Clover
- - - 第15章 心の狭間1
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「フィーナ!」

見覚えのある若い飛竜、エウロンから飛び降りて駆け寄ってくる影を、フィアルはその視界に捉えた。
―――――竜の鬣半島。飛竜の住まう土地。
この場所に、ジェイドを連れてくるのは、ある意味では危険で無謀なことだったかもしれない。
そんな風に思いながら、フィアルはすごい速度で走ってくるその姿をぼんやりと見つめた。

「フィーナぁぁぁぁぁ!」

大声で確かにそう叫んだにも関わらず、何故か彼の身体は目の前にある黒鋼の鱗に抱きついた。いや、抱きついたというよりも、減速できずに追突したといった形か。ジェイドはその程度の衝撃ではびくともしなかったが、少しだけ嫌そうに目を細めた。

「フィーナ!」
「……リンフェイ。相変わらず無駄に元気ね」
「無駄とは何だ!俺との久しぶりの再会をもっと全身で喜べ!」
「……」

この人は本当に自分よりも9歳も年上なのだろうか。
ジェイドに抱きついていた手を離すと、リンフェイは呆れたように立っているフィアルを、それこそ思いっきり抱きしめる。竜と同じレベルで抱きつかれるとさすがに苦しく、フィアルは顔を歪めた。

「痛い」
「……ああ、俺の心も痛かったぞ。逢いたくて逢いたくて逢いたくて……」
「今、痛いの!」

ぐいぐいとフィアルはリンフェイと自分の身体の間に腕を入れて押し返そうとするが、そんなことをこの男が許すはずもなく、その腕をなんなく掴まれてしまう。

「逢いたかった」
「あ、そう」
「……感動がねえな」
「ないわね」
「……いやいや、お前は少々恥ずかしがり屋さんなだけだよな、な?そうだよな?いやいやいや、俺にはその位のことよーっくわかってるぞ!」
「……どうしてそこまで自分に都合のいい解釈ができるのかなぁ」

満面の笑みで自分を覗き込んでいる竜騎士王に、フィアルは思わず苦笑いを漏らした。この猪突猛進な性格はきっと一生直ることはないのだろう。けれどそれがリンフェイらしいと思えるのだから仕方がないのだ。

そんなこんなで一通り抱きしめて満足したのか、リンフェイは腕の力を抜くと、フィアルの傍らに佇む黒鋼の鱗を持つその竜を見上げた。

「フィーナ、この竜……」
「……ああ、それは……」

また1から説明しなくてはいけないのかと、多少げんなりして目を伏せたフィアルの耳に、思いもかけぬ明るい叫び声が飛び込んできたのはその直後だった。





「すっげえ!超かっこいい!」





「―――――へ?」

何と言った?この能天気な竜騎士王は。

「黒くてなんていうか硬派って感じがする!触り心地もいい!」

すりすりすりすりすり。
さわさわさわさわさわ。

リンフェイはフィアルを抱きしめていた手を離して、ジェイドの鱗を思いっきり撫で摩った。これにはフィアルも、触りまくられている当のジェイドも絶句してしまう。

リンフェイは竜が好きだ―――――それこそ盲目な位に。
しかし―――――いくら彼が、竜と関係の深いフューゲルの民だとはいえ、その対象となる竜は飛竜であり、四元素の竜に触れる機会はほとんどないと言ってもいい。
それなのに、この態度はいかがなものか。豪胆なのか、無謀なのか、それとも無知なのか。どうにも悩むところである。

『テーゼ……何だこれは』
「あはは……」
『怖いもの知らずか?それとも単なる馬鹿なのか?』

この魔竜は、寡黙なようでいて言うべきことはハッキリ言う性格らしい。しかしそんなジェイドの物言いに気を悪くした様子もなく、リンフェイはジェイドに触れる手を止めようとはしなかった。

「いいな〜かっこいいな〜初めて見たぞ、こんな竜」
「……そりゃそうでしょうね」
『……』
「何だ?」
「……ううん。リンフェイくらいお気楽に生きられたら、人生楽しいだろうなぁと思っただけ」
「なんだそりゃ」

リンフェイはきょとんと首を傾げてフィアルの顔を覗き込んだ。額の横で結ばれたフューレがさらりと揺れる。レインやメナスの黒髪と、リンフェイのそれとはまた印象が違う。彼に暗い影というものが何も付きまとってはいないように見えるのはその優しげな茶色の瞳にも因るのかもしれなかった。

「天然の癒し、か」
「……?」
「でも気を抜くと単なる性欲大魔神」
「……は?」

ワケがわからないといった風なリンフェイに、小さく笑いながら、フィアルはリンフェイと同じようにゆっくりとジェイドの鱗を撫でた。じっと見つめてくるその翡翠の瞳にも笑顔を返すと、魔竜も同じように目を細める。それがフィアルには何故かとても嬉しかった。

