Clover
- - - 第14章 闇と魔と5
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「魔竜が召喚された、ね……」

ジョルドからの手紙をさほど興味がなさそうに見やって、シオンはソファーへと身体を沈めた。未だに魔竜さえ手に入れば、内乱時の栄光を取り戻せると思っている幸せな男に、自分がこれ以上何かをしてやるつもりは彼にはなかった。
確かに魔竜の持つ無限の闇と魔の力は魅力的ではあるが、既にアドラの杖を手に入れた今となっては、シオンにはその存在はあまり意味がない。魔竜を手に入れたところで、あの存在がそう簡単に他者に屈するはずもない。だからこそ内乱の最中にも、象徴としての存在でしかなかったことを、ジョルドはすっかり忘れているようだった。魔竜は主である、あの魔神官の青年以外の言葉を決して聞き入れはしない。それを自分達で御しきれると思っているのか。あんな何の力も持たない、野心だけは人の数倍あるだけの男が。

「愚かだな」

シオンは愚かな人間は嫌いではない。けれど賢くない人間は好きにはなれない。極めて偏った考えの持ち主である彼を掴むことができる人物は、おそらくこの世界には存在しないだろう。

「僕はね、賢いが故に愚かな人間がとても好きなんだよ」

すっと空中にかざしたその手から、リン、という音と共に淡い紫の光を放つ球体が現れる。その球体は水晶でできており、中に一人の人間の姿を映し出していた。

「可哀想な……僕の賢くて愚かな弟」

シオンが恍惚の表情で見つめるその中には、魔水晶に囲まれて横たわるその姿がくっきりと映し出されていた。

「お前の存在は穢れたもの。魔と聖の血をあわせ持つなんて生まれそのものが穢れだからね。だけどその穢れた血で、ここまで僕を楽しませてくれるんだ。本当にお前は最高の弟だよ」

その横たわる床が朱色に見えるのは、彼を取り囲む魔水晶の光の反射のせいか、それともキール自身が正気を保つ為に自らを傷つけた結果なのか。そんな様子ですら今はシオンを楽しませるものにしかならない。

「囚われのお前を……お姫様はいつ助けに来てくれるだろうね」

そう言った後、物語では普通囚われているのはお姫様の方だったと思い出す。
そんな自分の考えが面白くて、シオンはこみ上げてくる笑いを押さえもせずにクックックとひたすらに笑い続けた。


* * * * *


―――――薄れていく。
希薄な……自分という、存在。
いや……元々自分という存在は、そんなにはっきりとしたものだっただろうか。

父や兄達には、元々疎まれた存在だった。
母は……物心つく前には既に実家である聖のイエンタイラー家に戻ってしまっていた。自分をあの家に残したまま。
ただ毎日は漠然と過ぎて……ただ本を読んでいる時だけが楽しかった。自分の知らない世界を知ることだけが、嬉しかった。
―――――政治や権力になんて、興味すら覚えなかった。
その点で、自分とあの兄は……似ているのかもしれない。

欲に満ちた内乱後の王宮や神殿に、耐えられずに―――――アゼルの元へと走り。
―――――そして……彼女に出会った。





(あなたが)
(俺を)
(受け入れてくれたのは)





(あなたが)
(魔を)
(ふかくふかく愛していたから)





―――――知っていた。
そんなことは―――――誰よりもよく、わかっていた。
けれど……それでいいと思っていたのだ。
今もその想いは変わることなく、この胸にある。

周りを取り囲む魔水晶から発せられる波動には、波があることをキールは既に悟っていた。それ以外の時は抵抗せず、力を温存するのが、一番有効な方法であるともわかっていた。
―――――けれど、それもいつまでもつのか、わからない。
波動を放っていない時でも、じわじわとその力は彼の男性にしては細身の身体を侵食していくのだから。

(「僕は……彼女に逢うためだけに生まれてきた」)
(「フィーナは僕の青空だから」)

盲目なまでの想いを彼女に抱く少年の赤い瞳が、ふと脳裏に浮かんだ。
自分にとって彼女は一体どんな存在だろう。

(貴方は)
(俺にとって)





(花―――――なのです)





