して、塔の傍らに腰を落ち着けると、そっとその黒鋼の鱗に頬を寄せた。

「ここは……私にとって、とてもとても大切な場所なの」
『……何故だ?』

自分の腕に寄り添う彼女に、ジェイドはそっとその顔をすり寄せる。そんな優しい魔竜の仕草に、フィアルはふわりと柔らかな笑顔を向けた。





「ここはね」





思い出すのは―――――あの日の記憶。





「私達が……初めて逢った場所なの」





それは……決して戻ることはないはずの過去。
塔の名は―――――『幽閉の塔』