―――――リンフェイなら。

それは奇妙な確信だった。もちろん根拠など何もない。

「リンフェイ」
「ん?」

まだ手を止めず、嬉しそうにジェイドの身体に触れている彼に、フィアルは静かに告げた。





「この竜は……魔竜よ」





―――――リンフェイなら。
―――――彼なら、ジェイドの存在を何の抵抗もなく受け入れることができるのだろう。





「そっか」





竜騎士王と呼ばれる青年は、穏やかに微笑みながら―――――ただそう答えただけだった。


* * * * *


竜の鬣半島の最東端にあるその断崖は、海の口笛と呼ばれている。
岩が波の侵食に寄って削られ、そこを下から吹き上げる風が通る時に甲高い音をたてるからである。
その強い風に髪を遊ばせながら、フィアルとリンフェイはその断崖に立った。

「……で?」
「何よ」

舞い上がる髪を手で押さえながら、フィアルはリンフェイへと向き直った。
そんな彼女をリンフェイは近くにある尖った岩に腰掛けながら、穏やかな笑顔で見つめる。

「何があった?」
「……どうして?」
「お前が理由もないのに俺のところにわざわざ来るわけがないだろ?」
「そう言い切る?」
「ああ」

力強く自信たっぷりに頷く彼に、フィアルは呆れて物も言えない。理由もなく、彼に自分が会いに来ることがないのは何故なのか、と考えないのだろうか。いや、考えるだろう、普通なら。

―――――そう……普通なら。

そう考えるに至って、フィアルは自分で自分の考えに少なからず不機嫌になった。それを察したのか、リンフェイはきょとんとした瞳で彼女を見つめる。

「私……普通って言葉、嫌い」
「……は?何だよ突然」
「普通なんて基準、一体誰が決めるの?」
「お前ね……俺にそういう哲学的なことを言わないでくれ。俺が何で頭脳労働を全部リーレンに押し付けてると思ってんだ」

途端に苦虫を潰したような顔をするリンフェイに、フィアルは小さく微笑んで、風の吹き上げる海を見つめた。

「普通であることは、そんなに大切なことかな」
「まぁある意味では個性がないってことだな、平等ではあると思うが」
「国としてはそう……全ての国民に平等な権利が認められるべきよ。そんなことはわかってる。私が言ってるのは心の問題なの」
「……心の問題?」
「どうして人は、他の人と同じでありたいと思うのかってこと!」

そこまで言って、フィアルはもう一度くるりとリンフェイに視線を向けた。

「リンフェイは……あの子をどう思う?」
「かっこいい!」
「……いや、そうじゃなくて」
「触り心地もなかなかいいぞ」
「……だから、そうじゃなくて」

よっ!という掛け声と共に、リンフェイは座っていた岩から立ち上がり、困ったような顔をしたフィアルの横へと並んで海を見つめる。その髪は風に煽られて乱れてはいたが、茶色の瞳は穏やかな光が浮かんでいた。

「そう言って欲しかったんじゃないのか?」
「……え?」
「お前がここに来た理由だよ」

リンフェイは手を伸ばして、ガシガシと彼女の白金の頭を撫でる。力任せなその仕草は少々乱暴ではあったが、リンフェイの考えていることを強くフィアルへと伝えてくれた。

「俺は……あの魔竜を怖いとは思わない。恐ろしいとも、思わない」
「……」
「あの瞳を見れば、わかるさ」
「……そうね」

ふっ、とフィアルは一つため息をつくと、観念したようにまたその海を見つめた。

「……わかってるつもりなの」
「……」
「でも、ストレスってたまるのよ」
「……まぁな」
「一つの国を治めることと、自分の信じるものを守ること。それは本当に大いなる矛盾ね」

その言葉を聞いて、リンフェイは彼女の頭に置いていた掌を、その肩へとゆっくりと移動させ、軽く彼女を抱きしめた。フィアルは今回ばかりは特に抵抗することもなく、されるがままになっている。それは背中へと回されたリンフェイの手が、ポンポンと子供をあやすように動いているからかもしれなかった。

「フィーナ」
「ん……?」
「とりあえず今できること、教えてやろうか」
「……できること?」

リンフェイは彼女を抱きしめていた腕を緩めて、左手で目の前に広がる海を指差した。

「これは昔っからの俺のストレス解消法なんだけどな?」
「……?」
「叫ぶんだ!」
「……はあ?」

思いっきり顔を歪めたフィアルに、リンフェイはニッと親指を立てて豪快に笑ってみせる。

「見ろ、この大海原!これに向かって叫ぶんだ!気にしなくても聞いてるのは飛竜だけだ!」
「……何なのその体育会系なノリは」
「俺なんていつも叫んでるぞ?わりとスッキリするし、いい方法なんだぜ?」
「……ちなみにいつも何を叫んでるのか、すっごく聞きたくはないけど聞いてもいい?」

フィアルは心底嫌そうに顔を歪めているが、そんなことには気付かず、リンフェイは笑ったままだ。

「リーレンの堅物ハゲ!とか」
「……」
「書類整理なんてもうイヤだ!とか」
「……」
「謁見は面倒だ!とか」
「……」
「もっともっとエウロンと遊びに行きたい!とか」
「……」
「もっともっともっともっともっともっともっともっとフィーナと……!」

―――――リンフェイがそれ以上言葉を続けることができなかったのは。
フィアルの芸術的に素晴らしい左ストレートが、ボキュッという鈍い音を立てて右頬に決まったからであった。

その様子を遠くから見つめていたジェイドは、冷たい瞳で隣の飛竜王の息子を見やったが、エウロンはごまかすようにそっぽを向いたままだった。