それは、心に……小さく穏やかに咲く。


* * * * *


「……では、ほぼここで間違いないな?」
「はい」

フィアルに命じられてシオン達、内乱の残党の動きや居場所を探っていたシルヴィラは、少数の部下と共にラドリアの王都セイラスにいた。

「それにしても……ひどい国ですね、ここは」
「ああ……」

セイラスは王都だ。本来ならば一番華やいだ活気あるはずの町並みは、今は見る術もない。二ヶ月ほど前から疫病が流行りだしているらしく、裏通りは放置された遺体がそのままにされていた。略奪や強盗も日常化しており、日中でも気が抜けない。街に流れる川沿いにはスラムができている有様だ。

(あの王子は……今のこの現状を知っているのだろうか)

シルヴィラは宿の二階から大通りを眺めながら、今はノイディエンスタークにいるあの黒髪の王子の顔を思い浮かべた。
レインは、ほとんどの時間を離宮で過ごしていたと聞いている。
もしかしたら、ここまで自分の国が堕落していることを知らないのかもしれない。

(―――――だが、王宮の面々は知らないはずはない)

それでも民からはノイディエンスタークの10倍以上の税金を搾り取り、疫病に関しても何の対策もしない。抵抗すれば即斬首になる。シルヴィラもここ数日間で、既に何人もの人間が処刑されるのを、街の中央にある処刑場で見た。

(間違っている……こんな国は)

王宮で、毎晩贅沢の限りを尽くしているであろう、王族や貴族達。
それは間違いなく、2年前までノイディエンスタークにあった光景そのもので、尚更シルヴィラに嫌悪感を抱かせた。


* * * * *


「……隊長」
「……なんだ?」

しばらくそうしていただろうか。
呼ばれて、シルヴィラが部屋の中へと視線を戻すと、街に情報を収集に行っていた部下の一人が神妙な顔で直立していた。

「まだ……非公式な情報のようですが」
「……話せ」
「国王……ラドリス13世が、この疫病にかかって臥せっているそうです」
「―――――なに?」

即位時は名君と呼ばれていたものの、歳を重ねる毎に変貌し、女に狂うようになり、対外面では無理とも思える侵略を繰り返すようになった狂王。何が彼をそう変えたのか―――――今では知る術もない。
しかしそれでも王は―――――王なのだ。

「―――――荒れるな」
「はい……既に王宮内では、次期国王の座を巡って、現在の皇太子であるセイルファウス王子に続々と刺客が送り込まれているそうです」
「第二王子は……アイザックと言ったか。奴の手の者が一番多いのだろうな」
「そう思われます」

―――――アイザック。
ノイディエンスターク侵攻を指揮した男だ。戦場にいるというのに派手派手しい衣装を身に纏い、いつも残酷な笑みを浮かべていた。中央を離れられなかったアゼルに変わって軍を率いていたシルヴィラは、何度も彼と顔を合わせている。

「セイルファウス王子がもし暗殺されるようなことになれば、もうラドリアは堕ちるところまで堕ちるしかない」
「……はい」

―――――自分達はどう動くべきか。
他国のことだ……本来ならばそこまで干渉してやる義理はない。ラドリアは一度はノイディエンスタークに攻め入った国なのだから。

けれど今、ノイディエンスタークにはレインがいる。セイルファウスが亡き者になれれば、アイザックは間違いなくその身柄を要求してくるだろう。あの姫君が彼をそう簡単に手渡すとは、とてもではないが思えない。

そうして黙ったまま指示を待っている部下に、シルヴィラは低い声で命じた。

「―――――調査を」
「はい」
「続けろ。王の容態に異変ある時はすぐに知らせろ」
「了解しました」

一礼して身を翻し、部屋を出て行くその後姿を見送ると、シルヴィラはまた大通りへと視線を戻す。窓枠に手をかけてどこかくらいその様子を見守りながら、ぽつりと呟いた。

「―――――しばらくは……戻れそうもないな」

その手に―――――風が集まり、小さな言霊がそれに乗って夜空へと消えていく。
それは決して誰にも気取られることのなく、フィアルの元へと届くだろう。

大きな嵐は―――――何故かすぐそこまで来ているように思えた。